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文化人アピール

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 12月11日、100万人署名の呼びかけ人は、中国「残留孤児」問題の全面解決を求める緊急アピールを発表し、衛藤瀋吉さん、羽田澄子さん、林郁さん、井出孫六さん、渡辺一枝さんが、東京霞ヶ関の弁護士会館で記者会見を行いました(写真)。

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  緊急アピール

神戸地裁の原告勝訴判決を受け止め
国は中国「残留孤児」問題の全面的解決を

 この12月1日,神戸地方裁判所は,中国「残留孤児」たちが,帰国の著しい遅れと帰国後の自立支援がきわめて不十分であったことについて国の責任を追及した裁判で,画期的な原告勝訴判決を言い渡しました。

私どもは,国がこの判決を重く受け止め,これ以上「孤児」たちと裁判で争うことをやめ,苦難の人生を歩んできた中国「残留孤児」たちが祖国で安心して老後の生活を送ることができるよう国の政策を転換し,この問題の全面的な解決をはかることを,ここに強く求めます。

中国「残留孤児」は,終戦時,幼くして旧「満州」に取り残され,多くは終戦後40年以上もたってから,やっとの思いで祖国日本に帰国した方々です。帰国後の国の自立支援策がきわめて不十分だったことから,日本語も十分に話せず,就職もままならず,日本社会で疎外され孤立させられ,60歳代から70歳代となった現在,老後の生活の不安にさいなまれておられます。
神戸判決は,国が「孤児」たちの帰国を妨げたこと,自立支援の義務を怠ったことを明確に認めました。そして,中国「残留孤児」の被害は「自国民の生命・身体を著しく軽視する国の無慈悲な政策」によるものであり,政府は「無慈悲な政策によってもたらされた自国民の被害を救済すべき高度な政治的責任を負う」とはっきり述べています。また,「孤児」に対する自立支援策が「北朝鮮拉致被害者の支援策よりも貧弱でよいわけがない」,「国会議員は継続的給付金制度の立法を行うことが期待される」とも述べています。
この判決を聞いた原告の方々は,「やっと日本人になれた」,「凍りついた心がとけ始めた」,「これで『残留孤児』から解放される」と涙を流して喜んでおられます。これは,全国15地裁,1高裁で原告となっておられる2201名の「孤児」の方々すべての痛切な思いです。これ以上,「孤児」の方々に苦難の人生を歩ませてはなりません。

私どもは,2002年12月,「孤児」の方々が東京地裁に初めて裁判を起こしたとき,“中国「残留孤児」の人間回復の闘いに支えを”という内閣総理大臣宛の100万人署名のよびかけをいたしました。署名は,今年3月初めに100万筆を達成しました。約3年という短期間でこれだけの署名が寄せられたことは,多くの日本国民が「孤児」の方々の被害を他人事ではないと受け止めていることの表れに他なりません。
旧「満州」からの引揚げ60周年という節目の年にあたる今年,国は「無慈悲な政策」を終わらせ,「孤児」の方々が心から祖国に帰ってきてよかったと思える全面的解決を約束すべきです。それは,「孤児」の方々の人間としての尊厳を回復すると同時に,国策によって再び幼い子どもが棄てられることがあってはならないという,多くの日本国民の願いにつながるものでもあります。
私どもはこのような立場から,国民の皆さんと政府に向けて,緊急のアピールをするものです。

2006年12月11日

石坂啓 井出孫六 井上ひさし 衛藤瀋吉 加藤登紀子 坂本龍彦 佐野洋 ジェームス三木 新藤兼人 曾徳深 ちばてつや 仲代達矢 羽田澄子 林郁 古谷三敏 森村誠一 山崎朋子 山田洋次 渡辺一枝(五十音順)

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12.11「緊急アピール」賛同者(五十音順)

石坂啓(漫画家)
1956年生まれ

井出孫六(作家)
1931年長野県生まれ 
著書に『終わりなき旅 「中国残留孤児」の歴史と現在』など 神戸地裁,長野地裁で証言,12月20日鹿児島地裁で証言予定

井上ひさし(作家・日本ペンクラブ会長)
1934年山形県生まれ 
代表を務める「国民学校1年生の会」が「中国『残留孤児』の人間回復を求める市民連絡会」に参加し,東京地裁提訴時から孤児訴訟に協力。

衛藤瀋吉(東京大学名誉教授)
1923年生まれ
中国を中心とする東アジア政治史の研究

加藤登紀子(歌手)
1943年ハルビン生まれ
終戦時,父はソ連の捕虜になり,母と共に収容所生活を経て引揚げ

坂本龍彦(ジャーナリスト)
1933年山梨県生まれ
開拓団出身 ハルビンで敗戦を迎え1946年引揚げ 1973年8月,朝日新聞時代,国の公開調査に先駆けて孤児の肉親探しの情報を公開する「生き別れた者の記録」を企画 著書の『孫に語り伝える「満州」』は各地裁訴訟の甲第1号証となる 名古屋地裁で証言

