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2005年07月16日(土)
「事務局長日記」本日で終了 ご愛読を感謝いたします 

本日、日本民主法律家協会の第44回定時総会。そして、「法と民主主義」400号の祝賀会。並びに、第一回の法民賞・授賞式。にぎやかに、すべてのスケジュールが終わった。

総会で強調されたことは、いよいよ改憲阻止運動の正念場であるということ。戦後60年二世代の時が移り、戦争の惨禍の記憶が必ずしも国民に共有されなくなりつつある中で、改憲スケジュールが具体化しつつあることへの危機感。運動の幅を拡げ、多数派としての改憲阻止運動の必要性。

憲法は危機にある。そのとおりではあるが、けっして一気呵成に改憲が実現するという状況にはない。目を瞠るべき戦後民主主義の底力、平和憲法を護れという大きな運動が起きつつある。その運動の成果として改憲を阻止することは、日本の民衆が自らの力で自らの憲法を選び取る初めての機会となる。そのような国民運動の一翼としての法律家運動を起こそう。そのような決意が語られた。

第一回の法民賞は、渡辺治さん(一橋大学)に贈られた。「卓抜した理論的成果をもって、運動の指針となった」との評価である。「法民」掲載の渡辺さんのテーマは、憲法改正問題、司法改革論、それに石原都政観の三点に及ぶ。いずれも、定番となり古典にすらなりつつある。

渡辺さんの受賞講演は、「自分も東大社研の助手であった時代に、法民の編集に携わった。生きた法律に触れたという充実感があって貴重な経験であった」とはじまった。改憲問題は四半世紀取り組んできたテーマとなった。改憲阻止のためには、保守まで含めたもっとも幅の広い明文改憲阻止の一点での統一した運動を作らねばならない。そのためには社会保障問題や医療、経済問題、あるいは教育や「日の丸・君が代」強制など、各論的な問題に取り組まねばならない。それらの個別課題の積み重ねの究極に憲法改正問題がある。また、改憲阻止運動は、改憲草案が提出されたら闘いが始まるという性格のものではない。日常の個別課題への取り組みの過程が決定的に重要なのだ‥。

さらに、「弁護士報酬の敗訴者負担を許さない全国連絡会議」と「イラク拘束者解放弁護団」の2団体に、その成果を讃えて特別賞が授与された。いずれも、その努力、その成果に、惜しみない拍手が送られた。

本日の総会で、新事務局長が選任された。弁護士の海部幸造さんである。改憲問題の正念場に、エースが登場する。私はベンチに下がることになる。

私は、7年間事務局長の任にあった。「無期刑」あるいは「不定期刑」との冗談が出るほどの事態だった。この間得意ではない任務に四苦八苦だったが、大過なく任務を全うした。新事務局長には、2年を限っての任務との執行部合意がある。理事長も、事務局長も、きちんと交代できる組織でなくてはならない。

この間、「事務局長日記」を書き続けてきた。800日を超える連続更新であった。2003年の4月22日から今日まで、一日の休載もなくよく書き続けたものだと、われながら思う。

当然のことながら、事務局長の任務として書きつづってきたこのコラムは本日をもって終了ということになる。こんな面倒な「日記」に付き合っていただいた読者の皆様に、心からの感謝を申し上げたい。

いずれ、新執行部の了解をいただいて、日民協サイトの一隅に装いを新たにしたコラムを書かせていただきたいと思う。「澤藤統一郎の憲法日記」ではどうだろうか。そのとき、また拙文をお読みいただければ、これに過ぎる喜びはない。

憲法擁護運動の昂揚を祈念しつつ擱筆する。


2005年07月15日(金)
今年も、再発防止研修に裁判所の枷  

数えてみれば、弁護士生活は35年目である。この間、勝ったり負けたり、一喜一憂を繰り返してきた。常に自分の側に正義があると思い、自分が勝つべきだと思い続けてきた。が、なかなか思う通りにはならない。

この国の立法府は到底まともとは言えない。私は常に政治的少数派であり、多数派の横暴に切歯扼腕せざるを得ない。行政府も同じ。歴史の進歩に逆行しているといわざるを得ない。だから、せめては司法がまともであって欲しい。法の理念というものが厳正に実現される場であって欲しい。多数派の思惑に左右されることなく、人権を擁護する裁判のできるところであって欲しい。憲法が、絵に描いた餅としてではなく、現実に機能するシステムであって欲しい。

社会の強者やマジョリティは立法府を動かす。行政はマジョリティに奉仕する。司法に期待するのは弱者であり、マイノリティである。たった一人の絶対的少数派のためにこそ司法は存在する。そもそも、司法とはそのような場であり、法曹とはそのような感覚を持つ集団である。‥はずなのだ。

そう思って弁護士となり、そう思いつつ35年を過ごしてきた。が、現実はあまりにも厳しい。「行政追随のこんな裁判所なら、そんなものは要らん」と言いたくなることがしばしば。今日もそんな日。人間、多忙で疲れるよりは、仕事がうまく行かないときに疲れる。ああ、疲れがたまる。

石原都政下の異常な教育行政。「日の丸・君が代」強制への抵抗者に、さらに嫌がらせを重ねて抵抗運動を潰そうというのが、服務事故再発防止研修命令。不起立・不斉唱・君が代伴奏拒否などを理由に処分を受けた教員を対象として、反省させ、再教育し、再発防止をはかるという。こちらに権力あれば、知事や教育長にこそ、たっぷりと憲法教育を受けさせたいところだが、現実はままならない。

30人の都内の教員が申し立てた執行停止申立が事件数として6件、地裁民事11,19,36部の労働専門部に分散して係属し、本日決定が出た。結果は全部却下である。溜息も出ようというもの。こんな、反憲法的な無茶苦茶をやろうとすることが、どうして裁判所によって止められないのか。裁判所は、石原教育行政暴走の消極的共犯者ではないかと言いたくもなる。

とは言うものの、現在の裁判所が裁判官の良心のままに思い切った判断のできる状態にないことについての覚悟はある。そのような醒めた目で、主文ではなく、理由をよく見れば、まずまずの判断も見えてくる。たとえば、相手方の主張を否定する次の一節。

