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要請署名活動ニュース(大阪版)No.2

中国残留孤児国家賠償大阪訴訟 勝訴判決に向けて〜
大阪地裁あて要請署名活動ニュース(大阪版)【bQ】2005年5月15日

中国残留孤児国家賠償訴訟 大阪原告団/大阪弁護団
[事務局]大阪市北区西天満4丁目6番18号 アクセスビル7 階
久保井総合法律事務所 弁護士久保井聡明
電話 06- 6365- 5128 FAX 06- 6365- 7737
e- mail zanryukoji@hotmail.com


第一次,二次集約署名 1万1997名分 大阪地裁に提出!!
(第一次3566名、第二次8431名、合計1万1997名分)

 全国から集めていただいた大阪地裁あての署名ですが、4月23日集約の第一次分3566名分を、4月26日に大阪地裁民事8部に提出してきました。
 提出には、松田原告団長含め9名、弁護団6名が参加し、書記官に提出し、東京に転勤され、判決を書いておられる大鷹一郎裁判長に伝達していただくよう要請しました。
 また5月9日には、第二次集約分8431名分を提出し、合計1万1997筆になりました。
 続々と署名は全国から送付されています。全国のみなさま、よろしくお願いします。第3次提出は、5月25日の予定です。

■ メーデー署名もたくさん集まりました!
 5月1日のメーデーには、大阪原告団は、扇町公園(大阪労連)、大阪城公園(連合大阪)、大仙公園(堺労連)の3会場に原告・支援者約50名、弁護団10名が参加し、ビラ5000枚を配布し、多数の署名ももらいました。
 東京の中央メーデーでは、代々木公園(全労連)、日比谷野外音楽堂(全労協)の2箇所で署名活動が行われ、代々木公園では、原告、支援者、弁護士約140名が署名活動を行い、100万人署名3621筆、大阪署名3839筆を集めました。
 全国でもメーデー署名が取り組まれています。

■ 大阪のビラや署名用紙をつくっていただいた中村道子さん(あらくさタイプ)がJR列車脱線事故で犠牲に。
 大阪原告団が配布するビラや3 ・21集会のしおり、署名用紙などをデザインし印刷していただいていた「あらくさタイプ」という印刷所(藤崎光子さん経営)を親子でやっていた娘さんの中村道子さん(40歳)が、さきのJR 列車脱線事故で犠牲になられました。
 お母さんの藤崎さんは、街頭宣伝活動や3 ・21集会などにも参加してくれる支援者の一人でもあります。娘の道子さんは、いつも明るい声で、ビラのデザインについて打ち合わせをしてくれていました。
 事故の3日前の4月22日(金)にメーデー用のビラのデザインのことで電話でやりとりしたのが最後の会話になり、この残留孤児のビラのデザインが、道子さんの最後の仕事になってしまいました。お母さんの藤崎さん(65 歳)は、残された人生を、JRの企業犯罪の責任の追及にささげると決意され、信楽鉄道列車事故の遺族会や弁護団の協力を得て、活動をはじめておられます。道子さんのご冥福を心からお祈りするとともに、藤崎さんの活動も応援していきたいと思っています。(弁護士 岩田研二郎)

■ 地区別原告団学習会(府内6地区)の開催始まる!
 大阪原告団、弁護団は、昨年9月の連続学習会に続き、5月16日から府内6地区に分けて、原告団学習会を各地で開催します。各学習会20 名程度の話しやすい雰囲気で、原告ひとりひとりとの意見交換を充実させたいと考えています。
 学習会の目的は、7月の大阪地裁判決を控えて、必ず勝利を勝ち取る決意を固めることと、@どのような判決が出ても、原告団が団結して対処していけるように、判決をどのような視点で評価するのか(勝訴と敗訴の視点)、A判決後、原告団として、どのような行動をするのか、役員のみならず、原告全員が行動することの重要性を討議するためです。

■ 労組など団体訪問も
 5月17日、19日の二日間、日中友好協会大阪府連の協力で、車を出してもらい、府内の団体訪問を実施し、署名要請をしてまわる予定です。

■ 国会議員地元事務所の訪問も実施予定
 全国の原告団連絡会で提起されている国会議員の地元事務所訪問も、5月末から6月中旬にかけて実施します。弁護士1名と原告2名のグループで、11コマの登録をして、約40名の全事務所をまわる予定です。

