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清水雅彦の映画評

第0021回 (2005/08/07)
『ヒトラー〜最期の12日間〜』〜ドイツ人がヒトラーを直視した映画

【ストーリー】
1942年11月、アドルフ・ヒトラー(ブルーノ・ガンツ)のいる東プロイセンの司令本部に若い女性たちが連れてこられた。彼女たちの中から、トラウドゥル・ユンゲ(アレクサンドラ・マリア・ララ)がヒトラーの個人秘書に選ばれる。その約2年半後の1945年4月20日、第2次世界大戦下のベルリンはソ連軍に包囲され、ヒトラーたちは首相官邸地下の要塞に立てこもっていた。ヒムラー警察長官もヒトラーにベルリンからの退却を勧めるが、ヒトラーはソ連軍打倒の作戦を熱演し続ける。しかし、奇跡は起こらず、遂にヒトラーは敗北を覚悟。愛人のエヴァ・ブラウンと結婚式を挙げ、翌日、2人はピストル自殺する。ユンゲらは地下要塞を後にし……。


【コメント】
1枚の写真でも被写体によって釘付けになる。本作品のチラシがまさにそうで、ヒトラー扮するブルーノ・ガンツの存在感だけで、この映画を見たいという気持ちにさせます(最近では、『リチャード・ニクソン暗殺を企てた男』のショーン・ペンのチラシもそうでした)。本作品は、ヒトラーを一人の人間として直視し、ヒトラー政権の末期をドイツ人の手で描いた映画です。製作・脚本を担当した1949年生まれのベルント・アイヒンガーが、歴史家ヨアヒム・フェストとユンゲの2002年出版の本と出会い、1957年生まれのオリヴァー・ヒルシュビーゲルが監督を務めて完成しました。

映画は、ヒトラーを狂信的な独裁者として描くのではなく、背中を丸め手の震えが止まらない老人として、女性秘書に対しては優しい人間として描きます。だから、国内外でこの映画に対する批判が噴出。しかし、ゲーリングやヒムラーの裏切りにかんしゃくをおこし、将校たちが戦力の低下から反撃の困難さを訴えても妄想に近い攻撃論を展開し、自分を支持した国民のことを「弱いドイツ国民は滅びるがいい」と言ってのける姿に、なぜこんな男が指導者になりえたのかと思わせます。

また、映画はしっかりと様々な「現実」を描いていきます。最後までヒトラーに忠誠を示す宣伝大臣ゲッベルスとゲッベルスの妻の異様さ(彼女は自分の子どもたちまで毒殺してしまう)。ソ連軍による包囲網の中で酒と踊りに興じるエヴァや1日中酒におぼれている将校たちの退廃ぶり。一方で、地上ではもう勝負がついているのに、ヒトラーを狂信的に信奉する少年兵たちがソ連軍に無謀な闘いを挑んではあえなく銃弾に倒れ、ソ連軍への寝返りを疑われた市民たちが次々と親衛隊に射殺されていく。

そして、映画の最後には晩年のユンゲ自身が登場し、当時はユダヤ人虐殺を知らなかったと言いつつ、「若さは無知の言い訳にはならない」と述べる。これまで、ドイツではヒトラーを理解不能な「悪魔」や「狂人」と見なし、ナチス蛮行の責任をヒトラーになすりつけてきたわけですが、忘れてはならないのはヒトラーが民主主義の手続に従ってドイツ国民の圧倒的支持を受けて政権をとったという事実。とすれば、ヒトラーを支えた国民の責任をしっかりと考えなくてはなりません。

そう言う意味で、歴史を直視しようとするこのような映画がドイツで作られたことは評価できると思います。最近では、2002年のハンガリー・カナダ・イギリス合作の『アドルフの画集』が興味深い映画でした。ここで描かれていたのは、2度も美大入試で不合格になるものの、画家の夢を捨てきれず、しかし、生活のために政治演説をしていく中でアジテーターに変わっていく1918年のヒトラーの姿。政治家としてのヒトラーの最初と最後の映画の次は、彼が独裁者になるまでの映画を観たいものです。



2004年ドイツ映画
原題:Der Untergang
監督:オリヴァー・ヒルシュビーゲル
提供:ギャガ・コミュニケーションズ、朝日新聞社
配給:ギャガ・コミュニケーションズ
後援:ドイツ連邦共和国大使館
上映時間:2時間35分
渋谷シネマライズほか各地で上映中
http://www.hitler-movie.jp/

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