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2003年10月01日(水)
楷前の梧葉已に秋声

10月になった。早くも金木犀の香りが漂う。
しかし、季節を愛でる余裕がない。何か落ち着かない。解散・総選挙は間近、国民審査の運動準備もできていない。朝鮮半島の状況も、イラク派兵問題も、そして司法改革も憲法問題も、イライラの種は尽きない。いくつもの受任事件にも追いかけられている。

考えてみれば、これまで落ち着いて季節を楽しみ、人生を味わう余裕を持ったことはない。物心ついたときから、何かしらにせわしく追いかけられていた。大学受験・苦学生活・司法試験受験・修習生運動・駆け出し弁護士の忙しさ・中堅弁護士のせわしなさ・そして日民協である。

この追いかけられる心理は客観的な状況に相応のものではない。仕事をこなせる力量ないのに抱え込むアンバランスが生み出している。という分析は確かだが、対策の手の打ちようはない。

こうして時を経てきた。いつも、「こんなはずではない」「今は過渡期」「どこかで本来の生活に立ち戻って」「いつかは、ゆとりある生活をとりもどそう」などと思い続けてここまできた。いまさら、「本来の人生」もない。

人生のどこかで、「あのときああしていれば、…」「ああなっていれば…」と考えることがないわけでもない。でも、きっとその時点に戻っても、私は私、結局同じようになるのだろう。

と言いつつ、時の流れの速さに戸惑う。もう10月か。人生に終わりがあることを意識しつつある身には、秋風はとりわけ身に沁む。


2003年10月02日(木)
戦争政策と教育政策と

今日は、日の丸・君が代強制反対ホットラインの準備会。

東京都教育委員会に「都立学校等卒業式・入学式対策本部」なるものが設置されている。ここが、まもなく「国旗・国歌に関する実施指針」を作成発表の予定だという。
問題にされているのは、「フロア形式の卒業式がけしからん」「国旗は正しく正面に飾るべし」「国歌斉唱の前に『内心の自由の保障がありますから国歌斉唱は強制ではありません』などと説明するのはもってのほか」「国歌斉唱時に、起立しない不届き者は許せない」「国旗・国歌を強制しないという政府答弁が間違っている」という勇ましさ。

畏れ多くも「君が代・日の丸」を拒否するなど、「爆弾を仕掛けられて、あったり前」「市中引き回しの上獄門磔に値する」と言わんばかり。

これを具体化した方針が間もなく出る。背筋が寒くなる思いだ。何とか、対策を講じなければならない。また、一仕事増えそうだ。

会合に出席の俵義文さん(子どもと教科書全国ネット21)が言う。
小泉第2次改造内閣には右翼がズラリ。自民党歴史検討委員会、日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会、日本会議国会議員懇談会、神道政治連盟国会議員懇談会、そして例の拉致議連の有力議員ばかり。なかでも、安倍晋三が突出している。中川昭一も、河村健夫も、小池百合子も、麻生太郎もだが…。
この内閣の基本性格は、「教育基本法改悪実行内閣」で、「憲法改悪準備内閣」、そして「戦争遂行準備内閣」だ。自民党教育基本法検討特命委員会の委員長が麻生太郎(総務大臣)、事務局長が河村建夫(文科大臣)と顔をそろえている。

政府も政府、都も都。その反憲法的姿勢は、兄たりがたく弟たりがたし。こんなときに、旗を降ろし、尻尾を巻くわけにはいかない。彼らに、元気をつけてもらっているようなものか。


2003年10月03日(金)
小泉・裕仁 大接近

夜分帰宅の途上、南の空高く赤い火星が見える。西に6日の月。
目の悪い私にも、望遠鏡なしで楽しめる天体の営み。
火星が、まがまがしい不吉な星というのは血の色の連想であろうか。アメリカのイラク侵攻の年の大接近は、イラクの血の色の照り返しか。イランや朝鮮までの血の色にしてはならないと思う。

とは言え、「大接近」は何度も繰り返されている。たしか、小学校4年の時の「子どもの科学」夏休み号特集が火星大接近だった。しかし、そのときには、取り立てて凶事との関係は語られていなかった。
狭い社会に閉じこめられた子どもにとって、宇宙はわくわくするほどの広さをもっていた。宇宙に凶事はなく、清浄純粋なイメージだった。

帰宅して、中国化学兵器遺棄訴訟判決に対して国が控訴したことを知った。小泉が、他人ごとのように「関係省庁がそういうものですから」とコメントしていた。
この言い方、この図々しさは、昭和天皇に似ている。「開戦は軍部の責任」「終戦は自分の手柄」というあれだ。これに倣って、「控訴は関係省庁の責任」「控訴断念なら自分の手柄」というわけだ。

小泉が裕仁を意識的に真似ているのだろうか。無責任なトップは皆こうなるのだろうか。


2003年10月04日(土)
国際シンポ・「朝鮮半島に再び戦火を生じさせないために」

本日は、法律家5団体(日民協・国法協・自由法曹団・青年法律家協会・反核法協)が共催する国際シンポジウム・「朝鮮半島に再び戦火を生じさせないためにー法律家・市民は何をなすべきか」を開催。

パネリストは、中国社会科学院日本研究所の金煕徳教授(日本外交専攻)、朝鮮大学校の高演義教授(国際関係論)、韓国民主社会のための弁護士会統一委員会委員長・沈載桓弁護士、そして関西学院大学法学部の豊下楢彦教授という錚々たるメンバー。各国の良識を代表する論者をそろえた壮観。

イラク侵略に続き朝鮮半島での軍事衝突が憂慮されるなか、朝鮮半島危機の構造を解析し、半島の平和確立ひいては東北アジア平和共同体への展望を切り開くことは、極めて重要な課題。標記テーマをめぐる考え方、取り組み方を相互に理解するとともに、日本の役割、日本の法律家・市民に何が求められているか、何をすべきかを追求する機会とするのが、企画の趣旨。
私が司会、開会の挨拶を島田修一自由法曹団幹事長、閉会挨拶は新倉修国法協事務局長、懇親会は青法協が担当。

パネルディスカッションは、「朝鮮半島の平和を危うくしている『危機の構造』をどう把握するか」そして「危機を克服して朝鮮半島の平和を作り出すための展望をどう切り開くか」を軸に展開。

高演義教授が明快に危機の原因をアメリカ・ブッシュドクトリンにあるとし、北の対応を防衛的でやむを得ないものとする。北の、米朝不可侵条約と核放棄のスケジュール提案を合理的なものとし、米の対応を批判した。

沈載桓弁護士が極めてこれに近いものであったことが印象的。韓国の対北世論は、200年6月の南北首脳会談以後確実に変わった。それまでは、南の支配者の都合にあわせたマスコミ操作に踊らされて、北に住んでいるのは人でないと思わされていた。しかし、「韓国人はバカではない。もはや、北の脅威論は通用しない」。

金煕徳教授は、日本に警告する。アメリカがアフガンやイラクではたやすく戦争を仕掛けても、北朝鮮にできないのは、韓・中・ロの3国の反対があるからだ。日本は親米に過ぎて、北東アジアの平和同盟から置きざりにされる恐れがある。また、拉致問題ばかりを声高に言う姿勢は、国際世論からは公正でないと指摘されている。戦術的には成功しても、戦略的には大きなマイナスだ。

豊下教授は、さすがにバランスがよい(と思うのはひいき目か)。北朝鮮への注文も厳しい。「核カード」だけに頼るべきではない。どうしてもっと「南北カード」を重視しないのか。もっと支援しやすい環境を作るよう要請。そのうえで、日本の過去の清算という問題は、極めて今日的な重要問題であることを強調された。

