2005年8月

お休みします

8月30日〜9月5日まで夏休みを取らせていただきます。

熟年力を侮るな

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 恒例の日民協夏合宿。場所は甲府である。25日から接近していた台風が夜半に関東地方に上陸した。中央線は止まり始め、もしかしたら中止かもと思いながら一夜明ける。もう台風は通過して中央線は何事もなく甲府にむかっている。カツサンドを食べながら外の景色を見ているといつも裁判所に通う八王子への風景とは思えない。カツサンドは私の旅の友。おっと多摩川が増水して濁流になっている。あっという間に眠りこけ甲府に着いてしまった。

なんという暑さなんだろう。改札口を出ると振り分け荷物の横田力先生である。タクシーで同乗しようと思ったら「ちょっと駅ビルで」と言って行ってしまった。

 参加者の平均年齢が高いからか皆さん定刻前にお集まりである。静かに着席して待つ。26日の講師は憲法会議の川村俊夫さんとさっきあやしく駅ビルに消えた横田先生である。定刻5分前に私の前に資料を積み上げて着席。
 
 川村さんは9条の会を中心にした改憲阻止運動の現状を具体的にレポート。嵐の中でもいけそうな成り行きにほっとする。川村さんの骨太の実践の確かさに力づけられる。そして横田先生。「自民党憲法改正草案」を手に学界の改憲議論をバッサバッサと切り捨てていく。だんだんメーターが上がって横田節は倍速状態である。「ちょっと難しいですか」「ハイ」と私。ついに先生は夕食後具合が悪くなってしまった。本当にご苦労様でした。
 
 夕食が終わる頃平均年齢を下げてくれる渕上さんが汗を拭き拭き現れ、2次会でピースボートアジアの旅の写真を披露してくれる。若者だからパソコンである。ありがたい清水雅彦さん差し入れのワインで懇親する。

 さて27日は司法問題。つい先ほど退官した北澤貞夫元裁判官の率直で具体的なお話し。ひょうひょうとした語り口の中に鋭い批判がある。そして若手松尾文彦弁護士から「裁判員制度を中心とした刑事司法の状況」の詳細で明晰な報告をもらう。うーんこりゃ大変な事態だと改めて私は驚愕してしまった。人権集会で使ったシナリオでビデオを作ろうと話しが盛り上がったのである。

 会議室から和風庭園が見える茅葺きの東屋付き。林敦子さんは「コイコイおいで」池のコイをかまっている。私たちはコイみたいなもんである。

四谷バーの誘惑

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 ずっとずっと昔は体力と勢いで酒を飲んでいた。恥ずかしいことの数々、ひんしゅくを買った行状は限りない。公園に捨てられたこともある。タクシーで吐いたことも。二日酔いの苦しさも半端じゃなかった。ところが子どもを産むことになって禁酒した。胎児の脳がやられると言われたからである。親の脳以上にやられたらちょっと大変だと思ったからである。出産後はぱったと飲めなくなってしまった。何でもコップ1杯で酔ってしまう。
体力もなくなり、美味しい物を程良く飲んでたゆたゆと酔いたくなったのである。
 娘も今年20才だから私の酒も大人になって20年、熟年期になった。悲しいとき辛いとき酒でごまかすこともなくなった。楽しく美味しい酒を飲み続けたいのである。
 澤藤先生のように禁酒はできない。自宅事務所も無理である。だから私の日記は「雑食」日記の王道を歩めるはずもないのである。
 暗くなって月をみながら事務所をでる。夜でも緑は深く、木々の匂いがする。住宅地を出て四谷一中の裏に出るとき角に四谷バーが現れる。赤いしゃれたネオンと重い扉が私を誘うのである。
 30代の青年が経営する。ジャズとウイスキーに詳しい。カクテルを作る腕もなかなかである。客との程良い距離、すれていない会話がモダンである。すっと立ってすっと飲む。ピート炭の匂いのするアイラ島のウイスキーを大きく丁寧にまるくかいてくれた氷で冷やしてぐっと飲む。まるい氷はウイスキー全体をやさしく冷やす。
 この角に来ると脚が止まる。

