石原発言糾弾

再び、民主主義とは何なのだろう

 私は、1971年4月に弁護士となった。実務法律家としてちょうど40年の職業生活を送ったことになる。この間の私の幸運は、日本国憲法とともに過ごしたことである。人権・平和・民主主義を謳った実定憲法を武器に職業生活を送ることができたことは、なんという僥倖。
 しかし、私の不運は日本国憲法の理念に忠実ならざる司法とともに過ごしたことにある。憲法に輝く基本的人権も、恒久平和も、民主主義も、法廷や判決では急に色褪せてしまうのだ。何という不幸。
 裁判所が、毅然と「日の丸・君が代」強制を許さずとする明確な判決を言い渡すのなら、石原教育行政の出番はない。裁判所に、「歌や旗よりも子どもが大切」、「国家ではなく人権こそが根源的価値」という教科書の第1ページの理解があれば、そもそも行政が憲法を蹂躙する暴挙を犯すことはないのだ。
 もうひとつ、右翼の知事に出番を提供したのは都民である。震災は天罰と言ってのけ、思想差別を敢行するこの右翼的人物に知事の座を与えたのは都民である。恐るべきは石原個人ではなく、敢えて石原に権力を与えた都民の意思であり、日本の民主主義の成熟度と言わねばならない。
 それにしても石原4選である。東京都の人権と教育は、あと4年もの間危殆に瀕し続けねばならない。「人権や憲法に刃を突きつける民主主義とは、いったい何なのだ」と問い続けなければならない。問い続けつつも、他にこれと替わり得る制度がない以上、絶望することも、あきらめることも許されない。心ある人々とともに、東京都の反憲法状態を糾弾し続け、都民に訴え続ける以外にはない。
 そのような決意を自分に言い聞かせて、しばし擱筆する。

 最後に。
 自分の心情を託すには啄木が、気持を浄化し決意を確認するには賢治がぴったりだ。

  新しき明日の来るを信ずといふ 自分の言葉に嘘はなけれど
  地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつゝ秋風を聴く
  人がみな同じ方角に向いて行く。それを横より見てゐる心。

  雨ニモマケズ
  風ニモマケズ
  雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ
  慾ハナク
  決シテ瞋ラズ
  イツモシヅカニワラツテイル
  一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ
  アラユルコトヲ
  ジブンヲカンジョウニ入レズニヨクミキキシワカリ
  ソシテワスレズ
  野原ノ松ノ林ノ蔭ノ小サナ萱ブキノ小屋ニイテ
  東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ
  西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
  南ニ死ニサウナ人アレバ行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
  北ニケンクヮヤソショウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒ
  ヒドリノトキハナミダヲナガシ
  サムサノナツハオロオロアルキ
  ミンナニデクノボートヨバレ
  ホメラレモセズ
  クニモサレズ
  サウイフモノニワタシハナリタイ

