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2004年11月01日(月)
ブッシュの戦争政策は支持されるのか    

月が変わった。はや、11月である。台風があり、地震があり、イラクで日本人の人質が殺害された10月が去った。本「日記」もページが変わる。数えてみれば、毎日更新で日記を書き始めてから1年半が過ぎた。日数にしてほぼ550日。この間一日の休載もない。そろそろくたびれても来ているが、もうしばらく書き続けなくてはならない。

それにしても、何と落ち着かないこのごろだろう。米大統領選が間近で、自衛隊のイラク派遣の期限切れも、新防衛大綱の発表も迫っている。今国会では、司法改革つみのこし3法案がかかっている。弁護士報酬の敗訴者負担と、司法修習生への給料廃止、ADR法案。そして、問題の共謀罪。少し長いスパンでは、改憲プログラムが進行中だ。こんな時期に、日民協の総会が開かれる。11月7日(日)午前、併せて午後には司研集会も行われる。

さて、アメリカの大統領選である。選挙制度の欠陥が露呈しているのに、直そうとしない。奇妙な制度の運用はさらに奇妙である。前回の選挙はフロリダで勝負が付いたが、日本では考えられない野蛮な選挙管理だった。民主主義後進国アメリカの現実。今回は公正な選挙が行われるのだろうか。

この選挙、ブッシュの戦争政策に対する信任の可否を問うものである。世界が固唾をのんで、注目している。もう一つの、私的な注目は無所属候補・ラルフネーダー票の出方である。
共和党が勝っても民主党が勝っても、その政策に大差はない。いずれも、産軍複合体の利益代表者である。二極に分化した米社会における下層の利益の政治的代表者は、保守二大政党制下、連邦議会に存在しないのだ。

「消費者運動の旗手」は、十分に反体制たり得る。惜しみない声援を送りたい。ところが今問題なのは、共和党か民主党かの選択ではない。無法な戦争を始めた凶暴なブッシュを現職に据え置くか、引きずり降ろすかの選挙なのだ。今の選挙制度では、ネーダーの得票増は、ケリーの足を引っ張り、ブッシュに利することとなる。多くの心ある人が、ネーダーを支持しつつもケリーに投票するだろう。

しかし、なおネーダーへの投票者がどのくらいでるだろう。結果的にブッシュを利すると意識しつつも、ケリーへの投票を肯んじない人。頑固な「反体制派」がどれほどになるのか、ここにも注目したい。保守二大政党制打破を目指す運動への参考として。


2004年11月02日(火)
ウルグアイ大統領選での左翼勝利  

本日の「赤旗」トップ記事は、南米ウルグアイの政変。10月31日の大統領選挙の結果、貧困層支援や国民本位の変革を掲げる左翼のタバレ・バスケス候補が過半数を獲得し当選を決めたという。人口360万という小さな国の大きなニュース。現地特派員の報告である。

同候補の支持母体は、社会党、共産党を含む20以上の左翼・中道勢力を結集した「進歩会議・拡大戦線・新多数派」(通称「拡大戦線」)。これが、「1825年の独立以来、…約170年にわたったコロラド党・国民党という親米保守の伝統的二大政党による政権の独占に終止符」を打った。数枚の写真が、首都モンテビデオ市内で大いに湧いている人々の雰囲気を伝えている。

南米ではベネズエラ、ブラジル、アルゼンチンなど各国で、米国からの自立を掲げる左翼政権が相次いで誕生している。かつての米州機構の締め付けが信じられないほどの勢い。
 
「選挙結果は、ラテンアメリカに拡がる新自由主義批判、米国の横暴を拒否する流れの一環」であり、「米国からの自立と国民本位の政治を目指す南米の政治変革の強い流れ」を示しているとの同紙の解説。

アメリカの横暴に、「同時多発テロ」で報復するやり方もあれば、粘り強く政治的な多数派形成に向けての努力という流儀もある。なるほど。「20以上の左翼・中道勢力を結集し」「国民本位・アメリカからの自立の共通目標」で、「保守二大政党を打破」とは、興味をそそられる話題だ。

とはいうものの、この「拡大戦線」は、既に首都モンテビデオ特別県では1990年以来選挙に勝っていたのだそうだ。その実績の積み重ねに対しての国民的評価という面もある。日本では…、東京では…。まだ国政変革の道のりは遠いか。


2004年11月03日(水)
憲法公布の記念日に  

小春日和の文化の日である。58年前の今日、日本国憲法が公布されたことを記念した日。明治節を選んでの憲法公布ではあったが、「文化の日」のネーミングは決して悪くない。憲法の誕生日として記念を続けるか、明治天皇(睦仁)の誕生日と記憶するかは、国民の意識次第。

その憲法が今危うい。2000年1月に発足の両院憲法調査会が、当初の約束と違って改憲指向の最終報告書をまとめることとなりそう。その発表の日として、2005年5月3日が目論まれている。とんでもない憲法記念日となりそうなのだ。
そのとき既に、憲法改正手続きを具体化する国民投票法案が上程されている可能性が高い。さらに、両院が発議する憲法改正案作成を任務とした各院の憲法委員会設置法案もかかっているかもしれない。改憲手続の整備という形で外堀が埋められていく。

自民党がたくらむ本丸攻めは、2005年11月から。この時期、結党50年を迎える自民党は、半世紀の悲願であった憲法改正草案を発表する。民主党も、これに続く。そして、自・民両党による摺り合わせが進行する…。国会内では、両党合計の議席は圧倒的である。こうして改憲発議を経ての国民投票というシナリオには侮りがたいリアリティが感じられる。

もちろん、そうとばかりは行くまい。いま、改憲を歓迎するムードが盛りあがっているだろうか。イラク派兵を歓迎する世論は少数である。12月14日の期限が切れれば撤収すべきとするのが世論調査の多数派。改憲をきっかけとして海外派兵を日常化することに民意が積極的だとは到底思えない。アメリカへの追随をやむを得ないとする人々も、アメリカの怖さには警戒心がある。世論は、積極的に改憲してまで集団的自衛権を行使せよとは言わない。

昨日の「朝日」の憲法問題特集報道では、民主党は方針を転換して、改憲よりも政権奪取を優先課題としたという。このことによって、憲法改正への具体的な動きは次の総選挙(07年)以後、と報じている。民主党だけではなく、公明党も改憲には慎重、そして小泉首相も自民改憲派を後押しする様子はない、というのが朝日の見方である。本当かしら…。

いずれにせよ、各党とも世論の動向、民心の所在に注目している。国民投票での手痛い敗北あれば、それこそ政権交代に結びつきかねない重大事態。民・公の、改憲への積極性の希薄化はそれなりの国民の意識動向の反映であろう。この憲法を守りきることによって、「民衆が勝ち取った憲法」とすることができる。そのときには、もう「与えられた憲法」「押しつけられた憲法」とは言わせない。


2004年11月04日(木)
アメリカは再び凶悪な指導者を選んだ    

イライラの11月3日が明けて、落胆の4日となった。私の精神は強くない。がっかりが全身に表れる。今日は心身ともに最悪の不調。世界の何億人が同じ思いをしていることだろう。あの不愉快な男の勝利宣言を聞かなくてはならない。世も末ではないか。

3日の朝のテレビに、たまたまマイケルムーアが映っていた。激戦区フロリダからの映像。快活にしゃべっていた。「ここは4年前重大な犯罪が行われた場所だ。再び同じことが行われないよう監視に来た」「私は、日本人が好きだ。50年間平和を守っていることに敬意を表したい」「私の国も、ブッシュをホワイトハウスから追い出して、平和の国にしたい。日本でも、同じことをやってくれ」と、冴えていた。一時は、その言葉が実現しそうな雰囲気もあったのだが…。

いまだに信じられない。米国民の半数があの無法な戦争を支持したのだ。「強いアメリカ、強い指導者」を演じた側に投票した。より冷静に他国との協調を説き、多様な価値観を重視しようとした側が敗れた。大量破壊兵器のウソも、アルグレイブの恥も、ヨーロッパとの関係の冷却も、無辜のイラク人を殺害したことも、反省の材料にならなかったというのか。アメリカの理性はどこに行ったのだ。

報じられているブッシュの勝利演説の中身は、「テロとの戦いの強化」「家族の価値と信仰を守る」という保守主義。さぞかし、小泉は安堵していることだろう。

唯一超大国というのは、たとえればティラノザウルス。凶暴で強力で誰も手を付けられない。幸い、人類はこの巨竜と時代をともにした経験はない。21世紀になって初めて、不幸にも人類はアメリカというティラノに匹敵する危険な存在と対峙することになった。ティラノのクビを、国際世論という鎖でつなぐことができるだろうか。


2004年11月05日(金)
「民主的好戦国」アメリカ  

ブッシュの選挙勝利をいまだに受け容れがたい。上院・下院とも保守色を強めた共和党が過半数というのも面白くない。今日も何かを書きつけなくては、腹の虫がおさまらない。

日本国憲法の三大原理として、国民主権・恒久平和・人権保障があり、この3本の柱は、密接に関連している。
先の大戦の惨禍は、国民主権が欠如していたから生じた。天皇という、自分は安全なところにいて、国民に「自分のために死ね」と命令できる存在あればこその開戦だった。あるいは、天皇を道具として操る者の存在あればこその戦争だった。国民が主人公になれば、自分が戦場で苦しむことになるのだから戦争を選択するはずがない。民主主義を徹底することによって、平和を実現できる。かつては、それが常識だった。私もそう考えていた。

また、人権は戦争によって踏みにじられる。いかなる人権も「平時の限り」という限定が付されている。戦争ともなれば、否応なく戦場にかり出される。死を覚悟の任務も甘受しなければならない。「敵」を殺せと命令される。平和が人権の前提であり、平和に暮らすことが人権そのものである。人権保障の徹底が平和につながる。人権主体が、権力を行使すれば、当然に平和になるにちがいない。かつては、それが常識だった。

戦前の日本は「非民主的好戦国」であった。これは分かり易い。ところが、今のアメリカは民主的でかつ好戦的である。国民が好戦的な主張を掲げる強い大統領を選ぶのだ。「民主的好戦国」である。どこかおかしい。

アメリカは、本当に民主的なのか。アメリカの民主主義は本物なのか。戦場に行く者は、貧しく差別された階層ではないのか。アメリカの戦争の陰で大儲けしている連中の実態は国民によく理解されているのだろうか。美しい言葉、情動的なパフォーマンス、国民意識操作の技術、選挙戦術、そんな操作の効果が民意に置き代わっているではないだろうか。国民の理性が政権を生むのではなく、政権がメディアを通じて国民を操作しているのではないか。

果たして、民主主義は成熟しているのか、その機能を果たしているのか。ブッシュのアメリカを批判するだけではなく、石原慎太郎を抱える東京の我がこととして考えなければならない。


2004年11月06日(土)
日民協総会での報告  

明日午前中は日民協の総会。情勢の見方や活動報告・運動方針について報告しなければならない。だいたいこんなことは、私の好きなことでも、得意なことでもない。どうして自分がこんな巡り合わせになったのか、星を怨むばかりである。

議案書は全体で50ページを超す。どうやって、要領よく分かり易く報告するか。少し書き付けてみよう。不器用人間にはこれしか方法がない。

(改まった口調で)
まことに残念ながら、ブッシュ再選の報の中での総会です。イラクでは、アナン国連事務総長のブッシュ・ブレア・アラウィへの中止要請を拒否する形で、ファルージァへの総攻撃が始まりました。12月14日に期限切れとなるサマワへの自衛隊派兵については延長される見通しが高まり、保守化したアメリカとますます追随の度を深める小泉政権との一層強い結びつきが懸念される状況です。