道ばたきょろきょろ

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 前を見てさっそう歩く。そうはいかない。どこを歩いていてもきょろきょろして落ち着きがない。なんか面白いことないかな。美味しい物ないかな。街角に目がいく。
 「落ち着きがない」と言われたのは小学校の時からである。6年間ずっと私の担任、心配し続けてくれた先生は今ご病気で療養中である。事務所移転のお知らせハガキに奥様が丁寧なご返事を下さった。「主人には何度も、おはがきの文面を読みきかせました。はがきを手にとり、『さすがだな』の連発でおりました」1年生で先生に会ったとき先生は20代、眼鏡をかけたきまじめな青年教師でした。しばらくして音楽の先生だったきれいな奥様と結婚しました。みんなでわくわくしました。理科の先生だったのですが宮沢賢治「雨ニモマケズ」の詩が教室の黒板の上に大きく書いてありました。「とにかく何でも負けちゃいけないんだべ」早とちりで落ち着きのない私は詩の後段など読みもせずこの詩をただ負けちゃいけない標語だと思っていた。ほっぺたのあかぎれが酷くて血まで出ていた。みょうに元気で現実的な女子だったのである。
 先生全然「さすが」じゃないんです。落ち着きのないのも、早とちりなのも、そそっかしいのも先生に言われたまま、もう半世紀も生きて来ました。それでも先生は誉めてくれますか。
 とっておきの1枚の取材で尾山先生宅へ伺う途中、小田急線経堂から農大通りの街角。顔の小さなお地蔵様。よだれかけが有るからお地蔵様でしょう。家内安全をとなえて手を合わせた。次は新宿通から事務所にはいる小路にあるカエルの石像。ひどく大きくて不思議。どうしてここにいるのか。自宅から駅に行く遊歩道の途中でみーんみーんと一人うるさいセミ。手を伸ばせばすぐの木の枝にいる。そんなところにいると悪ガキの餌食だな。

愛しのシュウマイ弁当

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 皆さんはご存じだろうか。横浜崎陽軒の「シュウマイ弁当」は710円である。シュウマイは5個入っている。ごはんも美味しいしシュウマイ以外のおかずも美味しい。しかし、私が選ぶのはこれではない。「お好み弁当」510円である。シュウマイは2個、ぐっと差がつく。おかずも少し見劣りする。ごはんは同じ。でも200円の差があるとは思えない。シュウマイが2個しかないので愛おしさが増し、しみじみ美味しいのである。慎ましやかな喜びが広がる。うふふという感じかな。御茶を買ってもおつりが来る。
 しかし首都圏の駅で見かける崎陽軒売り場ではなかなか見つからない。通るたびにチェックするのだがヒットしないのである。「お好み弁当」探しは無意識の動作になっているぐらいである。と言ってそれを求めて買いに行くと言うことはない。通りがかりにちらっと見るのだけ。見つけると絶対に買う。どんな時間でも。
 「シューマイ弁当」は包み紙があって竜の絵と玉が格調高く描かれている。ひもまで掛けられ堂々とスター弁当。お好みちゃんは紙の弁当自体が包装になっていてひももない。絵もご覧のとおり。何しろ崎陽軒のお弁当ラインナップに載っていない。外れみそっかすなのである。隠れたファンがいるにちがいなく店に並ぶと連れて行かれてしまう。
 なぜ今日ゲットしたかというとデパ地下にいったからである。美味しい紅茶とコーヒーを求めてさまよっているうちに見つけた。そのうえ例の「たねや」の店舗前にでてしまったのである。本生水羊羹を送ってくださった方が今日打ち合わせに来る。お返しに季節限定黒蜜団子を買い求める。
 お昼にお好み弁当とほうじ茶、三時は黒蜜団子と緑茶。一人密かに心騒いでいる。たねやの包装紙書かれている絵がいいな。さすが近江商人。付加価値の付け方がにくい。

