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「国に棄てられるということ」

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岩波ブックレット『国に棄てられるということ 「中国残留婦人」はなぜ国を訴えたか』(小川津根子、石井小夜子・著)が発売されました。
http://www.iwanami.co.jp/hensyu/booklet/

※『だれにも言えない中国残留孤児の心のうち』
http://www.jdla.jp/cgi-bin04/column/zan/diary.cgi?no=123

100万署名推進ニュース(NO.8)

118.pdf(29,811 byte)

中国「残留孤児」国家賠償訴訟勝利
100万署名推進ニュース(関東版)
NO8 2005年12月

中国「残留孤児」の人間回復を求める市民連絡会
事務局 
〒141-0022東京都品川区東五反田1-13-12五反田富士ビル5F
五反田法律事務所内 
пEFAX 03-3447-1620    
口座名 中国残留孤児人間回復運動支援資金
郵便振替口座 00130-0-581422 
銀行口座 東京三菱銀行五反田支店 普通預金口座 20676999



「100万人署名」 933、661人に(11月10日現在)                           
年内に達成し、2006年を勝利の年に!!

「残留孤児訴訟勝利と日本政府の孤児政策転換」を求めて展開されてきた「100万人署名」は、11月10日段階で、933,661筆に達し「100万達成」までカウントダウンに入りました。残る7万筆弱を年内に「総達成」し、新たに迎える2006年を孤児問題勝利の年にしようではありませんか。「市民連絡会」では、12月を「100万人達成の月」と位置付け、ご協力をお願いした全ての団体・個人の方々に再度のご奮闘を呼びかけています。
★ 原告団が40万余集める!
93万余の署名のうち「全国の原告団」が集めた署名が約40万です。東京原告団が12万余、神奈川・埼玉が各7万余、千葉が5万余で関東関係が35万を集め、全国原告団からの署名が5万余です。これは約3年にわたり雨の日も風の日も、猛暑の中でも街頭・駅頭で訴え続けた結果です。特に7月の不当な「大阪判決」をマスメディアが好意的に報道してから国民の関心が一層強まり、街頭の反応も変化しています。原告団は「12月がチャンス」と位置付け週1回ペースで頑張っています。
★団体訪問500を超える!
東京を中心に支援組織と原告団が組んで訪問した団体は500を超えました。これらの組織や個人から寄せられた署名が約40万筆です。全農林労組の4万人などの大きな協力とあわせ10人・20人といった署名が数多く寄せられました。支援組織の日本中国友好協会も10万以上を集めています。「大詰め」を迎え改めてお願いした団体・個人のご尽力を要請いたします。
★「100万人達成」の持つ重み 
「署名100万人達成」の持つ重みは、政府と裁判所に対して大きなインパクトを与えます。来年結審が予定される14の地裁を勝利に導き、政府の「孤児政策立法化」を強く促す役割を果たします。同時に、長期にわたって奮闘してきた原告団・弁護団・支援組織・個人を大きく励ますものです。


 孤児全原告が、「立法化」求め 『心と血の手紙』運動を展開!!

原告団全国連絡会は、日本政府が孤児問題の「立法化(政治解決)」に向けて、本腰を入れて取り組むよう原告全員(2093人)による要請の手紙(「心と血の手紙」)を出す運動を一斉に展開しています。手紙は、小泉首相をはじめ衆参両院議長、全政党党首あてに送るというもので、12月1日から10日まで集中的に取り組まれます。内容は、孤児政策立法化を前提にして、各自が「孤児になった経過・中国での生活体験・肉親の判明状況・永住後の生活実態」などをひとりひとりが自筆(日本語・中国語)で記し送るというものです。前号で紹介したように超党派の「孤児議連」結成を要請する努力も、引き続き行なわれています。

 「呼びかけ人」からアクションを
一方、「市民連絡会」は全国の裁判勝利に向け、特に「東京地裁」の勝利を勝ち取るうえで著名な「呼びかけ人」の方々が裁判所に対して、要請書の送付や証言など積極的な「働きかけ(アクション)」を起こしてもらうことが重要と「要請の手紙」を送付しました。11月の世話人会で「かつて松川事件で作家の広津和夫氏が果たした大きな役割を想起したい。孤児問題に関心を寄せていただいている署名な呼びかけ人の方々に再度お願いしよう」と議論され実行されたものです。


