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日記

「残留孤児」原告、平和之船に乗る(その5-2)

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その後、「3事件グループ」はツアー一行と別れ、「アリラン・コゲ(峠)」に向かいました。

原告の安達さんは、1933年、当時日本の植民地支配下にあった韓国ソウル(「京城」)で生まれ、3歳までソウルで過ごされましたが、その地で実母を亡くされました。安達さんは、その後、「満州国」(中国東北部)に移られ、そこで、日本の敗戦を迎え1981年まで中国で過ごすこととなったのでした。まさに、安達さんの半生は戦前の日本の植民地政策と切り離せないものでした。

安達さんが幼いころお父さんから聞いた記憶によると、実母のお骨は「ソウルのアリラン山の麓の日本寺院」に納められているとのこと。そこで、「アリラン山の麓の日本寺院」を唯一の手がかりとして、そのお寺を訪ねることとしましたが、地元の人に尋ねてみると、「アリラン山」ではなく「アリラン・コゲ(峠)」であることが判明しました。そこで、アリラン峠に向かい、いくつかの寺院を訪ねましたが、日本寺院を見つけ出すことはできませんでした。しかし、約70年ぶりにアリラン峠を訪れた安達さんは、その地の土を遺骨代わりとして日本に持ち帰り、仏壇に納めることとしました。

※写真はアリラン峠にあった寺院。これが昔、日本寺院であったのかは不明。
「アリラン」については、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%83%A9%E3%83%B3