※大阪地裁要請署名用紙はこちら
http://www.jdla.jp/cgi-bin04/column/zan/diary.cgi?no=5

※バックナンバーはこちら
No.1 http://www.jdla.jp/cgi-bin04/column/zan/diary.cgi?no=26

署名のお願い(団体用)

各 組合・団体 御中 
                       2005 年 4月14日

中国「残留孤児」国家賠償請求訴訟原告団
代 表 池田澄江 清水宏夫 宇都宮孝良
中国「残留孤児」国家賠償請求訴訟弁護団
団  長     鈴 木  經 夫

夢に見た祖国で普通の日本人として人間らしく生きるために   

中国「残留孤児」の人間性の回復を求める請願署名のお願い 
 
 貴組合・団体のご活動に敬意を表します。
 さて、幼くして中国に残され、40年以上も「残留」を余儀なくされた中国「残留孤児」帰国者 2,400人の約8割1,889人が、東京をはじめとして全国13の地方裁判所へ国家賠償訴訟を提起しており、来る7月6日には大阪地裁で最初の判決が出されます。
 この裁判は、「残留孤児」が「普通の日本人として人間らしく生きる権利」を回復することを求めるものです。
 そのために、国が「残留孤児」を3度も棄てて、普通の日本人として人間らしく生きる道を悉く奪ってきたことに対する謝罪と賠償、「残留孤児」に対する施策の抜本的転換、そして二度と再び自分たちのような戦争の惨禍による悲劇を繰り返さないことを求めています。
 私たちは、この裁判提起にあたり、井上ひさし(作家)仲代達矢(俳優)さんをはじめ20名をこえる著名な方々から「中国『残留孤児』の人間回復の闘いに支えを」と題するアピールを寄せていた
だきました。
 このアピールには、国によって、1度目は敗戦時に旧満州に置き去りにされ、2度目は「戦時死亡宣告」により「死者」にされ、3度目は、帰国できるまで40年以上も待たされたにもかかわらず、帰国後はまともな日本語教育もなされず、自立支援策は無いに等しく、そのため「残留孤児」の約 70%が生活保護を受けざるを得ない状況に追い込まれていること、人並みの老後の保障を求めて11万人もの署名を集めて国会請願を繰り返しましたが、何れも不採択に終わり、「ハンセン病裁判」の闘いに励まされて、やむを得ず裁判に立ち上がったことが記されています。
 そして「残留孤児」の人間回復の闘いをみんなで支えようと呼びかけて頂きました。
 そこで、私たちはこのアピールへの賛同を広く国民の皆さんに呼びかけることに致しました。
 それとともに、国の「残留孤児」に対する政策の誤りを認めさせ、謝罪することと人間らしく生きるにふさわしい補償制度の確立の2点に絞り、内閣総理大臣宛の請願署名に取り組むことになりました。
署名の目標は 100万人ですが、「残留孤児」原告らの街頭署名等により4月現在、約70万筆となっております。
私たちは、来る7月6日の大阪地裁の判決を機に100万人署名をもって、国に対して全面解決を迫る予定です。
 「残留孤児」たちは既に高齢になりつつあります。残されている時間は多くありません。
 平和と人権を擁護し、生活向上のためにご奮闘されている貴組合・団体のご支援・ご協力を心からお願い申し上げます。

 要 請 事 項
1. 100万人請願署名にご協力下さい
⑴ 署名用紙は、取り扱い団体名を入れてコピーして下さい。
(下記の平和フォーラムのホームページからもダウンロードできます。
http://www.peace-forum.com/sensosekinin/zanryukoji-shomei.pdf
⑵ 署名の集約は2005年6月30日までにお願い致します(最終)
⑶ 上部団体は、構成組織への指示・要請をお願いします。
⑷ 署名の送り先・お問い合わせは
  〒141-0022 東京都品川区東五反田1-13-12 五反田富士ビル5F
  五反田法律事務所 пEFax 03-3447-1620 
  中国「残留孤児」の人間回復を求める市民連絡会
2.運動を推進するための募金活動にご協力下さい
 「残留孤児」原告の7割が、生活保護を受けている困窮者です。
 街頭署名などに出掛るための交通費にも困っています。この運動を進めるための募金にもご協力をお願いす。
⑴ カンパ袋を用意致しましたのでご活用ください。
⑵ 団体としての寄付についてもよろしくお願いします。
⑶ 送金先・銀行口座・東京三菱銀行五反田支店 (普)2076999
      郵便振替・00130-0-581422
      受取人・中国残留孤児人間回復運動支援基金
3.機関紙・新聞等でこの問題をアピールしてください。
資料が必要な場合は、上記の「市民連絡会」(пEfax 03-3447-1620) へ請求してくだい。
     (バンフ等をお送りします)

以 上

100万署名推進ニュース(NO.6)

4.pdf(41,066 byte)

中国「残留孤児」国家賠償訴訟勝利
100万署名推進ニュース(関東版)
NO6 2005年4月


大阪訴訟が焦点に、全国で初の判決
大阪地裁へ「要請署名」を展開!!