相手方は、「本件懲戒処分が合憲適法である以上、本件研修を命ずることに違憲違法はない」「そもそも本件研修は、申立人の思想・信条という内心の領域に立ち入るものでもなく、不利益を与えるものでもないから処分性がない」と言う。しかし、都議会における教育長答弁、「専門研修」の状況を考慮すると、「申立人の主張が、現時点において、本案事件の審理を経る必要もないほどに理由がないと断じることはできない。

さらに、研修内容に警告を発する次の一節。
「確かに、本件研修が,単に職務命令に違反した教職員に対し,その再発防止を目的として指導を行うというにとどまらず,研修の意義,目的,内容等を理解し,職務命令に従う義務があること自体は認めつつ,自己の思想,信条に反することはできないと表明する者に対して,なおも職務命令や研修自体について,その見解を表明させ,自己の非を認めさせようとするなど,その内心の自由に踏み込み,著しい精神的苦痛を与える程度に至るものであるならば,これは,教職員の水準の維持向上のために実施される研修の本質を逸脱するものとして,教職員の権利を不当に侵害するものと判断される余地はある。」

昨年の地裁民事19部「須藤決定」は、都教委の暴走に大きな歯止めとなった。彼らは、結局やりたい研修をやれなかった。反対に反対運動の士気が大いに上がった。

私の要求レベルからは、却下決定には承服しかねる。しかし、どの決定も、教委側になんのポイントも与えてはいない。却下になったのは、すべて形式的な要件を欠くというに留まる。まだどのような研修が行われるか必ずしも明らかではなく、差し止めしなければ回復できないような損害が切迫しているとまでは言えない、というのだ。ニュアンスとしては、「研修は違憲・違法としても‥、差し止めなければならないほどひどいことが行われることがまだはっきりしていない」というのが、却下の理由。

石原教育行政は裁判所によって差し止め命令こそ受けなかったものの、またまた大きな枷をはめられた。教員の内心に立ち入る研修をしてはいけない。執拗に、繰りかえし、不起立の理由を問い質してもいけない。そのような研修は、違憲違法なのだ。心せよ、教育委員諸君。教委の職員諸君。そして、知事よ、教育長よ。


2005年07月14日(木)
アスベスト禍は職業病・公害・消費者被害  

アスベストの健康被害が話題となっている。

一般に、じん肺は、粉じん環境下の職業病である。粉じん吸引者の肺胞が、慢性に不可逆的な線維増殖性変化を来たし重篤な呼吸困難に陥る。最古の職業病で、今なお最大の職業病とされる。治療方法はなく、職場を離脱してからも、症状が進行するところが恐ろしい。

じん肺の原因となる粉じんには種々のものがある。したがって、炭坑・銅鉱、金鉱、トンネル、荷役作業、土木建築工事現場、解体作業等々至るところでじん肺が発生する。じん肺が癌の引き金となりうることも知られている。法的な対策としてじん肺法が制定されている。あくまで職業病対策の労働法である。

アスベストは、じん肺の一種として、アスベスト肺の原因となる。また、「中皮腫」という癌の原因ともなる。じん肺の一種として職業病ではあるが、それに留まらない。

アスベストはその素材自体に有害性がある。アスベストが労働環境に留まっている限りは職業病であるが、職場環境外に飛散すれば地域環境を汚染する公害となる。そして、アスベスト素材が製品となって流通すれば、消費者被害となる。消費者被害は、PL事故・製造物責任問題として表れる。現在の経済構造が必然とする構図である。このことから、何を汲み取るべきか。

職業病と公害と消費者被害とは、極めて密接な関連性をもっており、その対策については共通の課題が少なくない。労働運動と、地域の公害反対運動と、そして消費者運動が連携する基盤がここにある。その連携によって被害を防止しうる。

その連携の中心となるのは、労働組合であり労働運動であろう。生産現場で、危険にもっとも近い立場にあること、そして危険物に関する知識情報をもちうるからである。会社の危険隠しや安全サボに加担するのではなく、まずは労働者自身の健康のために、毅然とした態度の取れる組合でなくてはならない。他方、地域や消費者の組織性は希薄である。しかし、被害者・関係者の規模は限りなく大きくなる。

労働運動は、地域や消費者の運動と連携することによって、大きな力を獲得することができる。地域や消費者は、労働者と連携することによって、貴重な情報を得ることができる。両々相俟って世論を動かすこと、自治体や行政に素早い対応をさせることが可能となる。

利潤の極大化という資本の論理からは、労働者の健康も、地域や消費者の安全も帰結されない。資本の論理の外で、健康や安全を擁護する力を生み出さなければならない。アスベスト被害に象徴される職業病、公害、消費者被害を、労働組合・地域・消費者の連帯でなくしたいと思う。


2005年07月13日(水)
服務事故再発防止研修命令に執行停止申立  

昨年に引き続き今年も、都教委は「日の丸・君が代」強制に抵抗した教員を懲戒処分としただけでなく、被処分者全員を対象に服務事故再発防止命令を発している。戒告処分を受けたものには「集合研修」だけ。減給処分以上の者には「専門研修」が加わる。

服務事故再発防止研修とは、セクハラや交通事故などの「非行」あった者に対して、反省を促し、事故の再発を予防しようという制度。しかし、君が代不起立で処分を受けた教員のほとんどが、処分を不当として法的な手続きで争っている。この人たちに、何をどう反省しようというのか。

歴史観、教育観、政治信条から君が代強制には従えないという人に対しては、思想的な転向を迫るに等しい。信仰上の理由から君が代に敬意を表することはできないという人には、改宗を迫るものではないか。本当の目的は、信念を貫くものへの嫌がらせである。分断し孤立させていじめようという、陰湿で卑劣な多重処分。研修命令処分取消の本案訴訟を提起するとともに、執行停止を申し立てた。予定された研修の日程は7月21日である。この日までに、決定を出してもらわねば間に合わない。