ただ御茶を挽く

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 朝から何やかやとうろうろしていていったい私の職業は何なんだろうと反省する。
 土日の雑事やお買い物成果をひととおりみんなに披露。食器に凝ると思われている私が100円ショップで小振りの曇りガラスのグラスを調達。これが100円には見えない品のよさである。手始めに4個買ってみんなに一応了解を得て追加の買い物に走る。自宅近くのダイソーで残り8個を買い占めて1ダースになったのです。土日はそれで冷蔵庫にある飲み物を端から飲んで日曜日にはビールまで行きました。値段とお気に入り度は無関係である。
 ちょっと張り込んだ黒の茶托におくとクラッシックな美しさである。肉厚なのが時代物風である。曇りガラスが飲み物を入れるとぬれてぼんやり透けてくる。ほら昔の窓ガラスぬれると外が見えるじゃない。あれなのよ。
 二階の応接スペースはシンプルモダンだったのが急にエスニック調に変身。音の反響を調整するためラグやテーブルクロスが必要になったからである。新宿3丁目の生地のディスカウント店でお買いあげ。メータ何百円の世界である。
 いい加減にしてよの節子さんは「どうでもいいからね」と「ああそうですか」の世界である。百円でも何千円でもどうぞご自由にと適当に聞き流している。仕事が忙しいのでかまっていられないのである。
 御茶を挽いてばかりいるのは私。送っていただいた大きなお茶のカンがあるので挽かなくていいのに、何かと冷蔵庫によりまくっている。美味しいなしの到来物もあるし、キハチのお菓子にゼリー、冷たい紅茶、牛乳にアイスコーヒーで濃厚なアイスオーレもある。
夕方、前の事務所のスタッフの女性が現れた。今さっき電話で話していたと思ったら「先生こんにちわ」だって。すぐそこなんだから驚くことはない。「先生事務所にちっともいらっしゃらないじゃないですか」。なんだかやることが多くて里帰りの暇がないのである。「事務所すてきですね」と言ったので彼女には冷蔵庫の中味を見せつけた上でゼリーとアイスオーレ強制的に与えた。そのお礼に元同僚の節子さんと仕事までしていってくれた。
 やさしくて有能なみんなに囲まれてしあわせな私である。

満月に足りない月夜

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 十三夜の月が夏の夜空に出ている。十時すぎに事務所を出るとまず事務所の角の路地の上に見える。雲がかかって少しかすんでいる。四谷駅までずんずん歩いていくと今度は四谷一中のグランド越しに広々と空を占領している。外堀通りを渡って地下鉄四谷駅に着くまで迎賓館までのはんてん木の街路樹の上にいつまでも待っている。あと二夜で満月の月は左側がゆがんでいる。空気が暑くてすっきりしないのか月も輪郭がぼけている。街路灯の光に負けて元気がない。月を見ると心和む。
 スーパーで安売り105円の「今風ハイ」を探して、野菜半額売れ残りワゴンに行き「今日は何もない」とちょっとがっかりする。悪玉コレステロールを駆逐するため豆腐を買う。これにかける薬味に工夫がある。石垣島産の島ラー油、このうまさにキュウリ、ザーサイ、大葉などのみじん切りを加える。これが絶品。 
 食料調達後はひたすら早足で帰る。11時にはBBC制作の「アウシュビッツ3」が始まる。放映しているのはNHK。夕食抜きのこの時間お腹が空いている。画面はリアルで深く辛い。食べたいけど見たい。「1年間に170万人か」ため息をつきながら豆腐を食べる。美味いけど悲しい。
 月だの豆腐だのの日常があのときもあったのだろうか。あのときも人は月を見ていたのだろうか。放送が終わる頃宴会も終わる。ちぐはぐな日常の時が進んでいく。
 次の日知人から花が送られてきた。アレンジが何ともよい。カサブランカが緑のなかでシックである。南青山ル・ベスベからわざわざ送ってくれた。さすが。私だって密かにこんなマダムになりたいとおもっている。ベトナムから100円で買てきたホテイアオイとトンボのカップにランをアレンジした。だからなんだって言うの。ほど遠いセンスである。