厳しい状況の中ですが、そのようなときこそ私たちの存在意義が発揮されなくてはなりません。三つの分野について、ご報告を申し上げます。

まず第一は、憲法の分野です。
私たちの活動における現在の最大の課題は、憲法「改正」阻止にほかなりません。「憲法改正」あるいは「自主憲法制定」は、保守勢力の長年にわたる懸案でした。しかし国民意識は明らかに護憲であって、長く国会内には「三分の一の壁」が築かれ、憲法「改正」の発議は非現実的な課題とされてきました。しかし、今、事態は大きく変わっています。外堀を埋めるように、改憲のための手続き法の制定が具体的なプログラムに乗り、改憲指向の憲法調査会の最終報告、各政党の憲法改正草案作りが改憲ムードを高めつつあります。状況を変えた最大の要因は、国会内議席数の勢力分布の変化です。「政治改革」の名における小選挙区制の導入後10年で、護憲ないし改憲阻止を党是とする政党が大幅に議席を減らし、保守二大政党時代が到来して改憲は現実的な政治課題となってきました。
改憲問題の焦点は9条であり、就中その2項です。憲法9条の理念が、現実との大きな乖離を有することはつとに指摘されるとおりですが、しかし、そのことが、改憲を正当化する根拠とはなりえません。むしろ、現実の国のあり方をあるべき理念に照らして批判し、現実を理念に引き戻すことが憲法という国の基本法の本来的な役割です。
9条はけっして死文化している存在ではありません。平和を求める国民意識、各分野の平和運動と一体となって、9条は息づいています。海外派兵への歯止めとなり、自衛隊の軍備の増強にも、非核3原則の遵守にも、武器輸出原則も、憲法9条が歯止めになっています。また、私たち民主的な活動に携わる法律家にとって、平和や民主主義・人権擁護の理念を高らかに謳う憲法は、法律実務における実践のための貴重で鋭利な武器にほかなりません。私たちは、平和と、自由と人権と福祉の実現のために、何物にも代えがたいこの貴重な日本国憲法を守り抜かなければなりません。
私たちは、「立法改憲」にも、「解釈改憲」にも反対してきました。自衛隊が違憲の存在であることは、多くの協会会員の確信になっています。その立場は堅持したいと思います。しかし、現実の運動における課題は「明文改憲阻止」です。明文改憲阻止で手を組めるあらゆる人と運動をともにして、改憲阻止のための多数派を形成する必要があります。解釈改憲派を敵と規定してはならないと思います。
「憲法論議の核心である9条改正に関して、自衛隊の存在を明記することで国論が収斂しつつある。自衛隊を軍隊として位置づけない限り、テロや北朝鮮などの脅威に的確に対応できないとする国民の危機感が反映しているためだろう」(11月3日産経社説)というのが「敵」の立場です。憲法を改正して自衛隊を合憲のものと明記する。これを肯認するか、否定するかが分水嶺です。理念と現実が乖離しているとき、理念が変われば現実もさらに動くことになる。明文改憲反対の一点で、国民的な大運動を起こすこと、その一端を当協会も担うこと。これが、現在もっとも大きな課題です。

第二は、司法の分野です。
司法改革が一つの節目を終えます。司法制度改革審議会の開設、中間報告、最終報告、そして司法制度改革推進法の制定と司法制度改革推進本部の設置。その検討会の論議を経て、今次の司法改革は一連の関連法案を成立させました。成立した法に基づき、制度改革の一部は既にスタートし、一部は準備中です。
今次の司法改革とは何であったか。複雑な事態の中で、あまりの単純化は避けなければなりませんが、いったいどのような時代状況のもと、どのような勢力が司法の現状の何を克服要素と考え、どのような理念から、どのような司法像を求めたのでしょうか。協会は、これまでもこの課題に取り組んできましたが、その検証をなすべき時期にきました。そのことを通じて次の運動課題、主としては新制度の運用面における課題を明確化しなければなりません。
この間、「司法改革」の評価とこれにどう取り組むべきかという運動論に関して、協会内に無視しがたい見解の対立が見られました。今克服の時期ではないでしょうか。「司法改革」が、主として財界が主導し、保守政党や大資本の利益に奉仕する司法制度や、法曹の育成を求めたものであることは否めません。司法という、弱者・少数者の権利擁護が最大課題の領域に、まったく異質な競争原理、効率化、迅速第一主義という「経済の論理」を持ち込んだものでもあります。理念においても、個々の制度設計や運用においても、当然のことながら批判を忘れてはなりません。司法改革の渦中にあって、人権擁護・憲法に適合した司法制度を実現するために奮闘した人々の努力には敬意を払いたいとおもいます。
今後の運動課題はその運用における適正化です。法科大学院も、新司法試験も、裁判員制度も、司法支援センターも、その運用の課題として多くのものを残しています。本日午後の司研集会がこの課題に取り組みます。広範な力を結集すべきとである。

第三が組織問題です。
協会は、多職能法律家集団の共闘の軸となる統一戦線組織として、統一戦線的運動の必要が増大するなかでその役割はますます重要となってきています。情勢と活動課題にふさわしく、事務局体制を充実化し、人事を活性化して、多くの人材を運動に迎え入れることが喫緊の重要事となっています。創立以来四〇周年を経て、安保闘争の昂揚を知る世代も少数派となりつつある今、当協会の存在の意義と組織や運動のあり方の再確認が改めて必要な時期にさしかかっています。
具体的には、改憲阻止や個別の憲法課題、司法問題、「法と民主主義」編集等々において若く、活動的な法律家を結集しなければなりません。事務局次長を人数の上でも充実して、力量ある執行部体制を作ることが求められています。

なお、幸いに、長老弁護士の厚志によって、協会事務室と会議室は無償の使用ができる状態となりました。財政的には、ピンチを脱しつつあります。新しい課題に、新しい態勢で取り組みたいと思います。


2004年11月07日(日)
「相磯まつ江・法と民主主義賞」の創設  

本日、日民協の第43回定期総会と、37回目の司法制度研究集会。両者を同日に行ったのは初めてのこと。午前2時間、午後5時間。事前準備と懇親会まで含めると、11時間半の長丁場。くたびれもしたが、まずはつつがなく終わってほっとしている。

総会では、明文改憲阻止の運動への取り組みの重要性が確認された。そして、司法問題にも引き続き重要課題として位置づけること、必要な活動をするのにふさわしい組織態勢を作ることも。具体的には活動的な人材を事務局次長に得て充実した執行部としなければならない。

そして、「相磯まつ江記念・法と民主主義賞」の創設が決議された。相磯まつ江先生は女性弁護士の草分け、女性の労働弁護士としては第1号であろう。かつては、国会内の社会党法律相談所に籍を置いていたという。砂川事件や、安保闘争関連事件に携わり、「朝日訴訟の訴状を書いたのは私」とおっしゃる。

その相磯先生が、日民協の財政状態を心配され、「「法と民主主義」が財政上の理由で薄くなるのは見ておられない」と、行動を起こされた。新宿1丁目に更地を見つけて5階建てのビルを新築し、このうち2・3階のスペース合計30坪を無償でお使いくださいと申し出られた。その建物に協会が引っ越ししたのが5月末。6月1日から、新しい「AMビル」を拠点として協会は活動をはじめた。

「相磯まつ江・法と民主主義賞」は、これを契機に「法と民主主義」充実のために、年間最優秀の掲載論文や活動報告に対して、一点を選んで表彰しようというもの。被表彰者には総会で記念講演をしてもらう。もちろん副賞の賞金も出す。

この企画には相磯先生も乗り気だったが、賞のネーミングで、やや難航した。相磯先生が「自分の名を出したくない」「大げさにしないで」という姿勢だったから。ようやく、略称を当初案の「相磯法民賞」とせずに「法民賞」とすることでご同意をいただいた。選考委員は5人。相磯先生もはいっていただく。来年の総会が楽しみになってきた。

かつて、相磯先生に言われた。「経済的基盤がしっかりしていなければ、よい仕事はできませんよ」と。それはそうだ。私も経済的にしっかりしたい。その上でよい仕事をしてみたい。
「澤藤さんのところはどう?」 何と答えればよいのだろう。「まあまあです。何とかやっています」 これで合格の答になっているのだろうか。「あれはダメだ、あれではよい仕事はできない」と思われたのかも知れない。

総会は、人事を決め、総会宣言を採択して閉会した。私は、あと1期事務局長を務めることになる。あと1期だけ。


2004年11月08日(月)
37回司法制度研究集会報告  

昨日の第37回司法制度研究集会の報告をしなければならない。

総合テーマは、「検証『司法改革』ーこれで司法は良くなるのか」というもの。
司法改革の経過の概略は以下のとおり。
1990年 日弁連第一次司法改革宣言
1994年 経済同友会 「現代日本の病理と処方」(規制緩和適合司法の推進)
1998年 自民党 「21世紀の司法の確かな指針」
1999年 司法制度改革審議会の設立
2001年6月 司法制度改革審議会意見書ー21世紀の日本を支える司法制度ー
同  年11月 司法制度改革推進法(3年の時限立法)公布
同  年12月 司法制度改革推進本部を内閣に設置
以来3年間に、司法改革諸法案を上程成立。
現在国会に、積み残し3法案(敗訴者負担・ADR・修習生の給費制廃止)。

以上のとおり、司法改革の最初の提唱者は日弁連であった。しかし、これが軌道に乗ったのは、明らかに財界と政権与党がその気になったからである。司法には国民各層が不満をもっていた。その意味では、司法改革は時代の必然であった。しかし、司法のどの点を不満としどのような司法像を目標にするか、国民の諸階層で立場は大きく異なる。
日民協は、これまで官僚司法を諸悪の根源として、司法(裁判官)の独立を求めてきた。いわばこれまでは、「敵」は官(最高裁・法務省・国)であった。ところが、今次司法改革では、これまで司法問題に関心のなかった財界が乗りだしてきた。二者対立の図から、三面対立の図柄となって、複雑さが増した。
われわれは今次の司法改革では、「国家や財界のためではなく、市民のための司法改革を」というスローガンを掲げた。その対立物は徹底した市場原理に適合する「規制緩和司法」であり、「企業に大きく、市民に小さな司法」である。

官と、財界と、市民とがせめぎ合ってどうなったのか。今次「司法改革」は、制度設計のスケジュールを終えようとしている。この節目にあって、司法改革とは何であったのか。どのような諸勢力が、それぞれ誰のための、どのような司法を作ろうと拮抗したのか。その力関係のベクトルは、どのように収斂したのか。これで本当に司法は良くなるのか。そして、残された運動課題は…。
このような問題意識での司研集会であった。

プログラムは、以下のとおり。
◆開会の挨拶◆・・・・・・鳥生忠祐(理事長)
●第一部●基調講演
■司法改革の本質と背景・・・・・・広渡清吾(東京大学教授)
 □会場発言・意見交換
●第二部●パネルディスカッション 
■検証「司法改革」
◆出席市民会議委員◆
 −伊佐千尋・山田善二郎・丹波 孝・増田れい子・広渡精吾・井上博道
刑事訴訟■裁判員制度導入は刑事司法をどうかえるか
敗訴者負担■制度導入をさせないために・
□会場発言・意見交換
●第三部●特別報告(16時30分〜17時50分)
■裁判官制度・司法官僚制は変容を受けたか・・鈴木経夫(元裁判官・弁護士)
■裁判所の現場から見た司法改革・・・・・・布川 実(全司法)
■司法支援センター・弁護士自治は大丈夫か・・・小川達雄(弁護士・日弁連)
□会場発言・意見交換
◆まとめ◆・・・・澤藤統一郎

