No.16の記事

「日の丸・君が代」強制がねらうもの  

明日、「許すな!憲法改悪・市民連絡会」が主催する、市民憲法講座の講師を務める。タイトルは、「日の丸・君が代強制がねらうもの」。今日は、たまたま何の予定も入っていない秋分の日。何をお話ししたらよいのか考える。

改憲のねらいは、単に9条だけにあるのではない。国家を丸ごと造りかえ、国家存立の原理を根底から変更することにあるのではないだろうか。戦争を起こすことが、支配層の自己目的であろうはずはない。戦争も「国益」追求の一手段にすぎない。選択肢として、戦争という手段もとりうる国家にしておきたいということなのだ。また、戦争という大事業を遂行するためには、9条改正という法文をいじるだけで足りるはずもない。9条を変えるねらいの先に、国家大改造の目的がなければならない。

では、いったいどのように国家を造りかえようとしているのだろうか。基本は支配層の利益の最大限化を実現する国家である。換言すれば、支配層の利益追求に国民を奉仕させる国家といってよいのではないか。この国の主人である、内外の大資本が、思うがままに利潤追求のできる国家。その利益を擁護し、その妨害を厳格に排除する国家。
場合によれば、武力の行使も、戦争も辞さない強力な国家。

いま、日本社会の諸矛盾の激化があり、経済成長への自信喪失の時代である。グローバリゼーションの世に、メガコンペティションを乗り切るための、なりふり構わぬ新自由主義・新保守主義の路線を突っ走らなければならない。
そのための、「構造改革」であり、軍事大国化なのだろう。日本国憲法はその路線を走るための障害となってきたのだ。

そのような国家改造のためには、国家に従順な国民を作らねばならない。そのためには、短期的にはメディアの統制が必要であり、長期的には教育が最大のターゲットとなる。さらに、国民の運動を押さえ込まなければならないのだから、治安対策が必要だ。

国策に従順な国民をつくるための何よりの道具が、「愛国心」である。国民より国家が優先することをたたき込め、そのために憲法前文に「愛国心」を書き込もう。「日本の歴史・伝統・文化」「美しい国土」も必要だ。憲法だけではなく、教育基本法・学習指導要領でも、愛国心教育を明記しよう。

こうして、教育の目的を根本から転換する。つまりは、「人格の完成」から「国家・社会に有為の人材育成」作りにすり変えられる。一握りの創造的エリートと、従順な大多数をつくる教育が、ともに人材育成の観点から実行される。

9条改正は、違憲の既成事実が積み重ねられた末に行われようとしている。教育の現場にも、既に改憲先取りの現実がある。それが、「日の丸・君が代」の強制。国家改造プログラムに、ここまでは許せる、ここを超えたら立ちあがろうという「許容線」はない。常に抵抗が必要である。

「日の丸・君が代」強制は、国家を国民に優先するものとして位置づける教育の象徴であり、権威主義・管理主義の象徴でもある。学校の主人公は子ども・生徒ではなく、国家なのだ。また、「日の丸・君が代」強制は抵抗者をあぶり出し弾圧する踏絵でもある。

彼らは、考えている。ここさえ、突破できればあとは思うがままに何でもできる、と。だから、「日の丸・君が代」強制に抵抗することは、国家主義への抵抗であり、人間の尊厳を回復する運動であり、子ども・生徒を主人公とした教育を実現する運動でもある。教育ファシズムとの対峙と言ってもよい。