印象に残ったのは、北朝鮮が「改革開放方針」をとれるよう、国際環境を整えるべきことが重要という点で、意見が一致したこと。金教授・豊下教授が口をそろえて、「過去には閉鎖的な中国が、これだけ変わったではないか」と言い、沈弁護士も「韓国の民主化もごく最近のこと」と指摘する。北が改革・開放の路線をとれば、中国・韓国に続いて、「民主化」が進展するだろう。内政干渉をするのではなく、その民主化の過程を見守るべきだろう。
もう一点、日本の危うさが、浮き彫りになった。「バカではない韓国民」に比較して、マスコミに操作され、世界の良識ある世論からは置いてけぼりにされそうな日本。

この時期、このテーマで、この顔ぶれをそろえたシンポジウムは、意義大きいものと思う。詳細は、「法と民主主義」11月号を是非熟読されたい。


2003年10月05日(日)
戦争の無益 戦争の代償

戦闘に勝っても、戦争に勝てるとは限らない。戦争に勝っても、武力行使の目的を達成できるとは限らない。武力の行使は、破壊と怨嗟を確実にもたらすが、目的達成の手段としての有効性は極めて疑わしい。いまや、戦争で何らかの目的達成が可能と主張する者は、「空想的好戦主義者」とレッテルを貼れなければならない。

アメリカは、テロを抑止しテロの不安を除去するために、アフガンに引き続きイラクでの武力行使を始めた。武力によってテロの不安は除去できたか。答えは、明らかに「ノー」。むしろ、テロの不安は強まっていると言ってよい。

アメリカは、自ら仕掛けた「戦争」に勝てたか。これすら、イエスとは言いがたい。イラクでの「戦争」は、勝利の展望見えないまま泥沼にはいって抜け出せなくなった。
朝日が報じる「国連現地本部安全対策室の保安情報」によれば、現地ゲリラによる米英軍や国連機関に対する1日当たりの平均攻撃回数は、5月が5件だったのに対して、9月には23件と跳ね上がっている。「米兵らが死亡して報じられる事件は氷山の一角に過ぎない」という。
しかも、迫撃砲による数次の攻撃、待ち伏せしてロケット弾攻撃など、「洗練化」の傾向があり、明らかに組織的となっていることを米軍も認めている。

昨日、バグダッドでは、米軍が丸腰のデモ隊に発砲。嚇々たる戦果を挙げている。これでは、テロ予備軍をせっせと拵えているに等しい。

アフガンでは首都カブールの一等地で、市警察が住民に銃を突きつけて立ち退かせ、これを市価の85分の1という廉価で政府高官に分譲していたという(3日「朝日」夕刊)。清貧イメージのカルザイが関与していたと指摘されており、傀儡政権の腐敗と、これを支えるアメリカというおなじみの図式が見えてきた。

政府が、自衛隊を派遣し50億ドルを投じようというのはこのようなところなのである。朝鮮への人道支援は行わず、「アメリカのツケは喜んで払ってやろう」?
なんじゃそれは。いったい、誰の金だと思っているのだ。


2003年10月06日(月)
自爆したパレスチナの女性弁護士

パレスチナ情勢が常になく緊迫している。イスラエルは、シリア国内の「イスラム聖戦」訓練施設をミサイル攻撃した。4日にイスラエル北部で起きた自爆テロへの報復攻撃だという。

ハイファという町のレストランで4日午後に起きた自爆テロは、少なくとも19人が死亡、50人以上が負傷という惨事となった。その実行犯は、パレスチナ人女性弁護士(29)だと報じられている。彼女は、1年前にヨルダンの大学で法律の学位を取り、ふるさとジェニンの弁護士事務所に新米弁護士として勤め始めたばかり。自爆テロの動機は、4カ月前に、弟と、婚約者であるいとことをイスラエル軍の攻撃で殺されたことだという。

報復や暴力の応酬では人は平穏に生きていけない。「武力による支配」に代わる「法の支配」こそ文明の到達点である。暴力ではなく、法による正義の実現を。当然法律家として、彼女もそう学び、そう望み、その実現の方法を考えたことだろう。しかし、現実の重さが、一人の法律家に、法の理念の実現を絶望させた。法を武器にして闘うことではなく、自らの命と爆薬による闘いを選択させたのだ。

その状況に自分を置いて、どうしたかと考えてみる。彼女の行為を、軽率だの、思慮に足りないだのと、高見の批判は到底できない。法の理念を空虚なものとした現実を思うとき、ひたすらに胸が痛む。

しかし、やはり言わねばならない。殺された18人も生きる権利をもっていたことを。その家族の悲しみの声にも耳を傾けなければならないことを。報復は、さらなる報復を生み、暴力の応酬は際限なく拡大することを。

不信と憎悪の悪循環は断ち切らなければならない。
当然のことながら、このことは強者の側に向けて強く言おう。イスラエルのいう「自衛のためのシリア爆撃」も、アメリカのいう「自衛のための先制攻撃」も断じて認めてはならない。
自衛の名における報復の禁止。それが、人類の叡智の到達点であり、国際法の基礎である。そして、日本国憲法の精神でもあるのだ。


2003年10月07日(火)
裁判官任官拒否

司法修習の終了が10月になって久しい。法曹フレッシュマン出発の時期は、春4月ではなく、秋10月なのだ。
だがこの時期、任官差別の心配をくりかえす時期でもある。

「最高裁は7日、1年半の修習を終えた56期司法修習生995人のうち、100人を判事補に採用すると決めた。閣議を経て16日付で発令される。任官希望者のうち不採用としたのは8人で、記録が残る66年以降最多となった」
「これまで最も不採用者が多かったのは71年。このときは、青年法律家協会(青法協)会員6人を含む7人が任官を拒否された。青法協は当時、安保反対を表明しており、裁判官が所属することの是非が問題視されていた」(アサヒ・コム)と報じられている。

私は、その1971年に司法修習を終了した。私の同期の7人が任官を拒否された。報道のとおり、青年法律家協会の会員が6名である。いずれも、私から見て裁判官になって欲しい人が見事に拒否されたのだ。

当時最高裁は拒否の理由について、一言も発しなかった。が、思想信条や団体加入で差別をしたことは歴然であった。つまりは、当局のお気に召さない者は裁判官にしないぞ、と態度で示したのだ。修習生の日常の言動を把握し続けていたことの宣言でもあった。時を同じくして、10年目の再任期を迎えていた宮本康昭裁判官も再任を拒否された。彼もまた青年法律家協会の会員であり、再任拒否という首切りの理由については問答無用であった。

以来、修習生なかんずく任官希望者の行動萎縮は甚だしい。自由闊達の気風は消えた。当局から睨まれることのないように、気を遣って修習生活を送らねばならない。青年法律家協会に近づくなどもつてのほかとなった。

青年法律家協会は憲法擁護を旗印とする若い法律家集団として、多くの裁判官も加盟していた。「法律家が、憲法を守る」は、「バラの木にバラが咲く」のと同様に何の不思議もない。当たり前のことだ。
それまで、最高裁は裁判官が政党に加盟することも問題ないとしていた。その解釈が変えられた。
なお、青年法律家協会は安保反対を表明してはいない。この点、報道は不正確である。持ち出されたのは、「青年法律家協会は日本民主法律家協会に加盟している。日民協は安保廃棄を掲げている。だから、けしからん」という論法だった。

攻撃を受けて、青年法律家協会は裁判官会員擁護のために、日民協を去り、弁護士学者合同部会と裁判幹部会・修習生部会を分離した。しかし、多くの裁判官は青年法律家協会にとどまることができなかった。国民は、このときから自ら市民的な権利を擁護し得ない裁判官の裁判を受けることとなった。

こうして、最高裁当局の第一線裁判官に対する統制が浸透していった。司法官僚制の完成である。
これを推進した当時の最高裁長官が石田和外。「ミスター最高裁」といわれた男である。長官を辞したあと、この男は「英霊にこたえる会」の初代会長に納まった。右翼の総元締めである。憲法的な価値を理解することのできなかった男にふさわしい。