「中国残留日本人孤児訴訟」は、いま全国13の地方裁判所で争われ原告総数は1889人となり、帰国孤児の80%に迫りました。さらに東北でも訴訟準備が進んでおり、間もなく2000人を突破することは確実で、かつてない「大型訴訟」となっています。当初、東京地裁(関東地区)が最も早く審理が進み、結審・判決も早いとされてきましたが、今年2月突然裁判長が転勤となり、新たな裁判長による弁論は6月1日からとなるなど大幅にずれ込むことになりました。
 ☆「大阪訴訟」が急浮上、7月6日「判決」へ!
そのため、3月25日の大阪地裁での最終弁論が全国で最も早い結審となりました。判決も7月6日と決まりました。「大阪訴訟」の判決結果が孤児訴訟全体に大きく影響する事態となって来ました。
 ☆「大阪地裁宛要請署名」急遽展開へ!
この事態をうけて、3月21日緊急の「全国総決起集会」が大阪で開かれ、全国各地の原告・弁護団・支援者800人が参加。大阪訴訟勝利に向けて「大運動を展開する」ことを決めました。その大きな柱として「大阪地裁裁判官宛の要請署名」を展開することを決めました。要請は「貴裁判所で審理されている大阪訴訟において、残留孤児の受けた被害に対する国の損害賠償責任を明確にする判決をなされるよう要請します」となっています。
 ☆5月半ばまでに「10万筆」超す署名に!
大阪弁護団の岩田研二郎弁護士は「この署名は急がなければなりません。裁判官が判定を下す前に少なくとも10万筆以上の署名を提出したいと考えています。連休明け、5月半ばまでに集めていただくよう御願い致します」と呼びかけています。
 ☆100万署名、66万人を突破!(2005年3月末現在)
100万人署名は、2005年3月末現在658,271筆に達しました。東京・神奈川・さいたま・千葉の原告団はこの冬の寒さのなか、毎週街頭・駅頭に立ち署名を呼びかけ、1日平均1000筆を集めています。この行動には毎回日中友好協会都連や日中友好雄鷹会が支援に参加しています。団体では日中友好協会の8万筆をはじめ全農林・私鉄総連・自治体関係の組合・教職員組合や虹の会・国民学校一年生の会などが奮闘しています。また団体への要請訪問も千代田区・新宿区・文京区・三多摩関係自治体労組をほぼ廻り終えその数は450団体になっています。これらの団体から持続的に署名が届いています。千葉でも連絡会を中心に団体訪問を続け千葉土建労組などの大きな協力が寄せられています。これからの団体訪問は中央区・港区を重点に展開されます。
 ☆「大阪署名」とあわせ、引き続くご支援を!
原告団・弁護団・市民連絡会は、「大阪判決の出る夏場が次の大きな山場」と位置付け、「6月末までに100万筆を達成したい」と、改めて各方面に支援強化を呼びかけています。
 ☆署名の輪を全国津々浦々に広げよう!
100万署名を達成するには、関東地区とともに全国すべての地域で署名を飛躍させることが必要です。岡山の2万人をはじめ急速に広がりつつありますが、さらに大きな努力が求められています。全国各地への署名拡大をはじめ皆さまの、あとひとふん張り、ふたふん張りのご尽力に期待致します。

厚労省が「中国帰国者実態調査」

 帰国者の6割が生活保護
厚生労働省は、3月28日、9回目の「中国残留日本人実態調査」を行ないましたが、今回はじめて「帰国者全員」を対象にした調査を行ないました。2003年3月末時点での帰国者約5200人のうち約4100人が回答しました。帰国者の平均年齢は66.2歳。生活保護の受給率は58.0%。帰国10年以内では受給率78.5%と高率です。
 日本語3割が話せない
日本語の理解度は「日常の会話に不便を感じない」が38・4%。「片言の挨拶程度」が26・6%。「全く出来ない」が6・9%。満足に離せない人が30%以上にのぼることが判明しました。
 老後の不安が最大
帰国を後悔している人も11・5%。最大の理由は「老後の不安」55・0%で前回調査の40%から増加した。帰国してよかった(64・5%)と答えた人の理由は「祖国で生活できるようになった」でしたが「老後の不安」は同じでした。今回、中国残留日本人の全員が調査の対象となったのは、孤児訴訟による世論の高まりが背景にあったと考えられます。

