日民協事務局通信KAZE 2011年12月

 だまされることの責任


 数年前に偶然、伊丹万作の「戦争責任者の問題」という文章を読んで衝撃を受けたが、今年もあとわずかとなった今、再読して色々と考えさせられることが多かった。
 多くの人が、今度の戦争でだまされていたといい、自分がだましたとはいわないが、それは錯覚であると伊丹は言う。
 「戦争中の末端行政の現れ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といったような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出して見れば直ぐにわかることである」「だまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも雑作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己のいっさいをゆだねるようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任が悪の本体なのである」「それは少なくとも個人の尊厳の冒涜、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である」「だまされていたといって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度もだまされるだろう」
 3・11の大震災と未だに収束しない福島第一原発の苛烈事故を体験して「もうだまされないぞ」と思う国民も多くいるはずだ。その一方で、政府は、情報を秘匿し「直ちに健康影響はない」、「深刻な事態ではない」と大本営発表で国民をだまし続け、未だに原発事故とその影響についての情報を公開しようとせず、国民の被爆リスクを少しでも減らす対策や、今後起こらないとは限らない最悪の事態に備えた対策を講じることもなく、最低限必要な各種線量の大規模広汎な測定や健康影響調査に乗り出す構えすら見せようとしない。「事故」の検証すらないままに、東電幹部も通産省の役人も原子力安全委員会も誰一人責任をとらないまま、原発の再稼動、海外輸出論議に血道をあげている。
 新自由主義・構造改革路線に対する批判と国民の期待を一身に背負って登場した民主党政権はいまや見るも無残な有様である。貧困と格差は解消するどころかその矛盾を一層強めつつある。大阪都構想なる空疎なお題目を唱え、教育への国家介入を進める弁護士が大阪市長選で大勝し、国会では日の丸に礼をしてから登壇する議員の数が増えたと言われ、来年、衆議院選挙があるや否やの話題で戦々恐々としている。
 大震災・原発事故の混乱と政治不信の中で着実に進む悪法の成立、ファシズムの動きに我々は細心の注意を払う必要がある。法律家の果たすべき役割は大きい。戦前知識人の一人である伊丹の痛烈な反省の言葉を自戒としたい。再びだまされないために、国民とともに各分野の専門家を糾合し広汎な社会運動の統一の要になる役割を日民協に期待したい。


(弁護士 大江京子)


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