あれから30年。事態の根本は変わっていない。「また任官拒否」と聞かされるとドキリとする。


2003年10月08日(水)
シーボルト展

本日は、珍しくも法廷がない。日民協・弁護士会の企画もない。ぽっかり空いた水曜日。神様がくれた休日。全日を書面作りとするのも芸がない。午前中は、東大総合研究博物館に、「シーボルトの21世紀」展を見る。
何しろ、家から歩いて5分とかからない。無料。そして、人が少ないのが何より。熱心な解説者もついている。たっぷり楽しんだ。

なぜ、「シーボルトの21世紀」なのか。企画の意図はよく飲み込めない。自分なりに理解すれば、シーボルトのおかげで窺い知る江戸期日本の再評価であろう。再評価の視点は「自然との共生」そして「サステナビリティ」である。

シーボルトは、高度な日本の園芸文化に驚愕したという。浮世絵に見る、日本人の庭園や樹木・草花との接し方にいたく感心している。「誰が、かくも勤勉に自然を手なずけたのであろうか」とまで書き残している。

日本の風俗・植物・鉱物への関心は、「植民地学」の視点もあろうが、知的好奇心に充ち満ちている。彼が接した江戸期の日本は、「持続型共生社会」であった。有限な自然と人間がほどよく折れ合って、共生の関係を維持し続ける社会。

それから1世紀半、いま人間は自然を征服し食い尽くそうとして、自然の有限性の限界に衝突しつつある。自然からの復讐にも遭遇している。この危機を回避するためにも、江戸期の日本を総合的に見る視点が有益なのだろう。

この展覧会で、川原慶賀という画家を初めて知った。シーボルトの助手として、ボタニカルアートを描いた人。正確でもあり、美しくもある、見事な植物画に添えられた彼の落款に、自分の仕事への誇りを感じる。

毎日書いている私の準備書面にも、署名捺印がはいってはいる。が、さて誇りを感じるほどの仕事ができているだろうか。


2003年10月09日(木)
第36回司研集会プログラム

本日は、司法制度研究集会の実行委員会。11月29日(土)プログラムの大綱が決まった。
総合タイトルは、「ここまできた司法改革ーこれからの課題」。司法改革は、折り返し地点を過ぎ、ようやくその全容が見えるところまできた。その到達点を確認し、今後の課題を明確にすることが、コンセプトである。

午前中は、基調講演と日弁連報告。テーマは、司法改革を象徴するものとしての法曹養成制度改革。分けても、法科大学院構想について。
講演は村井敏邦さん。法曹養成のあるべき理念を語っていただき、その上で今次司法改革における制度改革がたどった進展の分析、現実化する制度への評価、さらにその中でなすべき課題。村井さんは、理念と現実の両者を語るに最もふさわしい方であろう。

午後は、テーマを大きく3つに仕切る。「裁判所・裁判官改革」「民事裁判改革」そして「刑事裁判改革」についてである。具体的には、裁判官任命諮問委員会、弁護士報酬の敗訴者負担、裁判員制度などに議論が集中することになるだろう。日弁連・全司法・裁判官ネット・全青司・労働弁護団・自由法曹団・市民オンブズマン・青法協・国民救援会、市民の裁判員制度作ろう会等々が一堂に会して意見交換をすることになる。

とにかく、ここで一日議論に耳を傾ければ、現在の司法がどうなっているのか、どこが問題なのか、何が運動の課題なのかをつかむことができる。法律家にとっても、市民にとってもまことに貴重な機会なのだ。


2003年10月10日(金)
中坊さんの弁護士辞職

中坊公平さんが大阪弁護士会を経由して日弁連に登録取り消しの請求をした。
報道では、「断腸の思いで弁護士資格を返上する」「生きがいの仕事ができなくなり、非常に寂しい」と述べたという。

旧住宅金融債権管理機構(RCCの前身)社長時代の債権回収をめぐり、詐欺容疑で告発され、東京地検から取り調べを受けたことが原因。大阪弁護士会には懲戒請求が申し立てられており、その結論が出るまで登録取り消し請求は保留になるとのこと。潔い身の引き方なのか、そこまで追いつめられてのことか、今は定かではない。

私も住管機構発足直後から、同機構の関与者責任追及業務を担当した。アクの強い中坊流を目の当たりにして、共感もし、批判もした。中坊さんがRCCを辞めたあとの司法制度改革審議会での発言には不満だった。とりわけ、弁護士報酬の敗訴者負担問題では責任が大きいと公言してきた。

しかし、私には水に落ちた犬を撃つ趣味はない。これまでチヤホヤしていた世間が手のひらを返したように中坊批判を始めるなら、私は擁護にまわりたい。人は全て功罪相半ば。どちらか一方だけを見るのは偏頗というもの。佐高信さんなどは、中坊さんの立地点そのものを「体制側」とするが、私はそこまでいう気分にはなれない。

それにしても人の生き方は難しい。住専や破綻金融機関の役員の責任追及は私にとっては心が痛むことなのだ。行け行けドンドンという気持ちにはなれない。この人たちも、きっと功罪半ばなのだろう。
確かに法的には、杜撰な融資があり融資決裁に過失ある以上、不良債権の未回収分について損害賠償の責任が生ずる。しかし、法律家としては「罪刑の均衡」の感覚の大切さを知らねばならない。「功」の部分を切り捨てて「罪」の部分だけを見据えて、巨額の責任追及をするには、それなりの畏れを感じなければならないと思う。

人に厳しかった中坊さんも、自分の身の処し方には一瞬の過ちを犯した。とは言え、中坊さんの「功」の側面は決して小さくない。「罪」の部分だけを誇大に見るのは、公正を欠き酷というものであろう。責任ある地位にあっては、人の生き方は実に難しい。


2003年10月11日(土)
ピースリボン処分を問う集会

本日は、国立市での「えー!! ピースリボンで処分!? ピースリボン処分を問う集会」に出席。メインの講師は、田中伸尚さん。

2000年3月の国立二小の卒業式で多くの教員がピースリボンを着用して式に臨んだ。そのことをとらえて文書訓告が行われた。
この卒業式では、それまでなかった日の丸が初めて掲揚された。ピースリボンは着用は、日の丸掲揚強行に抗議の意思表示とされ、それゆえ「精神的な職務専念義務に違反する」としての処分であった。

リボンには、何のメッセージも書かれていない。その着用が、式の雰囲気を壊すことは全く考えられず、現に卒業式はたいへん感動的なものとして成功している。
式のあと、子どもたちが校長を質問責めにした。「どうして日の丸を揚げたのか」「どうして僕たちに相談してくれなかったのか」「学習指導要領は、去年も今年も同じなのにどうして今年からの掲揚なのか」。校長は満足に答えられず、問答は長時間に及んだ。最後は、見かねた教員が納め、校長は子どもたちの気持ちを傷つけたことを謝罪して、自ら旗を降ろした。

ところが、このことを右翼紙産経新聞がセンセーショナルに取り上げた。「児童30人、国旗降ろさせる」「校長に土下座要求」という見出しである。

行政からリークされた記事を産経が書き、街頭右翼が騒ぎ、地方議会で取り上げ、石原都知事がこれに輪をかけ、国会で問題にする。このパターンで一騒動のあと、6人の教員が戒告処分となり、そのほかにピースリボンだけを理由とする7人の処分者が出た。

戒告処分の方は、今行政訴訟係属となっている。本日はピースリボン訴訟の提起を目指した集会である。経過は、「世界」11月号の田中伸尚さんの「続・憲法を獲得する人々」の記事に詳しい。
何とかしなければと思う。一方、かつての日教組であればこんな理不尽を許すはずもないのに、と歯がゆい思いもする。