(お願い)
@署名簿を「増刷」して多くの署名をお願いします。市民連絡会のHPから署名簿をダウンロードできます。
HPのアドレスはhttp://www.jdla.jp/cgi-bin04/column/zan/diary.cgi?no=3です。
A集った署名簿は「市民連絡会」にご送付ください。
Bリーフ(無料)を注文してください。送付します。


※大阪地裁要請署名用紙はこちら
http://www.jdla.jp/cgi-bin04/column/zan/diary.cgi?no=5

※バックナンバーはこちら
NO.5 http://www.jdla.jp/cgi-bin04/column/zan/diary.cgi?no=34
NO.4 http://www.jdla.jp/cgi-bin04/column/zan/diary.cgi?no=21
NO.3 http://www.jdla.jp/cgi-bin04/column/zan/diary.cgi?no=33
NO.2 http://www.jdla.jp/cgi-bin04/column/zan/diary.cgi?no=20
NO.1 http://www.jdla.jp/cgi-bin04/column/zan/diary.cgi?no=19

要請署名活動ニュース(大阪版)No.1

中国残留孤児国家賠償大阪訴訟 勝訴判決に向けて〜
大阪地裁あて要請署名活動ニュース(大阪版)   【bP】2005年4月
 
中国残留孤児国家賠償訴訟 大阪原告団/大阪弁護団
[事務局]大阪市北区西天満4丁目6番18号 アクセスビル7階
久保井総合法律事務所 弁護士久保井聡明 
電話 06-6365-5128 FAX 06-6365-7737
e-mail zanryukoji@hotmail.com

 2005年7月6日,大阪訴訟判決へ!大阪第1次訴訟事件(原告32名)が,2005年3月25日に結審しました。判決は,2005年7月6日(水)午前10時15分から言い渡されます。これは,全国で提起されている中国残留孤児訴訟中,最初の判決であり,この判決で勝利することが,全国の孤児問題の解決にとって非常に大きな力となります。今後,大阪訴訟の勝利判決を獲得するために,署名活動を行い,裁判所と世論に訴えていくことは極めて重要です。 

■ 3月21日 全国総決起集会 成功裡に終わる!
大阪訴訟の結審直前に行われた全国総決起集会は,デモ900名,屋内集会823名の原告・支援者・弁護団が集結し,熱い想いを共有しあって,成功裡に終えることができました。全国から駆けつけ,参加してくださった皆さん,ありがとうございました。   デモの終了時間の見込みがくるい、集会の時間が短くなり、参加者のみなさんにご迷惑をおかけしましたことをお詫びします。スライド上映などは好評で、元気がでました。

■ 全国総決起集会で大阪地裁あて要請署名の提起
 その全国総決起集会の中で,大阪弁護団の岩田研二郎弁護士が「大阪地裁に,少なくとも10万筆以上の署名を提出したい。」と呼びかけました。集会の熱気と私たちの熱意を裁判所と社会に伝えるために,今後とも,全国の原告団・支援者・弁護団のみなさんのさらなるご協力と一致団結をお願いいたします。

■ 大鷹裁判長,転任(本件の判決担当は変更なし)
2004年12月25日の第1次訴訟提訴以来,大阪訴訟を担当してきた大鷹一郎裁判長が,結審後の2005年4月1日付で東京の知的財産権高等裁判所に転任となったことが分かりました。しかし,7月に言い渡される大阪第1次訴訟については,これまでどおり大鷹裁判長が判決を担当します。したがって,署名の宛名は「裁判長 大鷹一郎 殿」のままになっています。
 
■ 判決直前まで署名の提出を!
大阪原告団は,全国から集まった署名を早く裁判所に届けようと、2週間に1回の割合で大阪地方裁判所に署名を提出することにしました。したがって、前日までに久保井総合法律事務所に届けてくださると助かります。
2005年4月26日(火) 第1次提出 
     5月10日(火) 第2次提出 
     5月25日(水) 第3次提出  
     6月 7日(火) 第4次提出  
     6月21日(火) 第5次提出
     7月 1日(金) 第6次(最終)提出