ここまでは昨年と同様の事態。昨年と異なることがいくつかある。
まず、新行政訴訟法が今年の4月1日から施行となった。執行停止の要件が緩和されている。執行停止の要件緩和は、行政訴訟制度の活用の増大を趣旨とするもの。まさしく、本件のごとき事案のために法改正が行われたと解される。

昨年の執行停止は、「思想良心の自由に抵触する、内心に踏み込んだ研修が行われれば違憲違法の可能性を払拭し得ないが、まだどのような研修が行われるか、具体的には明らかではない」として却下された。この理由に裁判官の良心を感じるものではあるが、「現実に思想良心を踏みにじられるまで争えない」ということでは、執行停止制度の趣旨に悖るものと言わざるを得ない。
今年は、去年と違って、昨年の研修の実態を主張できる。昨年、現実にこんな不当な研修が行われた。今年も繰り返される。これを前提に差し止めを、と申し立てている。

さらに、昨年に比較して減給や停職の被処分者が大幅に増えた。不当性の高い専門研修命令の対象者が増えているということだ。

訴訟は、民事11部、19部、36部の労働専門部3か部に分かれて係属し、執行停止もこの3か部に申立となった。昨日から本日にかけて、申立人代理人の裁判官面会が行われている。

昨年は、研修強行に対する抗議行動と執行停止申立が、「日の丸・君が代」強制反対運動全体の雰囲気を大きく昂揚させる実績を作った。本年も、ぜひそうしたい。今週中には、よい決定があるだろうと心待ちしている。


2005年07月12日(火)
日民協ホームページ自賛  

日民協のホームページが元気だ。けっして自画自賛ではないと思う。
本日、「法と民主主義」の7月号が発刊となった。毎月の苦労を重ねて400号である。明日には、会員・読者の手に届く。その内容をお知らせする日民協のホームページを見て驚く。「F1レーサー佐藤琢磨が弁護士の父和利と憲法を語り合う!」という写真入りの大見出し。佐藤さん父子には、400号記念特集の一つ、「9世代、親子で語る9条」に登場していただいた。私が驚いているくらいだから、理事長以下会員諸氏にも衝撃だろう。もっとも、「佐藤琢磨 whoo?」「F1レーサーとはなんぞや」というお歴々も多かろう。佐藤むつみ編集長なればこその元気印である。

コラム・『中国「残留日本人孤児」の人間回復の闘いに支えを』は、全国の訴訟の進行状況と運動を伝える貴重なコンテンツ。
とりわけ、7月6日(水)の大阪地裁不当判決前後の事情がよく分かる。7日の超党派議員が出席した国会内集会。9日(土)、10日(日)の都内と関東各県14か所で行われた判決説明会の様子など。「敗訴判決に動揺することなく、悔しさをばねに、新たな闘いに向けて団結することを再確認した」と報告されている。

「清水雅彦の映画評」は、ほぼ週に1本のペース。若手研究者らしい切り口と、清水さんの辛口の個性が醸し出す雰囲気がユニークで面白い。きっと、ファンが出てくる。何かを語ることは、常に自分を語ることでもあるのだ。
それにしても、あんなに忙しそうな清水さんが、こんなに映画を観ているとは知らなかった。しかも、興業的にはマイナーなものが多い。清水さんは、「忙しいと、『映画くらい見ないとやってられない』という気持ちでせっせと映画館通いをしている」という。
それに較べて、私はほとんど映画館とは無縁である。「最近」観た映画を挙げろといわれれば、「樹の海」「ディープブルー」「ダンシングウイズウルブズ」「船上のピアニスト」そして「ミッション」。10年間でこれくらいではないか。その前となると「ホワイトナイツ」まで遡る。極めて上質の反共映画だった。それから「結婚しない女」。もう古典の世界。自分じゃ見に行かない分、清水さんの映画評を楽しく読ませていただこう。

「伊藤和子のNYだより」も今回は力作。読ませる。この人、臆するところのないことが長所。どこにでも、堂々と出ていって、だんだんとメジャーになりつつある。

もっともっと、企画の持ち込みをお願いしたい。このホームページを法律家運動全体の広場にしよう。


2005年07月11日(月)
ブッシュのイラク観 イラク人のブッシュ観  

九州北部で豪雨禍。日田や九重町などで4人の死者が出ている。濁流に呑み込まれた家や道路の報道映像がすさまじい。なお雨が続くようだ。現地はさぞ大変だろう。

自然の猛威もさることながら、人間の憎悪の猛威もすさまじい。AP通信によると、イラク国内で10日、自爆攻撃が相次ぎ、計40人が死亡した。ロンドンでの死者が49人と公表されている。イラクでは、一日に40人が死んでもベタ記事にしかならなくなった。イラク人による、イラク人に対する自爆テロ。聞くだに、痛ましい。

イラクのこの悲惨な現状を作ったのは、ブッシュのアメリカだ。そのブッシュが、イラクへの「主権譲渡」一周年で演説をした。これを現地がどう受けとめているか。
「バグダードバーニング by リバーベンド」のブログにぜひ目を通していただきたい。以下は、その7月1日付日本語訳版の抜粋。
http://www.geocities.jp/riverbendblog/

ブッシュは演説の初めから終わりまで、明るい現状を描き出そうとやっきになっていた。ブッシュによれば、イラクは占領下で繁栄している。ブッシュのイラクには、復興があり自由(占領ではなくて)があり民主主義がある。
「違う国の話をしてるんだ‥」と、わたしはE(弟ー引用者註)といとこに言った。「そう。"別の"イラクの話だ。大量破壊兵器のあるイラク」と、Eも言った。
演説が始まってすぐ、9・11、そして9・11とイラクとの嘘っぽい関係が 登場した。いとこは、アメリカにはまだイラクが9月11日に関係してると思う人間がいるのかと不思議がっていた。