佐野洋(作家)
1928年東京生まれ

ジェームス三木(脚本家)
1935年瀋陽生まれ
2003年7月市民連絡会主催の集会で講演

新藤兼人(映画監督)
1912年広島生まれ

曾徳深(日本華僑華人連合総会会長)
1940年横浜中華街生まれ 

ちばてつや(漫画家)
1939年東京都生まれ 
1941年朝鮮半島をへて瀋陽に渡る1946年引揚げ 中国「残留孤児」に心を寄せ,浅草寺の母子地蔵,瀋陽の養父母感謝像などのデザインを担当 1995年「中国引揚げ漫画家の会」 パンフレット表紙のイラストを提供

仲代達矢(俳優)
1932年東京都生まれ
1995年NHKドラマ「大地の子」で主人公の中国「残留孤児」陸一心の実父役を演じる

羽田澄子(記録映画作家)
1926年大連生まれ

林郁(作家)
1936年長野県生まれ 
1976年長野県開拓団出身の「残留婦人」と出会い,『満州・その幻の国ゆえに』など「満州3部作」執筆 「植民地文化研究」編集委員 2003年7月市民連絡会主催の集会で講演 東京訴訟を欠かさず傍聴。

古谷三敏(漫画家)
1936年大連生まれ 
「中国引揚げ漫画家の会」会員

森村誠一(作家)
1933年埼玉県生まれ

山崎朋子(ノンフィクション作家)
1932年長崎県生まれ
2003年7月市民連絡会主催の集会で講演

山田洋次(映画監督) 
1936年大阪府生まれ
2歳で大連に渡り1947年引揚げ

渡辺一枝(作家) 
1945年ハルビン生まれ 
父は現地で召集され消息不明 1946年引揚げ 2003年7月市民連絡会主催の集会で講演 東京訴訟を欠かさず傍聴

「誰にも言えない中国残留孤児の心のうち」

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草思社より、『誰にも言えない中国残留孤児の心のうち』(埜口阿文・著)が発売されました。
http://www.soshisha.com/book_search/detail/1_4794214367.html

中国残留日本人孤児たちは、波瀾の戦後をどのように生きたのか。
そして日本に定住したいま、何を思うのか。
敗戦の日を満州で迎え、中共八路軍の政府機関に採用され、以来三十五年間を大陸で過ごした著者が、三人の帰国・定住者にその半生と心境を聞く。
残留体験者でなければ描けなかった孤児たちの真実の物語。

プロローグ 遠い記憶のなかの吉林の姉弟(「通化事件」の犠牲となった父と母;唯一の証は羽二重のベビー服 ほか)
第1章 義父母(長春の重点大学に入った賢い子;出稼ぎたちの景気のいい話 ほか)
第2章 牧童(梅河口;一時帰国 ほか)
第3章 下放青年(長春;誤算 ほか)

埜口阿文(のぐち・おふみ)氏
1926年佐賀県生まれ。44年、満州電気化学にタイピストとして就職するために渡満。45年5月に家族が佐賀村開拓団に入植。敗戦後、一家で朝陽鎮の日本人難民収容所に送られる。同年11月、中共八路軍の輝南県衛戍司令部に採用。中国にとどまり、国共内戦中は中共の省機関と行をともにする。49年、東北人民政府民政部に配属。52年から3年間、東北人民大学(現吉林大学)付属工農中学で学ぶ。55年、工農中学の同級生と結婚。64年、新設された大連日本語学校(現大連日本語学院)の講師となる。文革中の68年、日本人であることから家宅捜索を受ける。69年から4年間にわたり、明陽人民公社で下放。日中国交成立後、73年に一時帰国。80年、夫と2人の子供とともに日本へ引揚げる。93年〜94年、長春大学外国語学院で日本語を教える。著書に、このときの1年間の日記をまとめた『長春大学教師日記』(小社刊)がある。

100万署名推進ニュース(NO.3)

中国「残留孤児」国家賠償訴訟勝利
100万署名推進ニュース(関東版)
NO3 2004年9月


訴訟勝利・国の政策転換求め
10月4日に全国統一行動

 中国「残留孤児」原告団・弁護団・市民連絡会は、裁判勝利と日本政府の「孤児政策」転換を求めて、10月4日(月)に「全国一斉行動」を設定、終日多面的な諸行動を展開します。

