No.5の記事

「表現の自由」と建造物侵入

 9月を迎え、小泉政治が終わりに近づく中で、気になっていることがある。「市民的自由」の問題と「表現の自由」のことだ。
 この夏、小泉首相は8月15日の靖国参拝を強行し、その陰で、これを批判した加藤紘一氏の実家が放火され、全焼した。靖国神社は物々しい警戒の中で、その直前に書かれた朝日新聞の記事を問題にし、朝日の取材を拒否した。
 朝日への「通告」がどのようなものだったのかは、正確には分からないが、毎日新聞によれば、「朝日新聞社の記者とカメラマンの敷地立ち入りを禁止し、取材を拒否した」とのことで、朝日によれば、「本紙は、小泉首相が参拝する様子を本殿近くで撮影できず、一部の写真は通信社のものを使った」(15日夕刊)と紙面でも明らかにしている。事実、同日付夕刊の1面トップ「15日、参拝を終え、靖国神社の本殿を出る小泉首相」のカラー写真には「ロイター」のクレジットが入っていた。
 靖国神社のこの措置は、朝日が12日付朝刊で、神社の社報にも出ている周辺の地図を掲載し、その中に職員寮を記載していたのを理由に行われたのだという。「プライバシー侵害に当たり、職員の身辺保護上問題があった」という全くの言いがかりだが、朝日はこれに抗議しつつも、強行突破はせず、立ち入りをしなかった。
 
 「国民の知る権利」を根拠に、首相の参拝を取材するメディアに対して、当事者の靖国神社が取材を拒み、境内立ち入りを禁止するなどということは、行き過ぎであり、けしからんことだ、と多くの人が考えるだろう。しかし私は、そのことに加えて、いまメディアがこうした申し入れを受けて、どんな事情か、それに逆らわなかったことの重大性を考えなければならないと思う。当日境内は、人の波で埋まり警備の警察官が多数配置されていた。朝日の記者が、例え「取材」の腕章をしていたとしても、「建造物侵入」で逮捕されなかった、という保障はない。朝日はそのことを考えたのではないだろうか?
 
 8月28日、東京地裁は、2004年12月の葛飾のマンションで共産党の「都議会報告」などを配布した僧侶・荒川庸生さんが「住居侵入罪」で逮捕、起訴された事件について、無罪の判決を言い渡した。当たり前の判断だ。公共的な空間であるマンションの階段や廊下部分に入ったことで、ビラ配りの場合はビラの中身を問題にして、場合によっては住居侵入が成立する、という判断がそもそもおかしい、と考えるのが健全な憲法解釈の立場だと思う。
 しかし、判決はそうではなかった。まず、「マンション共用部分は、居室と程度の差こそあれ、私的領域としての性質を備えていることは否定できず『住居』に当たると解するのが相当」とした上で、「いかなる者の出入りを許すかは各マンションで自由に決められる。それが明示されていれば、警告に従わずに立ち入れば住居侵入罪が成立する」とした。 そして判決は、次のように言って無罪にしたのである。
 「今回のマンション管理組合理事会は、部外者が共有部分に立ち入ることを禁じ、玄関ホール内の掲示板には同趣旨のはり紙が張られている。しかし『チラシ・パンフレット等広告の投かんは固く禁じます』というもので、商業ビラの投かん禁止のように読み取れ、政治ビラを含め一切のビラを禁じる趣旨が明らかではなく、掲示位置もホールを通過する場合には目に入らない。政治ビラ配布を含め立ち入りを禁じた意思が伝わる表示がされていたとは言えず、住居侵入罪を構成する違法行為とは認められない」。

 「表現の自由」とは、誰もいない山の上や海岸で「君が好きだ!」と大きな声で叫ぶという話ではなく、人々に一定の意思を伝えることなどすべてが含まれるはずだ。しかし、この判決の論理がまかり通るとすれば、全国の全てのマンションや団地、アパートで、「関係者以外の立ち入りお断り」という張り紙が出されたら、そこに対するビラ配布は不可能になってしまう。取材のための訪問も、その例外ではないだろう。
 住居へのビラ入れで逮捕された事件が相次ぎ、それが大きな問題になりつつある中で、昨年来、大学でも学生が「構内立ち入り」で逮捕される事件が起きている。昨年12月20日、早大・戸山キャンパスでビラを配っていた学生が逮捕された事件が起きているし、法政大でも3月14日(火)、「立て看板禁止・ビラまき禁止」の決定に抗議しようと集まった学生29人を「建造物侵入」などで逮捕されている。
 
 朝日への「境内立ち入り禁止」はその後どうなったのだろうか? 「立ち入り禁止」の張り紙の効力を、こんな風に絶対的なものにしてしまっていいのか? 「市民的自由」と「取材の自由」は無関係なものなのかどうか? 解明すべき課題は多いように思う。