水羊羹のしあわせ

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 事務所に着くと机の上のクール宅急便。昨日つらい打ち合わせをした方からのお届け物である。なにやら重く心うきうき。伝票にのどごし水羊羹とある。まさかあれでは。あれじゃないよね。念ずればかなう。控えめな包装、さりげないひもをぷちんと切ると出てきました「たねや」の「本生水羊羹」。うれしい。いつもやさしく距離を持って食べ物に接する節子さんもすすすと近づいて来る。「これ美味しいのよ」
 冷えているしこうなったら早めの10時、速攻で食べることにする。カウンターに立ったままみんなでいただく。やさしくやわらかな甘さの餡が口の中でぐずぐずと溶ける。「美味しい」「美味しい」と言いながらみんな満足。しばらくは冷蔵庫を開けるのが楽しみである。それに和菓子系はローカロリーだし。
 「たねや」は近江八幡にある和菓子屋さん。近江職人は東国に上ってデパ地下などで店開きをし、今では東京に支店を持つ。東北人の私には餡革命の味である。
 午後になって「弥勒」経理2人組が経理の打ち合わせをしていた。節子、奥津の2人である。「澤藤先生のプラムと上等な水羊羹を食べてね」奥津先生はすかさず「そのプラムを食べると頭がよくなりますかね」。同じことを滝沢パソコンマンも言っていた。「なりません。バカはバカのままです」断定する私。 澤藤先生は神格化されている。御利益はない。美味しいだけである。水羊羹とは絶対に一緒に食べないように。
 食べてばかりいる弁護士。法律事務所に行列はできない。

悪い商人は西からやってくる

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 長くなった家裁の調停から帰ると何やらトマトの箱が届いていた。送り主は「澤藤統一郎」。トマトまで作っていたのか。待てよ送り状には果実とある。わかったもんね。あの自慢のプラムでしょう。きっと2階の窓から採ったんでしょう。悔しいけどうれしい。
 文京区本郷産の無農薬プラムである。一番熟れて果汁が滴っているのをがぶり。甘い果汁が口に広がり歯の間に果肉の繊維質が引っかかる。不ぞろいのみんながそろって箱の中。鳥ではなく人間に食われる運命になった。一日冷蔵してまた明日である。
 澤藤さんちには優秀な庭師がいて庭を丹精しているらしい。前に息子さんが庭の梔子の花を持って事務所に現れたことがある。切り口に水、ティッシュサとランラップで巻かれていた。
 何しろ私は澤藤先生が大好きで、ひいきの引き倒しのように誉めまくっている。本人はいやそうにしている。誉め言葉に知性が足りないのできっと恥ずかしいに違いない。その先生を「連れの庭師」が「私はもう夫と息子のことは考えたくないんです」なんて言っている。日民協の会議が終わるといつも電話するのに。考えたくなくなるぐらいに思っているってことね。自宅事務所の先生はいつも女房の手のひらの上にいるんだって。
 わからないことがあったら何でも澤藤先生に聞くといいんだって思っていたのに。事務局長日記が終わって道に迷ったような毎日の私。
 20年以上も前、先生は消費者事件の弁護団会議のとき盛岡から上京して「悪い商人は西からやってくる」とおっしゃった。この人は宮沢賢治だと私は思った。
 「良い人は北からやってくる」盛岡から東京に、澤藤先生の銀河鉄道は本郷駅に止まっている。

