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第2陣訴訟口頭弁論06.12.22(その1)

 12月22日、東京地裁で第2次訴訟以降(原告1052名)の訴訟の口頭弁論が開かれました。

 原告側より、まず、斉藤豊弁護士が、12月1日神戸地裁が下した原告勝訴判決の法律上の意義と本件訴訟との関係について意見陳述を行いました。
http://www.jdla.jp/cgi-bin04/column/zan/upfile/214.pdf

 続いて、小野寺利孝弁護士が以下のとおり、意見陳述を行いました。

1.神戸地裁12.1判決の受けとめ
 裁判官の皆様は、神戸地裁12.1判決をどのように受けとめられたでしょうか。
 私は、先ず、この間の諸々の活動をとおして知った「孤児たち」の、そして「世論」と「政治」が「神戸地裁判決」をどのように受けとめたかについてご紹介したいと思います。
⑴ 孤児たちの受けとめ
@ 大阪地裁大鷹判決の克服という全国の孤児の期待を一身に背負って判決に臨んだ神戸訴訟原告団長初田三雄さん(12月4日PM4:10〜厚労省記者クラブでの発言、甲総158の7でその生活ぶりが詳しく紹介されている。)
「その判決を聞いた後に暖かい血液が全身を流れたという思いでした。そのとき初めて、国民や政府が、私たち孤児を日本人としてやっと受け入れてくれたと思いました。」
A 昨年7月不当な大鷹判決以来、勝訴判決めざし必死になって闘い続けてきた大阪訴訟原告団長松田利雄さん(12月7日大阪高裁更新弁論での意見陳述)
「神戸地裁で、私たち孤児は、初めて光を見ました。この判決は、孤児たちを初めて「日本人」として認めてくれたのです。」
B 全国で最初に裁判闘争に立ち上がった東京訴訟原告団代表であり、全国原告団連絡会議の代表でもある池田澄江さん(12.1司法記者クラブ、12.4厚労省記者クラブでの発言)
「とてもうれしい判決。日本人に生まれて良かった。祖国に帰ってきて良かったと言える。」
「この判決は、61年も凍った心を溶かしてくれたようです。未来を生きていく光も見せてくれました。この判決は、私たち孤児の大きな精神的支えです。」
 以上紹介した3人は、いずれも全国訴訟原告団の中心的な存在です。その受けとめ方は、全国の孤児原告の共通のおもいを表しています。
私たちは、「初めて日本人として認められた」「日本人としてやっと受け入れてくれた」「凍った心を溶かしてくれた」という喜びに共感しつつも、帰国した孤児たちが、今日の今日まで、「普通の日本人として生きることが出来ない」という極限状態に追い込まれ、苦悩してきた厳しい現実を改めて痛感させられた次第です。
⑵ 世論の受けとめ
 神戸地裁12.1判決は、1地裁の判決としては極めて異例とも言えるほど大きく報道されました。
中央各紙の夕刊トップ記事をはじめ全国各地方紙も、「中国残留孤児、国に責任−帰国遅らせ、支援怠る」と大きく報道しました。これらの報道は、判決骨子・要旨を掲載し、国が主張する戦争損害論を否定したことも含めてその内容を判りやすく解説しています。NHKはじめ民放各局も全国的にこの判決をトップニュースとして報道をしています。
 その後も、朝日・毎日や東京はじめ全国各地方紙など17紙が、社説を掲げました(甲総157の1〜17)。これらの社説は、判決が国の無慈悲な政策で「孤児」に過酷な犠牲を強いたことについての法的責任を厳しく認定したことを評価し、さらには、あえて「生活保護とは別の給付金の制度が必要」と指摘した点をも積極的に受けとめ、その多くが、国に対し人間の尊厳を回復するにふさわしい新たな支援策の確立を求めています。
(注)なお、この判決報道は、中国・台湾・マレーシアのアジア各紙が報じただけでなく、ロイター・AP・BBCなど海外のメディアが判決を取り上げています。この判決が認定した北東アジアに対する植民地支配という負の遺産について、自国民に対する戦後責任さえ克服できていない今日の日本という国の在り様に改めて厳しい視線が注がれたのです。
 これら一連の報道の力もあいまって、神戸地裁判決を機に「国の無慈悲な政策」が中国残留孤児たちの人らしく生きる権利を今日なお奪い続けているという国民的な認識が一気に拡大しました。私たちは、この間の活動をとおして、かかる悲劇の一日も早い克服を求める世論が大きく形成されてきたのを肌で感じています。
⑶ 政治の受けとめ
 神戸地裁判決は、政治との関係でも私たちの想定していた以上の威力を発揮しました。
@ 12月1日夜、安倍首相は、記者から判決をどう受けとめたか問われて、「残留孤児の皆さんは、高齢化が進み、長い大変な苦労があった。国としても、きめ細かな支援を行わないといけない。」と述べ、支援策の検討を表明しました。
(注)首相は、12月4日参議院決算委員会で山本孝史議員の質問を受け、同趣旨の答弁をしています。
1地裁の1事件の判決直後に、首相が判決をどう受けとめたかについて発言すること自体、他に例をみない極めて異例な出来事です。
 しかし、厚労省は、この首相談話の直後から、従来の政策の枠組みの中での「きめ細かな支援」を模索し、政治的に決着つけることを探りはじめました。柳沢厚労大臣は、当初は、「総理発言の線に従って具体的な対応策を考えていかねばならない。」とあたかも首相談話に呼応した新しい施策をとるかのような姿勢を示した(12月5日参議院厚生労働委員会福島みずほ議員の質問に答えて)が、その後に、「従来よりもさらに実情に配慮した支援策を実現していきたいということで、現在財務当局と折衝している。」(12月12日参議院厚生労働委員会辻泰弘議員の質問に答えて)と首相発言を従来の施策を単に拡充するという方向に歪曲しました。
最終的には、神戸地裁判決を不服として12月11日大阪高裁へ控訴するとともに、厚労省は、「孤児たちが求めている新たな給付金の創設については考えていない。」(12月12日厚労大臣記者会見)と孤児や世論の要求を拒絶する姿勢を鮮明にしたのです。
A 他方で、このような厚労省・政府の姿勢を批判する国会議員たちの神戸地裁判決後の動向は、極めて注目に値します。
 全国の孤児原告団と弁護団は、神戸地裁判決を契機として孤児への新たな支援政策を政治の責任で確立するよう要請してきました。神戸地裁判決が国会議員たちに対して放った威力もまた実に大きく、野党各党だけでなく、与党の中からも厚労省の過去の政策に固執してその誤りを認めないことへの批判の声が上がり、孤児たちの「全面解決要求」への理解と支持が急速に拡がっていきました。
その中でも、注目されるのは、去年7月大阪地裁大鷹判決を契機に結成された自民党と公明党による中国残留孤児プロジェクトチーム(PT)の活動です。
(注)与党PT座長野田毅(自民、元自治相・建設相等)、副座長漆原良夫(公明、国対委員長)
この与党PTは、神戸地裁判決を正面から受けとめたうえで、12月13日官邸に対し次の2点の実行を申し入れています。
1.自立支援法を改正し、生活保護制度によらない、孤児を対象とした新たな給付金制度を創設すること
2.残留孤児問題の全面解決要求をするために、政府は、原告と継続的に協議する場を設定すること
与党PTは、この2点についての首相の決断を促すために必要な努力をこれからも尽くすことを孤児たちに約束しています。
(注)野党は、社民党(12月12日)、共産党(12月18日)が孤児原告団と弁護団からヒアリングを行い、民主党は来年1月中旬ヒアリングを予定しています。各党とも私たちが政府に提出している「中国残留孤児問題の全面解決」要求を支持し、その実現のために活動することを表明しています。
B かくして、神戸地裁判決は、政治の世界でも中国残留孤児問題を重要な政治課題に一気に浮上させただけでなく、厚労省の無慈悲な姿勢を批判する世論と相まって今日なお官邸と厚労省の間で、さらに政府と国会議員・政党との間で、「どのように政治的解決をするか」をめぐって検討することを今日もなお迫り続けているのです。

