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法の下克上

夜、「(「日の丸・君が代」強制不服従)被処分者の会」の集会。東京都人事委員会での審査請求事件の進行や、服務事故再発防止研修執行停止についての打ち合わせ。

「日の丸・君が代」強制を拒否して、卒業式などで国歌斉唱時に不起立を貫いた東京の教員306名が懲戒処分(戒告・減給・停職)となっている。強制を拒否した教員は、穏やかに40秒間着席していただけ。自らの思想や教員としての良心に従った行動をしたことを理由とする懲戒である。思想・良心が、罰せられたのだ。

その処分理由は「職務命令違反」、職務命令の根拠は「学習指導要領」とされている。しかし、憲法には思想良心の自由(19条)・表現の自由(20条)が明記されている。学習指導要領を根拠とした処分有効の主張と、憲法を根拠とした処分無効の主張とが対立している。

都教委の言い分は、「職務命令違反だから処分は当然」、「学習指導要領に基づく職務命令だから適法」。小泉流のワンフレーズ。このほかにはなんの理屈もない。へりくつすらないのだ。

都の教育委員諸氏の頭の中には、憲法も教育基本法もない。あるのは、ただただ学習指導要領と職務命令のみ。そして、「日本の学校では、誰もが日の丸・君が代に敬意を表すべきは当然」という右翼的信仰。それ以外は、みごとなまでに空っぽ。

人間に上下の別はないが、法には厳然たるヒエラルヒーがある。上位の法形式が下位の法に法としての効力を授ける。下位法は、上位法に拠って存在し、その内容において上位法に反することはできない。これで、法の秩序が保たれる。

もちろん、最上位の法形式が「憲法」。次いで、準憲法と認められている「教育基本法」。その下に「学校教育法」(法律)があり、さらにその下に「学校教育法施行規則」(文部省令)があって、その省令に基づく「文部省告示」が「学習指導要領」なのである。

都教委の考えは、明らかに法の下克上なのだ。おそるべき過激思想。秩序破壊。革命的な無法。不逞な謀反と言うほかはない。

憲法上の自由の侵害というだけではない。多くの教員が、教育という営為の本質から、生徒・子どもに一方的な意見の押しつけをすべきではないと考えている。とりわけ、一方的な国家主義のイデオロギーを学校現場に持ち込んではならない。生徒に対する一方的な国家意思の強制に対しては、教員は抗命の義務すらある。

「日の丸・君が代」の強制と、不服従者に対する処分は、思想良心そのもの弾圧であり違憲違法である。学習指導要領ごときによって、正当化されることはない。

集会の終わりに、会場からの声。
「お知らせします。いま、江戸東京博物館で江戸時代の踏絵の本物を5点展示しています。貴重な機会ですから、是非ご覧ください」

「日の丸・君が代」の強制は、現代の踏絵だ。思想をあぶり出して弾圧する。それが400年の昔のことではない。21世紀の教育の場で行われているのだ。時代の危うさを感じざるを得ない。