民主主義とは何だろう

 先日学生時代の同級会があり、気のおけない昔の仲間と楽しいひとときを過ごした。その圧倒的多数が都立高の出身者。彼らが高校生の時代には、「都立の自由」が横溢していた。都立の出身ではない私などにはまぶしいような、自由のエピソードの数々に、羨望の念を禁じ得なかったものだ。
 ところが今、事情は様変わりである。「都立の自由」は、教育行政によって根こそぎ奪われた。かつての自由の土壌は、管理主義の放射能に汚染されている。放射線の線源は「震災は天罰」と言ったあの知事。事態はその2期目からのことである。
 2003年4月、この知事は308万票を得て再選された。その直後から、都の教育行政は暴走を始めた。都の教育委員は知事の「お友だち」で固められた。本来、「人格が高潔で、教育、学術及び文化に関し識見を有する」(地教行法4条)者から選ばれるはずの委員が、およそ人格高潔とは言い難く、右翼的識見で凝り固まった人物で占められた。
 同年6月、教育庁内に「卒業式・入学式対策本部」が設置され、その年の10月23日、悪名高い「10・23通達」発出にいたった。各校で工夫を凝らしたこれまでの個性的な卒業式は全面禁止となり、式の主役は生徒ではなく「日の丸・君が代」となった。以来、全校長が全教職員に、文書による「起立・斉唱」の職務命令を手交するという異常事態が続いている。
 「日の丸・君が代」の浸透度は、学校の自由度のメルクマールである。文科省の調査では、1998年度入学式における都立校の「国歌斉唱実施率」は3.4%に過ぎない。もちろん、起立・斉唱の強制などはありえない。その以前、60〜70年代の都立校出身者は、高校生活で「日の丸・君が代」のカケラと出会うこともなかったであろう。
 今、「日の丸・君が代」実施率は100%。かつて行われていた、「憲法19条によって起立しない自由も保障されます」という、出席者への「内心の自由」についてのアナウンスも禁止された。日の丸の貼り方、参加者の椅子の並べ方までこまごまとした指示がなされる。そして、起立斉唱の職務命令違反者には、過酷な懲戒処分である。昔々の話ではない。どこかの独裁国の話しではない。日本の首都の公立校の現在進行の事態なのだ。
 この異常事態は、知事の308万票獲得から始まっており、都民の意思によるものとの擬制が可能である。謂わば、民主主義がもたらした異常事態なのだ。民主主義は衆愚政治と紙一重である。ファシズムもナチズムも、熱狂的な大衆の支持によって成立した。天皇制の侵略戦争も国民の支持あればこその側面を否定しがたい。今、またナショナリズム鼓吹者を都民が支持し、この知事が教育現場で「日の丸・君が代」を強制している。放射線被害にも似た危険このうえない事態である。
 民主主義が正常に作動しないとき、司法は「人権」侵害を救済する立場から、これに歯止めをかけなければならない。10・23通達関連の訴訟は18件に及ぶ。提訴者数の合計は延べ726名(都立校702名、小中校24名)である。
 先陣を切った訴訟が、懲戒処分前に提訴した「予防訴訟」(原告数402名)である。2006年9月21日にみごとな一審全面勝訴の違憲判決(難波判決)となり、知事をはじめとする都庁内右翼の心胆を寒からしめた。「日の丸・君が代」強制を違憲・違法という根拠は、憲法19条(「思想及び良心の自由はこれを侵してはならない」)、憲法20条(「信教の自由の保障」)、教育基本法10条(「行政による教育内容に対する不当な支配の禁止」)である。
 しかし、この流れは10・23通達以前の事件である、「ピアノ伴奏強制拒否訴訟」最高裁判決(2007年2月27日)によって断ち切られた。君が代のピアノ伴奏強制を合憲としたこの最高裁(第3小法廷)判決は、オーソドックスな憲法論からは極めて評判が悪い。「ロースクールの学生がこんな答案を書けば、到底合格点をやれない」という憲法学者もいるほどの代物。ところが、その後の下級審判決は、ピアノ判決のコピペ同然の言い回しで、教員側の請求を棄却するようになった。今度は当方が切歯扼腕する事態。
 長い暗闇を抜けて、本年3月10日、東京高等裁判所第2民事部が168名の懲戒処分を全部取り消すという勇気ある判決を言い渡した。震災前日のことであり、あの知事が4選出馬の正式表明に先立つプレゼントでもあった。
 周知のとおり、現実の司法は行政に甘い。行政裁量の範囲を極端にまで寛く認める。行政に対しての批判に過度に臆病であるというべきであろう。しかし、東京都の「日の丸・君が代」強制は、その大甘の裁判所から見ても見過ごせない。少なくとも、良心的な裁判官は、これを断罪している。知事と教育委員会、その事務局である教育庁は猛省すべきである。
 都は、敗訴判決を不服として、上告(受理申立)をした。10・23通達関連の訴訟については、これで6件が最高裁に係属している。最高裁判決で確定した訴訟は、まだ一件もない。憲法訴訟として、そして教育訴訟として、その成り行きが注目される。
 とは言え、「震災は天罰」と言った知事の乱暴さは、「日の丸・君が代」強制をして恥じない乱暴さと結びついている。人権感覚欠如のしからしむるところなのだ。このような人物を3期も知事に据え置いた都民の民意を理解しがたい。いったい、民主主義とは何なのだ。