若葉町の昼下がり

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 お盆の休みなのか町はまだ静かである。電車も道路もだ空いている。引越しから2週間めで夏休みも心もとなく毎日事務所で暮らしている。今日からはスタッフも集まりそれぞれてきぱきとお仕事中。じゃましに行くと適当にあしらわれる。みんな真面目で私だけいいかげんな性格なのでる。

 ついこないだまでいた事務所はとなり町とはいえ歩いてすぐ3分、ちょっと行くとビルが見える。事務所もお休みだったらしく通り掛かりに見上げても電気がついていない日が続いていた。

 小路を入った所に移っただけなのに大通りまで食事に出るのがやけに遠い気がする。仲良くしていた郵便やさんも宅急便屋さんも毎日来てくれていた信金の担当者もみんな変わった。みんな小さな区割りで木目細かに仕事をしているのである。郵便屋さんは女性。今日もバイクに乗ってきりりとお仕事。「暑いのに大変ですね。若い女性でめずらしい」と言うと「私子どもがいるんです」と言いながら顔を隠してしまった。今度は麦茶でも飲んでいってね。

 事務所の前を老夫婦が支え合いながら歩いていく。一人では足元が危ういのに二人で腕を取りバランスをとりながらゆっくりと角を曲がっていく。大通りからずっと同じ調子で淡々と歩いてくる。角を曲がって家の玄関まで何を話しながら歩いているのだろうか。

 いろんな人が事務所の前の路地を渡っていく。若葉町の昼下がり。昼顔のようにやさしい。

心で飽食 〈デブの悲しみ2〉

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8月15日終戦の日。東京新聞の記憶―20代記者が受け継ぐ戦争「生きてくれていさえいれば」に胸が詰る。出産間際の20代の女性記者が中国で弟と生き別れた北海道に住む68歳の女性を取材する。「かあたん、かあたん」と泣き叫ぶ弟の声。泣き崩れる母。直後から母は精神を病み赤ちゃんの泣き声を聞くと人が変わって「クニちゃんだ」と言い張るようになったという。6年前、旧満州を訪ねることになったその女性に80代半ばになった母は強く言う。「絶対に捜さないで。ご夫婦との約束だから。きっと幸せに暮らしているんだろうから」。東京新聞は今一番好きな新聞である。

 胸が詰ったのに私のお腹は減る。いつもひいきの北海道お昼のバイキングに行ってしまう。さすがに人は少ないが、いつもの食べ物たちが「久しぶりね」と勢揃いである。「ごめんごめん」このところご無沙汰だったものといそいそする私なのである。もうぱくぱく状態で一渡りご挨拶である。バイキングはほんとうにこわい。あれもちょっとこれもちょっとと際限なく食べ始めるのである。最後にご飯と味噌汁、漬物でしめる。デザートは4種類のゼリー、もちろん早めに確保。

 「北海道に行こう」と言うとみんなギョッとするが美味いのよ。なんて言うかお惣菜にちょっと毛が生えたような安心できる食べ物たちなのである。筑前煮といかと大根の煮物その脇にあじのフライ、卵焼きは絶対にはずさない。うどんもある。今日はブロコリーのゆで方が良く5個もいただく。あれもこれもやめられない。食い散らかした状態から見て900円じゃ悪いかも知れない。

 そして「苦しい、夕食は食べないぞ」と店をでる。「1日1回、コーリャンのおかゆとカボチャだけの食事。栄養不足でクニちゃんは1歳過ぎても、歯がほとんど生えなかった」私にはきっとばちがあたる。戦後60年、腑抜けた飽食がわが姿である。

