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伊藤和子のNYだより

第0012回 (2005/07/11)
5月、ニューヨークでイラク戦争を語る

 5月、国連で開催されるNPT再検討会議にあわせて世界から多くの市民・NGOが核廃絶を求めてニューヨークに集まる。ニューヨーク留学中の私は、ロースクールのカリキュラムがひと段落するこの時期、渡米するNGO、ジャーナリスト、市民などの友人たちと一緒に「イラク戦争は何をもたらしたのか」をアメリカ市民に伝える機会を設けることにした。

5月1日森住さんの屋外写真展 発端は、イラク・ホープネットの細井明美さんから年明け早々に「NYでイラク戦争の写真展をやりたい」との提案。5月にNY入りする高遠菜穂子さん、森住卓さん(フォト・ジャーナリスト)、鎌仲ひとみさん(映画「ヒバクシャ」監督)、佐藤真紀さん(JVC)などと相談し、森住さんをはじめとする日本のジャーナリスト、NGOの人々などの撮影したイラク戦争・劣化ウラン弾被害の写真展を開催することになった。

 幸い、この間知り合った、元司法長官ラムゼー・クラーク氏の設立した平和団体インターナショナル・アクション・センター(IAC)の方々、そしてニューヨーク郊外5月1日森住さんの屋外写真展の大学を中心にイラク戦争の写真展を続ける女性たちの市民グループ、2003年に「イラク戦争を止めよう」と森住卓さんの写真展開催などの活動をはじめた西海岸の市民グループ、第一次・第二次イラク戦争帰還兵の方々、私が国連代表をさせていただいているIADL(国際民主法律家協会)などの協力を得て、5月にイラク戦争を問う写真展やシンポジウム、ワークショップなどを開催することになった。
5月1日森住さんの屋外写真展
 私たちの視点は「空爆される側の視点からの事実の提供」「あなたたちの国の武力行使はイラクで何を引き起こしたのか」を映像で伝え、アメリカの市民と語り合いたい、ということだった。

★声をあげはじめた兵士たち

 私は写真展の準備をする過程でさまざまな人と出会った。特に帰還兵たちとの出会いが印象に残る。

 昨年8月、ニューヨークの共和党大会の時期にプロテストを理由に逮捕されたデニス・ケイン氏は第一次湾岸帰還兵で劣化ウラン被害者でもあり、全米で帰還後様々な戦争後遺症被害に苦しんでいる帰還兵と結び付けている。また、同じく第一次湾岸帰還兵で、インターナショナル・アクション・センターで帰還兵たちのサポートにあたっているダスティン氏は帰還兵たちの苦しみを教えてくれた。

 まるで悪徳商法の勧誘のようにしつこい手口で、就職先がなくて苦しむ貧困層やマイノリティの若者たちを兵士として登録させ、戦争に動員している状況、「良心をストップして命令のままにどんな作戦でも遂行する」存在になることを至上命題としている兵士の訓練、劣化ウランの影響と思われる流産を経験した女性兵士、帰還しても何の就職口もなく、ホームレス化していく帰還兵たち。
 「若い兵士が戦場に送られてある日突然、上司から今日は市街での作戦だ、と言われ、命令に従うしかなく、市街でたくさんの民間人を殺さなければならない地獄絵のような状況に置かれた。帰ってきてからも、ショックで毎日悪夢にうなされ、ひどい精神的後遺症に苦しんでいる」という話も聞いた。

 彼らの紹介で、私はニューヨーク在住の9人の劣化ウラン被害者たちと連絡を取り始めた。「ニューヨーク・デイリーニュース」のゴンザレス記者が民間の科学者に検査を依頼し、彼ら9名の劣化ウラン陽性反応を確認したのだ。

マシューさんの赤ちゃん そのうちの1人ハーバート・リード氏は、2003年9月、サマワ(自衛隊駐留地)で一ヶ月刑務所管理業務を行なっていただけで劣化ウラン被爆し、深刻な体調不良に苦しんでいる。同じ時期に3ヶ月クウェート・イラク間のトラック運送に従事していたジェラルド・マシュー氏は、高濃度の劣化ウラン汚染が検出されているが、帰還後誕生した娘のビクトリアちゃんには右手の指がない。母に抱かれるマシューさんの赤ちゃん。マシュー氏の妻は、「マシューは彼女の夢はなんでも実現したいというけれど、右手の指がなければバレーもピアノもできない。これから大きくなってどんな障害が出現するか、とても心配」と私に語った。

 第一次湾岸帰還兵のメリッサ・スチュワート氏も約15年間、体中の痛みに耐え続ける生活を送っている。軍は彼らに適切な診断・治療を一切行なっていない。この国では兵士たちが「使い捨て」にされているのだ。

 帰還兵たちは、今、自分たちの経験をコミュニティで、街頭で、そしてメディアに語り始めている。アメリカ全土の高校・カレッジでは、生徒に対する執拗な軍へのリクルートが拡大し、通学路での待ち伏せ作戦だけでなく、校長の許可を得て構内に立ち入り、勧誘を行なう動きも強まっている。

 生徒たちの中にはリクルートに反対してデモンストレーションを企画、実行する動きも広がっているが、校長がこれを許可せずに(軍の入校は認めるにも関わらず)生徒たちが弾圧される、という動きも頻発している。帰還兵たちはリクルートの対象となっている生徒たちに軍での経験を伝える活動を開始している。同じ悲劇を若者たちにもたらさないように、そして平和な国をつくるために。