ブッシュの言。「アメリカの、そして世界中の軍隊は対テロ世界戦争を戦っています。2001年9月11日、わが国土は襲われ世界戦争の一端に巻き込まれたのです」。
ほんとにこんなことがいまだに信じられてるのか? ただひとつの大量破壊兵器も見つからなかったのに? 戦争前には、ただ一人のアメリカ人もイラクで殺されたことがなく、それに引きかえ今はおよそ2000人ものアメリカ人が死んだというのに? これらすべてを考えてなお、理性ある人々が9・11とイラクが関係しているという主張に納得しているなんて理解しがたい。また現在のイラクは2003年当時より脅威でなくなったとほんとに思っているなんて信じられない。
戦争前、イラクにアルカーイダはいなかった。あの種の過激主義には無縁だった。斬首も誘拐も宗教的不寛容もなかった。ツイン・タワーが崩れ落ちたとき、わたしたちは心からアメリカとアメリカ人に同情していた。ところが、イスラム原理主義者、あるいはアラブ人のしわざというニュースが流れ始め、わたしたちは打ちのめされたのだ。

ブッシュの言。「イラクは対テロ戦争の最前線であります。(中略)イラクにおける連合軍作戦担当司令官でこの基地(訳注:演説が行われたノース・カロライナ州フォートブラグ基地)の上級司令官であるジョン・ヴァインズ中将は先日うまく表現しました。『海外でテロと過激主義と戦うか、アメリカ本土で迎え撃つか、どちらかだ』と。」
「海外」って言うけど、まるで濃い髭の男たちで(たぶんラクダも)いっぱいのどこやも知れぬ砂漠のことみたい。演説の「海外」って、平和や繁栄を享受するに値しない、いや生きることさえ認められない劣等民の国を指しているらしい。
アメリカ人は知らないのかしら? テロとテロリストの温床、この広大な不毛の地またの名「海外」は、人類文明誕生の地であり、いまはこの地域の中でも最も先進的で開化した人々が住む土地であることを。
アメリカ人は気が付かないのかしら? 「海外」とは、おおぜいの人が、つまり男も女も子どもも刻々と死んでいっている国だということを。「海外」はわたしたち何百万人もの人間が暮らしているところ。ここで生まれ育ち、子どもたちを産み育てたいと願っている。あなたがたの言う、争いとテロの巷(ちまた)で。

ここ、わたしたちのところへ戦争がやってきた。そして今、目の前でこの国が崩壊していくのを見つめていなければならない。町々が爆撃され銃撃され住民が追い出されるのを、友人や愛する人々が拘束され殺され、恐怖や脅迫からやむをえず国を出ていくのを、ただ見つめているのだ。


2005年07月10日(日)
上野公園のホームレス  

梅雨の晴れ間の日曜日。早朝不忍池の蓮の花を見に出かけた。東大のキャンバスを通って、池之端から上野公園に。東京では贅沢な散歩コースである。花は紅、柳は緑。半夏生の白い花も見ごろ。ゴイサギが小魚をついばむ様子を見ることもできた。久しぶりに季節の景色を楽しむ。また、上野公園は、犬の社交場でもある。いかにも大切にされた犬どうし、飼い主どうしが、穏やかに談笑している。落ち着いた都会の市民の暮らしぶり‥。

ところがどうだ。いやでも目にはいるのが、上野公園のホームレスの人々。ベンチに腰掛け、路上にたむろし、洗濯物を所狭しと干している。その数、半端ではない。薄日の射す雨上がりの早朝にホッとしている様子だったが、昨夜の驟雨の時にはどうしていたろう。あの程度のテントで凌げるような雨足ではなかったはず。雨が上がったあとも、蚊や虻もたいへんだったのではないか。

北朝鮮市民の経済的な窮状について、隠し撮りのフィルムを見せられることがある。「これが北朝鮮の市民生活の実態だ」と。同じように上野公園を撮してみればどうだ。隠し撮りの必要はない。ことさらに焦点を絞る必要もない。これだけのホームレスの人々を避けて撮影することは不可能だ。「これが資本主義社会における窮乏化の実態だ」「日本の貧富の格差」「救われない貧しき人々の群れ」「飽食の犬と、家のない人々」というドキュメントが作れるだろう。上野公園に限らない。代々木公園も西新宿公園も、JRの駅地下鉄の駅にもホームレスの人々がたむろしている。

2002年8月7日に、ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法が公布されている。当時は話題の社会的テーマだった。 それが、既に都市生活には定着したありふれた光景になってしまった。私のような出不精な者に衝撃に映るというだけ。01年9月末の全国調査で厚労省は、全国のホームレスの人数を24,090人と発表した。この数、当時各自治体が把握していた人数を合計してみたもの。実数は遙かにこれより多いだろう。そして、その人数が減っているという実感はない。

部分は必ずしも全体に相似ではない。単純に部分で全体を論じると誤ることが多い。しかし、全体が部分からなることも真実。部分から目を背け無視することは、より大きな誤りと言えよう。やはり、私たちの社会は大きく病んでいるのだ。


2005年07月09日(土)
西村慎吾発言に見る靖国側の本音    

世間は狭いようで広い。いろんな分野にいろんな人がいる。稀ならずに、不思議な人、脱帽せねばならない人に出会う。どうしてこの人この問題にこんなに熱心になれるのか、そしてこんなに通暁しておられるのか、と目を瞠らねばならない人が少なくない。

そんな一人に、辻子実さんがいる。本業は何であるか、しかとは知らない。建築士だと伺ったことがあるが、本人が本業については語らない。この方が語るのは、もっぱら靖国神社であり、政教分離である。「侵略神社-靖国思想を考えるために」(2003年9月刊 A5判 304頁 新幹社 3,000円)の著者としても知られる。

この著書は、「台湾、朝鮮、満州、南洋諸島…、日本のアジア侵略と共にあった神社の歴史的意味を考える。写真200点を収録」というもの。靖国神社が軍国主義的存在であることは周知の事実だが、靖国の思想が植民地支配とかくも一体化していたという記録である。情報収集の意欲と能力に感服する。その能力で、「小泉・石原靖国参拝違憲訴訟(東京)」原告団の事務局長として多忙を極める。本業に手を染める余裕はなさそう。

靖国関係の政治的動向や運動については、この人が細大漏らさず情報を収集してくれる。とりわけ、私には情報源のない神社本庁・右翼など、アチラ筋の考え方やイベントについて教えてくれる。便利このうえない。以下は、その辻子さんの受け売り。