2003年10月12日(日)
神坂直樹さんの反忠

田中伸尚さんに『反忠―神坂哲の72万字』という著書がある。
以下は、『法と民主主義』1997年No.316に掲載された田口裕史さんによる紹介。

「険しい道を歩き抜いた先達の後ろ姿は、その同じ道を後から歩もうとする者への深い励ましとなり、新しい道を拓く勇気を与える。田中伸尚著『反忠−神坂哲の72万字』に刻み込まれた神坂哲の姿は、私にとってそのようなものとしてある。
箕面忠魂碑訴訟はこれまで、「女性たちの闘い」との形で広く知られてきたが、その陰にはもう一人、欠くべからざる訴訟の中心人物が存在した。弁護士なしの訴訟として始まったこの裁判の、膨大で緻密な準備書面を書き続けた男性、神坂哲である。喘息の持病を持ちながらも神坂は、この厳しい作業を、会計事務所に勤務するかたわら続けた。そして、提訴から十年目にあたる一九八六年一月二〇日、突然の死去。副題にある「72万字」とは、十年間の闘いの中で神坂が精魂込めて書き綴った、訴訟準備書面の総字数を示す。
「忠魂碑には戦争責任があります。忠魂碑は戦争犯罪人であります」−第一回口頭弁論で読み上げられた陳述書の、鋭く簡潔なこの言葉はきわめて印象的だ。「素朴な国民感情」に支えられてそびえ立つ忠魂碑の陰には、戦争責任を曖昧にしたまま生き残った天皇の、血塗られた顔がある。忠魂碑は、過去との断絶を怠った戦後日本の「日常的な風景」に、何食わぬ顔で納まり返る。かつて軍国少年だったという神坂は、これを見過ごすことができなかった」

神坂哲さん死後の箕面忠魂碑訴訟(3次まである)を支えたのは夫人の玲子さんであり、子息の神坂直樹さんだった。

その神坂直樹さんが司法試験に合格し、司法修習を終えて判事補への任官を志望した。しかし、最高裁は彼の任官を拒否した。94年4月のことだ。直樹さんはこれに納得せず、「思想・信条を理由にした任官拒否で憲法に反する」として、国を相手に1100万円の損害賠償を求めた訴訟を提起した。彼は、この訴訟遂行のために弁護士になる道をとらず、今なお敢えて予備校講師として働いている。

その任官拒否国賠訴訟の控訴審判決が10月10日(金)大阪高裁であった。一審に続く敗訴判決だった。
判決では、神坂さんが修習中の判決起案で西暦を使い、教官が元号への変更を指導しても従わなかったことを挙げ、「裁判官になれば、当事者に自己の意見を押しつけることになりかねないと教官が危惧(きぐ)したと考えられる」と認定したという。信じがたい。
なぜ、西暦を使うことが問題にされるのか理解しがたい。どうして、「元号への変更を指導すること」が「自己の意見の押しつけ」あたらないのか。恐るべき偏見に満ちた判決というほかはない。当然、上告の予定という。親譲り、筋金入りの「反忠」ぶりだ。

「反忠」とは実に良い響きの言葉ではないか。神坂さん父子に倣って、私もこれで通したい。元号は使わない。君が代は歌わない。叙勲には、おめでとうと決して言わない。


2003年10月13日(月)
名判決に司法の光明を見る

昔、150年ほど前まで藩というものがあった。藩境には関所が置かれて往来は厳重に取り締まられた。そのため、人と物資の往来は妨げられ、経済の発展に支障となった。往時を思えば、なんと馬鹿げたことと思う。

「昔、国というものがあった。国境には出入国管理局が置かれて往来は厳重に取り締まられた。そのため、人と物資の往来は妨げられ、経済の発展に支障となった。往時を思えば、なんと馬鹿げたことと思う」と、述懐する時代がいずれ来るだろう。が、今国境という人為の存在に人権を蹂躙されている例は少なくない。

先月19日、東京地方裁判所民事3部藤山雅行裁判長は、10年余にわたって不法残留している群馬県のイラン人一家4人が起こした訴訟で、入管の強制退去処分を取り消す判決を言い渡した。
これに対する被告入管側の対応が注目されていたが、やはり控訴がされたという。

原告家族は、日本社会に職を得て普通に生活を続けてきた。長女(15才)も次女(7才)も、日本の学校になじんでいる。この人たちを強制的にイランに返さねばならない必要性は乏しく、その不利益は顕著である。

判決は「善良な市民として日本に生活基盤を築いていることを有利に考慮しなかったのは裁量権の濫用に当たる」とした。画期的な名判決である。

どうせ裁判したってだめ。行政を追認するのが裁判所の役割。と醒めているのが、大半の弁護士(私もその一人)。醒めさせてきたのが、大方の裁判官。

しかしここには、果敢に挑戦する弁護士と、行政におもねらず自らの良心に忠実に判決を下す裁判官がいた。こういう判決があるから、こういう法律家がいるから、日本の司法も捨てたものではない。希望が湧いてくる。


2003年10月14日(火)
裁判官国民審査のビラ作成

本日は、日弁連司法改革実現本部の全体委員会に出席。
下級裁判官指名諮問委員会の委員となった弁護士からの報告を聞く。当局が作成した8種類の資料で、3つの観点(成績・人物・特別の不適格事由)から審議し、その最終判断を最高裁が尊重してそのまま受け容れたという報告であった。結論として、「裁判官任官における客観性・透明性とも、前進した」との評価であったが、納得しがたい。これからも、議論を継続しなくてはならない。

次いで、日民協で「司法の独立と民主主義を守る国民会議」(司独)。最高裁裁判官国民審査についてのビラ・ポスター作り。
基本方針として、「今後の司法改革・有事法制・改憲状況下での重要な国民審査」であること、対象裁判官9名のうち「特に不適格と宣伝すべき対象者はない」「親与党・官僚体質は、弁護士出身者3名を除く6名に共通」、「国の基本政策にかかわる公安・労働・行政事件などでの反憲法姿勢は、全員にほぼ共通」を確認。

ビラ・ポスターのメインタイトルは「最高裁に国民の審判を!」。そして、各裁判官の経歴・関与判決、投票方法についての注意、あるべき司法改革についても盛り込もうということになった。ビラは1枚5円。原価での販売を決定。20日にできあがり、見本と注文書を発送する手筈を決めた。

このビラは、近々日民協ホームページにも掲載する。ダウンロードして配布できるようにする。また、ビラには盛りきれない情報を「法と民主主義」10月号に掲載予定でもある。こちらも、20日発送の予定。



2003年10月15日(水)
「神舟5号」の国威発揚

中国が、有人宇宙船「神舟5号」を打ち上げた。「神州不滅」を連想させるギョッとさせるネーミング。事情通の息子の解説に耳を傾ける。

「地球は青かった」「私はカモメ」のごとき、どんな名セリフが出るだろうかと、インターネットでは大きな話題になっていたという。多くの人が、国境を越えた地球人としてのメッセージを期待している。しかし、いまのところ「感覚良好」「任務を遂行します」の程度で面白くもおかしくもない。

信頼性高い総合的な技術水準あっての成功で、やはり大したことなんだそうだ。日本のH2型ロケットの水準では到底できることではない。また、極めて慎重・着実な計画ぶりだともいう。アメリカの宇宙開発計画はかなり乱暴で、犠牲者を多く出している。特に、スペースシャトルの人身事故率の高さは、国威発揚の要請が生み出した犠牲を象徴しているとか。
これまで宇宙開発は、技術開発の裾野への波及効果大と言われてきたが、やはり本音は軍事利用。中国の人工衛星からの偵察技術は、アメリカを凌ぐとの観測まである。しかし、今回は、何よりもデモンストレーション効果が大きい。中国の国威発揚だ。

今回の打ち上げによって中国はその存在感を世界に示した。経済発展も順調だ。さらに、北京オリンピック、上海万博と大国化への道が連なる。やがて、アメリカ・ヨーロッパと鼎立する存在となるのだろう。

無法・横暴なアメリカ帝国の一極支配を牽制する存在としては中国を歓迎する。しかし、当然ながら中国の軍事大国化には反対である。アジアの平和秩序を構築する構想が必要となっている。

