No.274の記事

イラク戦争開戦から10年

本日は、イラク戦争開戦から10年にあたる。米ブッシュ政権は、9・11事件の報復措置としてアフガン侵攻にとどまらず、イラクにまで戦争を仕掛けた。オバマの選挙公約によって撤兵が実行されたのは、昨年末のこと。この間のイラク民間人の死者数は10万人説から65万人説まである。
この悲惨な戦争は、「イラクに大量破壊兵器が存在している」というブッシュ政権中枢の「確信」によってもたらされた。当初、米国民は熱狂的にこの戦争を支持したが、今、厭戦の果ての撤兵となった。

アメリカのイラク参戦を批判する国と、支持する国との対比の鮮やかさを思い出す。
「参戦を拒否したドイツの当時のシュレーダー前首相は「難しい決断だったが、我々のナイン(ドイツ語のノー)は正しかった」と述べ、改めて攻撃不参加は正しい判断だったとの認識を示した」「独メディアによると、拒否の理由を『イラクに大量破壊兵器は存在しないと確信していた』と説明。さらに、『当時の野党党首(メルケル現首相)の主張通り参戦したら、ドイツ軍は今もイラクにいただろう』と述べ、今秋のドイツ総選挙を念頭に、参戦を促したメルケル氏を批判した」という(毎日)。

翻って、当時の小泉政権が、アメリカが参戦した途端にこれを支持する立場をとったことが強烈な印象として残っている。しかも、「イラクに大量破壊兵器が存在していない」ことが確認されたあとも、反省の言葉が聞けない。
政府と、自民・公明の与党(当時)は、いまでも、アメリカのイラク参戦を支持したことを正しい判断であったと考えているのだろうか。その考えかた、その理由について、国民に説明する責任を果たすべきであろう。

イラク参戦についてのいくつかの教訓がある。

日本は、アメリカの従属国の姿勢を露わにして、アメリカの参戦を支持した。しかし、イギリスやイタリア、ポーランドのごとく、多国籍軍の一員とはならなかった。自衛隊の派遣は、破壊されたイラクの国家再建を支援するためとされ、戦闘には参加していない。イラク派兵の根拠法となった「イラク特措法」のフルネームは、「イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法」という。人道復興支援活動の名目でなくては海外派遣はできない。これは、憲法9条が生きている証しである。自衛隊を合憲であるとする理屈が、「自衛のための実力の保持は許される」としか言いようがない以上、他国で戦闘に参加するすることは許されない。

また、国民が熱狂するときは、理性の目が曇るということだ。戦争を支持する世論が多数だから、多数に従うべきだという短絡した結論は正しくない。現行憲法改正に法律制定以上のハードルが設定されていることは、理性を取り戻す期間を確保するために必要な智恵なのだ。

もう一つ。イラク派遣を違憲として、各地に「自衛隊のイラク派兵差し止め訴訟」が提起された。その中の一つ、名古屋訴訟において、名古屋高裁は2008年4月17日の判決で、「差し止め請求の根拠・国家賠償請求の根拠としての平和的生存権」の具体的な権利性を認めた。

同判決の平和的生存権に関する説示の骨子は以下のとおりである。
「憲法前文に「平和のうちに生存する権利」と表現される平和的生存権は,‥単に憲法の基本的精神や理念を表明したに留まるものではない。憲法上の法的な権利として認められるべきである。そして,この平和的生存権は,‥裁判所に対してその保護・救済を求め法的強制措置の発動を請求し得るという意味における具体的権利性が肯定される場合があるということができる。
例えば,憲法9条に違反する国の行為‥によって,個人の生命,自由が侵害され又は侵害の危機にさらされ,あるいは,現実的な戦争等による被害や恐怖にさらされるような場合,また,憲法9条に違反する戦争の遂行等への加担・協力を強制されるような場合には,平和的生存権の主として自由権的な態様の表れとして,裁判所に対し当該違憲行為の差止請求や損害賠償請求等の方法により救済を求めることができる場合があると解することができ,その限りでは平和的生存権に具体的権利性がある」

判決は、違憲確認請求、民事訴訟としての差し止め請求、行政事件訴訟としての差し止め請求をいずれも不適法として却下し、国家賠償請求を棄却した。主文においては敗訴である。しかし、平和的生存権の具体的権利性を認めたことの画期的的な意義は大きい。ここを出発点とする可能性を展望できる。

自衛隊の海外派兵が繰り返されるとき、あるいは時の政権が好戦的な政策を採用して憲法9条に違反するときには、平和的生存権は平和を実現するための有益な手段となりうるのだ。


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しばらく、両サイトを併用して、そちらに引っ越す予定です。