日民協事務局通信KAZE 2014年5月

 「すえこざさ」の衝撃


 いわゆる「つくる会」系教科書で有名な育鵬社が、「十三歳からの道徳教科書」(道徳教育をすすめる有識者の会・編)を発行している。帯には「これがパイロット版道徳教科書だ!」「新しい道徳のスタンダード」などの文字が躍る。内容は、道徳教材として三七の逸話が収録されており、そのなかの一つが、「異性についての正しい理解を深め」るための教材「すえこざさ」である。あらすじは次のとおり。

 後に著名な植物学者となる牧野富太郎は、幼いころから草花が大好きで、二六歳で寿衛(すえ)と結婚した後も、植物研究に没頭していた。寿衛が出産をした三日後、富太郎の借金をとり立てに、高利貸が家まで来ることになった。富太郎は産後の寿衛をいたわり、「今日は、私が話して帰ってもらうから、お前はやすんでいなさい」と寿衛に言う。しかし、実際に高利貸が家にやって来ると、寿衛は起き上がり、大きな声を出そうとする借金取りをなだめすかして帰らせる。そして、寿衛が富太郎の部屋をそっと窺うと、富太郎は借金取りのことなど忘れて、一心に本を読んでいた。寿衛は、「よかった」と思う。寿衛は、「どうしたら夫に安心して研究をつづけてもらえるか」と、そればかりを考えつづけていたのだ。ところが富太郎六六歳のとき、寿衛が病に伏す。「もうむずかしい」と医者に告げられると、富太郎は寿衛の枕元で「こんど発見した新しい笹の種類に、お前の名をつけることにしよう」と言う。こうして「すえこざさ」が生まれた。

 さて、教科書は、このストーリーで「異性についての正しい理解を深める」というが、「正しい理解」とは何か。
 一心に本を読む富太郎を見て、寿衛が「よかった」と思うシーンがある。この「よかった」を墨塗りにして、生徒に考えさせたとしよう。「夫は言うこととすることが違う。ひどい。」と生徒が感じたら、それは道徳的に「正しくない」ことなのだろうか。
 寿衛のように「どうしたら夫に安心して研究をつづけてもらえるか」と思うのとは違って、「どうしたら家事や育児を分担してもらえるだろうか」と生徒が考えたとしたら、それは「異性についての誤った理解」なのだろうか。
あるいはまた、寿衛が女性研究者で、富太郎が「主夫」だったとしても、この教材は掲載されたであろうか。

 自民党改憲草案は、「家族は、互いに助け合わなければならない」「教育が国の未来を切り拓く上で欠くことのできないもの」と規定し、安倍「教育再生」は教科書検定強化と道徳教科化を推し進める。そうやって教化される家族の模範が「すえこざさ」であると、「有識者」が臆面もなく吐露してしまうあたりに、安倍「教育再生」の浅薄さと病理の深さを見る。そういえば、この原稿が掲載されたころには既に、別の「有識者」たちが憲法を変えずに憲法を変えろという無茶苦茶な報告をしているのだろうか。

 ところで、現実の日本社会で女性が置かれた立場は寿衛よりさらに過酷かもしれない。家事・育児・介護を引き受けながら、さらに非正規労働者として低賃金で働かされる上、出生率目標まで課されるのだから。支離滅裂な安倍「女性活用」政策である。

(弁護士 穂積匡史)


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