●広渡教授の基調講演は、大要以下のとおり。
司法制度改革審議会は国家的公共性強調の色彩つよく、「国民統合型司法観」を示し、「この国の形」を作りかえる国家改造の仕上げとしての司法改革を指向した。その政治経済的背景には、新自由主義的構造改革の一環としての司法改革という位置づけがあり、市民層の統合とともに、競争秩序に適合的な司法の形成が目標とされた。
今次司法改革は、その素早さ、全面性、深度の深さという点で徹底している。その原因は、構造改革という「錦の御旗」がなさしめたことであって、改革の評価が、極端に対立する理由もそこにある。
しかし、司法改革の評価は、決して原理論的に一元的である必要はない。それぞれの各論的分野における到達点と未到達点を具体的に見据えることが大切ではないか。そのような具体的分析の積み重ねから、各分野での運動課題を把握するべきだろう。
司法改革は、民主主義獲得のための闘争がすべてそうであるように、全部勝ちも、全部負けもない。その時点での力関係の決着があるのみ。運動は終わったのではなく、なお続いている。

●官側の司法制度改革審議会に対して、民衆の立場の審議会として設置された「司法改革市民会議」のパネルディスカッションでは、刑事司法のあり方が最大の論点となった。
裁判員制度導入を「口実」として審理の迅速だけが強調され、被告人の権利や弁護権が制約を受けることにならないか。とりわけ、公判前整理手続きが、非公開の場で証拠決定をすることの危険性が語られた。また、裁判員に対する守秘義務と違反への罰則が、裁判批判を封じる危険はないか。既に、刑事公判でその先取りがなされている。証拠の全面開示や時取り調べの可視化など、制度として実現できなかった点が致命的ではないか。一歩前進ではなく後退ではないか、という意見が強く出された。

もう一点は、合意による敗訴者負担問題。最新状況の報告では、私的合意による敗訴者負担を制約する立法は今次国会には間に合わない、という。それでも、原案のとおりに可決強行ということになるのだろうか。予断を許さない。

●続いて、3テーマについての特別報告。
司法官僚制は、司法諸悪の根源とされてきた。果たして、その変容が見られるか。
鈴木元裁判官は、「ヒラメにタイを育てることはできない」という軽妙な言い回しで、ヒラメ型裁判官を一掃することの困難さを説かれた。現場は戸惑っているが、
決して悪い面ばかりではなく、明るい芽も出つつある、という報告だった。

全司法の報告は、予算と人員の足りないままの「改革」の実態についてのもの。結局は、職員への過重なしわ寄せか。運用での市民サービスの低下。基調講演での、「行財政改革」との整合性に鑑みて、司法だけが予算上の破格の優遇を受けることはありえないという一節のとおり。

最後に、日民協会員で日弁連司法改革調査室長でもある小川達雄弁護士から、「総合法律支援法」についての報告。この法律によって設立される独立行政法人・司法支援センター構想についてはまだ不透明な部分が多いが、設立・運営のイニャシャチブは弁護士会が確保する。弁護士会を離れてのセンター運用はありえず、センターが業務の把握を通じて第二弁護士となったり、個別弁護士の独立性を脅かすことはありえない。弁護士自治変容の契機となるとするのは杞憂だ。また、そうならぬように運動していくことが重要ではないか。
この点は大きな論争点として、報告に対する質問・意見が交わされた。

○司研集会は、研究集会であって、アピールや決議の採択はしない。時の司法の全体像を浮かび上がらせ、司法民主化の観点からの運動課題を探るものである。確認されたことは、司法をめぐる運動は終わっていないということ。引き続いて、制度設計の見直し、そして運用についての運動課題が見えてきた集会となった。


2004年11月09日(火)
ファルージャの4兵士  

今朝の朝日一面トップに、ファルージャの兵士の写真。4人の男性の闘う姿がある。米軍の装備とは比較にならないみすぼらしさ。軽機関銃と、迫撃砲を抱えてはいるが、軍服・ヘルメットすらない。素手に、スニーカーとおぼしき靴。兵士の姿ではなく、住民が武器を取った姿。これで、物量とハイテクの米軍に立ち向かおうというのだ。APの配信。包囲されたファルージャの街中に記者がいることにも驚く。世界を代表して、抵抗者の側から事態を見つめている。

戦場では勇気ある人が先に死ぬ。英雄は死に、臆病者が生き残る。その戦場で、あの4人は、今まだ生きているだろうか。この写真を撮影したAPのカメラマンは大丈夫だろうか。

一枚の写真の力を感じる。抵抗している民衆の代表として、あの4人が目に焼き付いている。彼らが、そこまでして護らなければならないものとは何なのだろう。愛する身近な人々、プライド、宗教的信念、侵略者への怒り…。

ブッシュのきわどい選挙勝利が、たちまちこんなことになった。アナンは、ブッシュに直接電話をかけてまで説得したそうだ。それでも、1万5000の米軍がファルージャを取り囲み、まず病院を制圧し、戦車を先頭に街中にはいった。

ファルージャは、30万都市だという。仙台を除く東北の中核都市なみの規模。私は盛岡を思い浮かべる。わが故郷が1万5000の重武装米軍に囲まれている。この規模の都市の住民がすべて逃げ出すことなど考えられない。米軍の攻撃は、確実に民間人の夥しい犠牲者を出すだろう。そのとき、街中の私はどうするだろうか。

中国戦線でのある皇軍兵士の手記を読んだことがある。「われわれには便衣隊(ゲリラ)と住民との区別はつかない。だから、怪しい者は手当たり次第に次々と殺した」という。もともと「便衣」とは、私服・普段着のこと。便衣隊と住民は本質的に一体なのだ。イラクの今の状況でもあろう。そもそも、「テロリスト」などという特殊の血筋があるわけではない。抑圧された民衆は、勇気さえあれば、誰もが抵抗者となる。「テロリスト」とは、抵抗運動への抑圧者側からのレッテルに過ぎない。実は民衆の先頭に立つ者たち。この人たちが、まず殺されるのだ。

こんな事態に、小泉は米軍のファルージャ攻撃を支持するコメントを出した。アメリカに住むことを恥とし不快として、カナダへの移住を希望するアメリカ人が増えていると聞く。私も、日本人であることが恥ずかしい。が、日本から脱出するのではなく、政府の政策を変える努力をしなければならない。

若手弁護士のグループが「9の日憲法アピール法律家の会」を立ち上げた。毎月9日に、憲法9条をターゲットとした改憲策動に反対する行動を起こそうというもの。初日の今日。私も枯れ木の一本として参加。昼休みの時間に、裁判所前でビラをまいた。宣伝カーからの呼びかけ、ギターの弾き語りなどにぎやかだった。その後、勉強会もやったそうだ。

いろんなところで、いろんなことをやろう。米軍の横暴を許さないために。小泉に勝手なことをさせないために。あのファルージャの人々のために。そして、再び日本を戦争加害国にも被害国にもさせないために。


2004年11月10日(水)
医療過誤訴訟の和解

羊水塞栓症という産婦の疾患がある。普通、2万〜3万分娩に1例の発症と言われる。統計によっては10万分娩に1例とも。発症すると、死亡率86%という統計がある。今や、産婦死亡原因の25%は羊水塞栓症である。産婦の静脈に子宮内の胎児分泌物が流入し、産婦の肺毛細管の閉塞をきたして急激な呼吸障害を起こす、と発症機序を説明される。

この疾患は、発症の予測も結果回避も不可能とされる。予期せぬ時に突然起こり、しかもほとんど為す術がない。産婦の死亡事故では、羊水塞栓症が原因と説明されることが多い。そのとおりのこともあるが、病院側の責任逃れの手段の病名とされることも否定し得ない。そのような逃げ場、ないしは隠れ蓑として絶好の疾患名なのだ。

その発症確率は生涯を産科医として過ごした人でも、一度も出くわさない人がほとんどという程度。ところが、私は、この10年で3件の羊水塞栓症訴訟を手がけた。1件目は甲府地裁で和解解決、2件目は仙台高裁で勝訴判決を得、本日、さいたま地裁で3件目の和解が成立した。

羊水塞栓症の確定診断は、剖検でしかなしえない。これが通説である。私が担当した以前の2件は剖検のない症例。症状経過から羊水塞栓症であるか否かが争われた。2件目の一審は羊水塞栓症罹患を否定し、二審は罹患を肯定しながら医師の発症責任を認めた。羊水塞栓症の発症責任を認めた判例は空前である。もしかすると絶後かも知れない。

3件目の事案は、剖検がある症例。ところが、病理医の書き方が「肺動脈内腔に胎児成分が見られ、それほど多数とは言えないものの羊水塞栓症の所見である」「しかし、…本例も羊水塞栓症がすべての原因とは断定しにくいところもある」との微妙な言い回しとなっている。

「産婦の死因が羊水塞栓症であることは明らか」「したがって、医師に責任はない」という被告病院と、「死因は膣壁の裂傷からの失血死であり、これを見逃した医師の責任は明らか。母胎の肺に少量の羊水成分が検出されたことは死因と無関係」という原告主張とが、真っ向から対立した。浜松医大が開発したという、生前血液からの羊水塞栓症検査が陽性で、この検査の信頼性も大きな争点のひとつとなった。

医師の証人調べや双方からの文献・鑑定意見書などの提出による審理の末に、裁判所が双方に勧告したのは、損害額を算定してその7割での和解。つまり、裁判所の心証は真っ白でも、真っ黒でもない。原告側に7割の肩を持つが、3割は自信に欠けるということ。本日和解勧告のとおりに和解成立。2001年2月の死亡事故。証拠保全や交渉を経て、提訴が2002年1月4日。以来2年と10か月。

提訴をしても、勝訴判決を得ても、亡くなった人が還ってくるわけではない。それでも、何のために、何を求めて遺族は提訴するのだろうか。代理人としての弁護士は何ができるのだろうか。結論が出ないままに、いつも考える。

この事件では、訴訟の審理を通じて何が起こったのかを相当程度明らかにすることができた。産婦の死をめぐる事実経過は、医師からの説明だけでは説明者に都合のよいようにしかなされないことがほとんどと言ってよい。被告病院のカルテだけではなく、後医のカルテ、剖検を分析し、被告病院の医師と、搬送先病院医師の尋問を徹底して行い、双方から鑑定意見書が出されて医学的見解が闘わされた。これ以上は無理というところまで、事実経過と現段階での医療水準の把握ができたことでは提訴の意義はあったと思う。

遺族の望みは、経過を明らかにした上での責任の確認である。7割ではあるが、裁判所が責任を認めたことは、遺族の感情の慰謝には大きかった。

さらに、提訴の目的は、患者の死を社会から忘れられたものとしないこと。訴訟という手段を通じて医療のあり方に問題を提起し、同種事案の救済や予防に役立たしめることで、患者の死を意義あらしめること。その目標も、ある程度達したと言えるのではないか。

弁護士は職人だから、判決をとってみたい気持ちは常にある。しかし、万一のリスクと上訴での負担を考えれば、当事者の利益を優先させなければならない。長い裁判のひとつが終わると、あれこれ考える。感慨一入である。