2.神戸地裁判決を受けとめた「孤児」たちの活動
 中国残留孤児訴訟は、現在、14地裁と大阪高裁2件、合計2201名の孤児原告によって闘われています。この原告たちは、全国原告団連絡会を結成し、「全面解決要求」(別紙のとおり)を全国統一要求として掲げ、その実現をめざして共同行動を続けています。従って、裁判を闘う孤児たちにとっては、裁判での賠償請求の獲得自体が自己目的ではありません。大半の孤児を生活保護に追い込む国の貧困な孤児政策が違法であるという司法判断を獲得することによって、国に「謝罪」させるとともに、何よりも「孤児を対象とした新たな給付金制度の創設」を軸とする新たな支援政策の確立を実現することが目標なのです。
 それだけに、神戸地裁判決は、全国の孤児たちに今日も続く誤った貧困な政策を抜本的に変える威力をもつ強力な武器を与えたことになります。
 事実、神戸訴訟原告団を先頭に全国から結集した「孤児」たちは、「神戸地裁判決」を高く掲げ、12月1日から12月14日まで東京都下を中心に「全面解決要求」の実現を求め、連日実に活発な活動を繰り広げました。
冬に入って一段と冷え込む中、連日早朝から霞ヶ関に結集し、厚労大臣との話し合い解決を求めて厚労省前の歩道に座り込み、あるいは首相官邸前で首相との面談を求める横断幕を手にして立ち続けるアピール行動を行いました。更には、国会議員を訪問しての要請行動・院内集会、そして12月7日孤児600名が参加した力強い国会請願デモ等、国会議員へ働きかけて政治解決めざす活動を次々と行いました。また霞ヶ関はじめマリオン前や浅草・蒲田・池袋、さらには神奈川・千葉・埼玉で街頭に立って市民へのビラによる連日の宣伝活動を繰り広げ、世論をより拡げる活動も続けました。
 この間、全国からこれらの活動に参加した孤児の数は、延べ3038名にのぼりました。7日間に及んだこの街頭宣伝で市民に配布したビラは、日々内容を更新し、実に2万枚にもなりました。これらの「孤児」たちの活動は、私たち弁護団の当初の予想をはるかに大きく超える実に活発なものでした。
 これ以外に、神戸をはじめ全国各地で記者会見・集会・街頭宣伝・地元出身国会議員への要請行動等、東京での統一行動に呼応した多彩な活動が各地裁の孤児原告を中心に「全面解決要求」の実現めざして取り組まれました。
 前述した政治の動向は、神戸地裁判決の威力がもたらしたものであるとともに、実は、このような全国の孤児たちの統一した力強い持続的な活動が突き動かしたものです。
 私たちは、この神戸地裁判決を手にして生き生きと活動する孤児たちを日々間近に見て、「正義を貫いた判決が、いわれなき差別と不合理な縛りに拘束され喘吟してきた人々をその差別と縛りから大きく解き放つ」という人間解放の素晴しい力を発揮するのを再認識させられました。私も、この間の活動をとおして、深い感動を幾度も味わうという得がたい体験を共有してきました。私は、もしも許されるものなら、神戸地裁の裁判官たちに、「この判決の放った社会的・政治的威力の大きさ」とともに、「孤児たち一人ひとりの人間の尊厳を回復させ、社会的差別・縛りから孤児たち全員を一気に解き放つ力」を示したことについて、私は、同じ法曹としての私自身が味わった熱い感動も含めて伝えたいというおもいに駆られた次第です。

