JDLAHOMEへHOMEへ

清水雅彦の映画評

第0003回 (2005/03/24)
『時代(とき)を撃て・多喜二』〜「多喜二の時代」は終わっていない

【ストーリー】
俳優・田村高廣は、時代劇スターとして一世を風靡した父・阪東妻三郎が感動した多喜二の文学への思いを、赤井英和は、高校の恩師にすすめられて『蟹工船』を読み、くじけず立ち上がることの大事さを知った青春の想い出を語ります。また映画評論家・山田和夫は、多喜二は世界に名を知られる革命作家であるばかりか、映画評論の先駆者でもあったという多才さ、上山初子は隣家の優しいお兄ちゃんだった多喜二への思い。弟・三吾、松田解子が生前語った貴重な映像もまじえて、浜林正夫(一橋大学名誉教授)、土井大助(詩人)、ノーマ・フィールド(シカゴ大学教授)などの研究者が″時代を撃つ多喜二″を、さまざまな角度から語ります。さらに、生地・秋田、青春の地・小樽、投獄の傷を癒した神奈川・七沢温泉、師と仰ぐ志賀直哉を訪ねた奈良、革命作家として闊歩した東京をロケーションし、その風景をたどり、家族愛、友情、ロマンスを浮き彫りにしました。多喜二の作品のいくつかの名場面を朗読して奥行き深く、多喜二文学の核心に光をあてました。小林多喜二は、生命を懸けてたたかい、29歳の若さで国家権力に無残に殺された。しかし、彼はもっと生きたかった、そしてもっと書きたかった―。
(映画チラシより)


【コメント】
本作品は、小林多喜二(1903-33)の生誕100年・没後70年を記念して製作されたドキュメンタリー映画です。「ストーリー」にもあるように、多喜二と直接つながりのあった人から影響を受けた人など色々な人に多喜二を語らせ、多喜二の作品の朗読や多喜二に関する映画の映像なども使いながら、多喜二の生涯を丹念に追って作られています。90分弱の映画で、よくこれだけの人を登場させ、しかも多喜二の生涯を追えたなと感心しました(欲をいえば、田口タキとの関係や多喜二作品の評価などさらに掘り下げて知りたいと思いましたが、詰め込みすぎると限度もなくなるでしょう)。

さらに、「阪妻」映画から始まる意外な出だしや、昨年明らかになった志賀直哉との交流の新しい事実は興味深いものでしたし、多喜二の滞在先・七沢温泉福元館の長女・古根村初子さんが多喜二が風呂で口ずさんでいたブラームスの「日曜日」を暗唱したり、上山初子さんが「いつも私不思議に思うのは、多喜二さんをあんな目にあわせて、死ぬような事をした者でも罪にならないもんですか?」と述べるシーンはよく引き出されたものです。

私がこの映画を見たのは、「第4回 神奈川七沢多喜二祭」です。多喜二が『オルグ』を執筆した七沢温泉(厚木市)の旅館名(福元館)がわかったのが2000年。発見したのは、伊勢原市在住の蠣崎澄子さん。その後、蠣崎さんを中心に「多喜二ゆかりの七沢を知らせ歴史と文学をひろめる会」が結成され、毎年、厚木周辺で「多喜二祭」が開かれています。当日は、池田監督の挨拶と、土井大助さんの「多喜二の文学」という講演もありました。厚木在住の私も毎年参加して思うのは、残念ながら参加者の高齢化なのですが、この映画は多喜二をよく知らない世代向けとしても活用できるのではないでしょうか。

この3月に東京高裁は、『改造』や『中央公論』編集者らに対する特高の大弾圧事件・「横浜事件」の再審開始を認める決定をしました。両誌とも多喜二の小説が掲載された雑誌であり、特高は「小林多喜二の二の舞を覚悟しろ」といいながら拷問を行ったといわれています。自衛隊が海外に派兵され(映画では自衛隊の映像も出てきますが、これは使わずに見る者に解釈を委ねた方がよかったと思います)、国内ではビラ配布弾圧事件が起きています。「多喜二の時代」は終わっていないし、多喜二から学ぶべき事はたくさんあります。



2005年日本映画
監督:池田博穂
配給:映画『時代を撃て・多喜二』製作委員会
上映時間:1時間28分
今後の上映日程については、公式ホームページ参照
http://home.b09.itscom.net/takiji/

<前頁 | 目次 | 次頁>

このシステムはColumn HTMLカスタマイズしたものです。
清水雅彦の映画評/当サイトは日本民主法律家協会が管理運営しています。