2004年11月11日(木)
司法修習の給費制廃止は妥当か   

昨日、司法試験の合格者発表があった。この合格者が来春司法修習生となる。
司法修習生は公務員に準ずる地位とされ、修習専念義務を課せられて給与が支給されてきた。このことは、法曹の公的性格から永く当然のことと思われてきたが、今次の司法改革によって給費制による司法修習は廃止されようとしている。現在、その法案が国会で審議中である。

今次の司法改革は、司法という領域に経済原則を持ち込んだ。市場原理・競争至上主義・自己責任…。財界主導の新自由主義的「改革」と言われる所以である。この立場からは、弁護士は事業者としてのみ把握される。弁護士として収入を得る地位を獲得するたために、修習のコストを負担することは当然というわけだ。伝統的な人権擁護の担い手としての弁護士像とは異質なものである。

私は、高校卒業以後親から仕送りを受けたことがない。当時の言葉で言えば「苦学生」だった。文学部(社会学)に籍を置きながら法曹を志望したについては、司法試験さえ通れば給与がもらえるという制度があったからである。でなければ、私が弁護士を志すことはありえなかった。司法改革は私を弁護士とした制度を廃止しようとしている。試験に合格すると給与がもらえるどころではない。法科大学院で2〜3年は授業料を負担しなければならなくなる。その後、新司法試験に合格しても、司法修習に給与はでない。貸与はあっても、返済しなければならない。

私は、給費制の司法修習制度に恩義を感じてきた。弁護士とは公共的な職業であって、その任務には社会的責務を伴うものであることを素直に認めてきた。弁護士はパンのためにのみ生きるにあらず。私的な利益をむさぼるべからず。ややしんどいけれど、当番弁護士もしなければならない。法律扶助事件も担当しなければならない。弱者の側に立って、憲法擁護も、司法制度の改革も…と考えてきた。多くの弁護士が同じ思いであったろう。給費制を廃止すれば…、「社会に借りはない」と考える弁護士が確実に増えるだろう。「自前で金をかけて弁護士になったのだ。元を取り返すための仕事に専念することに何の後ろめたさがあろうか」という弁護士が主流になるだろう。人権だの、社会正義だのと青臭いきれいごとでなく、経済原理で動くだけの弁護士層が多数派の弁護士会となるかも知れない。それが、法案提出のねらいと考えるのは穿ちすぎだろうか。

増員によって給費制の維持は、これまで以上の予算措置を要する。総予算の0.38%の司法予算を、少しは増やさなければならない。そのことと、弁護士の職務の公共性の基盤を維持することとを天秤にかけての選択であろうか。「改革」のテンポについて行けない「守旧派」は溜息をつくばかりである。


2004年11月12日(金)
服務事故再発防止研修命令取消訴訟第1回口頭弁論  

君が代斉唱時における不起立・伴奏拒否で戒告処分を受けた人への追い打ち処分が、服務事故再発防止研修。思想信条に基づく不起立を、セクハラや飲酒運転なみの「服務上の事故」ととらえて、「反省」させようというもの。実は、被戒告者に屈辱感を与えて運動に打撃を与えようという汚い手口。その取消と、国家賠償請求を求めた訴訟の第1回口頭弁論が本日あった。冒頭、私が意見陳述をした。私に与えられた時間は2分半。時間に急かされて舌がもつれた。しゃべったことは、以下のとおり。

審理の冒頭に裁判所に要望を申し上げる。
何よりも、本件では東京都における教育行政の異常性について十分なご理解をいただきたい。「異常」とは、憲法や教育基本法の理念と懸け離れていること。むしろ真っ向から相反していること。
私たちは、この日本の社会が民主主義という原則に基づいて、多様な価値観の共存を容認する社会であることを信じて疑わなかった。少なくとも、2003年の10月23日までは…。国家が特定の価値観や教説を国民に強要し、これに従わないものを制裁することなど夢想だにしえなかった。踏絵や転向・改宗の強制などは、前世紀の遺物で死語となっているものと考えていた。

ところが、服務事故再発防止研修の名で行われていることは、まさしく踏絵であり、転向や改宗の強要にほかならない。137名の原告は、すべて卒業式等の君が代斉唱時に、起立・斉唱を拒否した者である。137通りの悩みと葛藤の末に、教員としての良心の故に、あるいは自己の存立を掛けた人生観・社会観・歴史観・信仰の故に、不利益あることを覚悟の行動であった。被告都教委は、一人ひとりの原告の内心に深く立ち入って、これを「非行」とし、「反省」を求めるとしている。いったい、何をどう反省せよというのか。

結局のところ、思想を変えよ、良心を覆い隠せ、信仰を投げ捨てよと言っているに等しいではないか。これが、精神の自由・思想良心の自由を侵害するものでなくて何であろうか。東京都教育行政の反憲法性について十分な審理を遂げ、司法本来の使命を果たされるよう、切に希望する。

もう少し時間の余裕あれば、舌のもつれなく滑らかにしゃべれたのに…。


2004年11月13日(土)
ファルージャの避難民  

ファルージャはどうなっているのか。ここ数日、頭から離れない。
このところの報道の出所は「米海兵隊の報道官」。それ以外では、ワシントンあるいはニューヨーク発。衛星放送で見るBBCのテレビ映像も、米兵士の背中ばかり。それでも、凄惨な事態が進行していることが読み取れる。

ラムズフェルドも「数百人の反政府武装勢力が殺害された」と認めている。この数は600人とも1000人とも報道されている。が、実のところは誰にも分からない。こんなに少ないはずはなかろう。「武装勢力」と「民間人」との区別も米軍次第。大量虐殺であることは間違いない。「大量破壊兵器存在の証拠をつかんだ」と言う大嘘、アブグレイブの下劣、そしてファルージャの残虐を記憶しよう。これが、ブッシュ政権の本性なのだ。

バグダードに居住してインターネットに発信を続けているリバーベンドさんに注目。本日現在、11月4日までの記事が翻訳されて、読むことができる。
下記のURLをご覧になっていただきたい。実に生々しい。

http://www.geocities.jp/riverbendblog/

11月1日の記事。知らない親戚の女性(ウム・アフメド)が、叔母の家にやって来た。ファルージャからの避難の一人。幼い子ども3人を抱えているが、夫と長男は現地に残したまま。以下、抜粋。無断だが転載させていただく。多くの人に読んでいただきたい。なお、この記事はブッシュ再選以前のものである。

父は「ファルージャの状況はどうですか?」と尋ねた。私たちはみんな答えを知っている。ファルージャは恐ろしいことになっていて、状況は日ましにひどくなるばかりだ。ミサイルと爆弾が絶え間なく降り注ぎ、町は廃墟になった。どの家族もできるだけのものをかき集めて逃げ出している。家々は戦車と爆撃機に破壊されている。…それでもこの質問をしなくてはならなかった。

ウム・アフメドは不安なようすでつばを飲み込んだ。眉間のしわが深くなった。「とてもひどい状況です。私たちは2日前に町を出ました。アメリカ人たちが町を包囲していて、主要道路を使わせてくれないので、私たちは他の道を使ってこっそりと出なくてはなりませんでした…」。赤ちゃんがぐずりはじめた。彼女はそっと揺すり、寝かそうとする。

「私たちは逃げなくてはならなかったのです。私には子どもたちといっしょにあそこにとどまることはできませんでした。」彼女は弁解するかのように言った。
「もちろんとどまってなんかいられなかったわよ」おばが強い調子で答えた。「とんでもないわ。そんなこと自殺行為よ。あのならず者たちは誰一人生かしておこうとしないんだから」

「みなさんに何事もないといいですね…」。私はおずおずと言った。ウム・アフメドは少し私を見て、首を振った。「私たちは、先週、隣に住んでいたウム・ナジブと2人のお嬢さんを埋葬しました。寝ているときにミサイルが庭に落ちて家が破壊されたのです」

「うちの窓も割れたんだよ…」。ハリスが興奮したようすで割り込み、それからまた母親のかげに隠れてしまった。

「窓が割れ、玄関のドアは爆風で壊れました。私たちは全員無事でした。戦闘がはじまってからずっと私たちみんな居間で寝るようにしてましたから」。ウム・アフメドは表情を変えずに語った。もう何百回も同じ話をしてきたかのようだった。彼女が話している間、赤ちゃんはこぶしをふりまわし、少し泣き声を立てた。
「でも、少なくともみんな無事だったのね…あなたがここにいらしたのはとても賢明だったわ」。母が言った。「お子さんたちは元気だし−それがなにより大事なことですものね」
(略)
一瞬の後、彼女は号泣しはじめた。サマは顔をしかめ、母親の腕から赤ちゃんをやさしく抱き上げ、赤ちゃんをあやしながら廊下を歩きまわった。おばはすばやくコップに水を注いでウム・アフメドに手渡して、私たちに言った。「アフメドは14歳の息子さんで、お父様といっしょにまだファルージャにいるのよ」

「あの子を残していきたくなかった…」。彼女の手の中でコップの水が震える。「でも、あの子は父親抜きで町を離れるのはいやだと言ったの。車が町から出て行こうというときになって、私たちは離れ離れになってしまった…」。おばはあわてて彼女の背中をやさしくたたき、彼女にティシュペーパーを手渡した。

「ウム・アフメドのご主人はね、ああ神様お守りください、モスクと協力してほかの家族の方々が逃げるのを助けてらっしゃるのよ」。おばは話しながらウム・アフメドの隣に座り、涙をいっぱい溜めたハリスを引き寄せ、膝に抱き上げた。「おふたりともきっと無事よ。もしかしたらもうバグダッドに着いてるかもしれないわ…」。おばはきっぱりと言った。誰もそんなことを思っていないのに・・・。

女性を見つめていると、戦争の恐怖がよみがえってきた―爆撃と銃撃にさらされる日々―戦車が道で轟音を立て、ヘリコプターが頭上で威嚇するかのようにホバリングする。夫と息子からの知らせを待ちつつ、あと数日もの苦しい時を彼女がどうやって過ごすことができるだろうと思った。何がつらいといって、大切な人たちと離ればなれになり、その人たちの生死を思い悩むことほど耐え難いことはない。落ち着かない思いが心の内をがりがりとかじり、消耗しきった気持ちと駆り立てられる気持ちが一時に襲ってくる。頭の中で悲観的な声が死と破滅の物語を1000回もささやき続ける。すさまじい破壊に直面したときに感じるどうしようもない無力感。

ブッシュとアラウィがファルージャでの犠牲者について語り合っているのを見ると、頭がおかしくなる。あいつらによると、ファルージャにいる人はだれもかれもテロリストで、ふつうの家でなく、巣穴のような隠れ家に潜んでアメリカを破滅させるために計画を練っているらしい。
アラウィは最近「平和的交渉」が成功しそうもないため、大規模な軍事作戦を取る以外手段がないなどと語った。こうしたくず話やザルカウィに関するでたらめ話はアメリカ人やイギリス人や海外で快適に暮らしているイラク人のために作られたものだ。

アラウィは下劣なやつだ。恐ろしいのは、彼は米軍の支援なしにイラクで安全に暮らすことが「決して」できないということだ。彼が権力を握っているかぎり、米軍基地とアメリカの戦車がイラクの全土に存在し続けるだろう。占領軍がファルージャに襲い掛かると脅すことで、彼は支持を得られるなんて思えるのだろうか。イラクの人々はファルージャから逃げてくる人たちを英雄のように迎えている。自分たちの家の部屋を空けて彼らを泊め、食べ物やお金や救急物資を寄付している。イラクではだれもがアブ・ムサブ・ザルカウィがファルージャにいないと知っている。私たちの知る限り、彼はどこにもいない。彼は大量破壊兵器のようだ―大量破壊兵器を引き渡せ、さもなくば攻撃するぞ。さて攻撃が行われてみたら、どこにも兵器がなかったことが明らかになった。ザルカウィに関しても同じことになるだろう。次々と登場する政治家の誰かがザルカウィに言及するたびに、私たちは笑っている。彼は大量破壊兵器よりさらに都合がいい。なにしろ足があるから。ファルージャでの大失敗にけりがついたら、ザルカウィはタイミングよくイランやシリア、ひょっとしたら北朝鮮にでも移動することだろう。