3.おわりに−期待される司法の役割
 最後に、神戸地裁12.1判決が切り開いた中国残留孤児問題の全面解決要求実現の可能性とその到達点を踏まえつつ、私たちが、神戸地裁判決後の司法に何が期待されるかについて述べることにします。
 1つは、今後判決する全ての裁判所は、神戸地裁判決の主要な積極面はしっかり継承しより精緻に発展させるとともに、その否定的・消極的面をぜひとも克服するという課題にも挑んでいただきたいことです。
 もう1つは、全国の孤児の統一した活動によって新たに生まれた政治解決の可能性とその到達点を踏まえ、最も適切な時期に、全国の裁判所が統一して、全ての「孤児」原告たちについて公正平等な権利救済を実現するという司法解決をめざす努力を尽くしていただきたいことです。
 この2つの課題は、中国残留孤児訴訟が係属する全ての裁判所に対し期待されるのは言うまでもありません。しかし、本件2次から5次訴訟の原告1052名を担当する当裁判所は、既に結審した1次訴訟原告40名と合わせ全国の過半数の孤児原告の訴訟を担っているのですから、他の裁判所と比べてより重い責任を負っていることは明白です。
 それだけに、仮に来年1月30日までに神戸地裁判決を活かした政治解決が実現しない場合には、本件1次訴訟で正義を貫く判決が出されることによって、孤児たちの人間の尊厳を回復する新たな政策が確立することを私たちが期待するのは言うまでもありません。同時に、本件2次から5次訴訟が、1次訴訟判決を指針として早期に司法判断されることを心から期待します。1052名の「孤児」原告にとって、残された人生は、そう長くはありません。この原告たちの生命あるうちに、心から「日本に帰ってきてよかった」と言える状況を創り出せるのは、今日においては、司法の正義以外ないというのが私たちの確信であるからです。