No.29の記事

自民党「新憲法草案」について

本日(10月28日)、自民党は憲法改正草案を発表した。これが、11月22日の結党50周年の党大会で正式に採択の予定だ。

日民協は、本日付で声明を発した。「日本国憲法の平和・人権福祉の原理を根底から覆そうとする時代錯誤の自民党『新憲法草案』に大きな反撃の声を上げよう」と標題するもので、この草案を「葬り去る」決意を述べるものである。このコラムは、飽くまで個人的な感想である。

「憲法改正案」ではなく、「新憲法草案」というネーミングが、自民党の真意をよく語っている。現行憲法の改正手続きに則った改正ではなく、「自主憲法制定」がこの党の結党以来の悲願であった。日本の政権与党は、自国の憲法に非親和性を持ち続けてきた、その意味では「反体制」政党であり続けた。「新憲法」制定は、内容においても手続きにおいても、必ずしも現行憲法との連続性を要求されない。現行憲法の理念から飛躍した本音を有していればこその、「新憲法」である。

しかし、「やりたいこと」と「やれること」とは異なる。彼らなりに、「現実」の壁の高さを認識しての妥協の成案とはなっている。とはいえ、彼らのやりたいことの10分の1でも現実になったら、日本国憲法はとてつもなく大きな変容を遂げる。この「草案」も、そのような危険なトゲをもっている。

自民党が作成する憲法改正案は、本音を丸出しに改正幅を大きくすればするほど成立は困難になる。本音を殺して改正幅を小さくマイルドにすれば、改正手続き成功の現実味が増してくる。今回の改正案は、改正実現への現実性を獲得しつつ、彼らの本音の相当な部分を織り込んだと言えるだろう。

大きく論点は3点だと思う。9条改憲と、96条改憲、そして人権規定の改正である。9条改憲案は相当に踏み込んだものとなった。96条の改憲手続きは、国会発議の要件を大きく緩和して、硬性憲法を軟化するもの。長期的になし崩し改憲をするねらいである。そして、人権規定は、憲法改正に世論を誘導するためのアメの側面と、国民に責務を負わせるムチの側面とが混在している。

さて、注目されたのは前文である。「新憲法一次案」(8月1日)にも「二次案」(10月12日)にも、前文はなかった。10月8日の読売にリークされた案文は、復古調の国家主義・民族主義丸出し。いかにも自民党の本音をさらけ出した体のものだった。ところが、本日発表された草案の前文はまったく違うものとなっていた。なんとも形容しがたい代物‥。

これは、前文の成案として発表したものなのか、それとも前文案レジメなのか。内容は以下のとおり。
@ 自主憲法制定の宣言
A 象徴天皇制の維持
B 国民主権と民主主義、自由主義と基本的人権の尊重及び平和主義と国際協調主義という基本原則は継承する
C 日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務を共有する。
D 自由かつ公正で活力ある社会の発展と国民福祉の充実を図り、教育の振興と文化の創造及び地方自治の発展を重視する。
E 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に願い、他国とともにその実現のため、協力し合う。国際社会において、価値観の多様性を認めつつ、圧制や人権侵害を根絶させるため、不断の努力を行う。
F 日本国民は、自然との共生を信条に、自国のみならずかけがえのない地球の環境を守るため、力を尽くす。

あらためて思う。日本国憲法前文の格調の高さを。ご都合主義の取って付けた作文からは、格調は生まれない。おそらく、その文章を必然とした時代が格調を生み出すのだろう。自民党憲法草案には望むべくもない。

「新憲法草案」は、日本国憲法への部分改正の体裁を取っている。天皇の元首化は見送られた。それへの見返りとして、前文にことごとしく天皇讃歌を書き込むとの推測もあったが外れた。これは、彼らなりの現実の見極めである。

草案は、第2章の標題を「戦争の放棄」から「安全保障」に変えている。現行憲法9条1項をそのまま残し、9条2項を全部削除する。そして、新たに以下の9条の2を設ける。

「わが国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮者とする自衛軍を保持する」(1項)
「自衛軍は、第1項の規定による任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び緊急事態における公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる」(3項)

この条文だと、日本の軍は、専守防衛を遙かに超えて、海外での武力の行使を可能とする。およそ、その歯止めはなく、どのような場合でも軍の派遣と武力の行使が選択肢に加わることになる。「自衛のため」との名目の戦争から、「国際社会の平和と安全を確保するために」「緊急事態における公の秩序を維持するため」「国民の生命若しくは自由を守るために」戦争ができる。

国連決議のない多国籍軍への参加も可能であり、武力の行使も可能となる。周辺事態において、アメリカと連携した戦闘行動ももちろん可能。集団的自衛権の行使である。危険きわまりない。

草案のポイントは、9条改正と並んで96条改憲である。
改正手続き、とりわけ国会の発議の要件を「3分の2」から「過半数」にしようとしている。これが実現すれば、政府与党は好きな時期に好きなテーマで改正発議ができることになる。

9条と96条の改正、これは財界の提言ではないか。財界は、目先ではなく長いスパンで自分の思うような憲法を手に入れようとしている。すぐにすべてのテーマに決着をつけずとも、まずは硬い憲法を軟らかくしておけば、自分の意に沿った内容に改変できる、そう思っているのだ。

財界が望む方向、それは新自由主義的な小さな政府を実現する憲法。経済活動を最大限自由とし、貧富の格差を容認する社会。そして、彼らの富や在外資産を防衛する「軍事大国化」に適合する憲法である。

この草案はやはり危険きわまりない。「葬り去って」しまいたいと痛切に思う。