この日、小泉首相は中国の打ち上げに関して「(宇宙技術は)平和利用に徹すべきだ」と求めたという。
日本は、宇宙開発平和利用の大原則をもっていたはずなのに、北朝鮮偵察のための衛星打ち上げをやってしまっている。小泉発言には賛成だが迫力を欠く。

日本が本気で平和利用に徹した宇宙開発を成功させていたら、民生用の商業衛星技術で世界をリードし、一大産業を切り開いていたかも知れないときかされた。
商業活動は大いに結構、国威発揚はご免をこうむる。国威なんぞは無用の長物。百害あって一利なし。そう、歴史ある成熟した国には国威の言葉はふさわしくない。「中国に負けずに日本も」などという声が出てこなけりゃよいのだが。


2003年10月16日(木)
自衛隊派遣は「交戦を呼び込む危険」

朝日の「私の視点」に日本国際ボランティアセンター(JVC)の熊岡路矢さんが書いている。
JVCには、90年にカンボジアに行った際に現地でお世話になった。その地が話題となると出かけるのではなく、問題ある所に地道に張り付くという姿勢に敬意をもった。そのリーダーの見解である。

「イラク戦争は一体、なんだったのか。米軍はフセインというパンドラの箱のふたを壊し、権力の空白を生じさせ、犯罪集団や破壊活動集団が横行しやすい環境を作ってしまった。戦争の大義は見えず、破壊の跡だけが残る」
「国際社会は今どんな手を差し伸べることができるだろうか。『イラク人による政権実現への道程を一刻も早く明らかにして推進する』『復興・人道支援の中心を米軍(連合軍)から切り離し、国連など中立的な機関に移していく』という2点を明確にすることが重要である」
全く異論ない。そのとおりだと思う。

その上で、氏は自衛隊のイラク派遣について言及する。
「現在のイラクの治安状況では、派遣条件である『非戦闘地域』と確定できる場所は見あたらない。なにより、占領軍と連携する軍隊的な組織が出ていくことによって、さまざまな政治勢力との交戦を呼び込む危険性は非常に高い」

自衛隊派遣は却って状況を悪くする、イラク復興を妨げるという鋭い指摘である。なにもしない人が言うのではない。現場で汗をかいている人の言葉だけに重みがある。
「国連を押し立てて人道支援に徹して協力すること」が氏の結論である。

あす、ブッシュ来日である。さて。


2003年10月17日(金)
やってきたチンパンジー

日民協は、四谷駅の直ぐそぱ。したがって迎賓館にも近い。要人が来たときには、交通規制に煩わされる。右翼の街宣車がうるさい。

本日は、はるばるとチンパンジー様の来日。チンパンジー一匹に、なんと大げさな警備と交通規制。不愉快きわまりない。
もっとも、このチンパンジーは核のボタンを握っている。主権国家にミサイルを撃ち込むどう猛な種類なのだ。テロに狙われても、ちっとも不思議ではない。大げさな警備が欠かせないことにもなる。

なお、信じがたいことと言うべきか、あまりに当然と言うべきか、右翼の街宣車の騒ぎはない。右翼なるもの、自らの役割とご主人の意向ををよく心得ている。

世間では、訪問者は手みやげを持ってくるのが常識だが、ブッシュは手ぶらで来たようだ。忙しいところをわざわざ寄ってやった、と言わんばかり。わずか20時間の日本滞在だという。
パシタの小泉は、籾手をし腰をかがめて、ボス猿のご機嫌を伺う。15億ドルの拠出を約束し、自衛隊を年内にイラクに派遣しましょうと言う。

冗談じゃない。いったい誰の金だと思っているんだ。誰の命だ。そもそもどうして、チンパンジーの要請で国民の税金をつぎ込めるのか。予算措置はどうなる、財源をどうするのか。

妥協の産物としての安保理決議は成立したが、米英のイラク軍事占領に終止符が打たれてはいない。アメリカへの協力を決議が謳ったわけでもない。チンパンジーの不始末の尻ぬぐいをさせられるのはまっぴらごめんだ。

このチンパンジー、本音は自分の選挙の心配。イラクへの戦争を仕掛けては見たものの、思惑違って不評・不人気の八方ふさがり。来年は木から落とされ、ボスの地位を奪われるのではないかと気が気でない。そんなときの気前のよい歓待ぶりに、笑いが止まらない。
しかし、こんな危険なチンパンジーに餌をやってはいけない。図に乗って、ますます獰猛になるばかり。やはり、牙を抜き、権力の木から落として、毛が3本足りないだけのただの一匹の猿に戻さなくてはならない。それが、森の平和のためなのだ。


2003年10月18日(土)
高校野球大阪府秋季大会準決勝第1試合

本日は、日本シリーズ第1戦だが、個人的な関心はここにはない。気にかかるのはローカルな母校硬式野球部の大阪府秋季大会準決勝の勝敗。本日これに勝てば近畿大会出場となり、来春の選抜大会への道が開ける。「それがどうした」「平和と民主主義になんの関係がある」と言われれば返す言葉もないのだが、気になってしかたがない。

一昔前、わが母校は名門の名を欲しいままにし、圧倒的な強豪と騒がれ、取りこぼしない限り近畿大会には指定席を持っている感があった。私はそのころには母校の活躍に関心はなく、今、さほど強くはないチームが、けなげにがんばっている姿に打たれるものがある。準々決勝では、あの浪商を相手に15回無得点の引き分け再試合でようやく勝った。

驚いたのは、リアルタイムで速報するウェッブサイトの存在。母校のオフィッシャルサイトはそんなことにはなんの関心もないとの風。野球部が管理するサイトはそもそも存在しない。にもかかわらず、私設応援者が開設する立派なサイトがいくつもあってイニングごとに得点を速報してくれる。いずれも掲示板があって、無数の発言が行き交っている。恐るべき世の中。

民衆がおのおの情報発信手段を手にしている社会。直接的な情報管理は不可能に見える社会が既に到達している。しかし、新たな管理技術が発達しつつあるのではないだろうか。インターネットと、パソコン・携帯電話で、本当に意味ある情報の交流ができているのだろうか。民衆は、情報の根本を押さえられて、マインドコントロールされているのではないだろうか。

こうしているうちに、1回は0ー0、2回は2−0と、母校リードの報がはいる。3回、4回、5回終了時点で得点は変わらない。

ここで、当番弁護士センターからの電話。本所警察への接見要請である。

結局、母校は、準々決勝では関西創価を破って勝ち上がった無名高(野球では、という意味)と接戦。9回の守備、最後は1死満塁のピンチを凌いで、3ー2でようやくの勝利。母校は5安打、相手校は7安打だったという。このくらいがちょうどよい。
明日は、新興名門校との決勝戦。勝ち目は薄そう。


2003年10月19日(日)
今は何世紀?