「日の丸・君が代」強制にこだわる

 言葉には、その使われかたによる歴史の手垢がついている。その手垢ゆえに嫌いな言葉は少なくない。「滅私奉公」は最たるもの。震災被害を天罰といった人物は、自身を表現する言葉としてマスコミの取材に「滅私奉公」を挙げている(7日付「毎日」)。嫌いな人物と嫌いな言葉、このマッチングに妙な納得感をおぼえる。
 「滅私奉公」は、強者が弱者に押しつけた徳目として薄汚く手垢にまみれている。古くは、奉公の「公」とは主君であり、藩であり、商家の旦那でもあった。要するに政治的・経済的支配への積極的な従順を美徳化したスローガンであった。
 明治期以後の「公」は疑いもなく「天皇」を意味した。「天皇が君臨する国家」でもあって、臣民訓育の道具として意識的に利用された。最悪の汚れた歴史。
 近代憲法は、個人の尊厳を確認するところから出発している。一人一人生身の個人が、完全に等しく尊い。その個人が、各人の権利の調和を図りつつ、最大限に権利を伸長する手段として便宜国家を作り運営する。国家そのものに価値はなく、「個人に奉仕する」限りでの存在意義である。「滅私奉公」とは、まったく相容れない。
 憲法の最大の関心事は、国民が作り与えた国家の権力が、国民個人の権利を侵害することのないように抑制することにある。憲法典とは、至高の人権を、必要悪としての国家から防御するためのシステムなのである。
 したがって、個人と国家のスタンスをどうとるかという問題は、憲法にとっての最重要事項である。国旗・国歌が国家の象徴である以上、国旗・国歌とどう向き合うかについては、国家の関与や強制が介入する余地はない。国民の信託によって成立した国家が、国民に国旗国歌を押しつけるなどは背理なのだ。
 ましてや、「日の丸・君が代」である。侵略戦争や排外主義、差別、思想弾圧等々の負の遺産と深く結びついているこの旗と歌を、教育の場において職務命令で強制し、不起立者を懲戒するなどはもってのほかというべきである。
 人権に配慮のない「天罰」発言、国家主義にもとづく「日の丸・君が代」強制、そして「滅私奉公」の旧時代のイデオロギーは、不気味な糸でつながっている。

首都の教育行政の暴走

 古今東西を問わず、権力は従順な被治者を欲する。時の政策に無批判な民がお望みなのだ。できることなら、国民の精神の内奥にまで立ち入って支配し、従順な精神構造に作りかえたいとの衝動を常にもつ。
 そのための手段が、権力の立場からする「教育」と「メディア」と「宗教」である。戦前の天皇制国家は、そのすべてを手にしていた。皇国史観注入の場としての極端なイデオロギー教育、検閲制度による直接的な言論統制、そして国家神道による宗教支配、すべてが実効性をもっていた。
 周知のとおり、天皇制国家が臣民の精神を支配し操作して推し進めた国策の行き着く先には奈落が待ち受けていた。奈落の底から這い上がって日本を再建した国民は、当然のこととして権力による精神の支配を拒否した。こうして日本国民は、ようやく20世紀中葉にして、権力による教育への介入の禁止、表現の自由、政教分離原則という制度的保障を手に入れ、これを日本国憲法に書き入れた。敗戦という高価な代償を支払って購った、国民の精神的自立を支える大原則である。
 戦後民主主義の高揚期を過ぎて、今その珠玉の原則にかげりが見える。「君のため国のため」に滅私奉公することが美徳とされた、あの時代の国家主義復活の萌しが現実化している。
 首都の教育行政は、都内の全公立校の教職員に対して、「卒業式においては、国旗に正対して起立し、国歌を斉唱せよ」と職務命令を出している。これを受容しがたいとする者には、過酷な懲戒処分が待っている。既に430名を超える大量の被処分者が出ている。思想弾圧、思想差別と指摘せざるをえない異常事態だ。
 この異常な事態をもたらした元凶が、「震災は天罰」と口にした人物である。この事態を批判すべきジャーナリズムは、骨を抜かれて在野性を失っている。
 また、この人物の靖国参拝は続いており、4月3日には「救国祈願」に靖国神社と明治神宮、日枝神社を参拝したという。その上、「神に守ってもらわなきゃ、日本はなかなか立ち上がるの大変だよ」と話した、と報じられている。嗚呼。