7月7日に「英霊にこたえる会」が、日比谷野音で「小泉首相の公約の八月十五日靖國参拝を支持する国民集会」を開催した。主催者発表で1500人が集まり、集会後日の丸と「草莽決起」の旗を掲げてデモ行進をしている。

この集会に西村慎吾議員が参加した。このことを報告する「英霊にこたえる会」のホームページに次の一文がある。
『民主党の西村議員は、靖国神社参拝支持者を代表して演説。
 「戦争に負けると相手国が言いたいことをいう。今度戦争をする時は、負けないようにしよう」と。』

実は、彼の演説はこの程度のものではなかったようだ。共同の配信記事は以下のとおり。
『来賓として参加した民主党の西村真悟衆院議員は「村山富市元首相の謝罪談話を前提にして、靖国神社で不戦の誓いをしてはならない。近い将来、わが国は戦争を受けて立たなければならないこともあり得る。場所は東シナ海、台湾海峡だ。その時は勝たなければならず、そのために靖国神社を忘れてはならない」と訴えた。』

背筋が寒くならないだろうか。「靖国神社で不戦の誓いをしてはならない」と言うのだ。小泉首相の言い訳のレベルではない。「近い将来の中国との戦争に勝たねばならない。そのための靖国神社」だと言う。なるほど、靖国神社は平和への祈りにふさわしい場所ではない。戦勝祈願と敵への復讐を誓うのにふさわしい場所なのだ。

靖国参拝は、戦争への反省でもなく非戦の誓いでもない。むしろ過去の戦争を賛美し、再戦と戦勝への誓いにほかならない。歴史的経過からも現状からも、当然そのように受け取られる舞台装置なのだ。

西村発言が靖国陣営の本音ではあろうが、ここまで露骨に本音を述べる政治家が現れていることに慄然とせざるを得ない。


2005年07月08日(金)
私は断固「テロ」に屈する  

これまで、7月7日と言えば1937年の盧溝橋事件勃発の日と記憶されてきた。9月18日の柳条湖事件と並ぶ日中戦争の節目の日。昨日から、「7・7」は「9・11」と並んで、現代を象徴する日となった。

衝撃は大きい。ロンドンで起こったことは東京でも起こりうる。犯人も、動機も、まだ定かではないが誰もが想像はしうる。「ニューヨーク、マドリード、ロンドンと、攻撃された首都は増え続ける。いまや問題は同種の犯罪があるかどうかではなく、いつ起こるかだ」(仏紙「リベラシオン」)という言葉に、誰もが頷かざるを得ない。

アメリカに追随して、イラクへ派兵した国として目立っていたのは、イギリス、スペイン、ポーランド、イタリア、オランダ、そして日本。スペインとイギリスが「テロ」の標的となり、ポーランド、イタリア、オランダは撤兵をしたかしつつある。残るは日本だけ。いつ報復を受けてもおかしくない。

「テロ」の狙いは、抵抗運動の存在を世界にアピールすること。効果を考えれば、当然に首都を標的とするだろう。それも都心。権力と富の象徴としての街を。東京なら、霞ヶ関、丸の内、大手町、あるいは銀座‥。全部私の通勤圏だ。10年前のサリン事件を思いだす。他人事ではなく恐い。

私は、断固として「テロに屈する」。大声で叫びたい。「一刻も早く、イラクから自衛隊を撤退してくれ」「東京で『テロ』が起こらぬうちに自衛隊を日本に戻せ」「12月までなんて、悠長なことを言っておられない。直ちに自衛隊を引き上げろ」

「テロに屈しない」なんて、無責任なことを言うな。米軍の片棒担いで、東京を『テロ』に巻き込むな。「テロに屈しない」と大言壮語する人間は、「テロに遭遇しても自己責任」だ。しかし、「テロに屈する」と言ってる他人まで、危難に巻き込んではならない。

考えてみれば、粗暴な米軍のアフガン・イラク侵略は、「テロとの戦いは、テロの温床を叩かなければならない」という、「自衛のための先制攻撃の権利」を根拠とするものだった。「新しい形の戦争だ」とまで言った以上、報復は覚悟の上。アメリカにとっては、当然に報復あることを予想してのできごと。しかし、その他の国は、お付き合いでしかない。報復のリスクを本当に覚悟できているのか。

私は臆病な人間である。今のままでは地下鉄に乗るのが恐い。新幹線も、都庁のエレベーターも。そして、やたらと監視カメラが増えたり、検問に逢うのは不愉快だ。ゴミ箱撤去は不便きわまりない。私の権利として、私が安全で安心できるよう、日本国政府に対しイラクからの撤兵を要求する。昨日のロンドンの爆発事件での1000人にも及ぶという死傷者のうちには、イラク戦争に反対するデモ参加者も少なくないに違いない。「私はイラク派兵反対なのだ。だから私を被害から除けてくれ」とは言えないのだ。私の意を酌まぬ日本政府に、危険を押しつけられるのは我慢ならない。政府が私の生存を脅かしている。私の平和的生存権は、多数決によって奪われてはならないはずではないか。


2005年07月07日(木)
今宵も曇る 花のかんばせ    

天の川 楫の音聞こゆ 
彦星と織女(たなばたつめ)と こよひ逢ふらしも
                 万葉集・柿本人麻呂
天の川 浮津(うきつ)の波音騒ぐなり
我が待つ君し 舟出すらしも
                 万葉集・山上憶良
この夕降りくる雨は 
彦星の早漕ぐ舟の櫂の散りかも
                 万葉集・よみ人知らず
恋ひ恋ひてあふ夜はこよひ 
天の川霧立ちわたり 明けずもあらなん
                 古今集・よみ人しらず
久方のあまのかはらの渡し守
きみ渡りなば かぢ隠してよ
                 古今集・よみ人しらず
天の河もみぢを橋にわたせばや
たなばたつめの秋をしもまつ
                 古今集・よみ人しらず