■ 他の裁判所の審理状況
 他の裁判所でも着々と審理が進んでいます。
札幌 2月から原告本人尋問開始
東京  6月に裁判所交替による弁論更新
名古屋 12月 坂本龍彦証人尋問 2月 神原義勝証人尋問 3月より原告本人尋問開始   
京都 2月から原告本人尋問開始、 3月 竹内茂樹証人尋問開始、4月 菅原幸助証人
兵庫 3月25日 井出孫六証人尋問、5月から原告本人尋問開始
岡山 4月から原告本人尋問開始

■今後の街頭宣伝活動予定
 個人・団体へ呼びかける以外に,街頭での宣伝・署名活動も行います。
現在、大阪原告団として決まっている行動予定です。
4月9日(土)PM2:00〜3:00 大阪城公園の花見客への宣伝と署名の訴え (実施済み)
5月1日(日)AM8:30〜9:30 大阪メーデー宣伝(大阪城公園,扇町公園)

4月9日花見客宣伝は、いいお天気の中、原告・弁護団・支援者53名が参加して、たくさんの署名をもらい、大成功!

※大阪地裁要請署名用紙はこちら
http://www.jdla.jp/cgi-bin04/column/zan/diary.cgi?no=5

大阪訴訟・最終弁論

       
             平成17年3月25日

 最   終   弁   論
                 
     弁護団長(原告ら代理人)
          弁 護 士  西  岡  芳  樹

大阪地方裁判所 第8民事部合議2係 御中                

1.私たちは、700ページを越える最終準備書面で、原告らの現在の被害の責任が国にあることを余すことなく論証したと考えています。本日は、私の弁論に続いて、原告Tが大阪原告団副団長として意見陳述します。その後、700ページに及ぶ準備書面について歴史的経緯と責任論を小林徹弁護士、損害論を岩田研二郎弁護士、究明カードについて吉岡良治弁護士がパワーポイントを使用して弁論します。小野寺利孝弁護士からは全国弁護団の立場から弁論があり、松田利男原告団長から意見陳述をし、弁護団事務局長の久保井聡明弁護士から若干の弁論をして原告側の弁論はすべて終わります。

2.ところで、原告本人尋問の前に私は裁判所に対し、想像力を膨らませて原告の陳述を聞いてくださいとお願いしました。それは原告らの人生が私たちの想像を絶するものであり、訴状別表の作成、本人尋問の準備などで通訳を交え5回も10回も話を聞いても、私たち弁護団自身完全に理解しえていないと思ったからです。幸いにも裁判所はそのことを覚えてくださり、努力されたということを洩らされ、私は嬉しく思いました。

3.私は原告番号31番のY・Yさんの陳述録取書の担当でした。Y・Yさんは実の兄によって後に養父母となる中国人に預けられました。実の兄Y・Kさんは日本がサンフランシスコ条約で独立復帰し、中国で留用されていた方が一斉に帰国した昭和28年に帰国しておられます。Y・Yさんの通訳をしてもらっていたのですが、Y・Kさんに直接預けた状況を詳しく聞きたいと考えて事務所に来てもらった時、私のほうからついY・Kさんに「Y・Yさんを預けた状況をお話してもらえますか。」と聞きましたところ、Y・Kさんは一瞬顔つきが変わり、悲しそうな、怖いような顔になり、先生にはお世話になっていますが、先生でも本当のことは分かってもらえないと言われました。

4.裁判所、判決の前にもう一度想像してください。感じてください。ぼろを着て零下20度、30度という寒さを自分の肌で。収容所で隣のチフスにかかった人たちがその場で血の混じった大便を垂れ流す臭気を自分の鼻で。割れガラスの窓を通してビュウビュウ吹く風の音、ゴホンゴホン咳きする音や苦痛の余りの呻き声、空腹でなるお腹の音などを自分の耳で。一日1回高粱が少し浮いているだけの食事のひもじさを自分の胃で。そして、枯れ木のような腕と足にポコンとお腹だけ出ている餓鬼のような子供たちとその横で無気力に死んでいく肉親たちを自分の目で。明日はわが身だと思いながら、死ぬことが怖くなくなる精神構造を。

5.Y・Kさんはそんな中で収容所で死なすよりはましと弟の命と弟に対する切ない思いを中国人に託したのでした。そして、その数日後自らも空腹で倒れているところを中国人に助けられ命を永らえたのです。自分が死ぬか弟が死ぬか、そんな究極場面での選択が中国人に命を託すことであった、それを簡単に「預ける」という言葉で片付けて欲しくないというのが、真意でした。