ファルージャに関する「平和的交渉」についていえば、そんなものは一切存在しなかった。やつらはこの数週間ファルージャを爆撃しつづけている。爆撃はたいてい夜行われる。現場の惨状や多くの犠牲者のことはまったく報道されない。一家全員が生き埋めになったとか、路上で狙撃されて殺されたといったことを、私たちはずっと後になって耳にすることになるのだ。

ところで、アメリカ人よ、この1年半で10万人が亡くなった。その数は今も増え続けている。ブッシュをもう4年間在任させてごらん、そうしたら50万人という記録を達成できるかもよ。


2004年11月14日(日)
米軍は際限なく敵を作り続けている  

おそるべきアメリカの軍事力。一国の軍隊を壊滅させることは容易にやってのけた。しかし、一国の民衆を制圧することはできない。一国の全民衆を殺戮する能力はあっても、民衆のレジスタンスを鎮圧する力はないのだ。人民の海におぼれた、ベトナムでの教訓を噛みしめなければならない。
アメリカ軍が総掛かりでファルージャ制圧にかかっている間に、軍事的空白となった他の諸都市でのレジスタンスの勢いが増している。イタチごっこだ。
スンニー派だけでなく、シーア派の一部からも「総選挙ボイコット」の動きが出てきている。軍事行動は、敵を作るだけ。苛烈であればあるだけ、敵も大きくする。

ファルージャは今どうなっているのだろう。そして、イラクの全土は…。
英語に堪能な方は、アルジャジーラの英語版を読むのがよい。
http://english.aljazeera.net/HomePage

英語が得意でない私にとって、もっとも信頼のおける情報源は下記のサイト。すっかり有名になったRaed in the Middleの日本語版。発信者にも、訳者にも頭が下がる。
http://raedinthejapaneselang.blogspot.com/

以下は、膨大なラエドのブログから、2004年11月13日(土)記事の抜粋。

オランダがイラクからの撤退を確定
イラク駐留オランダ軍1350人が,予定通り3月に帰国すると国防大臣が述べた。

日本,イラクに200名派兵
ひどいね・・・
ジュンイチロウ・コイズミ,シェイム・オン・ユー
ジュンイチロウ・コイズミ,シェイム・オン・ユー
イラクへの派兵を200人増員するって。日本の人道ミッションの延長をめぐる話をしている最中に,第4派遣団が出発した。日本の人道ミッションは現行法では12月14日に期限が切れることになっている。
小泉純一郎,あなたはあなたの国と平和的な人々を,殺人者,占領者と同じ壕に入れてしまった。恥を知れ。

バグダードのダウンタウンでは市街戦が続いている。バグダードの西部,中部,南部でも市街戦が起きている。ハイファ・ストリート,ニダル・ストリート,カラダ地区のサディル・ホテル周辺,アザミヤ地区ではイラクのシーア派の中心となるモスク(アブ=ハニファ)近くのアザミヤ地区での衝突は,スンニ派指導者たちに対する絶え間ない攻撃で,米軍はAMS(Association of Muslim Scholars,イスラム聖職者/法学者協会)のセンターを襲撃して押さえ,さらに3人のスンニ派聖職者/法学者を逮捕した。【訳注:クバイシ師,アル=ダリ師のほかに3人逮捕,ということのようです。】

今日,イラク警察と米軍は,モスル市のコントロールを失った。モスル市内の警察はおおかた姿を消している,と住民たちは報告している。そして武器やRPG発射装置を見せつける武装した男たちが町を歩き回っている。この危機に反応して,イラク当局はモスルの警察署長を解任した。警察官が1発も発砲することなく,警察署を民兵たちに明け渡しているという報告が,モスルのofficialsからなされていた。

ほかには,イラクの戦士たちが,米軍のUH-60ブラックホークヘリを,タジ(Taji)近くで撃ち落とした。タジはバグダードの北12マイル。ブラックホークの乗員3人が負傷したと軍は述べている。今週ヘリが撃墜されたのは3度目。海兵隊のスーパーコブラ【訳注:海兵隊のヘリ】が2機,ファルージャの軍事作戦で地上からの砲撃によって撃墜されている。

米国は勝利は早いと宣言していたが,ファルージャの戦士たちはまだ戦っているようだ。そろそろ米軍が自分たちで決めた期限に近付いているようだが。今日の夜!
ともあれ,明日どんなことが起きるか,だ。
軍の出した地図の最も新しいものには,米軍がファルージャの北部を掌握していることが示されている。一方でイラクの戦士たちは,町の南部を基地として掌握していると主張している。


2004年11月15日(月)
我が身を励ます  

仕事が無性に面白い時期かあった。弁護士になりたてのころ。まだ20代。うまく行くかどうかは別として、何をするのもやりがいがあった。どんな仕事も、嬉々として取り組んでいたように思う。

あれから30と数年。今はずいぶん様変わりした。仕事に取りかかるのが億劫なのだ。取りかかれば手抜きはしないつもりなのだが、取りかかりまでがかつてのように腰軽には行かない。同期の友人弁護士が「仕事嫌い病にかかった」と言うのを聞いたことがある。半分冗談ではあろうが、半分は本音。自分もその心情分からないではない。明日できる仕事なら今日はやらない。締め切りギリギリまで取りかからない。もちろん、プロなのだから納期に遅れることは許されない。そこは、ボロを出すようなことは決してないのだが、嬉々として仕事に取り組んでいたころとは雲泥の差だ。

首相や大臣経験者など、尊敬に値する人物を見たことはないが、あの連中のやる気には脱帽する。あの歳であの元気あの意欲には、とてもかなわないと思う。

今日はすっかり疲れた。朝は5時起きで締め切りギリギリの書面書きだった。昨日やってできないことはない仕事。夜の弁護団会議の席上で、不覚にも眠気を催した。

本業だけでなく、憲法擁護、平和や人権を守る運動に関しても同様だ。いつもいつも張り切ってばかりはおられない。しんどいとも思う。割に合わないとも思う。何も自分がやらなくてもと思ったりもする。
それでも、気を取り直してまたやっていこうと思う。少しずつでもやるべきことをやらねばと気を取り直す。休み休みでも、代わる代わるでも、スローなペースでも。少しでも、前の方に。少しでも住みやすい世の中を作ること、そのために生きることは、誰のためでもなく自分自身の要求なのだから。


2004年11月16日(火)
同じ方角には歩かない  

啄木の「悲しき玩具」の一首。

 人がみな
 同じ方角に向いて行く。
 それを横より見てゐる心。

芸術家はかくあるべし。人と同じでは芸術家たり得ない。独創は人と同じ方角に行くことからは生まれない。

法律家もかくあるべし。人みなと同じ方向に流されることを警戒しなければならない。多数派の正義を疑い、多数派になれない人に与せねばならない。

民主主義社会では、多数派は立法府に君臨して行政権を掌握する。多数派の専横こそが危険なのだ。多数派=権力には寛容が求められるが、往々にして多数派の専制が出現する。基本的人権という法概念は多数派横暴に対する歯止めのための道具である。それを担うのが司法であり、法律家である。

本来法律家は多数派とは無縁の存在である。社会の多数派と同音を発する法律家には違和感がある。多数派の列に和することを恥とせよ。マイノリティーに与する心意気を忘れまい。
時の多数派のイデオロギーを疑おう。市場万能論、競争至上主義、自己責任、民間活力、構造改革…。そして、武力による国際貢献、軍事力による国際平和、安保繁栄論、テロとの戦いの重要性、普通の国造り、新しい世紀に新しい憲法を…。

在野に徹しよう。できることなら非国民となろう。権力にまつろわぬ賊となろう。それこそ、法律家のあるべき姿だ。


2004年11月17日(水)
武井保雄に懲役3年  

サラ金業界のドン・武井保雄に有罪判決。本体の事件は電気通信事業法違反(104条1項・盗聴)で法定刑の上限が懲役2年。これに、名誉毀損(刑法230条・法定刑の上限3年)を追起訴して、宣告刑は懲役3年執行猶予4年だった。執行猶予がついたとは言え、量刑は重い。

それでも、執行猶予がついたことについて情状が述べられた。高齢(74歳)、体調不良、逮捕勾留されている。2名の盗聴被害者との示談成立。うち1名は宥恕の意を表明している。反省してコンプライアンスの態勢を作っている。そして、贖罪寄付をしている。寄付額は、法律扶助協会などに合計3億円だという。彼にしてみればたいした額ではない。これで、執行猶予を買い取ったようなもの。

夕方、報告集会。有罪判決を評価し、成果あったとする意見とともに、運動はこれからとの決意の表明が相次いだ。実際、民事訴訟はまだ継続している。日本経団連はまだ除名していない。武井一族の支配は継続している。コンプラは形ばかりで、実態は変わっていない。「週刊金曜日」事件では武富士側は全面敗訴を不服として控訴している。「武富士の闇訴訟」でも、いったんは神妙に和解の申し入れがあったが、現在は徹底抗戦の構えだ。

盗聴は、武富士に対する批判者をあぶり出し、批判を封殺する目的で行われた。武富士批判記事に対する高額損害賠償請求の民事訴訟も同根である。武富士・武井の本質を反省するなら、民事訴訟においても提訴自体を謝罪して取り下げるのが当然。刑事事件の実刑が恐くて盗聴被害者とは和解しても、民事訴訟に関しては不当な姿勢を変えない。

今日の集会では、「不当な攻撃を甘受していてはならない」「守勢に廻ってばかりいてはならない」「不当な攻撃を繰り返させないために、徹底した反撃が必要」との意見が相次いだ。

事件の本質はこう描けるだろう。
武富士は、最大限の利益を得るために違法・不当な営業を繰りかえし、社会に多くの不幸をつくり出した。これを見かねて、消費者弁護士とフリージャーナリストが武富士批判の声を上げた。武富士は、この批判を封殺するために、盗聴を行い、高額損害賠償請求訴訟の提起をした。

われわれは、盗聴には告発で、民事提訴には反訴をもって対抗した。そして、本日、武富士批判の先頭に立ってもっとも武富士から疎まれた弁護士・今瞭美さんを原告とする新たな提訴をした。被告は、武富士・武井とその顧問弁護士の3名。武富士とその顧問弁護士が悪辣なやり口で今さんの業務を妨害したことを請求原因とするものである。

市民は、大企業の違法行為をコントロールできるのか。それを占う実践的な課題が突きつけられている。武富士ばかりではない。企業社会が問われているのだ。


2004年11月18日(木)
新教育委員に高坂節三氏

高坂節三という財界人がいる。出自は正しく、父は哲学者高坂正顕、兄は政治学者高坂正尭。そして自らの経歴は、元伊藤忠商事常務、元栗田工業会長。この人が、国分正明氏の後任として東京都の教育委員になるという。文部官僚(事務次官)から財界人へのバトンタッチ。

