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「日の丸・君が代」強制を合憲とした最高裁判決に抗議し
東京都教育委員会「10・23通達」と
大阪府「君が代条例」案の撤回を求める

2011年6月1日
日本民主法律家協会 理事長 久保田 穣

 5月30日に最高裁第二小法廷は、元都立高校教諭の申谷雄二氏が提起した訴訟において、同氏の主張を退け、「国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する」ことを命じる職務命令を、憲法19条に違反しないとする判決を言い渡した。憲法の守護者としての最高裁の役割を放棄したに等しいその判決内容は、厳しく批判されなければならない。また、「司法改革」が憲法理念を実現する司法の実現にほど遠い現実を、最高裁が改めてあらわにしたと指摘せざるをえない。

 石原都政下の教育行政は、憲法や教育基本法の理念に反した国家主義・管理主義の色彩を深めているところ、これを象徴するものが、「日の丸・君が代」強制を徹底する2003年の「10・23通達」であった。この通達は都教委から都立校の全校長に宛てた職務命令として発せられ、その内容は各校長から所管の全教職員に対して、「学校儀式においては、国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する」ことの職務命令を発するよう命じたものである。事実上、都教委が、全都立校の全教職員に起立斉唱の職務命令を発したのである。

 違反者には仮借のない懲戒処分が科せられ、その数は既に437件に及んでいる。関連訴訟も計21件を数え、申谷氏提訴の事件が、その最初の最高裁判決となった。

 国旗・国歌が国家の象徴であることから、国旗・国歌を介して、個人は国家と向かいあう。起立・斉唱という国旗・国歌への敬意表明行為の強制は、とりもなおさず国家への敬意の強制である。ここにおいて、個人と国家とが、原理的にその価値の優劣を競って対峙することとなる。いうまでもなく、個人の尊厳こそが憲法価値の根源であって、国家は個人の尊厳に仕える限りにおいて、その存在の正当性が与えられている。それが、近代憲法の普遍的原理である。国民に対する国旗・国歌への敬意表明の強制は、個人と国家とのそのような基本的関係を逆転させるものである。

 「日の丸・君が代」は、旧憲法下の神権天皇制国家の象徴として、天皇制教化策の支柱となり、軍国主義・排外主義を鼓舞した負の歴史を背負っている。したがって、「日の丸・君が代」の強制は、現行憲法の下においてはとうてい甘んじがたいとする、教職員らの思想・信条は十二分に尊重されなければならない。

 判決は、「起立斉唱行為は,一般的,客観的に見て,国旗及び国歌に対する敬意の表明の要素を含む行為である」とし、「個人の歴史観ないし世界観に由来する行動(敬意の表明の拒否)と異なる外部的行為(敬意の表明の要素を含む行為)を求められることとなり,その者の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる」ことを認めながら、「総合的に較量して,本件では間接的制約を許容しうる必要性及び合理性が認められる」と結論した。

 この判断は、憲法上の精神的自由権の制約は、経済的自由権と異なり、ことに厳格な制約基準が適用されるべきであることを踏まえず、その「総合的」な較量が恣意的で本末転倒しており、結局、「思想・良心の自由」という、個人の尊厳に照らして憲法上で高い価値にある人権の制限を、安易に認めてしまっているのである。後続する「10・23通達」関連事件の最高裁判決への悪影響が、強く懸念される。

 ただ本最高裁判決においても、都教委の公権力行使にまったく問題なしとはしていない。小法廷の4人中3人の判事による異例の補足意見がつけられおり、判決の結論は合憲としつつも、以下のとおり、東京都教育行政権の行使のあり方に問題があることが述べられている。

 「裁量論の領域で,当該処分の適法性を基礎付ける必要性,合理性を欠くがゆえに,当該処分が裁量の範囲を逸脱するとして違法となるということはあり得る」。「最も肝腎なことは,熱意と意欲に満ちた教師により,生き生きとした教育がなされることであろう。本件職務命令のような不利益処分を伴う強制が,教育現場を疑心暗鬼とさせ,無用な混乱を生じさせ,教育現場の活力を殺ぎ萎縮させるというようなことであれば,かえって教育の生命が失われることにもなりかねない。教育は,強制ではなく自由闊達に行われることが望ましいのであって,その意味で,強制や不利益処分も可能な限り謙抑的であるべきである」。「卒業式などにおいて,「日の丸」,「君が代」の起立斉唱の一律の強制がなされた場合に,思想及び良心の自由についての間接的制約等が生ずることが予見されることからすると,思想及び良心の自由の重みに照らし,また,あるべき教育現場が損なわれることがないようにするためにも,それに踏み切る前に,教育行政担当者において,寛容の精神の下に可能な限りの工夫と慎重な配慮をすることが望まれる」(須藤正彦裁判官)。

 「外部的行動に対する制限について,個人の内心に関わりを持つものとして,思想及び良心の自由についての事実上の影響を最小限にとどめるように慎重な配慮がなされるべきことは当然であろう。その必要性,合理性を審査するに当たっては,具体的な状況を踏まえて,特に慎重に較量した上での総合的判断が求められることはいうまでもない」(竹内行夫裁判官)

 「教員としては,起立斉唱行為の拒否は自己の歴史観等に由来する行動であるため,司法が職務命令を合憲・有効として決着させることが,必ずしもこの問題を社会的にも最終的な解決へ導くことになるとはいえない」。「我が国においては,「日の丸」・「君が代」について,歴史的な経緯等から様々な考えが存在するのが現実である。国旗及び国歌に対する姿勢は,個々人の思想信条に関連する微妙な領域の問題であって,国民が心から敬愛するものであってこそ,国旗及び国歌がその本来の意義に沿うものとなるのである」。「この問題についての最終解決としては,国旗及び国歌が,強制的にではなく,自発的な敬愛の対象となるような環境を整えることが何よりも重要であるということを付言しておきたい」(千葉勝美裁判官)

 以上のように、判決の合憲の結論はとうてい認めることはできないが、各裁判官が都の教育行政のあり方に反省を迫っていることは重要である。都教委は、これを受けて、「10・23通達」と、これに基づく各処分を撤回すべきである。

 また、大阪維新の会府議団は、「大阪府の施設における国旗の掲揚及び教職員による国歌の斉唱に関する条例」案を大阪府議会に提案し、現在、議会で審議中である。同条例は、学校式典での『君が代』斉唱時に、教職員が起立し斉唱することを義務付ける内容を含むものであるが、条例による「君が代」斉唱の一律義務づけは前代未聞のことで、東京都を上回る暴挙と言うほかはない。

 本最高裁判決が「条例案の議決に追い風となった」とする一部報道もなされているが、結論はともかくその内容はけっして「追い風」とはなっていない。むしろ、本判決が「国旗及び国歌に対する姿勢は,個々人の思想信条に関連する微妙な領域の問題」であることを前提として、「教育行政のあり方には慎重な配慮が望まれる」とし、「強制や不利益処分も可能な限り謙抑的であるべき」で、で「強制は望ましくない」と述べていることは、行政へのあるべき指針として重視されねばならない。

 東西の両大都市における軌を一にした教育行政の暴走は、民主主義や地方自治が正常に機能していないことの現れとして、深刻に危惧せざるを得ない。都教委も、大阪府議会与党も、すみやかに「日の丸・君が代」強制の通達や条例案を撤回して、憲法と教育条理に則した謙抑的な教育行政に徹するよう求める。




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