 ☆裁判勝利へ第一の山場
 この日の「全国統一行動」を決めたのは、東京地裁(関東地区)の裁判が、9月22日の法廷で国の責任立証を終了し、10月27日からの法廷で原告の損害立証が開始されることから、この時期の運動の第一の山場として世論に大きくアピールするためです。これを関東だけの行動に留めず、訴訟を起こしている全国全ての地域を含む行動として位置付けています。

 ☆政府への要請行動を軸に多面的な行動を設定
 この日は、東京地裁に関東の原告120人が第4次追加提訴(関東の原告数は約1000人に)を行うのを皮切りに、厚生労働省交渉、国会要請デモ、内閣総理大臣面会要求、各政党と70人にのぼる厚労委員への要請、報告決起集会などを終日にわたって展開します。

 ☆100万人署名・第一次分を提出!
 さらにこの日の大きな行動の一つとして、「100万人署名」第一次分を日本政府に提出します。
署名は8月現在、約38万筆寄せられています。市民連絡会は、全国各地の署名を含め、50万筆を提出したいと9月を「署名推進強化の月」として総力をあげることにしています。

 ◇お願いした「署名簿」を埋め尽くして50万達成にご協力下さい。
 ◇提出準備作業上、署名簿は出来る限り9月25日必着でご送付ください。



10月4日の「報告勝利集会」に支援組織あげてのご参加を!!
 
 全国統一行動を締めくくる「報告勝利集会」が10月4日(月)夜開催されます。会場の日比谷公会堂は1500人収容です。原告団、支援団体、弁護団など関係者は総力をあげて参加者を確保し、裁判所と国の政策転換を求める闘いの活路を大きく開きましょう。

 東京中国歌舞団が友情出演!
「報告決起集会」には「東京中国歌舞団」が友情出演し、原告を激励し集会を盛り上げてくれます。東京中国歌舞団は、20年のキャリアを持つプロの歌舞団。中国音楽界の第一線で活躍していた演奏家・歌手・舞踏家などで構成。日本各地で公演する傍ら「中国養父母に感謝する」運動を提唱。下町人間の会などと協力して、「養父母を訪ねる中国ツアーを度々行っています。
 劉錦程団長は「残留孤児の方々のご苦労は良く理解しています。長い間中国で暮らし、日本人ですが中国への郷愁もあると思います。当日は懐かしい中国の唄や最近の中国のヒット曲などを紹介し原告の方々を励ましたいと思います。最後にみんなで“ふるさと”を合唱するのもいいです」と出演料を度外視して協力を約束してくれました。歌手の陽二連(ヤンアーレン)さんは、アニメーション・「ライアンツリーの唄」で見事な歌唱力を見せてくれました。

  中国残留孤児訴訟「報告決起集会」

   ◇ 日 時 10月4日(月)
     PM6,00会場 PM6,30開会

   ◇ 場 所 日比谷公会堂
    ○ 参加費 1000円(原告無料)
    ○ 原告の訴え・激励連帯挨拶
      裁判の現状と展望

     友情出演 東京中国歌舞団

   主催 中国残留孤児訴訟
      原告団 弁護団 市民連絡会

 署名ホットニュース
 ☆原告団街頭署名で奮闘!
 東京・神奈川・埼玉・千葉の原告は、日本中国友好協会、日中友好雄鷹会などの支援を得て、毎週街頭駅頭で署名を展開、これまでに総計10万筆を集めました。9月も「署名の稼ぎ時」と意気込んでいます。
 ☆日本母親大会で4000筆
 8月22日有明コロシアムで開かれた第50回日本母親大会で署名行動、原告と支援団体・弁護団など72人が参加、約一時間で4000余の署名を集めました。参加者12000人の3分の1の協力を得ました。
 ☆虹の会が13000余
 支援組織の日中友好虹の会(香山磐根代表)は、大連会など中国引き揚げの会や、税理士関係、ライオンズクラブなど幅広い分野の協力を得て、13000余の署名を集約、さらに広げています。
 ☆500団体に要請訪問
 日本中国友好協会本部と東京都連と日中友好雄鷹会は千代田・新宿・練馬・杉並・板橋・江戸川・足立・北・墨田・葛飾区などの500の民主団体・労働組合を訪問。署名協力を要請しました。各団体から連日のように署名簿が返送されています。

 ※お願い 「署名ニュース3号」をプリントして多くの方にお渡しください。

100万署名推進ニュース(NO.2)

20.pdf(288,132 byte)

中国「残留孤児」国家賠償訴訟勝利
100万署名推進ニュース(関東版)
NO 2 2004年6月


中国「残留孤児」国家賠償訴訟100万人署名
33万人超す、さらに拍車をかけて!