その場所の夏

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 10時横浜地裁川崎支部。駅前は再開発でビルが建ち並び、裁判所までの道も街路樹が大きく見事である。第1京浜の上の大きな歩道橋を超えるとどこか殺伐とした匂いがする。裁判所の裏は川崎競馬場、斜め前は競輪場。ワンメータで不快そうな顔が目に浮かぶ駅待ちのタクシーは避けて歩く。裁判所の前にも無粋な横断歩道橋。これが無いだけで町は息づくのに。
 弁論が終って帰り道、まだ「藪伊豆」は開店前である。ここで蕎麦をたぐるのが楽しみなのにこの時間では。時々一杯飲んじゃうもんね。地下1階にある「藪伊豆」前の喫茶店はとっくに店じまいをしてしまった。仕方ないので駅にもどると駅ビルに知った店ばかり並んでいる。
 つまみ食いもせずに一路東京地裁に。いつも口ばかり動かして遊んでばかりいると思っている人がいたら考えを改めてもらいたい。事務所が休みになっているのにこの仕事ぶりである。
 昼近く四谷についてただいま。事務所までの道すがら芙蓉、夾竹桃、百日紅、夏の木の花が満開である。大きな枝を広げるケヤキの下を通ると涼しさと蝉の声。12時にはイグナチオの鐘が事務所に帰る私の肩越しに聞こえる。事務所の前に来るとゴーン寺の鐘の音。私の町である。
 鯛焼き屋の若葉も夏仕様で店の前にはかき氷の案内、水車の水がラムネの上にきらきらとふりかかっている。
 それぞれの場所で夏が過ぎていく。

食事一秒デブ一生  〈デブの悲しみ1〉

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  私の日常の関心事第一は食事。第二は人。どちらも私の心をとらえて離さない。当たり前か。グルメと言うより食い意地がはっているのである。
 「入れ歯にしないで美味しく食事を食べられるのはあと何回だろう」。私だって体調が悪いこともあるから365日三食完食できる訳ではない。三食で1095回、1000回でいいところである。10年でわずか1万回。この一食を無駄にしてなるものか。
 B級C級なら我が食欲を満たす程度の収入はある。バカ食いはできなくなっているし、質より量の時代はさすがに卒業した。昨日の遅い昼食は今思っても腹が立つ。くそあんな物で食欲を満たしてしまった。不味くて普通の値段、そしてお腹がいっぱいで夜まで胃がもたれた。途中で止める根性が無く全部食べてしまったのである。寝るまで残念とぼやきまくった。
 満足度は値段、美味しさのバランス。その時の気分。座標軸がずれまくる。いい加減なのである。食欲と気分で自己評価しているだけである。満足度が高いとデブでどこが悪いと居直りながらも明日も充実しようと気合いを入れる。満足度が低いと最悪、「美味い物食ってやる」となるわけである。 そしてデブ一生はご覧のとおりである。
 今日の夕食は事務所の机でビール片手に六本105円のキュウリ、一枚105円のアジのフライ、一個105円の大きいおむすび、筑前煮と切り干し大根は合わせて406円、ビールはお中元でいただいた物。後ろにあるバナナの5本つつみは脈絡無く買ってきてしまった見切り品105円である。これはだれも手を出さずお持ち帰りとなった。4人で1000円にもならない。消費税込みの値段だから105円、ほんとに100円に弱い私。25年御用達のスーパー丸栄で調達した。
 付き合わされた滝沢さん吉田さんはともかく私は大満足の夕食でした。

ひょうひょうと粘り強く

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 税理士の奥津先生はいつもひょいひょいと歩いている。頑固でめげない。私が乱暴でいい加減な意見やみょちくりんな論理を展開すると困ったような顔をして「そうなんです。日本の税制がおかしいんです」と締めくくる。 事務所の節ちゃんは経理通。お金のことならぴぴっと何でもわかる。「通帳を見ているとお金の動きが面白い」なんていうのである。私は頭が痛くなるだけである。2人で事務所経理システムの打ち合わせをしていた。

 側に寄って行って、「雑食日記読んだ」とじゃまする私。はっきりしない答えの奥津先生に隣のパソコンを立ち上げページを開き、いつもの強要を始めた。困る奥津。「今度見ますから」と言っても解放されない。「このティーカップはベトナムで100円で買ったのよ」「ベトナムにはよい陶磁器がありますからね」おっとわかっているじゃない。100円を誉めないのが不満だけど許してやる。