実は、この人には注目していた。財界の改憲派スポークスマンとしてである。この方、元経済同友会憲法調査会委員長。今は同会の「憲法問題懇談会委員長」だという。
経済同友会の改憲のボルテージは異様に高い。例えば次のごとし。
「国会に漸く憲法調査会が設置された。しかし、そこでの審議のペースは激動する世界の動きに比していかにも遅く、また必ずしも国民的論議の高まりにつながるものともなっていない。衆参両院における調査会の活動を、国民レベルでの活発な議論を促す方向に向けていっそう活性化し、加速することが必要である。そのための具体的なステップとして、国民的合意が得られることを前提に、遅くとも2005年までには憲法改正に必要な手続きがとられるよう、調査期間を現在の5年から3年程度に短縮することが望まれる」(経済同友会・憲法問題調査会意見書)

この人は、いろんなところで財界の改憲派として発言している。
例えば、以下は「デイリー自民」(03年5月22日)
「憲法問題について経済同友会から意見聴取 国家戦略本部
国家戦略本部は22日、経済同友会憲法問題調査会の高坂節三委員長を招き、同調査会が4月にまとめた憲法改正の意見書についてヒアリングを行った。
高坂氏は『憲法の規定と現実の乖離(かいり)はだれが見ても明らかだ』と憲法改正の必要性を強調、9条については『自分の身は自分で守るということを国民が理解しなければいけない。自分の身を守る意思がないと、『平和主義』が逃げ口上だとしか見られなくなる』と自衛権を明記すべきとの考えを示した」

また、2002年5月3日の「民間憲法臨調はかく主張する!−提言・憲法改正への視角−」なる集会では、三浦朱門氏・佐々淳行・中西輝政・坂本多加雄とともに、改憲の「提言者」ともなっている。

改憲派財界人を教育委員に据えようという石原都政の意図をどう理解すべきだろうか。まだよく見えては来ないが、少なくとも憲法9条改憲と「日の丸・君が代」強制とが同根であることを示すことにはなる。

高坂節三、おそらくは学識も教養もある人なのだろう。石原慎太郎や米長邦雄のような粗暴派とはひと味違う相手となる。ン、まてよ。学問も教養もある人が、石原慎太郎や米長邦雄・鳥海巖などと歩調を合わせられるものだろうか。


2004年11月19日(金)
自民党「新憲法草案大綱の素案」 その危険性

自民党の憲法調査会が「新憲法草案大綱の素案」をまとめた。これが、憲法改正案起草委員会の議論のたたき台になるという。6月に発表された「論点整理」との関係がはなはだつかみにくい。行き当たりばったりでもあるようで、本当に系統的に真剣に取り組んでいるのかしら、とも思う。それでも、「いよいよ、本格的に改憲攻勢が始まった」との感。

構成は、「総則」「象徴天皇制」「基本的な権利・自由および責務」「平和主義および国際協調」「統治の基本構想」「首相および行政」「国会と内閣」「憲法裁判所」「財政」「地方自治」「国家緊急事態及び自衛軍」「改正」の9章からなっている。この標題だけを見ても、相当にうさんくさい代物。

改憲勢力の側から見て、憲法を改正しなくてもできることがある。有事法制や恒久化法等々。それが着々と進行しつつある。しかし、どうしても憲法改正なくしてはできないことがある。その最たるものが「集団的自衛権の行使」である。「素案」は当然ながら、これに踏み込む。「個別的または集団的自衛権を行使するための必要最小限度の戦力を保持する組織として自衛軍を創設」と明記する。また、「素案」は、「国際貢献のために武力の行使を伴う活動」を行うことを明記している。海外での武力の行使を可能とするものだ。

改憲は現実を追認するだけではない。現実を大きく変えることになる。日民協の総会議案では、「明文改憲を容認するか反対するか。ここが、敵と味方を分かつ分水嶺」だとした。「素案」は、まさしく分水嶺を超えた危険な世界に突き進むもの。

素案は、さすがに「象徴天皇制は維持」としているが、象徴天皇を「元首」と明確に位置づけた。なんたる復古主義的憲法感覚。ここが弱みでもあろう。女性天皇容認は、天皇制維持のためのやむを得ざる選択。「日の丸」を国旗、「君が代」を国歌とすることも盛り込まれている。国旗国歌法の憲法への格上げ。ご冗談でしょう。

「基本的人権」の標題ではなく、「基本的な権利・自由および責務」とされているこの章では、国民に「国家の独立と安全を守る責務」を課している。まっぴらごめんだ。国家緊急事態における人権の制限を明定する。これは戒厳令にほかならない。環境権も、国民に対して環境保全の責務が説かれる。そして、家庭の保護、生命倫理への配慮。説教じみた保守的倫理観が説かれる。総じて、国家ではなく、国民の義務が重視される。

何よりも、「教育の基本理念」という項にギョッとする。教育は、わが国の歴史・伝統・文化を尊重し、郷土と国を愛…する態度を涵養することを旨として行われなければならない」。これでは、世も末だ。

あれも、これもだ…。しっかりと反撃しなくてはならない。


2004年11月20日(土)
「日の丸・君が代」強制反対の1年  

昼は「被処分者の会」。夜は「予防訴訟をすすめる会」の定期総会。

参加者から「自分のしていることはささやかな抵抗だが、この抵抗が教育と民主主義擁護の最前線にある。私たち一人ひとりの行動が歴史を作っている」との発言があった。同感であり、襟を正さざるを得ない。

昨日、予防訴訟第3次提訴があったことが報告された。これで、原告合計360名、弁護団48名。そして、予防訴訟を支える会の会員は1000名を超しているという。報告者からは、「第4次提訴も実現して、原告500人を目指そう」「支える会員2000名を目指そう」という呼びかけがなされた。

一年間になしえたことの大きさを確認する集会となった。予防訴訟提起を中心とする運動があったからこそ、不起立者を孤立させず、現場での切り崩しを許さなかった。服務事故再発防止研修でも、むしろ攻勢的に対応することができた。堂々たる抵抗を組織することができた。

この経験は、東京都だけでなく各県でも学んでいる。攻撃も全国的なものとなりそうだが、対抗する運動も全国化の萌芽が見えている。また、集会で、「学校に自由の風を」からの連帯の挨拶があった。学校に自由がなくなれば、子どもが被害者となる。市民の力で学校の自由を回復しなければならない。05年1月10日には、日比谷公会堂で2000人規模の集会を開催するという。運動は、着実に大きくなりつつある。

集会で、弁護団への質問があった。教員の自由の制約に関する問題だった。私に振られたが、突然のことで意を尽くした説明ができなかった。教育の本質、ないし子どもの教育権という観点から、自ずから子どもに対して教師が持っている特定の価値観を押しつけることはできないことを中心に話した。我ながら、出来の悪い説明だった。見かねてのことであろう。続いて、尾山弁護士が登壇した。むしろ、教員の持っているアカデミックフリーダムの国際水準についての話をし、教員は押しつけではなく、自分の意見もいうべきなのだ。それが教育学の教えるところだと補充した。見事なまとめだった。
その場で何が求められているのか的確な判断が必要なのだ。私自身が、もっと真剣に学ばなければならない。そう痛切に感じた一幕だった。


2004年11月21日(日)
ノムヒョンの気骨  

ブレアーはブッシュの「プードル」だそうだ。小泉は定めし「ポチ」だろう。しかし、盧武鉉(ノ・ムヒョン)はイヌには喩えられない、気骨を見せている。

20日のサンティアゴでの米韓首脳会談で、ブッシュ大統領は「北朝鮮の核問題に関して韓国が抱いている敏感性を十分理解する」と述べた。米国に対北朝鮮強硬策の自制を促す韓国側に一定の理解を示したものと見られる、と報じられている。

盧は12日に、ロサンゼルスで講演し、北朝鮮の核問題について「(米国による)武力行使は韓国にとって戦争を意味し、交渉戦略としての有用性は制約を受けざるを得ない。封鎖政策も不安と脅威を長期化させるだけ」「朝鮮戦争の廃虚から今を築いた我々に対し、再び戦争の脅威を受け入れるよう求めることはできない」として、対話による問題解決を米国に訴えた。朝鮮半島で戦争を始められたのではたまらない。韓国は、アメリカの危険性を本気で心配しているのだ。

また同大統領は、北朝鮮が核やミサイルを自衛のための抑止力と主張していることについて、「様々な状況から見て一理ある面がある。核開発が誰かを攻撃したりテロを支援したりするためとは断言できない」と発言。その上で「安全が保証され改革と開放が成功する希望が見えれば(北朝鮮は)核兵器を放棄するだろう」との見方を示した、とも報じられている。

私は、核を容認する立場にはない。北朝鮮の核保有にも強く反対する。しかし、北に核を持つ口実を与えているのがアメリカであることは論を待たない。アメリカの侵略に備えるもっとも安上がりで確実な防衛手段として、核保有は魅力であろう。フセイン政権が易々とアメリカの軍門にくだったのは、大量破壊兵器を持っていなかったからだ、と考えてもおかしくはないのだ。

わが「ボチ」も、20日にAPECのサンティアゴでブッシュと会談している。「イラクの国造りや復興を成功させないといけない。イラク復興支援は継続したい」という言い方でシッポを振った。例の如く、国民に説明する前のブッシュへの約束である。「かの米国を想い、この日本を売る」と揶揄される所以である。


2004年11月22日(月)
有志連合は崩壊しつつある 自衛隊も撤兵せよ  

イラクの戦闘は、ファルージァから各地へと拡がっている。米軍や傀儡政権と対峙する側の「武装勢力」の内実を知りたい。どこで、どのようにリクルートされ、組織されているのだろう。
米軍のイラク攻撃による犠牲者数は10万を超えるとされる。負傷者や財産上の被害者は、その何十倍にものぼる。その家族や友人が、米軍とその仲間に憎悪を募らせている。どこからともなく数を増す「武装勢力」の供給源は、このイラク国民の憎悪であろう。

「有志連合」への参加はこの憎悪の対象となることにほかならない。イラク派兵の各国が、派兵の大義を見直し、損得の計算も見直しはじめている。
アメリカが組織したイラク派兵の有志連合は37カ国。国連安保理の決議を得られなかった米国が、国際的な孤立化を覆い隠すために招集したもの。米国にシッポを振って、見返りを期待した諸国が参加した。「新しいヨーロッパ」とおだてられた東欧の中小諸国が数合わせの対象とされた。もとより、常任理事国5カ国のうち、仏・中・露は参加していない。

「有志連合」のうち、既に8カ国が撤退を完了した。スペイン、ニュージーランド、フィリピン、シンガポール、タイ、ドミニカ、ニカラグア、ホンジュラスである。
続いて撤退を表明している国が7カ国。ハンガリー、ウクライナ、オランダ、チェコ、ポーランド、ルーマニア、ブルガリア。
22カ国が残っているとは言え、その内の主要国は、アメリカ(兵員数14万)、イギリス(8500)、イタリア(3000)、韓国(2800)、オーストラリア(900)、日本(800)の7カ国だけ。あとは微々たる存在にすぎない。有志連合は明らかに崩壊しつつある。ホワイトハウスのホームページに掲載されていた「有志連合リスト」が削除されたという。

スペインでは国民多数の反対を押し切ってイラク戦争に協力したアスナール政権が倒されて撤兵した。
フィリピンでは、民間人が武装勢力の人質に取られた事件をきっかけに、「国民の命こそ守るべき国益」として、撤兵した。
まだ有志連合に残っているとはいえ、イギリスも、イタリアも、韓国も国内世論の批判は厳しい。有志連合にとどまったまま、政権が持つかは微妙である。当のブッシュ自身が、薄氷を踏む思いの再選であった。

この情勢下で12月14日を迎える。イラク特措法による派兵の期限が切れる日。政府は、派兵継続の可否についてはまだ明らかにしていない。
にもかかわらず、小泉首相は11月20日、APEC開催中のサンティアゴでブッシュと会談してこのことに触れた。「イラクの国造りや復興を成功させないといけない。イラク復興支援は継続したい」という言いまわしで、事実上派兵継続の意思を表明した。

日民協総会では、改憲阻止への決意を込めた「日本国憲法を擁護し、国際社会の平和的発展を期する宣言」を採択した。 改憲阻止の運動は、具体的な平和・人権・民主主義擁護の課題と結びつかねばならない。
明文改憲阻止とともに、現下の最大課題として、自衛隊のイラク派兵撤退を初めとする諸課題に取り組んでいきたい。


2004年11月23日(火)
敗訴者負担法案が廃案に?