「私の神は本当の神だが、彼らの神は偽りの神だ」「イスラム過激派が米国を嫌うのは、我々がユダヤ教、キリスト教を社会の基盤としているから。敵の名前はサタン(大悪魔)だ」「ブッシュ氏を大統領に選んだのも神だ」
これが、ペンタゴンで情報を担当するボイキン陸軍中将の発言だという。恐るべき時代錯誤。彼は、キリスト教福音派に所属する保守派キリスト教徒。

一方、彼が追うオサマ・ビンラディン(とおぼしき人物)も負けていない。米軍とイラクの統治評議会を「イスラムの敵」とし、イスラム世界の若者に「米国と米国に協力する者たちに対する聖戦を行わねばならない」と訴えた。「米国内とイラクのアメリカ人に対する殉教作戦(自爆攻撃)」を警告しただけでなく、米国に追随する国として、イギリス・スペイン・ポーランド・イタリア・オーストラリアそして日本の名をあげて、攻撃を示唆している。

野蛮な宗教戦争の時代に逆戻りである。国際法的には、「聖戦論」の時代。自らの神のみが正しく、自らの神の名において行う戦争が正しい。敵は邪悪なサタンなのだ。
日本も半世紀前には同様だった。神なる天皇の聖戦には天佑があり神風が吹く。いい年の大人が真面目くさって言っていたのだ。さすがに、今はこんなことは言えない。
で、キリスト教にもイスラムにも、どちらの神にも与しないはずなのに、この渦中に飛び込もうとしている。おろかの極みである。アメリカは武力によるテロの根絶という道を選んだ。もとより報復は覚悟の上のこと。自国の民衆に犠牲が出ることは織り込み済み。人権も民主主義も、建国の建前さえも停止させての非常措置。国際法の無視まで敢えて行っている。社会的なヒステリー状態ではじめてできることである。
日本は、これに荷担して、覚悟のないまま、報復の巻き添えを甘受しなければならない立場に自らをおいた。国民の同意なしにである。いったいどう責任を取ろうというのだ。

なお、突然話題は変わりますが、母校の硬式野球部は本日大阪府大会で優勝しました。今秋は軟式野球部も優勝しています。だからなんてこともないけれど…。ご声援ありがとうございました。


2003年10月20日(月)
本格的に改憲阻止運動を

本日は日民協執行部会。
差し迫っている国民審査・司法制度研究集会・理事会準備についての議論のほか、憲法問題に花が咲いた。
これまではいやおうもなく司法改革の季節だった。同じ意味で、これからは憲法の季節。改憲阻止の運動に本格的に取り組まなければならない。

自民党が2005年11月(結党50年)までに、改憲草案を作るという。臆面もなく、そのことを選挙公約に掲げている。これまでは、公然とした改憲は票を減らすとしていたのが、おおっぴらに言える時代になったという判断なのだ。
民主党は、論憲から創憲だという。公明党は、加憲だとか。

憲法のどこをどう変えるという具体策までが発表されたわけではないが、改憲ムードという妖怪が徘徊している。この妖怪の排除を決意しなければならない。

われわれは、憲法を聖なる教典としてこれを守ろうというのではない。憲法に盛り込まれている、平和・人権・民主主義の理念を絶対に譲れないものとする立場である。現行憲法は国民の運動を励まし、理念実現のための国民の運動の武器たり得るものである。その意味で改憲は、大きな後退である。

憲法擁護は日民協の存在価値そのものである。「法と民主主義」を連続で憲法問題特集としよう。改憲反対の理論と運動の交流の場としよう。憲法委員会を充実し、多くの人々の結集を呼びかけよう。他の運動と交流しよう。まず法律家の結集を…。

そう、2004年と05年、憲法は試練の年を迎える。その中で、改憲阻止運動も鍛えられるだろう。


2003年10月21日(火)
歩く請求書

私は目が悪い。生活への適応としての強度の近視である。それでも、眼鏡はかけない。面倒だし、そんなに見えても美しいほどの世の中でもあるまい。

私が先に誰かの存在に気づくことは少なく、誰かから声をかけられてはじめて先方を気づくことがほとんど。声をかけられてなお誰かわからず、距離を詰めてようやく「やあ」なんてことも、しょっちゅう。

昨日、東京地裁で16期の弁護士(私よりも7年先輩)から声をかけられた。「日民協の会費が滞納になっている。送金も面倒だから、ここで受け取ってくれ」「領収証はあとからでよい」と現金を渡された。「ありがとうございます」と反射的にお礼の言葉が出る。が、後で考えてみると、多くの人が私のことを「歩く請求書」と見ているのではないかしら。で、私を見ると近づくのを避ける。私は、それに気が付かない。となっているのではないかしら。そういえば、このごろ私に声をかける人がすくなったような気がする。

今日は、思いがけなくも上野駅の雑踏の中で後ろから親しげに声をかけられた。見覚えのあるお顔だが、わからない。「えっ、どなたでしたか」「やっぱり、澤藤さん。笹川ですよ」。ICUの笹川紀勝教授だった。奇遇に過ぎる。私は、1月も前から何度もお電話を繰り返していた。12月の憲法委員会の会合に出席をお願いしてのこと。現在長期休暇とかで連絡が付かなかったのだ。
「これは神のお導き」と、言葉が出たのは無神論者の私の方。敬虔なクリスチャンとして知られる氏は、にこにことしているばかり。しかし、どうして三鷹に住み、三鷹の大学に通う氏と上野で出会うとは。

そういえば、声をかけてくださった笹川教授は、私に会費を請求される立場にはない。


2003年10月22日(水)
「有栖川宮」だけが詐欺か

旧皇族「有栖川宮」家を名乗る男女が詐欺で逮捕されたことが話題となっている。
都内で結婚パーティーを開き、出席者から祝儀として現金などをだまし取っていたというのだが、今頃「宮家」が「詐欺」のネタになることに驚いた。なんの関係もない400人が、「宮家」の披露宴に招かれて、のこのこ出かけているのだ。で、ご祝儀まで渡している。被害は、一人5000円から30万円まで。総額1300万円というが、この件ではだまされる人は限られている。
より本質的な疑問は、「本家」の方こそ、本来的な意味での詐欺(欺罔+金員交付)ではないのかということ。こちらの方が、桁外れに被害は大きい。

私がネーミングした「霊視商法」という詐欺事件があった。真言宗醍醐派を名乗る宗教法人の霊能師が、「あなたの背後に水子の霊が見える」と言って、除霊祈祷料として250万円見当をだまし取るという手口である。被害者の集団訴訟が提起され、大弁護団ができた。遅まきながら警察も動いて、管主以下が詐欺で起訴されて有罪が確定した。
このとき、被告らは「既成教団も同じことをやっている」と激しく抗弁した。なるほどそのとおり。詐欺になるかならぬかはともかく、有名大教団の水子供養料は目の玉の飛び出るほどの高額である。戒名料・永代供養料・お布施と、霊師商法より一桁大きな金額が、合法的に動いている。本家筋も罪が深い。それでも、「被害者」は信者・檀徒に限られる。イヤなら止せばよいだけ。

「本家」の皇室・皇族も、涼しい顔をして合法的に国民が拠出する税金から巨額の金銭を懐にしている。天孫降臨も、125代の万世一系も嘘っぱち。「国民を慈しむ天皇」「国民とともにある皇室」「国民のために働く皇族」、これって詐欺じゃないの? 私もあなたも被害者で、この被害は当面防ぎようがない。
種牡馬やケンネルの業界ならともかく、人間様の世界で今どき特定血統を崇拝する時代錯誤がどうしてまかり通っているのか、ばかばかしくも不思議でならない。「そんなことに目くじら立てるなよ」という、「良識派」のしたり顔にも我慢がならない。

私は、多元的価値観を認める立場だ。天皇教の信者・天皇大好き人間は、私の軽蔑の対象ではあっても、存在してはならないとは思わない。しかし、私の納めた税金が、あの男とその家族ばかりか、親戚まで養うのかと思うと情けなくなる。これ、詐欺被害と変わらない。


ところで、本日総務省自治行政局選挙部に、国民審査の施行方法についての申し入れ。司独としての行動である。少なくとも、棄権の方法についての掲示は改善されそう。
国民審査ビラは3万枚刷った。1枚5円(送料は別)の出血サービス。日民協に注文して欲しい。


2003年10月23日(木)
国旗・国歌強制のアナクロニズム

本日の「産経」朝刊一面トップは、「国旗掲揚・国歌斉唱の適切実施 違反教職員は懲戒処分 都教委きょう都立校に通達」という、おどろおどろしい見出し。産経を右翼紙と呼ぶ所以である。

そのリークのとおり、本日午後の臨時校長会で、都教委から都立校の各校長宛に、「入学式、卒業式における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について(通達)」と、「実施指針」(別紙)が示された。
微に入り細を穿って、国旗の掲揚・国歌の斉唱・会場設営にこだわっている。まさしく、「生徒中心の教育か、国家中心の教育か」が問われる構図である。