中国「残留孤児」訴訟勝利への国民世論を高め、日本政府の孤児政策転換を求めて展開されている「100万人署名」は、5月末で33万3139筆(内関東地区30万4287筆)に達しました。そのうち「市民連絡会」に寄せられたものが19万6036筆、原告が集めたものが10万8251筆(東京4万5973・神奈川3万1054・さいたま1万5318・千葉1万5906)、全国各地の訴訟関係で集めたもの2万8852筆(札幌1万6200・京都7600・岡山5052)となり第一段階の山である30万筆をクリアしました。「市民連絡会」は、さらに拍車をかけた取り組みを強化し、裁判が大きな山場を迎える10月までに60万に到達させ、年内の100万人突破をめざしています。 

 駅頭・街頭で頑張る原告団!
関東地域(東京・神奈川・千葉・さいたま等)の原告団は、“02年12月の提訴以来平均月2回のペースで主要駅頭や街頭、繁華街で署名活動を続けています。その総計は上記のように10万人を超えました。この行動には、支援組織の日本中国友好協会・日中友好雄鷹会、国民学校1年生の会等からも、毎回多数駆けつけています。メデーでは、東京・千葉・山梨などの会場で200人を超す原告と支援者が署名を展開し1万2500人を集めました。街頭署名は、平均2時間で1000人近い署名が集り、関心の高さが示されています。原告団と支援組織は、今後も粘り強くこの活動を続けます。

◇市民連絡会250超す団体に要請訪問
市民連絡会に参加している、日中友好協会・日中友好雄鷹会・国民学校1年生の会などの支援組織は、原告、弁護団とともに中央・都段階の労働組合、民主団体や千代田区・豊島区・足立区・江東区・杉並区・板橋区・小金井市などの区市段階の労組・民主団体を要請訪問を続けてます。その数は5月末段階で250以上にのぼりました。これに応えて全農林労働組合の4万人をはじめ多くの団体が協力、また大連会など「旧満州」引き揚げ者の会や税理士会、ライオンズクラブなど多方面の協力が広がっています。また日中友好協会など全国に組織を持つ団体の取り組みも次第にテンポをあげ、これらの総計が約20万人に達しています。6月からは、日中友好協会都連が新宿・足立・北・江戸川・中野などの都内各市区を、日中友好雄鷹会が足立・葛飾・江東の各区の諸団体を訪問し、さらに協力の輪を広げます。街頭署名とともに、団体の協力による署名の推進こそ「100万人署名」達成のカギを握っています。
◇「平和・人権・環境フォーラム」なども訪問
また佃俊彦弁護士(市民連絡会事務局長)や永村誠朗氏(元東京地評)らは、「平和・人権・環境フォーラム」本部や傘下の自治労・日教組・水道労組などを訪問し「協力しましょう」との快諾を得ています。連絡会事務所には、各地の自治労などの署名が次々と届き始めています。
◇訴訟参加の原告1700人を超える◇
関東を皮切りに始まった「訴訟」は、次々と各地に広がりその数は1707人(5月末現在)にのぼりました。原告は、関東950、北海道85、長野67、愛知173、京都90、大阪140、兵庫57、岡山16、広島59、徳島4、高知45、鹿児島21の11ケ所に広がり総数は1707人です。今後東北、福岡、香川、沖縄などでも準備されています。「残留孤児」は、約2400人といわれており、訴訟に参加した原告は70%以上になりました。

◆署名をお願いした団体の皆さんへ!◆
◎100万人達成へ、用紙を増刷いただき、引き続き署名にご協力ください。また、募金にもご協力をお願いします。
◎署名、第2次集約は9月末にしています。ご送付は、市民連絡会事務局へ。(第1次集約署名は参議院選挙後に提出の予定です)

裁判の現状と展望
裁判、大きな山場を迎える!!
3月10日と4月28日には、@孤児の帰国を遅らせたこととA帰国後自立支援を怠ったという、国の責任に関する原告側立証として菅原幸助氏と庵谷磐氏の証人尋問を行ないました。お二人とも元孤児全協の理事長を務めた方です。
菅原氏は、戦前憲兵として関東軍関係者を先に引き揚げさせたという自らの経験も踏まえて、戦時死亡宣告制度を立法して帰国を遅らせたこと、帰国後も日本語だけでなく、仕事や住居などあらゆる面で支援策がなかったことを迫力をもって証言しました。庵谷氏はインドシナ難民との比較で残留孤児に対する政策がおざなりであったことを証言しました。
7月7日と9月22日は国側の反証として元孤児対策室長ら2人の尋問になります。裁判は責任立証の大きなヤマ場になります。(佃)  

(お知らせとお願い)
「ニュース2号」を発行しました。お手数ながら、増刷して多くの方にお渡しください。ご意見やご質問は「市民連絡会」事務局まで。(お)