 東京地裁、「5月24日に結審」決まる!   
2005年は大阪判決だけでしたが、2006年は東京地裁はじめ全国14の地裁での結審・判決が次々と予定されます。原告の半数以上が参加している注目の東京地裁は、5月24日に結審、秋に判決が予定されています。今後の弁論は、年内が12月22日、来年は2月21日が決まっています。続いて、兵庫、京都、名古屋・広島・その他が相次いで結審、判決を迎えることが予想されています。
 弁護団は「大阪判決が早期帰国義務を認めなかったのは、最終的には「孤児の被害の認識」に起因していると思われます」(鳥海準弁護団事務局長)と述べています。つまり、裁判官が孤児の苦難の体験を十分に認識していないからだということです。弁護団は、各地の裁判で時間は掛かっても原告の証言を出来るだけ多く陳述してもらい、また学者、専門家の証言もしてもらうことによって、裁判官の「認識」を変えていこうという方針で取り組んでいます。そして全国14地裁のどこかで「勝利の突破口」を切り開くことが重要だとしています。その点からも東京地裁の帰趨が非常に重要な意味を持っています。

 
 原告2093人が裁判に参加、全体の83%に到達!
原告団総数は2093人に達しました。(10月15日現在)各裁判所ごとの原告数は以下の通りです。
東京地裁1092 札幌地裁85 仙台地裁25 山形地裁34 長野地裁67 名古屋地裁209 京都地裁109 大阪地裁144 神戸地裁65 岡山地裁27 広島地裁59 徳島地裁4 高知地裁46 福岡地裁103 鹿児島地裁24 計2093 ※この他、残留婦人訴訟が東京地裁3 高知地裁9 埼玉地裁13です。

★ お願い★
 @「孤児裁判募金」をお願い致します。裁判の長期化で、財政事情が厳しくなっています。日中友好協会は、カレンダー「悠久の中国」(1200円)を普及し、売上の一部を孤児支援募金に当てています。ご注文は日中友好協会へ。п@03-3234-4700 FAX 03-3234-4703
 A同封の「署名簿」を増刷し署名を集めてください。また署名簿が必要なら市民連絡会にご連絡ください。集った署名は、年内にお送りください。よろしくお願い致します。

※署名用紙
http://www.jdla.jp/cgi-bin04/column/zan/diary.cgi?no=3

※バックナンバーはこちら
NO.7 http://www.jdla.jp/cgi-bin04/column/zan/diary.cgi?no=64
NO.6 http://www.jdla.jp/cgi-bin04/column/zan/diary.cgi?no=4
NO.5 http://www.jdla.jp/cgi-bin04/column/zan/diary.cgi?no=34
NO.4 http://www.jdla.jp/cgi-bin04/column/zan/diary.cgi?no=21
NO.3 http://www.jdla.jp/cgi-bin04/column/zan/diary.cgi?no=33
NO.2 http://www.jdla.jp/cgi-bin04/column/zan/diary.cgi?no=20
NO.1 http://www.jdla.jp/cgi-bin04/column/zan/diary.cgi?no=19

「誰にも言えない中国残留孤児の心のうち」

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草思社より、『誰にも言えない中国残留孤児の心のうち』(埜口阿文・著)が発売されました。
http://www.soshisha.com/book_search/detail/1_4794214367.html

中国残留日本人孤児たちは、波瀾の戦後をどのように生きたのか。
そして日本に定住したいま、何を思うのか。
敗戦の日を満州で迎え、中共八路軍の政府機関に採用され、以来三十五年間を大陸で過ごした著者が、三人の帰国・定住者にその半生と心境を聞く。
残留体験者でなければ描けなかった孤児たちの真実の物語。

プロローグ 遠い記憶のなかの吉林の姉弟(「通化事件」の犠牲となった父と母;唯一の証は羽二重のベビー服 ほか)
第1章 義父母(長春の重点大学に入った賢い子;出稼ぎたちの景気のいい話 ほか)
第2章 牧童(梅河口;一時帰国 ほか)
第3章 下放青年(長春;誤算 ほか)

埜口阿文(のぐち・おふみ)氏
1926年佐賀県生まれ。44年、満州電気化学にタイピストとして就職するために渡満。45年5月に家族が佐賀村開拓団に入植。敗戦後、一家で朝陽鎮の日本人難民収容所に送られる。同年11月、中共八路軍の輝南県衛戍司令部に採用。中国にとどまり、国共内戦中は中共の省機関と行をともにする。49年、東北人民政府民政部に配属。52年から3年間、東北人民大学(現吉林大学)付属工農中学で学ぶ。55年、工農中学の同級生と結婚。64年、新設された大連日本語学校(現大連日本語学院)の講師となる。文革中の68年、日本人であることから家宅捜索を受ける。69年から4年間にわたり、明陽人民公社で下放。日中国交成立後、73年に一時帰国。80年、夫と2人の子供とともに日本へ引揚げる。93年〜94年、長春大学外国語学院で日本語を教える。著書に、このときの1年間の日記をまとめた『長春大学教師日記』(小社刊)がある。