あなたも被災者支援のひと言を

 東日本大震災の被災者を励ましたいと願っていらっしゃる方、被災者に寄り添い何か一つでも被災者のためにできることをしたいとお考えの思いやりのある方に、そのやさしい心根にすがってお願いを申しあげます。
 「震災は天罰」と言った政治家に、首都の責任ある立場からは降りていただくよう、勇気あるひと言を発言していただきたいのです。家族との会話、友人とのおしゃべり、学食でのコーヒーブレイク、職場での立ち話、メル友とのメールのやり取り、季節のご挨拶のお手紙‥、どんな機会にでも、ついでのひと言として、次のような趣旨を、口に出し、あるいは文書にしたためていただきたいのです。
 「震災を天罰という人の人間性を疑う」「津波を天罰なんて口にできるのは、被災者の苦しみを本気で分かろうとしていないからだよね」「発言を撤回したところで、本性があらわれたってところだろう」「こんな人は、政治家として絶対失格」「とても行政を任せることはできない」「こういう人を東京の代表にしておくことは、都民として恥ずかしい限り」‥
 重ねて、この政治家が「私は今も原発推進論者」と言ってはばからないことについても、ぜひ一言添えていただきたいのです。
 「みんなが、こんなにも放射線被曝を心配しているときに、よくも神経を逆撫ですることが言えたものね」「時代は、ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・フクシマだろう」「いま求められているのは、生活の豊かさよりは安全じゃないか」「少なくとも徹底的な原発政策見直しが必要なときに、国民感情が分かっていない」「天罰は東北に、天恵は東京に。そんな都合のよいことが許されるはずはない」‥
 できれば、この人のこれまでの差別発言、傲慢発言、高額の無駄遣い、思いつき政治の失敗、そして反人権、反民主主義、反憲法の言辞の数々についても‥。
 あなたのそのひと言が、被災者を励まします。被災者に寄り添うことになります。被災者の心の支えと慰めになります。それだけでなく、東京の安全と福祉、さらには人権と民主主義の発展にも必ずつながるのですから。

東北の鬼

 私の父方のルーツの地は黒沢尻である。今は、岩手県北上市。
 この地方には、郷土芸能の鬼剣舞(おにけんばい)が伝わる。宮沢賢治の「原体剣舞連」に農民の誇りとして高らかに歌い上げられている、あの異形の舞である。
私の従兄がその面を作っていることもあって愛着は一入。そのリズムと動きの激しさに、普段はもの静かな東北の民衆の魂の叫びを聞く思いがする。まつろわぬ鬼は、私自身の精神のルーツでもある。
 わらび座の十八番の一つ、歌舞劇「東北の鬼」では、幕末の三閉伊一揆を題材に鬼剣舞の群舞が観衆を圧倒する。鬼は、圧政に虐げられた農民そのものであり、剣舞は解き放たれた怒りの象徴である。
 「百姓の腹ん中には、一匹ずつの鬼が住んでいるんだ」というのが主題。古来、東北の民は、「蝦夷」として「征伐」の対象とされた。鎌倉・室町・江戸期の最高権力者の官名は「征夷大将軍」である。坂上田村麻呂に抵抗したアテルイの時代から、前九年・後三年、藤原三代、九戸政実、戊辰戦争、明治の藩閥政治にいたるまで、勇猛にして高潔な東北は、奸悪な中央に敗れ虐げられ続けてきた。その名残と怨念はいまだに消えない。だから、東北の民は、時として鬼になる。地方権力にも中央政権にも、その矜持を賭けて徹底してたたかいを挑む。その心意気が弘化・嘉永の三閉伊一揆に遺憾なく表れているのだ。
 そのような東北の民衆の矜持を、首都の知事が踏みにじった。
 「なに。震災は天罰だと?」「津波で積年の垢を洗い落とせだと?」
 さらに、追い打ちをかけたのが原発問題。危険な原発の立地を東北に追いやり、安全な場所で電力の恩恵に与るのが中央。東北の民には、そのような図式がありありと見える。「この期に及んでなお、『私は今も原発推進論者』だと?」
 賢治のことばを借りよう。「いかりのにがさまた青さ 四月の気層のひかりの底を つばきし はぎしりゆききする おれはひとりの修羅なのだ」
 都民よ。東北の鬼を怒らせまいぞ。