万葉集巻の十のうち、「秋の雑歌」「秋の相聞」には七夕にちなんだ歌132首があるという。古今集巻第四「秋歌」にも、七夕を詠んだ歌は少なくない。俳句でも七夕は秋の季語。歳時記を開いたら、「七夕や髪濡れしまま人に逢う」という橋本多佳子のどきっとするような句に出会った。

普段はなかなか会えない恋人が、年に一度はかなう逢瀬と見ればロマン。しかし、分からず屋の親ゆえに結婚できない二人が年に一度しか会えないとなれば、理不尽な悲劇である。
古歌は、牽牛が舟を漕いで織女を「妻問ふ」ことを当然としている。待つだけの身の織女のつらさは一入であろう。

この二人。天帝の怒りに触れて、年のうち364日は別居を余儀なくされている。その理不尽は旧民法が「家族の婚姻には戸主の同意が必要」としていた時代まで続いた。これを変えたのが、日本国憲法24条。「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立」するものとされ、家族に関する法は「夫婦が同等の権利を有する」「個人の尊厳」「両性の本質的平等」という原則に則ったものでなくてはならないとした。家制度を廃止して戸主の権利を否定し、個人とりわけ女性の自立を宣言したものと解されている。

家制度は、天皇制社会の基礎構造であった。社会全体をタテの構造として秩序付け、家族の構成もタテ(親と子、戸主と家族)関係としていたもの。日本国憲法24条は、平等な社会の基礎単位として、家族も夫婦平等のヨコ関係としたものと言えるだろう。言うまでもなく、男・女も、親・子も平等である。

ところが、この当たり前が危うい。憲法改正を望む人々は、「日本の歴史・伝統・文化」を強調する。この「歴史・伝統・文化」の中に、天皇制を支えた家制度を「醇風美俗」とする懐古がある。自民党の「新憲法試案の要綱」では、「国民は、親を敬う精神を尊重しなければならない」という言葉まで飛び出した。石原都政ではすさまじいジェンダーフリー攻撃がなされ、都立校では当たり前だった男女混合名簿も攻撃の対象にさらされている。

24条で過去のものとなったかに見えた織女の悲劇が、また復活しかねない。今宵のくもり空は、織女のかんばせの曇りであったか。のんびりと星空を楽しめる世であって欲しいと思う。


2005年07月06日(水)
渡辺治著 <憲法「改正」> を薦める  

本日の日記は、中国残留孤児訴訟・大阪地裁勝訴判決の紹介をしようと思っていた。裁判長の人柄や訴訟指揮から、期待できると聞かされていたからだ。
が、残念ながら無念の敗訴。「気の毒ではあるが、行政裁量の範囲を逸脱して違法であるとまでは言えない」とのことであったよう。力が抜ける。

代わって、書籍の宣伝。
一冊目は、私の著書。昨日、選挙について触れた日記を書いたら、「民主的な選挙のあり方について、何か適切な書物がないか」との問い合わせを受けた。それなら是非私の本を、という次第。

たのしくわかる日本国憲法2『国民主権と民主主義』 
沢藤統一郎/著 井上正治/絵
岩崎書店 ISBN 4-265-05432-3
判型 B5 64頁 1996年
定価2,310円(本体2,200円+税)

9年前に出したもの。今年5月に11刷が出ている。中学生向けなのだが、実は父母に読まれているようだ。忙しい中で書いた原稿。しかも、字数の注文が二転三転。簡繁不揃いで、推敲も足りない。そう思っていたが、今読み直してみると、なかなかできがよい。読んでいただきたいと思う。
「主権者としての自覚」にこだわった書。選挙のことにも、教育にも触れている。もちろん「日の丸・君が代」にも。井上正治さんの挿絵も実に巧みで楽しい。

もう一冊は、本日手にした渡辺治さんの著書。
憲法「改正」ー軍事大国化・構造改革から改憲へ
出版社:旬報社
価格:1,050円(税込)
発行年月:2005年7月

著者6冊目の、憲法「改正」阻止本。コンパクトにまとめ、読みやすくして、徹頭徹尾「改憲阻止運動に役立つ」ことを願って作られた本。文字どおり、改憲阻止の武器としての本である。弾丸である。数が勝負だ。多くの人に読んでもらいたい。

あのシャイな渡辺さんが言う。「多くの人に読んでいただきたいと切に願っています。お読みになって、もしこれならと思われたら、ぜひ周りの方にも勧めていただければと思っています。どうも、こう言うことは苦手なので今まではあまり言ったことがないのですが、改憲については、そうも言っていられないという気持ちです」

後書きの中に「僕自身の体はぼろぼろ状態。だが、ここでやめるわけにはいかない」とある。誇張ではなく、骨身を削っての渾身の著作。いよいよ正念場、との思いが伝わってくる。
改憲の背景、改憲の狙い、改憲の情勢、改憲論の分析、改憲プログラム、改憲阻止の意義、改憲阻止の運動の勘どころ、そして国民投票法の解説まで。最新の情勢が織り込まれている。渡辺さんになり代わって、いや憲法になり代わって、この改憲阻止の武器をひろめていただくように、私からもお願い申し上げたい。


2005年07月05日(火)
杣先生 お世話になりました  

今朝の朝日。小さな訃報が目に留まった。
「杣正夫さん(そま・まさお=元九州大教授・政治学)は6月26日、肺炎で死去、86歳。葬儀は7月31日午後2時30分から岡山県鴨方町本庄2748の自宅で。喪主は次男源一郎さん」

杣先生は選挙制度の研究者だった。研究者であることに加えて、民主的な選挙の実現についての情熱家であった。公職選挙法違反の弾圧事件を担当する弁護士にとっては、たよりになる理論的助言者役を務められた。この先達にお世話になった事件、弁護士は少なくない。

