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◆特集にあたって
五月二四日「刑事訴訟法等の一部を改正する法律」が成立した。
本特集は、改正法案が捜査権限の拡大強化を狙う治安立法であり、新たな冤罪を生む危険があることを見抜き、廃案をめざして闘った、学者、弁護士、市民の論稿で構成されている。
新屋論文は、総論として、今回の立法過程の「異様さ」を指摘し、今後想定されるさらなる改悪に対抗するための視点を提示する。
小池論文は、日弁連が法案を推進する根拠とした「取調べの可視化」は、改正法では捜査官の恣意を許す「部分録画」制度に過ぎず、かえって冤罪を生む危険が高いことを指摘し、こうした法改正を許した日弁連の誤りと今後の具体的課題を提起する。
葛野論文は、証人の協力確保のためとされる弁護人に対する証人等の氏名・住居の不開示などの措置が、特に司法取引と併用された場合の冤罪の危険を指摘し、限定的運用が必須であるとする。
今村論文は、司法取引がいかに多くの冤罪を生んできたかの類型ごとの実例とアメリカでの誤判原因の研究を紹介し、今回、冤罪防止策も置かずに法制化したことの際立った危険性を明らかにする。
三島論文は、今回大幅に拡大された盗聴法について、政府答弁を紹介して政府に盗聴の恣意的運用防止の姿勢が欠落していることを明らかにし、情報開示による運用実態の顕在化が必須さとする。
村井論文は、反対運動の先頭に立ち、日弁連の姿勢を厳しく批判してきた刑訴法学者が、改正法成立と参議院選挙の結果を受け、一人でも多くの人に語りかけ、歩み続けようと呼びかける。
海渡論文は、長年日弁連で刑事司法改革に取り組み、事務総長も務めた立場から、日弁連は相互討論の回復により、改正法に反対しなかった誤りを公式に認め、真の改革課題を確認すべきだと述べる。 米倉論文は、昨年の国会閉会後の反対運動の記録である。特に、法律家五団体や、これに市民・研究者も加わった八団体の共同行動、最後まで日弁連を変えようと努力した運動を記録にとどめた。
「闘いを振り返って」では、反対運動に携わった、桜井(布川事件冤罪被害者)、今井(冤罪問題ジャーナリスト)、新倉(学者・国法協)、弓仲(弁護士)、山本・仁比(いずれも採決で反対した参議院議員)の率直な思いが述べられている。
今月の「司法をめぐる動き」は本特集の資料集とし、日弁連が法案を推進する中で法案に反対する声明等を発した二四単位弁護士会の一覧表と、「訴え」を発した二〇の元会長の一覧表、法案成立に抗議する八団体の抗議声明を収録した。
ほとんどの論稿が、日弁連が法案を推進したことを批判している。刑事弁護を担う弁護士全員が加入し、一七年前には盗聴法に猛反対した日弁連が賛成した事実は極めて重く、検証が必要であろう。
■本原稿を書いているのは天下分け目の参院選挙のさなかである。発表される時はすでに選挙の結果が確定していることになり、正直非常に書きにくい。マスコミの報道では最大の争点は、自、公、おおさか維新などの改憲勢力が3分の2を占めるか否かであり、序盤調査の予測では3分の2に迫る勢いとある。勿論3分の2の突破を許してはならないし、そのために全力を尽くす必要がある。本稿も少しでも憲法勢力の伸長に役立つことを書くべきところであるが、めったにない全国誌出版物の巻頭部分に執筆の機会を与えられたので、期待にそぐわないかも知れないが「進歩とは何か」それは筆者の長年生活し、活動してきた四国の徳島の地から視るとどうかを考えてみたい。
さて戦後70年改憲勢力がすでに衆議院の3分の2を突破し、いよいよ参議院でもこれをうかがうという。私が弁護士活動を開始した50年近く前、憲法改正だけは、3分の1以上の勢力があるからないし、それが崩れるということは考えられないとの共通認識があったと記憶している。そうすると現在の事態は憲法改正面からいう限り、「退歩」以外の何物でもない。今から20年前、徳島では戦後50年平和ミュージアムを成功させた。相当広範な層を結集し、5000人の参加者を得た。しかしその頃ある親しい弁護士から、この50年少しも変わらんという言葉を受けた。勿論この間いかに努力し、その結果、いかに今の日本があるか、るゝ述べたのであるが、心にひっかかる言葉ではあった。
■私は大阪で2年間弁護士として活動し、昭和45年に郷里徳島で開業した。保守的で、革新不毛の地といわれていた土地柄で、弁護士会においてもその傾向を如実に反映していた。そこで私が決意したのは、共同と連帯を広げていこうということであった。しかし当初こそ、宮本康昭裁判官問題が勃発し司法の独立をまもる県民会議なるものをつくり、社会、共産、県評の部分的であるが共斗体制を結成するのに成功したが、他の分野に及ぶに至らなかった。とにかく相互の不信感は想像以上に根強く、弱小勢力なのに1つになって斗うという思想はなかった(口では統一と団結と言うが、現実化はしなかった)。
この状況を根本的にかえたのは、実は自民党の改憲策動である。憲法改正、自主憲法制定は自民党の長年のお題目ではあったが、いますぐ実現するとは自身も考えていなかった。ところが安倍首相は改憲を本気にやろうとし出した。しかも小選挙区制によってすっかり党内野党は消滅してしまい、異論は存在しなくなった。はびこるのは、砂川事件判決で集団的自衛権行使が認められているというような無理なこじつけで安倍首相にこびて自らの地位を維持しようというような人達である。
■しかしここでいままで比較的先頭に立つことのなかった著名な良識派の9氏が9条の会を敢然と呼びかけたところ、大きな共感を呼び、全国に広がっていった。我が徳島でも県9条の会が成立した。この9条の会で、政治的会派を超えて一緒に連帯して共同する意義を自然に体得し、根拠の無い相互不信が消えていった。この意味は大きかったと思う。徳島弁護士のなかでも弁護士9条の会が結成され、賛同者が次々と生まれ、今や全会員の45%が参加している。
最初、徳島弁護士会に入会した時は「山宣ひとり孤塁を守る」的心境なきにしもあらずであったが、そのような垣根は今は完全にない。
そして昨年は弁護士9条の会会員の弁護士会会長のもと、弁護士会として2回にわたる街頭デモを行い、他に街宣活動や、講演会等を多数行った。
■そして今般の参院選挙では、全国32の定数1の選挙区で先陣を切って徳島・高知の合区から大西聡弁護士が無所属で立候補するに至った。同氏は私とともに徳島弁護士9条の会の代表世話人で、会の設立から力を合わせて苦労した仲間でもある。
徳島・高知の地で統一して斗う体制がいち早く進むことが出来たのは、これまでの9条の会でつちかわれた共同と連帯意識が大きく働いていることは明らかであった。どんどん強行されてきた憲法破壊、そしていまや明文改憲の危機が迫るこの局面において、出現した共同と連帯の力。一昔前の常識から言うと信じられないほどである。ここに日本の未来はあると確信出来る。歴史は間違いなく「進歩」しつつある。
(はやし のぶひで)
©日本民主法律家協会