「天罰」は東北に、「福利」は首都に

 「毎日」の読み始めは「万能川柳」欄から。本日の秀逸句が、「首都圏の電気 福島からと知る」(熊本・坂の上の風)。東北出身者としては白けた気分とならざるを得ない。そんなこと、今ごろ知ったというのか。作句者には他人事なのだろう。
 今さら言うまでもないが、東京電力の原発は、福島第一(6基)・福島第二(4基)・柏崎刈羽(7基)の3か所。いずれも、東京を遠く離れた「東電エリアの外」にある。首都の利便と安全のために、僻遠の「化外の民」が危険を引き受けているのだ。
 「そもそも電力は、国民必須の需要によるものてあって、電力政策の権威は産学協同に由来し、その権力は政府がこれを行使し、その危険は東北北陸が引き受け、福利は専ら首都圏がこれを享受する。これは我が国固有の歴史的構造原理であって、東電の原発経営はかかる原理に基くものである」
 だから、3月25日における、首都の知事と福島県知事の会見は、特別の意味をもつものであった。危険を東北に押しつけて利便を享受してきた首都と、リスクが顕在化した東北との、本来であれば火花を散らすべき対決である。そこで、首都の知事は「私は今でも原発推進論者」と言ってのけたのだ。私には、「今後とも首都の利便のために原発を推進する。電力供給は必要なのだから、被災は東北の天罰として甘受していただきたい」との、彼の本音と聞こえる。
 ところが、3日のフジテレビ系公開討論会の席上、「小池(晃)氏が、石原(慎太郎)氏が福島県で『私は原発論者』と発言したことを批判すると、石原氏は『そんなことは言っていない』」と反論、「小池氏は『いやいやハッキリ報道されてます。ごまかさないでください』と言い返した」と報道されている。また、席上「慎太郎氏は都の防災服姿。『フランスは原子力発電をうまくやっている』『何も、原子力一辺倒と言ってるわけじゃない』などと主張し」たとも報じられている。何も分かっちゃいない。何も反省してはいないのだ。
 首都圏の心ある人々よ。数多の蝦夷の末裔たちよ。こんな人物を知事にしておいてよいのか。恥ずかしくないのか。

ばちあたり

 「なんてかなしいこと」というと
 「なに、てんばつさ」という。

 「ほんとにてんばつ?」ときくと
 「ほんとにてんばつさ」という。

 「ほんとにほんと?」と、ねんをおすと
 「てっかいしてしゃざいする」という。

 そうして、あとでもういちど
 「ほんとにしゃざいしたの?」ってきくと
 「せんきょがちかいからね」って、小さい声でいう。

 こだまでしょうか、
いいえ、あのひと。


 「天罰」はだれにも見えないけれど
 「天罰」と口にする人の品性はだれにもよく見える
 「天罰」は本当はないのだけれど
 「天罰という人の罪」は深い

お地蔵様への合掌

 被災地の報道映像には目が離せない。最初は痛ましい絶望の風景一色だったが、ほの明るい希望も映し出される。人間のはかなさだけでなく、強さも優しさも気高さも見えてくる。ふと、思いがけない光景を目にした。

 気仙沼の鹿折地区。被災者が瓦礫の山から掘り出したのが、大ぶりのお地蔵様。
数人がかりで掘り起こし、泥を拭うと柔和なお顔が現れた。これを囲んだ人々がごく自然に合掌する。中の一人が、「いつものお姿が戻って、本当によかった」と明るい笑顔を見せた。新聞報道では、宮古市の山崎でも同じ話が。おそらく、ここかしこで見られたことなのだろう。