★同じ被害を受けている

 5月3日午後、IADL・劣化ウラン廃絶キャンペーンの共催で、ワークショップ「劣化ウラン被害者の声を聞く-イラク、アメリカそして日本」をUNチャーチ・センターで開催した。

 帰還兵のハーバート、ジェラルド、メリッサたちが劣化ウランの放射能被爆により彼らに何が起きたのかを語り、日本側からは、イラクの市民・子どもたちに起きている劣化ウラン汚染などの深刻な被害を報告し、イラク戦争の残骸を告発した。

 会場に集まった国連・NGO関係者も劣化ウラン被害をほとんど知らず、子どもたちの写真は大きな衝撃を生み、医療支援に寄付金が寄せられた。帰還兵たちから「この企画をしてくれてありがとう。自分たちに起こったことは知っていたが、イラクでこれだけのひどい被害が発生していることを知らなかった」と言われたのが印象に残った。彼らは「イラクに自由をもたらすための戦争」と信じてイラクに行った兵士たちだ。彼らが被害に苦しみ、そしてそれ以上の深刻な被害がイラクの未来にもたらされたことを理解しあえたことが嬉しかった。

3日のレセプション。私と森住さんとサラフランダースさん 同日夜、IACと劣化ウラン廃絶キャンペーンの共催でレセプションを開催した。上記ワークショップの出演者のほか、ラムゼー・クラーク氏の講演や被爆者の方のスピーチに日米市民200人以上が参加し交流の機会になった。IACの皆さんは本当に今回の成功のために奔走してくれた。会場では、たくさんの心あるアメリカ人たちの良心の声に接し「この国の心ある人たちは決して眠ってはいないのだ」と再認識した。

★アメリカ人と語る

 5月18日からは、高遠菜穂子さんら「イラク・ホープ・ネットワーク」をNYに迎えて、ニューヨークの中心地に位置するニュースクール・ユニバーシティ、そしてニューヨークの街頭(ユニオン・スクエア、タイムズ・スクエア、グラウンドゼロ付近)で写真・ビデオ展を行なった。

高遠さん 高遠さんは、知り合いから託された昨年10、11月のファルージャでの無差別攻撃を克明に撮影したビデオを持ち込み会場で上映した。イラク市民からのメッセージ--未だに米軍による理不尽な殺害や破壊が続いていることを訴え「これ以上あなたたちの家族・友人を殺人者にしないように、すぐに兵士を自分の国・家族のもとに帰してほしい」と訴えるもの-を会場にきた市民に配布した。

 会場、とくに街頭では多くの普通の市民が足を止めて、写真を食い入るように眺めていた。空爆で家を破壊されて途方にくれる民間人、戦争前学校で楽しそうに遊ぶ少女たち、劣化ウラン弾の被害で顔が歪み目が腫れあがって苦しむ末期小児癌の子どもたち、どれも、主要メディアでは一切報道されない映像ばかりだ。

 日本では、関わりたくないとばかりに顔を背け、足早に通り過ぎる人たちが多いが、ニューヨークは違う。どんな意見の人も近寄って質問をし、議論がはじまる。中には「イランの子どもたちか? 核開発の影響だろう。本当にひどいことをするものだ」と話しかける人もいて「湾岸戦争でアメリカが使用した劣化ウランの被害です」と答えると、非常にショックを受けていた(中には「アメリカは違法な兵器を絶対に使用しない」と頑なに言う人たちもいたが)。

 何度も、「私たちはこの戦争に反対した。でも戦争で何が起きたのか、私たちは知らなかった。真実を本当に知りたいと思っていた。貴重なことを教えてくれてありがとう」と言われた。「メディアが完全にコントロールされているから私たちは真実から遠ざけられている」という声もしばしば聞いた。

 会場に来たあるジャーナリストによれば、彼女の友人(ジャーナリスト)は11月にファルージャに入って虐殺の一部始終をビデオで撮影したが、米国に帰国したとたん、空港でCIAと思われる人間に全てのビデオカメラを暴力的に没収され、結局公開できなかったという。「こうやって情報が国内に入らないように、私たちは監視されている」という。

 写真に目をうるませて「僕たちは戦争に反対した。でも止められなかった」と言う若者たちもいた(事実、NY市民の多くはイラク戦争に反対していた)。私は「この国を変える力を持っているのはあなたたちアメリカ人だ。世界中の人たちがアメリカを平和な国にしてほしいと願っている。」と答えた。メディアや政権により「テロとの闘い」に人心を動員する世論操作は続いている。

 しかし、私たちにできることは、こうしてひとりひとりに事実を伝え、戦争の被害者の痛みを伝え、語り合っていくことなのだと思う。

マントリーさんと 最後に、もうひとつ忘れられないことがある。私はNPT再検討会議のさなかに国際司法裁判所のウェラマントリー元判事(核兵器使用が国際法に違反するという勧告的意見を出した)におあいする機会があった。その際に託された言葉と判事の献身的行動は心に深く残っている。判事は「是非憲法9条を大切にしてください。私は今世界各地で講演をし、紛争のあった地域などでは声を大にして9条を紹介し、是非あなた方の国もこの素晴らしい憲法にならってほしい、と訴えています。この9条がなくなってしまうようなことが絶対にないようにしてください」と真摯に私たちに訴えた。

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