満州楽土に消ゆ 憲兵になった少年

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中国「残留孤児」国賠訴訟・原告代表相談役である菅原幸助さんの半生を取材した『満州楽土に消ゆ 憲兵になった少年』(神奈川新聞社編集局報道部 編)が神奈川新聞社から発売されたました(1500円+税)。

「満州での大農場経営を夢見た14歳の少年が、
 40年後に気づいた真実。
 それは“贖罪”の始まりだった。」

この本は、神奈川新聞に「かながわ人間劇場」シリーズの第3弾として、2004年9月14日から10月13日まで39回にわたり掲載された記事に加筆・訂正されたものです。

「 井上ひさし氏絶賛!
 掲載中から熟読しておりました。
 このような人物がおいでくださると知って、
 日本人であることに誇りを持つことができます。
 丹念な聞き取り、周到な取材、
 そして平明でありながら品格のある文章。
 取材チームの力に脱帽いたします。」(同書帯より)

http://books.yahoo.co.jp/book_detail/31574953
http://bookwebpro.kinokuniya.co.jp/imgdata/large/4876453667.jpg

「父母の国よ−中国残留孤児たちはいま」 鈴木賢士(写真・文)

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 長らく「残留孤児」問題の取材に当たられてきたフォトジャーナリスト鈴木賢士さんの著書『父母の国よ−中国残留孤児たちはいま』(写真・文 鈴木賢士)が大月書店より発売になりました(1470円+税)。
http://www.otsukishoten.co.jp/new/index.htm

 普通の日本人として、人間らしく生きたい。祖国日本に帰国した中国「残留孤児」2500人のうち約8割が、全国で国を訴える裁判を起こしたのはなぜか。「孤児」たちの帰国後の姿を、一軒一軒訪ねて撮影したドキュメントです。是非お買い求め下さい。

【目次】
◇はじめに
1 中国残留孤児たちはいま
2 旧満州の荒野に捨てられて
3 余りにも遅すぎた帰国
4 残留孤児・残留婦人の証言
 予防注射で半身不随に/「父母の霊位」に手を合わせる/三回売られた残留婦人/文化大革命ショックで養父母・妻が死亡
5 ついに立ち上がる
6 自国民の戦争孤児を救えない「大国日本」
 中国残留孤児発生の背景/「三度捨てられた」孤児たち/北海道から鹿児島へ−全国に広がる提訴の波/「二度と残留孤児を生み出すな」
◇用語解説
 満州事変/関東軍/満蒙開拓団/ソ連参戦/文化大革命/日中国交回復
◇中国残留孤児・残留婦人関係の略年表
◇あとがき

鈴木 賢士(スズキ ケンジ)
フォトジャーナリスト。1932年東京都に生まれる。戦争で千葉県に疎開し、県立成東高校卒業後、家業(靴店)を継ぐ。戦後、店を東京に移し、30歳で東京経済大学に入学・卒業。雑誌記者生活30年。50代の終わりから現代写真研究所に通い写真を学び、戦争がもたらす不条理を一貫して追求してきた。日本リアリズム写真集団(JRP)会員。
1999年、公募写真展「視点」新人賞受賞。2000年、「週刊現代ドキュメント写真対照」海外フォト・ルポ部門賞受賞。2001年、「視点」奨励賞受賞。2003年8月15日、韓国KBS放送で「鈴木賢士の『韓国のヒロシマ』」放映。
著書『フィリピン残留日系人』(草の根出版会、1997年)『韓国のヒロシマ』(高文研、2000年)『中国人強制連行の生き証人たち』(高文研、2003年)

※鈴木さんにはリーフレットに写真を提供いただくなど(http://www.jdla.jp/cgi-bin04/column/zan/upfile/1.jpg)「残留孤児」訴訟・支援に大変ご協力いただいております。

※「孤児」たちの今は
http://www.jdla.jp/cgi-bin04/column/zan/diary.cgi?no=69

※「残留孤児」の原点を訪ねて
http://www.jdla.jp/cgi-bin04/column/zan/diary.cgi?no=62