「教職員が本通達に基づく校長の職務命令に従わない場合は、服務上の責任を問われることを、教職員に周知すること」とまで書かれている。何故ここまでして教員を統制し、日の丸・君が代強制にこだわるのか、教委の挑戦的姿勢に驚く。

教育現場での、国旗・国歌・国家意識・愛国心の押し売り。教育勅語の強制を思い出させる。グローバルの時代に、なんたる時代錯誤のナショナリズム。

まずは、教員組合がどう対応するか、その姿勢が問われている。都高教・都教組、さらに日教組・全教の存在意義が秤られているのだ。
次いで、法律家の存在意義も問われる。傍観者ではおられない。何とかしなければならない。武器は憲法19条(思想良心の自由)である。

話変わって、本日は、日弁連が主催する実に長い名前の集会。「市民を裁判から閉め出す弁護士報酬の両面的敗訴者負担制度に反対し、市民が利用しやすい裁判制度を求めるシンポジウム」。反対の対象を「両面的敗訴者負担」と明示したところがミソ。
名前負けのしない、充実したシンポだった。会場になじみのないことと、豪雨にたたれたことで、参会者が今ひとつだったことが惜しまれる。

司法アクセス検討会の議論は大詰め。運動の成果が反映されてはいるものの、油断できない状況。本日は、市民対市民の訴訟、中小零細事業者の訴訟、そして国賠・行政訴訟の当事者からの意見表明が重みと迫力のあるものであった。

国歌斉唱義務不存在確認訴訟・君が代伴奏職務命令差し止め訴訟などは、弁護士報酬の敗訴者負担制度のもとではできっこない。導入論の本音は、この辺にあるのだ。


2003年10月24日(金)
自由法曹団総会

本日は自由法曹団の総会。場所は、福岡市のシーホーク・ホテル。
団は、弁護士の任意団体としてわが国最大の存在。1922年の発足というから、中国共産党と同い年という歴史。もっとも、1933年から終戦までは事実上の活動停止を余儀なくされている。治安維持法の猛威による。

自由法曹団は、統一戦線組織である日民協を構成する最有力団体の一つ。日民協の鳥生理事長が来賓として挨拶をした。私は、その随員である。
鳥生理事長の挨拶は、アメリカの無法がまかり通る国際情勢と、憲法改悪が現実化しかねない国内状況における、民主的法律家運動の連帯の必要を力説するもの。そのうえで、「法と民主主義」の意義を説き、司研集会への参加を訴えた。
日民協のほかの来賓は、福岡県弁護士会、国民救援会、日本共産党、全労連であった。

平和・改憲・司法改革問題だけでなく、教育問題と労働現場の状況が議論すべき課題として提起された。私も、学校現場での日の丸君が代強制問題について発言。

会場が、福岡ドームと一体となったダイエーホークスの本拠地。ときあたかも、日本シリーズの真っ最中。諸氏の挨拶の中に、この話題が出てくる。何度も聞かされる方は、やや白ける。
また、この施設が1200億円の負債を抱えた事業体で、この日の朝刊に「産業再生機構による手続き断念」と記事が載った。任意整理して、事業体は外資へ売却となるという。その目で見ると、恐るべきバブリーな施設。

昼食時、坂本修弁護士と歓談。師は、今総会で団長に選任される。「2年間だけ、全力投球したい」と、意欲を語られる。そう。任期の限定は大切なこと。


2003年10月25日(土)
いささかくたびれた

昨夜は、小倉の弟宅に泊めてもらう。
早朝のテレビ(NHKローカル)に、ペシャワールの会の中村哲医師が出てきた。
アフガンの治安状況に関して、「過去20年で最悪」と言う。「国連もNGOも、復興のための活動と言ってるのに、どうして通用しないのか」という質問に、「地元民の要求と、援助の側の意識とのギャップが大きい」「地元の人々のためにという発想が薄く、援助する側の話題作りが優先している」「餓死寸前の人に、鉛筆を持って行っても役には立たない」、そして「現地の人々は、なぜわれわれに爆弾を落とし苦しめるのか、と思わざるを得ない」という。
ご自身は、懸命に井戸を掘り水路を作っている。清潔な水の確保で、病人も減るのだという。目立つためではなく、長く現地に根を下ろした活動をしている人の、実践に支えられた言葉は重い。

福岡から帰京して、午後3時からは麹町の食料会館で、初めての武富士関連訴訟連絡会。
武富士は、特異な企業である。サラ金トップとして多重債務者を作っているという罪深さにとどまらない。違法行為を重ねているダーティさで、際だっている。

武富士関連事件としては、借り主からの過払い金返還請求訴訟、従業員の時間外手当訴訟、盗聴告発事件、マスコミに対する「名誉毀損損害賠償威嚇訴訟」など、20件を超える訴訟・告発事件が継続中である。武富士は、対消費者・対従業員関係で違法を重ね、これを暴露されると威嚇効果を狙った高額損害賠償を起こす。問題はかなり大きく、多面的である。

武富士は違法を重ねて大きくなった。盗聴などの犯罪も重ねた。大きくなると金の力で警察と癒着した。これを報じられると、批判封じの訴訟を起こす。報道の自由や弁護士業務への妨害などの側面も見過ごせない。
金の力は、警察・検察OBの大物顧問や、広告料依存のマスコミの迎合というかたちでもあらわれている。企業の暴走に対する民主的な統制という問題なのだ。
徹底的に武富士の違法を暴露すること、連携し共同して闘うことを確認した。

午後6時半からは、日の丸・君が代強制問題の集会。訴訟を考慮する教員が多数集まった。無名抗告訴訟としての、「君が代起立斉唱義務不存在確認請求」「君が代ピアノ伴奏義務不存在確認請求」などの「予防訴訟」を行おうという相談。盛り上がりを見せた集会となって、原告団結成がほぼ本決まり。参集者一同は意気軒昂だが、こちらはいささか疲れた。


2003年10月26日(日)
赤旗紙上の木村達也君

25日の「しんぶん赤旗」に、同期の弁護士木村達也君のインタビュー記事が出ている。
25年前にクレジット・サラ金問題対策協議会を立ち上げ、長くその事務局長を務めてきた人。多重債務問題の運動は、この人抜きに語れない。

庶民の生活苦の実態を見つめ続けてきた木村弁護士が、赤旗の紙面でこう言っている。
「庶民や中小零細企業、高齢者を、切ないまでにしんどい生活に、政治が追い込んでいる。弱者がいじめられる構造があります。しかし、庶民が豊かになり、消費をするようになって、はじめて経済も社会もよくなる。これが絶対大事です」
「出資法の上限金利は、今年見直しの予定でした。…与党は今年に入っていきなり『難しい』と言い出しました。昨年から業界側が働きかけを強め、与党、それに民主党の一部の議員は、業界からパーティ券の献金をうけ、『毒まんじゅう』を食べていた。彼らは、庶民生活の実態をまったく見ていないのです」

木村君が赤旗に登場するのは、やや意外という感を否めない。自分でも言っているとおり、「政治に関心を持つよりも、弁護士の仕事をしつくそうと思っていた」というのが、傍目から見た彼の姿勢だった。しかし、「今政治に向かって発言しなくてはいけない時代に来ています」と彼は言う。彼をして、そう言わしむる時代状況なのだ。

揺るがず、真剣に、多重債務問題という切り口から庶民の生活苦を見続けてきた彼には、「庶民の不幸を作り出す構造」が見えてきているのだろう。これも同期の宇都宮健児君も同様だ。その一貫した姿勢を学びたいと思う。


2003年10月27日(月)
日本シリーズが終わった

スポーツは愚民化政策だ。
国威発揚やナショナリズムの鼓舞に使われ、秩序への盲従や上命下服の心情を学ばせる場となる。スポーツを通じての先輩・後輩の人間関係ほど嫌なものはない。「昔軍隊、今運動部」なのだ。
ローマ以来、パンとサーカスとは、人心収攬の道具立て。今、野球とサッカーがサーカス代わりの見せ物となっている。競馬と競輪も同様。