私も、杣先生の著書を読み、学習会に参加し、法廷での証言を伺ったこともある。「政体は、君主制から民主制へと進歩を遂げてきた」「具体的な主権者を決定する手続き法が、君主制においては王位承継法であり、民主制においては選挙法である」「民主的な選挙は、可及的に正確に、主権者意思を議会に反映するものでなくてはならない」「民主制とは、討議の政治であって、主権者の意思の正確な反映とは徹底して自由な討論の場を作ることである」「選挙とは、国民意思の反映であるとともに、具体的国民意思の形成の過程でもある」「選挙運動は、思想の自由市場における競争にほかならない」「選挙運動は、徹底して自由な言論戦でなければならない」「戸別訪問とは、典型的な口頭による言論戦の形式である。これを制限する根拠はない」「日本のべからず選挙は、1925年の普通選挙実現の際に、治安維持法とともに成立した衆議院議員選挙法を嚆矢とする。弾圧法規にほかならない」「以来、日本の保守勢力は、言論ではなく金で選挙運動をすることを考え、自由な選挙を嫌忌してきた」「戦後の一時期、新憲法に沿った自由な選挙運動法制ができた。参議院議員選挙法がそれ。しかし、一度の選挙実行もないまま公職選挙法制定となり、べからず選挙が承継された」「国民が真に主権者になるためには、選挙運動の自由が不可欠である」「個別訪問禁止の立法根拠とされる、解禁された場合の諸弊害は、すべてとるに足りない。自由な言論の保障こそが至高の価値である」「選挙運動は候補者が行うものという前提が大まちがい。選挙運動は、国民が主体となった主権行使の場である」
すべて、杣先生の教示でたたき込まれたこと。民主主義とは何かを教えられた。

もう、25年ほどにもなる昔のこと。当時東北大学教授だった樋口陽一先生の証言を得て、盛岡地裁遠野支部で「公選法の戸別訪問禁止規定は違憲」との判決を得たことがある。このときも、まず繙いたのは杣先生の著書であり、法廷での証言調書だった。思えば、多くの先達のお世話になってきている。

杣先生の最近の消息は知らなかった。合掌。


2005年07月04日(月)
都議選 大田尭先生証言    

物心ついて以来、選挙には一喜一憂してきた。その繰りかえしを経て、わが国はマシな方向に動いてきたという実感はない。そして、昨日の都議選。「一喜」ではなく、「一憂」の結果。マシな方向どころか、この国、本当に危ういという実感である。

通って欲しい人が落選し、是非とも落ちて欲しい人が当選している。木の葉が沈み、石が流れるの時代なのだ。とは言え、絶望してみても事態は変わらない。丁寧に、木の葉を拾い、石を沈める作業を繰り返すしかない。

もっとも、わが地元・文京区だけは良識を示した。「憲法9条を守ろう」、と強く訴えてきた共産党の女性候補者がトップ当選。もう1人の当選者が民主党新顔。鳩山邦夫二世(無所属)と自民の両現職がそろって落選。他地区では表面に出てきた宗教票。わが地元ではその票はどこへ流れたか、影も見えない。全都・全国が文京区程度になれば、ずいぶんと風通しの良い社会になるのに‥。

一夜明けての今日。予防訴訟で教育学の泰斗・大田尭先生の証言。101号大法廷を圧する87歳の気迫。人間の人間たる根源を語り、教育の本質を説き、子どもの個性を引き出す教師の本分を力説して、教育に行政が介入することの不当・違法を論じ尽くした。一地方選挙の結果に一喜一憂することが気恥ずかしくなるほどの、堂々たる正論。使命感に裏打ちされた情熱。この気迫と情熱を学びたい。


2005年07月03日(日)
ベアテさんと、ある女性議員    

ベアテ・シロタ・ゴードンさんは、1945年暮れから、GHQの民政局で調査専門官として日本国憲法の草案起草に携わった。当時22歳。ウィーン生まれで5歳から15歳までを日本で過ごしている。ジェームス三木シナリオの演劇「真珠の首飾り」や、映画「ベアテの贈り物」で、その活躍がよく知られている。

「贈り物」というニュアンスは、日本の民衆が勝ち取ったというものでないことを物語るが、残念ながら事態はそのとおり。しかし、その後これを自らの血肉としたときに、勝ち取ったと同様の誇りを手にすることができる。

そのベアテさんは、参議院の憲法調査会に招かれて、参考人として報告し意見を述べている。00年5月2日のこと。その議事録によると、彼女が起草した憲法24条の原案は次のとおりであったという。

「家庭は、人類社会の基礎であり、その伝統は、善きにつけ悪しきにつけ国全体に浸透する。それ故、婚姻と家庭とは、両性が法律的にも社会的にも平等であることは当然であるとの考えに基礎を置き、親の強制ではなく相互の合意に基づき、かつ男性の支配ではなく両性の協力に基づくべきことをここに定める。これらの原理に反する法律は廃止され、それに代わって、配偶者の選択、財産権、相続、本居の選択、離婚並びに婚姻及び家庭に関するその他の事項を、個人の尊厳と両性の本質的平等の見地に立って定める法律が制定さるべきである」

個人の尊厳、両性の平等の理念が、旧弊な日本の現状を批判する文言となって条文化されている。これが、紆余曲折を経て、現行の条文となった。

ベアテさんの基調意見に対して、笹野貞子、吉川春子、大脇雅子、佐藤道夫らの委員が、さすがにそれなりの水準の質疑をしている。ところが、ある女性委員の質問が不得要領、さっぱり何を言っているのやら‥。速記者も困ったろうが、こう書き留められている。

「私は、女性の権利をこれだけ高めていただいたことには感謝申し上げますけれども、現実に日本の今の我々の生活、日本が今日あるということに関しては、この憲法の中から、これは日本国でなければならないという、女性というものが、女性の創造が見えてこないんですね。それは、日本の伝統文化というものが、今の日本の中でいかに伝統文化が重んじられていないかという点、そして義務と権利の民主主義のあり方等々も私は女性としては大変問題点もやっぱり今現実には起こっているであろうと。
ですから、権利は与えられたけれども、それに対する本来の、ゴードンさんが先ほどおっしゃった、女性の虐げられたという言葉をお使いになりましたけれども、虐げられただけではなくて、日本の女性のいいところがこの五十五年の中で失われてきたということも私どもは大いに勉強しなければならない、また私たち自身も反省しなければならないことだと思います」