 今2人は「弥生経理」システムで預金の何とかということをやっているらしい。このシステムの名前を覚えられない私は何度注意されても「弥勒」と言い続けている。「どうしてみろくなの」自分でもわからないのよ。最初の字が同じだからかしら。今ではだれも注意さえしない。完全に見捨てられている。

きっと弥勒菩薩のようにやさしく経理を処理してもらいたいと思っているからなのである。その私にむかって「佐藤先生にも経理を理解してもらわないと」と断固言う奥津先生である。それはだめですから。

好きこそ物の出会いなれ

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今日こそ私の自慢のマグカップ見せてやろう。バナナジュースを飲み終わったカップを洗ってリュックに入れた。事務所に着くやいなや「これよこれ」と事務所のスタッフに見せびらかす。「良いですね」いうまでしつこく迫るので勘のいい一人が「先生すてきですね。私も好きです」と賢明な対応をする。

 よしよしとご機嫌な私である。業務に忙しいスタッフに「今日ティーカップを買いに行くから」と断固言い渡す。新しい事務所で使うテーカップを何にするか何ヶ月も前からうるさい私に「はいはいそうしましょう」と節ちゃんはやさしい。節ちゃん何しろ幼稚園から高校まで一緒の仲、むっちゃんの性格はお見通しである。

 もちろんディスカウント店へ。しろに藍色これに決まってるんですから。七階洋食器売り場のエレベーターを降りて「夏ベストセレクション」の所にすーと行く。きゃーあるじゃない。こんな所で待ってくれた。ミントンのハードウイック、しろとブルーの繊細なパッションフラワーのテーカップが6こ、凄いバーゲンになっているじゃない。

 「よかったですね」心からほっとする節ちゃん。「出会いよね。今日来てよかったでしょう」全部で15個も買ってしまった。6個は持ち帰って事務所でひとくさり。どうでもいいことに巻き込まれ疲れるみんな。

 さてもう一つのティーカップは去年ベトナムで出会った物。ホテイアオイとトンボがゆったりと描かれている。これは100円で見つけた。肉厚で重い。ベトナムの濁った川の水が流れてくる。これも好き。

 どちらも藍色一色。すっきりとモダンである。何色とも言えない心落ち着く深い色である。

ささのはさらさら 七夕の日

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 七夕の日に甲府を訪ねた。暑気払い、加藤夫婦と温泉の露天風呂から甲府市内を一望する趣向。
 妻裕さんは甲府市の市議会議員5期目の重鎮。夫啓二は甲府合同法律事務所の中心。息子三3人は巣立ち、四男犬の太郎も三男の大学入学を見届けて旅立った。2人とも山梨に縁もゆかりもない。乞われて甲府合同に来た夫とともにこの地に来た裕さんは三人の息子と大きな長男、太郎と5人もの男を育てて元気ハツラツ。今では夫を家に残して飲み歩く。ゆくところ敵なしの自称「男気の」人である。 山から下った田圃の縁で「ここでいつも演説するのよ」彼女の選挙区である。「まあ聞いているのは田圃だけだな」ちゃかす夫を無視。当選後毎週支持者向けに手書きのニュ−スを自分で配り続ける彼女こそ草の根民主主義の担い手である。頼りにされて当然である。
 そんな妻をちょっと自慢の夫は「裕は地理感覚はめちゃくちゃだけど妙に政治感覚は鋭いんだよ」誉めたりけなしたり、ケンカしたり、二人は三〇年夫婦をやってきた。学生時代と同じ匂いのまま二人はこれからも夫婦をやるらしい。
 山梨県立美術館でジャン・コクトーの特別展をやっていた。こんな二人になれると思う。 
 のきばにゆれる風は暑くやさしい。