朝日と共同通信が報道している。政府は「弁護士報酬の敗訴者負担制度」導入を断念したという。前国会から継続審議となっていた「民事訴訟費用法改正案」を廃案とする方針を固めた、というのだ。「方針を固めた」とは微妙な報道。複数報道だが、それぞれ独自の取材で感触を得たということなのだろう。そのアナウンス効果も大きい。

噂としては、これまでもそれに類する話は聞かされてきた。司法アクセス検討会の推進派委員が「完敗だ」と言ったとか。しかし、仮にも内閣提出の法案、しかも推進派から見れば相当に譲歩した内容。廃案は困難、修正が現実的目標、などと考えてきた。廃案が本当なら感慨深いものがある。

この法案には、民主的な法律団体、消費者・労働・公害・患者団体などがこぞって反対してきた。当初は頼りなかった日弁連も、対策本部発足以来、本腰を据えて取り組んだ。そして、少なくない国会議員も反対に回ってくれた。訴訟は本来弱者の権利を擁護すべきもの。その弱者の司法へのアクセスを阻害する。その理が、社会に浸透した。清水鳩子さんや瀬戸・坂弁護士らを先頭とする市民の運動あればこその成果。

だが、この問題の複雑さは、廃案だけでは問題が片づかないこと。とりわけ、格差ある当事者間の訴訟外での敗訴者負担の合意を有効と認めて良いのかという問題が残されている。消費者約款、銀行取引約款、金融商品取引約款、入院申込書、手術承諾書、借地借家契約、労働契約、就業規則等々に、管轄合意と並んで「本契約に関する訴訟においては、弁護士報酬は敗訴当事者が負担する」という条項が滑り込まされる恐れがある。これを無効とする立法措置が求められるのだ。

これまでの運動の勝利の意義を確認するとともに、残された課題での運動の再出発が必要であろう。


2004年11月24日(水)
金融機関の経営者責任  

本日は水戸地裁。ここの玄関から望む城跡の借景がすばらしい。蒼い空に映える、黄葉の銀杏、紅葉の桜。代々の水戸藩士が眺めたであろう超俗の風景。一歩裁判所の中に踏み込めば、詩的な外の景色とは隔絶した世俗の世界。私が担当した、地元破綻金融機関の経営者責任を追及する訴訟の判決が言い渡された。

銀行(株式会社)であれば取締役、信金・信組であれば理事は、当該金融機関に善良なる管理者としての注意義務を負う。この義務に違反して、金融機関に損失を与えれば損害賠償の責を負わねばならない。金融機関が破綻した原因は、役員の杜撰な融資によるもの。住専破綻以来、その責任を追及する弁護団の活動を、私は長く務めてきた。今日は、そのうちの一件。

破綻した信組の規模は小さく、預金量100億円の程度。ある有限会社に対する杜撰な融資で2億に近い回収不能を生じた。訴訟では、その責任を追及して理事長と専務理事を被告とし、合計1億円の損害賠償を請求した。本日の判決は、原告の請求のとおりの全額認容となった。弁護士たるもの、手がけた事件が勝てばさすがに嬉しい。判決後の記者会見も明るい雰囲気。

訴訟で被告が主張したのは、「実情をよく見てくれ」ということ。小規模金融機関では職員も融資実務のプロはいない。役員だってもともと畑違いから育っている。こんな実態の信組の役員に高い水準の注意義務を求められてもそれは無理、だから損害賠償の請求は筋違い。平たくいえば、そんな主張だった。

本日の判決は、当方の意見を採用して、「金融機関の役員の責任水準はその規模で変わるものではない」と言ってくれた。規模は小さくても他人から預かった大切なお金の運用なのだから、杜撰で良いことにはならない。金融機関の役割に鑑みてその社会的影響力も大きく、役員の責任は重大、と明示した。この訴訟は、金銭を回収するためであるよりは、ケジメをつけること、金融機関役員のモラルハザード防止を目的としている。そのことに照らして、意義のある判決になった。

さはさりながら、1億円支払えという判決をもらった人やその家族のことを思う。この事件では、1億円が被告の懐に入ったものではない。私服を肥やすとか、刑事上の横領・背任に当たるところはないのだ。杜撰な職務執行の責任の値段が1億円。高いだろうか、安いだろうか。本日の判決の法的正しさには一点の疑義もない。だが、勝訴判決を得るために最大限の努力をしてきてなお、敗訴した被告の側のことを考えざるを得ない。悩みのない仕事はないものだ。


2004年11月25日(木)
小泉参拝違憲訴訟・千葉判決  

小泉首相は遺族会の票をもらうために靖国参拝を公約して、総裁選に勝利した。小泉を日本の首相たらしめたのは、靖国参拝実行の蛮勇と言って過言でない。だから、彼は無理を承知で、参拝を辞められない。

その小泉靖国参拝を違憲とする訴訟が、東京・大阪・福岡・松山・沖縄・千葉と6件ある。このうち、福岡訴訟は、理由中で違憲判断をした亀川判決を得て控訴なく終了、大阪・松山が一審敗訴で控訴中。残るは、千葉・沖縄・東京だったが、本日千葉地裁で判決。請求棄却で、「不当判決」の垂れ幕が出た。

千葉訴訟は、01年8月13日に行われた小泉の最初の参拝を違憲とするもの。牧師や僧侶ら宗教者を中心にした63人が「首相の参拝は憲法20条3項に禁じられた国の宗教行為に当たる」「国が特定の宗教に特権を与える行為に当たる」として、「国の違憲・違法行為で精神的な苦痛を受けた」として、首相と国を相手に1人当たり10万円、合計630万円の慰謝料を求めた訴訟。いわゆる違憲国賠訴訟である。

この訴訟で、原告が勝訴判決を得るためには、いくつかのハードルがある。
まず、小泉の行為が公的な資格における宗教施設の参拝でなければならない。これを否定されると、違憲・違法判断の対象がなくなることになる。肩すかしである。
次に、公的な資格による参拝が違憲行為であるとの判断がなくてはならない。憲法に禁じられた国の宗教的行為(20条3項)・特定の宗教団体への特権の付与(20条1項)に当たると言わねばならない。この違憲判断を明確にする目的で、訴訟は提起されている。仮に、参拝の公式性を認めた上で、積極的に合憲性を肯定されるとすれば、最悪の判決。まさかそんなことはありえない。
勝訴のためのさらに高いハードルが、損害の認定である。小泉の靖国参拝によって原告らの宗教的人格権が侵害された、あるいは法的保護に値する人格的利益が損なわれた、といってもらわねばならない。これが難しい。

本日の判決は、千葉地裁判決は「(首相の)参拝は職務行為だった」として公式参拝と認定した。しかし、憲法判断には踏み込まず慰謝料請求を退けた。と報道されている。第1のハードルは越したが、第2・第3のハードルは越えられなかった、ということになる。

APECでの日中首脳会談の直後でもあり、世間の耳目を集めるタイミングでの判決であったが所期の成果をあげるには至らなかった。が、困難は覚悟の上のこと。運動体はめげずにがんばり続けるだろう。

政教分離は近隣諸国の外圧があるから守らなければならないというものではない。悲惨な戦争に国民を駆りたてる道具立てとして宗教を使ったその反省から生まれた憲法原則なのだ。中国がどう言おうと、韓国がどう言おうと、あるいはなにも言うまいと、自ら決めたことを守らねばならない。その原則が崩れたときは、戦争の惨禍がもたらされるとき。そして、精神的自由が圧迫されるとき。


2004年11月26日(金)
南部藩主の末裔が靖国神社の宮司に  

私の生まれは盛岡。南部藩20万石の城下町である。藩政時代の記憶は、この地に少なからず残っている。言い古されていることは「南部に名君なし」。バカ殿ばかりだったということ。

伊達政宗、上杉鷹山、山内容堂、鍋島閑叟、島津斉彬…。実態は知らず、世に名君・賢侯と称される人物は数多あるが、南部にはない。飢饉の度に多くの餓死者を出したのは、当時の米作の北限という悪条件もさることながら、苛斂誅求しか頭になかった悪政のせいでもある。私の祖先は、バカ殿の悪政に苦しめられ、ようやく生き延びた側。恨みは深い。

藩祖南部信直からして恰好悪いことこのうえない。地元の英雄・九戸政実には負けてばかり。秀吉が送った中央の大軍の威を借りてなお攻め落とせず、だまし討ちにしてその地位を固めた。ブッシュの威を借りた小泉か、アラウィみたいなもの。

以来、中央に服属する南部藩主は代々が暗愚の殿サマ続き。それに比べてこの地の一揆の指導者はすばらしく利口。これが地元の定説である。地方史を語る人は、すべからく反中央、反権力となる。

それでも私が南部藩に愛着を覚えるのは、戊辰戦争では賊軍となったから。関ヶ原の恨み消えやらず反徳川の旗を立てた佐方藩(秋田)を例外として、愚直にも奥羽列藩同盟は朝敵となる。賊軍・朝敵、いずれも私の好むところ。

ところが、南部のバカ殿の末裔は明治期には伯爵になって、学習院では宮様とかのご学友になる。そしてこのたび、旧華族会からの推薦で、こともあろうに靖国神社の宮司になった。本年9月のこと。

いうまでもなく、靖国神社は明治政府がその政策遂行のために作り上げた「創建神社」である。その政策とは朝廷軍の戦死者慰霊。忠死者の霊を招魂して慰霊し、霊前で復讐を誓うことによる戦意昂揚がねらいである。だから、敵味方の戦死を徹底して差別する。賊軍は「荒ぶる仇(あた)ども」として蔑まれる。未来永劫敵軍の死者が祀られることはない。会津藩士しかり、西南戦争の西郷隆盛しかり、そして南部藩士しかりなのである。

この南部藩主の末裔氏、南部利昭という69歳。電通マンとしてのサラリーマン生活25年の経験者だそうだ。その9代目靖国神社宮司が、週刊朝日の最新号で穏やかならぬことをのたまっている。
「首相が8月15日に参拝するのは当然です。中国の反発は、『余計なお世話』で済ませればいい。そう言えないのは弱腰外交です。外地で亡くなられた方も、戦犯で処刑された方も、同じ戦死者だと、厚生省が認めているのです」
まずは、私の南部藩賊軍イメージのぶちこわしである。そして、歴史認識も、憲法感覚も、カケラのほども持ち合わせのないことの露呈。やはりバカ殿の末裔。

週刊朝日の記者も悪乗り。「日本の若者に広がる保守化傾向や反中感情を、どう追い風とするのか。靖国神社内では、元電通マンの『経営手腕』に期待が高まっている」と記事を結んでいる。どうも、世の中きな臭い。