 やや、戸惑いをおぼえる。地蔵は、釈迦入滅後の末法の世で、弥勒菩薩があらわれるまでの長い長いあいだ、六道を輪廻する衆生を救う菩薩であるという。最も弱い立場の人々を救済する通力をもつとも、親に先立つ不孝故に賽の河原で獄卒に責められる子供を救う菩薩であるとも聞く。その慈悲の力にすがりたいとの願いを込めて建立し、守ってきたお地蔵様ではなかったか。このたびの震災と津波に、いったい何の通力を示されたか、どんな御利益をもたらしたか。空しく、津波に流され瓦礫に埋もれて、その無力を晒しただけではないのか。

 いや、このお地蔵様を建ててお守りしてきた人々の思いは、御利益の期待にはなかったのだろう。人々は、石のお地蔵様が何の通力ももたない、もっとも弱い存在だとよく知っていたにちがいない。その弱いお地蔵様を瓦礫の山から救う自らの慈悲の行為に、実は自らが救われていることを自覚しているのだと思う。お地蔵様は、その弱さ故に、人々の心の支えになり優しい人々を救っていたのではないだろうか。

 お地蔵様を瓦礫の下から救って合掌することは、心優しい人々の敬虔な行為として胸を打つ。このような人々の被災を「天罰」と言った傲岸な人物の品性の欠如に、あらためて怒りを禁じ得ない。もっとも、「天罰は、その発言者自身に降りかかるだろう」などとは、やさしいお顔のお地蔵様も鹿折の人々も、けっして口にすることはないのだろうが。

野蛮な天皇制も「天罰」とは言わなかった

 関東大震災の直後に2通の詔書が出されている。天皇制政府にとって首都の震災被害からの復興がいかに重大な課題であったかを物語っている。注目すべきは、両詔書とも「天譴論」に与していないことである。震災の原因を神慮や天罰と言ったり、国民に被災の責任を求めたりする姿勢とは無縁なのだ。
 まず、震災11日後の「関東大震災直後ノ詔書」(1923年9月12日)。「惟フニ天災地変ハ人力ヲ以テ予防シ難ク只速ニ人事ヲ尽シテ民心ヲ安定スルノ一途アルノミ」と、天災は飽くまで天災、全力で復興に力を尽くすしかないとの基本姿勢を示している。そのうえで、「凡(およ)ソ非常ノ秋(とき)ニ際シテハ非常ノ果断ナカルヘカラス」と、被災の救済と復興の施策は、非常時にふさわしく果断にやれと述べている。大仰な美辞麗句の修飾をはぎ取れば、中身は案外真っ当で合理的なのだ。
 次いで、「国民精神作興ノ詔書」(同年11月10日)。こちらは、天皇制政府のイメージのとおり。震災後の混乱の中で人心収攬の必要もあったろうが、この事態を奇貨として、天皇制政府の国民精神誘導の意図を明確にしている。
 「朕惟フニ国家興隆ノ本ハ国民精神ノ剛健ニ在リ」で始まり、国民の軽佻浮薄の精神を質実剛健にあらためなければ、国が危ういという。そのうえで、まことにエラそうに上から目線の教訓を垂れる。「綱紀ヲ粛正シ風俗ヲ匡励シ浮華放縦ヲ斥ケテ質実剛健ニ趨キ軽佻詭激ヲ矯メテ醇厚中正ニ帰シ人倫ヲ明ニシテ親和ヲ致シ公徳ヲ守リテ秩序ヲ保チ責任ヲ重シ節制ヲ尚ヒ忠孝義勇ノ美ヲ揚ケ博愛共存ノ誼ヲ篤クシ」‥当時の人々はこんな文章をすらすら読めたのだろうか。
 この詔書には、「今次ノ災禍甚大」の一文はあるが、その原因を天譴・天罰とはしていない。天皇制政府が、震災を利用して国民精神の統合へと誘導をはかったことを教訓と銘記しなければならないが、震災を天罰と言うことが有効だと考えなかったという意味では、天皇制も国民を舐めてはいなかったのだ。
 90年後、「震災は天罰」と言う政治家が出た。天皇制政府より格段に非合理で、愚かで、しかも国民を愚昧なものと舐めきった姿勢を曝露したというべきだろう。