スイカの気持ち

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 8月2日ちょと見たこともないような大きさXLのスイカが事務所に届いた。とにかく大きくて引っ越しのどさくさで気が立っている事務所のスタッフは「どうするんですか」と困惑気味。
「冷蔵庫に入れて冷やし明日から毎日みんなで食べる」「滝沢さん明日は必ずきてくださいね」と私が檄を飛ばす。滝沢さんは日民協のコンピュータをサポートしてくれている縁の下の力持ちである。うちの事務所も彼なくてはIT原始時代である。日民協で私につかまって連れてこられていると言うのが実態。「明日が楽しみで」すと言ってくれたのは律儀な彼だけである。 
 3日4日5日、3時は全部スイカ。デブで大味かと思ったらこれが美味い。歓喜の声を上げながら食いまくるがいかんせん量が半端でない。滝沢さんの奮闘の甲斐があって第1日で半分制覇。2日目は滝沢さんの奮闘空しく残りの半分は冷蔵庫へ。そして今日「先生スイカが待っています」の声。ちょっと疲れ気味のみんな。完食しました。写真は最後の最後のスイカの姿です。

 スイカの贈り主は長野県掛け湯病院でリハビリ医をしている石黒勇二先生。東京医科歯科大学の学生の時交通事故にあって私が担当した。その後突然脳にウイルスが入って脳の一部に損傷を起こしひどい脳性麻痺になってしまう。原因もわからないまま母校の病院のベットで寝たきり、ひらがなを指さしやっと私と会話する彼を見舞ったことがあった。めげない元気な患者だったが私の気持ちは晴れなかった。そこから彼は復学、整形外科医になった。並大抵の努力ではない。掛け湯病院で車いすに乗り、体が利かない言葉にも不自由するその実感を持つ医師になった。脳内出血で倒れた長野中央事務所の富森啓児先生はその彼の患者だった。とっておきの1枚の取材でそれを知った。

その彼が送ってくれたスイカを違う人達と喰らう。人はまわりまわってゆく。スイカの気持ちもうれしいにちがいない。

今日は自転車に乗って

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 法民10月号の打ち合わせ。いつも大荷物大忙しの田部さんと、じっとやさしくやるべきことをやってくれる頼もしい渕上さん。2人の編集委員会若手エースを迎えて楽しい打ち合わせでした。2人とも「ピースボートの船旅コリア・ジャパン未来クルーズ」に8月13日から参加するという。
 50期代の生きの良い法律家達の世界にむけられた翼の軽やかさにため息が出る。彼らが連帯しようとしている人々は地球規模で手をつなぐ。「何でも見てやろう」の時代から」「何でもともにやろう」の時代になっている。 田部さんは大荷物を愛用のママチャリに積んでよたよたと事務所に帰っていく。しなやかで細い体がゆらりと揺れ、道路を渡っていく。見送った私と渕上さんは転ぶんじゃないかとちょっと心配する。暑い日差しの中で「ほんとに田部さんは忙しいんです」渕上さんは静かにつぶやく。

連れ合いにもやさしく

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8月1日の執行部会議に久しぶりに上野登子先生が見えた。ここ5年、「要介護5の夫の自宅介護をしています。弁護士の仕事もほとんどしていません。これからは日民協にもできるだけ出てきたいと思っています」

 上野先生は優しくて強い人である。3人の娘さんを産み育て法律事務所を主宰し、日弁連や日民協の活動もこなしてきた。27年前、研修所にはいる前に先生の事務所を女性だけで訪ねたことがあった。荻窪の事務所の床は板張りでぎしぎし鳴っていた。子育てなんて遠い日だった私たちに「娘はボタン付けなんか私じゃなくて父親に頼むのよ」と言っていた。上野先生の連れ合いはモーレツに忙し銀行マンだった。「父と母は若いときからケンカをしながら暮らしてきました。父が具合が悪くなって母が面倒を看るようになって、初めて二人は夫婦になったんだと思います」三女の言。

「デブの介護は大変だって言ってたのに」家人になじられている私の姿が目に浮かんだ。
   

弁護士むーみんの解決!女の一大事