2004年11月27日(土)
予防訴訟弁護団会議と準備書面  

「日の丸・君が代 強制反対予防訴訟」の弁護団会議は本日午後4時から9時過ぎまで。少々くたびれる。しかし、いつものことながらたいへん充実している。教育現場にいる教員たちとの議論が新鮮で面白い。決して独りよがりではなく自分流の教育実践に誇りを持っている人たち。このひとたちが平和や民主主義を支えている。権力側が必死になって何とか押さえ込もうとたくらむ気持ちも分からぬではない。

締め切りが迫ってきた準備書面は200ページではおさまりそうにない。うかうかしていると300ページにもなりそう。裁判官に、読ませる工夫が必要だ。

尾山弁護団長の思惑どおり、この準備書面作成の過程で弁護団員がベーシックな教育法理論を学習している。問題意識を新たにしつつ、ようやく教育訴訟の力量を獲得しようとしている。

準備書面の構想が次第に固まってきた。大要は次のとおり。
何が起こったかの事実論については既に訴状で明らかにしている。問題は、その事実に対して、どのように法律的な評価をすべきかということ。正しい法的判断をするためには、事案に即して教育条理を明らかにしなければならない。憲法、条約、教育基本法、学校教育法等々をどんなに眺めても、それだけでは真の判断基準は見いだせない。これらの、法体系を生み出した教育そのものの理解と、歴史的な背景を理解して初めて、正確な解釈の道具としての法の精神を獲得できる。

したがって、まず戦前の教育を概観しなければならない。天皇制政府が、いかに国家主義的・軍国主義的な教育体制を貫徹したか。教育の目的を非人間的な国家への奉仕とし、いかに中央集権的な上からの教育を推し進めたか。その結果、どんなに非道な軍事国家が誕生したか。それを明らかにした上、戦後教育改革が戦前の教育を徹底的に反省して、個の確立と自由で民主的な教育体制を作ったこと。今もかわらぬ教育法体系は、まずは戦前の国家主義的教育を否定するところから出発したことを明らかにする。

それだけではない。現行の教育法体系は、近代教育の本質そのものが要求する教育の公理を体現している。教育の本質は個の可能性を自発的に引き出すことにあり、権力的強制には本質的になじまない。教育は本来的に自由の中でこそ成立する。それが、教育学の教えるところなのだ。教師は、生徒と人格的な関係を形成し、無限に多様な状況下で専門性を生かした教育活動を行う。教育内容に行政が介入してはならないといことは、近代教育の普遍的な条理にほかならない。

ちなみに、民主的先進国といわれる各国の教育法制や、国旗国歌の取扱いを概観すれば、日本の現状が如何に異常であるかが明らかである。

わが国の現実はこの近代教育原則の公理に照らしてどうであろうか。戦後教育改革の成果冷めやらぬうちに、逆コースが始まる。教え子を再び戦場に送るまいという合い言葉で結集した教員組合の抵抗がありつつも、教育理念は少しづつ侵蝕されていく。中央集権的、管理主義的、差別的な教育路線が進行する中で、「日の丸・君が代」強制も着々と進行する。「日の丸・君が代」強制とそれへの抵抗は、実は根の深い国家主義的管理教育と、民主的な子ども中心の教育観との衝突である。

法体系としては、憲法の精神的自由の分野と教育理念の分野とが、ともに重要である。憲法19条は思想良心の自由を無制限に定める。本件は、教員の思想・良心・信仰の核心に直接関わる問題である。当然に起立・不起立で思想の踏み絵を踏ませるような状況に教員を置いてはならない。仮に、不起立という不作為を表現行為として21条の問題とするにしても、これを「公共の福祉」という訳の分からぬ一言で制約することは許されない。「職務の公共性に由来する内在的制約」と言葉を換えても同じこと。内在的制約とは、両立し得ない他の人権との衝突において調整されざるを得ないというにすぎない。これは、憲法学界の定説である。不起立という教員の消極的表現行為と衝突する他の人権は考えられない。調整原理が必要とされる局面ではないのだ。

憲法の教育理念の分野においては、教育基本法・学校教育法が定めるとおり、そして各種国際条約が明らかにしているとおり、教育は行政の支配から自由でなくてはならない。「日の丸・君が代」への対応は、すぐれて内的教育事項の範疇に属するものであって、行政の介入があってはならないものである。

その他で、被告側が主張することが予想される憲法上問題となりそうなものは、全体の奉仕者論であろう。公務員であるが故の権利の制約が無限定に許されてはならない。結局は、教育現場という特殊性故に権力の意思が貫徹されねばならぬものか、教育の本質故に権力の一方的イデオロギーの注入への抵抗が保護されるべきかの価値判断となる。

また、10・23通達は、まず学習指導要領の遵守をあげる。しかし、その法規としての拘束力は、その上位の法形式である憲法・教育基本法・学校教育法・子どもの権利条約・教員の地位に関する条約などに違反しない限度での大綱的基準として認められるに過ぎない。この理は、旭川学テ最高裁大法廷判決が確認するところである。

実は、これだけでは済まない。もっと多岐にわたる。たくさんの注文が出るたびにテーマと紙幅が際限なくふくらんでいく。最後はばっさりと切らねばならない。それでも、どれほどの分量になるものか。

準備書面をパンフレットに作ろう。という提案があった。訴訟の進行が、その都度書籍になって出版されれば、こんなに有益なことはない。パンフレット最後を画期的な判決で締めくくりたいものである。


2004年11月28日(日)
外国人力士諸君、君らは立派だ

大相撲九州場所が朝青龍の優勝で幕を閉じた。年間5場所の優勝は、大鵬・北の湖・千代の富士に次いでの4人目だという。大鵬・北の湖なみに強いのか、周りが弱くなったのか。

あらためて外国人力士を凄いと思う。なまなかな環境での職業生活ではない。本日の結びの一番、全館が手拍子で魁皇を応援。朝青龍の胸中や如何に。全試合をアウェイで戦うのだ。いや、入門以来たいへんなカルチャーショックのなかでのつらい生活。肉体的にはもちろん、精神的にも強靱でなくては務まらない。負けじ魂は、彼らの方が数段上なのだろう。

現在モンゴル・ブラジル・中国・韓国・ロシア・トンガ・グルジア・チェコ・ブルガリア・カザフスタン・エストニアの力士がいる。出世の確率は、日本人力士に比較して遙かに高い。朝青龍は強い。これを倒した白鵬は凄い。その白鵬をぶん投げた琴欧州も綱取り候補。そして、力強さにかけては露鵬が天下一品。私の好きな黒海も強いぞ。

もう少しで番付は完全に塗り変えられる。外国人力士の天下となるだろう。
2007年初場所番付の大胆予想。4横綱が、朝青龍・白鵬・琴欧州・露鵬。2大関が黒海・若の里。関脇に稀勢の里。

日本人の体力や根性が落ちたとは思わない。本来、そんなに違うはずはない。力士が育つ環境が衰弱しているのだ。なにせ競技人口がゼロに近い。絶滅危惧スポーツとなっている。これを国技とはおこがましい。外国人力士の活躍は当然で、日本の恥でもなければ無念さもない。イチロー・松井・野茂らが米国で差別のない声援を受けているのを見習いたい。協会が、ハードルを下げてお情けの日本人横綱作りを目指すのは見苦しい。

それにしても、この国際化の波である。千秋楽の「君が代」は何とも不自然。番付の実態にふさわしく、すっぱりとやめてしまえないものだろうか。


2004年11月29日(月)
わが思想はすべて軟弱なる性から出づるごとし   

「ビロード革命」という語感が好きだ。徹底した社会改革が望ましいとは思うが、流血の惨事を経てのことであれば尻込みせざるをえない。
「革命とはきれいごとではない」という毛沢東の現実主義には敬服するが、真似はしたくない。私は、根っから暴力は嫌いだ。自分の血も他人の血も見たくはない。血だけではなく、人間のプライドを傷つける場面も見たくない。軟弱なのだ。

私が学生のころこんなことを言うと、「改良主義」「修正主義」とか言われた。「改良」が悪罵になる時代だった。「修正」だっていいじゃないか、軟弱な私は、そっとつぶやいていた。

憲法9条の恒久平和主義も軟弱な思想なのだろう。階級の利益を完全に実現する政権が樹立されれば、人民の武力は善だということにもなろう。しかし、私にはそのような思考回路の持ち合わせがない。

ウクライナでおきていることの詳細はよく呑みこめない。が、民主化を求める民衆のエネルギーが噴出している様子はよく分かる。軍や、警察や、マスコミの末端にいる人々が、「権力への服従を拒否する。人民のために働く」と宣言をしているのは感動的である。民主主義とは、このようなエネルギーでありダイナミズムそのものであろう。

最高裁による司法判断を待つ状態であるが、運命を決するのは民衆の力である。このような場合、「人民よ、武器を取れ」と呼びかけることがリアリスティックなのだろうか。「一輪ずつの花をもって、不服従のデモに参加しよう」というスローガンの方が、実は事態を変えうる力を生むことになるのではなかろうか。軟弱な私でも勇躍参加できるからだ。

とすれば、軟弱の思想恐るべしではないか。


2004年11月30日(火)
オウム真理教だからの逮捕は看過しがたい   

刑法・刑事訴訟法は何のためにあるか。当然に、被疑者・被告人の利益のためにある。
被疑者・被告人とは、国家権力と対峙するときの国民ということである。権力の恣意的発動を抑制して、国民が不当に逮捕されたり、捜索差押さえをされたりすることのないように。そして、無実の者が冤罪に泣くことのないように、刑事法は存在する。

この原則は、厳格に守られなければならない。例外を認めれば、警察・検察の恣意を許すことになる。暴力団でも、過激派でも、右翼でも、左翼でも、対象によって法の適用が変わることは許されない。オウム憎しの世論に悪乗りして、警察が不当な逮捕をすることを見過ごしてはならない。次は、同じことが、誰の身に降りかかることになるとも知れないのだから。

今日、神奈川県警と伊勢佐木署は、オウム真理教(アーレフに改称)の信徒が個人用住宅と偽って借りたマンションを教団施設として使ったとして、信徒3人を詐欺の疑いで逮捕した。オウム信者であることをことさらに隠して、「私が一人で住む」として建物を賃借し、実際には出家信徒ら3〜5人が教団の拠点として使用していたことが容疑だという。これで、逮捕はひどい。令状を発した裁判官はメクラ判を押しているのだろうか。

詐欺は財産犯である。相応の財産的損害が存在する場合にのみ刑罰権の発動あってしかるべきだ。本件では、建物を詐取されたわけでもなく、賃料が入らなくなったわけでもない。真実を知っていれば貸さなかったという貸し主の利益侵害の存在は確かだろうが、民事的に契約を解除し占有を回復するという手段で十分である。

これでは、賃借人が無断で友人知人をアパートに連れ込んだとして、逮捕されかねない。民事の解約事由に当たるか否かの問題として処理すればよいことで、逮捕勾留するようなことではない。

普段は、「民事だから不介入」として腰の重い警察が、ときに突出して動き出すことを認めるのは極めて危険である。オウムだからとして看過していると、労働運動にも、野党の政治活動にも、民主団体にも、市民運動にも、個人の活動にも、時の政権に思わしくない行動を恣意的に検挙されてしまうことになる。

最近この種の問題が多すぎる。マスコミにも警鐘を鳴らす立場での報道姿勢を期待したい。


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