ひろば 2017年12月

 コミュニケーション


年の瀬であるので、この年を振り返りたくもなりますが、それは止しておいて、来たる年を考えたいと思います。何と言っても改憲案発議を思い浮かべます。発議を阻止する(万が一、発議されたら国民投票で阻止する。)ためには、ものごとを考えている「改憲派」にその考えを変えてもらい、「中間派」を「取り込む」必要があります。その方法が、(多くの運動の、多年に亘る)課題なのだろうと思います。これをつらつら考えてみた結果の試論です。

■問い@:我々は、なぜ、今もって多数派ではないのか?

答え@:主張が正論ではないから。

検討@:もっともシンプルな根拠。しかし、誤り。なぜなら、我々の主張は、経験し考え抜いた末の正論である(はずだ)から。

■改題問いA:我々の主張は正論であるにも拘わらず、なぜ、我々は多数派にならないか?

答えA:主張が届いていないから。

検討A:日々の生活に追われていて、「憲法などに構っていられない」という人やいわゆる「一次元的人間」については、そうかも知れない(それを責めることは決してすべきではないと思います。)。しかし、これに届かせようと苦心するよりも、当面は、意識を持ちながらも逡巡している「中間派」や議論に応ずる「改憲派」を対象とすべきか。

答えA?2:主張は届いてはいるが、その内容が難解であるか、つまらないから。

結論A?2:分かり易く、面白く伝えるべし。これは、我々の皆が工夫している。

■改題問いB:我々の主張は正論であり、これを分かり易く面白く伝えているのに、なぜ、彼らは我々に賛同しないのか?

答えB:「主張が正論か、分かり易いか、面白いかに拘わらず、お前の批判(運動)の仕方が過剰(過激)だから、押し付けがましいから、ださいから、気にいらない、お前の主張を受け容れる気にならない」とか、「お前が言っていることは事実であるかもしれないが、改憲派の自分がまるで悪人であると糾弾されているようで傷付いた、これ以上お前の話は聞きたくない」とか、「お前の主張の仕方は穏当だし面白いが、以前にお前の仲間が過激な主張をしていて不愉快だった、だからその一派であるお前の主張に賛同するつもりはない」とか。

検討B:コミュニケーションは、対象に、届き、理解されるのみでは足りず、さらに共感を得る必要がある。自らの主張が他人の共感を得るには、何よりも物腰と口調(行動?思想?人格?)で、次が内容か。これは、運動に限らぬことか。

結論B:なかなか難しいが、これをやらねば。しかし、そもそも、2018年の「我々」とは、いかなる集団であるのか。これも難しそう。

(弁護士 町田伸一)


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