6.私たちは国の戦争責任を問うているものではありません。戦後一貫した残留孤児に対する国の無策を問うているものです。しかし、原告ら残留孤児の原点がこの地獄絵図にあることは否定しません。法廷で話せなかった原告らも含めて全員の原告らは昨日のことのように逃避行や収容所生活について語ります。いまだ、心の疵が癒えていないからです。

7.「国破れて山河あり」という言葉があります。国は破れても故郷の山や川は変わることなく、人の心を慰め、故郷の人々の暖かい受け容れは、心の傷を癒します。しかし、原告ら残留孤児はそのような経験ができませんでした。異郷であり、日本人に被害感情、敵対感情を持つ中国人の中にとどめ置かれたからです。原告ら残留孤児が速やかに帰国でき、故郷の山や川、人々にそして何よりも祖国に受容されていたなら、今とは全く違った人生になり、あの地獄絵図も悲しみはともないながらも懐かしく思い出すことができたかもしれません。

8.今原告らは帰国しましたが、数十年間のブランクは取り返しがつかず、世の中は変わり親族が判明しない者も多く、判明していても数十年ぶりに逢うため人間関係がまったく変わってしまっていました。そのため、留守家族も必ずしも温かくは迎えてくれませんでした。国も原告らを外国人扱いし身元保証人を要求したり、敗戦時既に成人していた残留邦人が帰国するのと同じようにしか扱いませんでした。原告らは帰国しても心の傷は癒えなかったのです。平成5年、国の同意なく強行帰国した残留婦人たちは、「私たちは日本人です。いつでも日本に帰れるはずです。ところがそれなのに、いくらお願いしても『親族に相談しなさい。』『特別身元引受人が見つかるまでお待ちください。』などと言って帰国させてくださいません。私たちは日中国交回復してからも、そんなことで既に21年も待たされてしまいました。」と陳情した。立場は少し違うが、この叫びは国の未帰還者に対する態度を端的に表現したものと言えます。これでは心の傷は癒えるはずはありません。

9.現在の原告らの生活は日本語が話せず、年老いて既に働く場所はなく、社会から孤立して老後を迎えています。病院にいくにも一々身内の手助けが要り、娯楽、趣味、レジャーなどとは全く無縁の生活、資産も蓄えもなく、収入は生活保護が頼りです。命の恩人である養父母に会うことも墓参りすることもできません。

10.原告らも座してこのような状態になったのではありません。中国で精一杯働き、帰国してからも中国での経験を生かせない単純労働で働くなど精一杯努力してきました。ボランテイアを含めて国会議員や厚生省に働きかけ、議員立法ですが自立支援法を制定させました。11万の署名を集めて国会請願もしました。しかし、いずれも孤児らの期待に応えてくれませんでした。言わば孤児らは行政にも国会にも見放されたのです。

11.今全国で1899名の残留孤児が原告となり、13地裁で国賠訴訟を闘っています。現在、提訴準備中の仙台などを入れると原告は2000名に達するでしょう。

12.裁判官、最後にもう一度想像してみてください。原告らの多数は裁判長と同じくらいの年齢で帰国しました。裁判長が今の年齢で、肩書きも資格も通用しない、資産も蓄えもない、日本でのキャリアは全く考慮されない、そして言葉は全く分からない国たとえばロシアやイランでゼロから生活することを。言葉の通じない国で自分で職を探し働くことがどんなに大変かを。

13.私はこの裁判の冒頭の弁論で国に対し、裁判では原告と被告となっていますが、国は残留孤児を含む国民の保護義務があるのだから、どうすれば残留孤児たちに祖国に帰ってきて良かったと思ってもらえるか一緒に考えましょうと提案しました。しかし、国は先日も進行協議の場で和解の席に着くことすらしないと断言しました。また、法廷での中国訳については、代理人がいるのだから、原告らは裁判所で何をやっているか分からなくてもいいという態度に終始しました。きわめて残念です。

14.大阪の原告団の一人S・Yさんが昨年亡くなられたように原告らの現状は待ったなしの状態で解決が急がれます。この原告たちの願いを受け止めるのは、もうこの裁判所しかないのです。他の裁判所の判決を待っていては遅すぎるのです。最後にこの法廷での菅原証人の証言を援用します。

「残留孤児を、この世界の歴史にもないこの悲劇を救うのはあなたたち裁判官しかいない。」
                        
以 上