「(憲法24条のおかげで)日本の女性のいいところが失われてきた」「そのことを反省しなければならない」と言ってのけているこの程度の人物が、国会議員となり、憲法調査会委員となり、そして今は参議院議長として、憲法調査会報告書を受領する立場にある。その人の名を、扇千景という。


2005年07月02日(土)
明日 都議選投票  

明日が都議選の投票日。いろいろ気になる選挙戦である。

杉並で選挙運動をしていた若者が逮捕された。罪名は建造物侵入。専門学校の敷地内であったからと言う。十数名の警察官を投入して、無警告でのいきなりの逮捕。もちろん、支配層にとって仲間内となる陣営の選挙運動にはこんなことをしない。権力が憎む勢力への選挙妨害である。

起訴できるか有罪に持ち込めるかは、二の次。特定政党の選挙運動の足を止める効果は十分に期待できる。選挙違反をしているとの評判をまき散らすこともできる。救援運動に力量を分散させることも目論める。

いつの間にか、恐ろしい時代になってきた。

その選挙の争点だが、朝日が行っている候補者へのアンケートでは、取りあげられている項目の主なものは以下のとおり。
・石原都政を評価するか。
・浜渦問題での知事の責任の有無
・「臨海」で破綻の三セクへの公費投入の是非
・「日の丸・君が代」推進の是非
・小泉靖国神社参拝への評価

これに、急遽サラリーマン大増税問題が浮上してきた。これで、自・公の与党勢力が勝てるわけはない。

「日の丸・君が代」・靖国問題が都議選のテーマになるというのは、時代を表してもおり、右翼政治家を知事としている特殊事情でもある。

あらためて、「日の丸・君が代」強制問題での彼らの見解を確認しておこう。「自民党TOKYO」という気持ち悪いネーミングのサイトからの引用で、NHK「クローズアップ現代」に、都教委ではなく、都議会自民党が噛みついた、不思議な抗議文である。

「学校教育における国旗及び国歌に関する指導は、日本の国を愛し、日本に誇りをもつとともに、外国の国旗や国歌、文化や伝統を尊重するという国際的な視野をもった日本人を育成するうえで、極めて重要なことであります。

しかるに、今回のNHKの放送は、はじめから都教育委員会が行っている指導は「強制である」との前提にたった議論であり、著しくバランスを欠いたものと言わざるを得ません。

われわれはかねてより、学校における国旗・国歌の問題を重視し、都議会でもたびたび取り上げ、権利や自由に偏重した戦後教育から、自国や郷土を愛し日本の文化や伝統を尊重する教育に転換すべきであること、教育には国旗・国歌を指導する責務があり、卒業式等の不適正な実態を一刻も早く是正すべきこと等を強く主張してきました。
今回、全ての都立学校で学習指導要項に沿った厳粛な式典が実施されたことについて、われわれは保護者を含めた多くの都民とともにこれを高く評価するものであります。
こうした中、NHKの今回の報道内容は公正公平を基本とすべき公共放送の報道姿勢として大変遺憾なことであり、今後、こうしたことのないよう、強く要請する次第です」

精神的自由権や、教育への権力的介入禁止の原則、報道の自由、アカデミックフリーダムなどへの顧慮や言及は一切ない。おそるべき、没知性。おそるべき秩序感覚。おそるべきナショナリズム。このような政党が、いま、現実に政権を担っているのだ。

自・公の与党勢力は、確実に議席を減らすだろう。しかし、土屋敬之に代表される右翼民主党に議席を移しただけではお話にならない。都教委批判陣営に議席を伸ばしてもらいたい。反石原陣営に健闘してもらいたい。


2005年07月01日(金)
「軍隊をもたない国の数は?」  

前田朗さんは、イラク世界民衆法廷のコーディネーター。持ち前のバイタリティで一大イベントを成功させた。無防備地域宣言運動にも携わっている。専門は刑事法だそうだが、憲法問題への発言も活発である。行動する法学者として、「法と民主主義」執筆陣の常連でもある。

その前田さんが、「法と民主主義」6月号に、「軍隊のない国家、軍隊のない世界ー世界の非武装国家」という報告を寄せている。「へえー」である。

「世界中に、軍隊をもたない国は何か国にあるでしょうか」このクイズに正確に答えられる人は、おそらくいないだろう。驚くべきことだが、正解は27。世界の主権国家数の約15%にのぼるという。

前田さんは毎年ジュネーブで行われる国連人権委員会に参加している。今年のNGOセミナーの中に、「27の非武装国家」というものがあって、出席したという。そこで基調報告をしたクリストフ・バルビーというスイス在住の弁護士によると、世界の非武装国家は、以下のとおり。

アンドラ
コスタリカ
ルクセンブルグ
モルディブ
サンマリノ
リヒテンシュタイン
アイスランド
セントクリストファー・ネイヴィス
ドミニカ
グレナダ
セントルシア
セントヴィンセント・グレナディーン
パナマ
モーリシャス
パラオ
ヴァヌアツ
ソロモン諸島
ハイチ
サモア
キリバツ
トンガ
ナウル
モナコ
クック諸島
ツヴァル
ニウエ
ミクロネシア連邦
マーシャル諸島
ヴァチカン

当然のこととして小国が多いが、ハイチは人口800万人。コスタリカ400万、パナマ300万である。同規模以下の国はいくつもある。「総じて、民主主義国家であり、女性の権利が保障され、教育水準も比較的高い。人権水準が高く、死刑廃止国が多く、平和の文化が意識されている」とのこと。

セミナーで、日本の9条に関連して発言した前田さんに対して、バルビーは「日本国憲法9条は人類の貴重な財産であるから、改悪されないようにがんばって欲しい」と励ましてくれたそうだ。また、別の活動家は「日本国憲法9条は日本にとっても重要だが、世界にとっていっそう重要だ」と発言したという。

前田さんは言う。
「憲法9条を世界に輸出したかったが、今や輸出などと言える状況ではない」「非暴力・非武装・無防備の思想と運動を世界から日本へ、そして日本から再び世界へ!」

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