読売資本が扇動するプロ野球は大衆の動員に成功し、「天覧試合」まで作って国民的エンタテインメントとなった。これに見呆けているのは、まさしく体制側の民衆操作に乗っけられ、操られている。

平和のための集会は多くの人を集める力量がない。日本シリーズでは、4万を超える観衆が集まる。平和や民主主義の課題から目を逸らせる役割を果たしている。この人たちの投票率や投票行動はどうなるのだろう。

などと言いつつ、今年の日本シリーズをあらかた見てしまった。原則論者の妻や子から、馬鹿にされながらである。これが結構面白かった。いや、私も乗せられやすい。

小倉の弟は、開幕前から「内弁慶シリーズ」と予言していたという。両チームとも、ホームで勝ち、ビジターとして負けるパターンとなった。心理的な要因でそうなるのかも知れないが、経営的な要請からは理想のかたちだ。

野球は、強いチームが勝つとは限らない。正義が勝つと言うことがフィクションであるごとく、ゲームで努力が報われるとも限らない。偶然と必然とない交ぜで進行するところが、人生に似たドラマとして見せ物となる。が、野球になぞらえて人生論などやられると、とたんに白けてしまう。

ところで、私の母校は近畿大会の初戦で敗退。大差のコールドゲーム。1961年夏の大阪大会の決勝戦で、尾崎を要する浪商に7−0で敗れて以来、母校の大敗を知らない。残念ではあるけれど、来夏まで心煩わされるテーマが一つ減った。


2003年10月28日(火)
総選挙が始まった

本日総選挙の公示。大政治戦が始まった。
ダイエーが勝っても阪神が勝っても、国民の未来に影響はない。しかし、この選挙は、日本の未来を変えるかも知れない。憲法改正と海外派兵をめぐる争点についての結果次第である。

「政権選択選挙」とのミスリードで日本が抱える真の問題がかすんでしまいそうな雰囲気が嘆かわしい。政治改革という名で導入された小選挙区制の罪は深い。
政権政党である自民党は、2005年11月までに憲法改正草案を作るという「公約」を掲げた。これまでは、真意はともかく、改憲を掲げることは選挙に不利、という態度だった。それが、ここまで言ってよいとの判断に変わってきている。「教育基本法改正」とともに、恐るべき事態である。

自民党と政権を争うという民主党も、改憲勢力が主流となっている。「論憲」から一歩進めて「創憲」をスローガンにするという。平和問題で、落ち着いた議論がなされているとは到底思えない。自民と連立を組む公明は「平和運動は利敵行為」という体質。「加憲」というまことに見識を欠くスローガンを掲げている。

憲法を擁護し、実質的にその一部である教育基本法の改悪を許さないこと。国際法無視のアメリカに追随しないこと。イラクへの派兵を阻止すること。これらの原則についての国民意思の表明のは、「政権選択」よりも遙かに重要である。

あらためて、平和・人権・民主主義という普遍的な理念を実定法に定着させた、日本国憲法の意義を確認したい。「自民か民主か」の枠組みでは、憲法がないがしろにされっぱなしとなってしまう。憲法擁護・改憲反対、イラク派兵阻止、そして憲法的な理念の実現に真摯に取り組むという政治勢力の伸張を願わずにはおられない。

もう一つの総選挙、最高裁裁判官の国民審査についても忘れてはならない。司法へ国民の意思を反映できる貴重な機会を生かして、最高裁への批判を表明しよう。この運動は公職選挙法の縛りなく自由にできる。日民協ホームページでの国民審査ポスター・ダウンロードもぜひ活用していただきたい。


2003年10月29日(水)
日民協理事会の議論から

本日は日民協の理事会。いつもながら、この席の議論は面白い。
まず、鷲野忠雄弁護士から選挙と最高裁裁判官国民審査についての情報を聞く。氏は、日本に5人の中央選挙管理委員のお一人である。氏ならではの、表の話・裏の話が尽きない。「好きこそものの上手なれ」ということか、政党・政治家の情報に通じていることに驚く。

鷲野レポートの結論は、小選挙区制と政党助成金が日本の政治をゆがめ、政党の体質を変えてしまった。不自然な「2大政党制」の強制は、民意を反映しない議会、まともな野党の衰退を招いている。
また、今度の選挙はゲームとしてみれば面白い。民主党は、自民党に肉薄するだろう。場合によっては、その均衡の中で、少数野党の存在感が増すことも考えられる。しかし、選挙をゲームとして見ることは基本的に危険。問われている本質的課題を見据えなければならない。

元裁判官を含む出席者から、国民審査運動のあり方について発言が相次いだ。「問題の本質は、最高裁の司法官僚が第一線裁判官を統制していることにある。そのような具体的な実態の暴露が必要だ」「事実が知られていないことが最大の問題。×を付けようというよりは、もっと事実を知らせることだ」「泉徳治にせよ、上田豊三にせよ、殆ど裁判の現場を経験していないではないか。矢口氏の元で、ずっと司法行政畑だ」「たとえば、濱田邦夫、典型的な企業弁護士ではないか」「本当に憲法や人権擁護でがんばっている人は最高裁には入れない。最高裁裁判官の履歴を克明に調べて知らせることで、自ずから批判となる」

次いで、改憲問題。自民党が「2005年11月までに改正草案を作る」と公約していることについての危機感は共通。「本腰を入れて、改憲阻止の大きな統一戦線を作らなければならない」「日民協会員のベテランにも、若手にも結集を呼びかけよう」「まず、法律家の分野で幅広い結集を」「政党・政派に囚われている場合ではない」「次いで、多くの草の根運動に共闘の呼びかけを」「法律家部隊の呼びかけは、今の時期重要な役割を果たすことになる」「保守と思われている人まで含んだ大きな改憲阻止運動の主体作りを」
集会・学習会・ビラ・パンフ・インターネット、何でもできることを積み重ねよう。

最後が司研集会。ほぼ、企画は確定し報告者の手配もOK。あとは、どう運用するか。もっとも難しいのが、刑事司法改革の分野。裁判員制度導入で刑事裁判はよくなるのだろうか。出席者の中でも、見解は相半ば。
難しいから、議論を避けるのではなく、議論を積み重ねなければならない。

会議のあとに近所の居酒屋で一席。前理事長の北野弘久先生、前理事長の庭山英雄先生、そして3代前の榎本信行先生に感謝の宴。3氏に、色それぞれのマフラーが送られた。


2003年10月30日(木)
司法アクセス検討会への要請行動

本日は20回目の司法アクセス検討会。
司法制度改革推進本部前の「弁護士報酬の敗訴者負担導入反対」の宣伝行動も、ほぼ20回目。例によって、労働・消費者・公害団体の要請行動。大阪の全青司、仙台のハイソネットも参加して、にぎやか。横断幕が3枚。ビラ・リーフを撒き、ハンドマイクでの宣伝行動がすっかり定着した。

最初のころは悲壮感漂う雰囲気だった。行動自体の迫力にも欠けていた。それが、最近は自信に満ちた行動となっている。110万筆を超える署名、5100を超えるパブコメ。日弁連の決議、パレード、シンポ。そして、全単位会の反対声明。ようやく、「敗訴者負担は制度改悪」の常識がみんなのものとなってきた。

そう言えば、この行動、最初は悪天候続きだった。雨、風、寒さにたたられっぱなし。それが今日は、抜けるような青空。
マイクを握る話し手も威勢がよい。こもごも「学者の机上の空論での制度改悪はやめてもらいたい」「反対が圧倒的多数じゃないか。検討会は国民の声を聞け」「現場の苦労を知って議論して欲しい」「片面的敗訴者負担で行こうじゃないか」と語る。

この問題、まだ決着がついたわけではない。しかし、最初の力関係よりはずっと押し戻してきた。やればできる。運動次第。国会だって変えられる。という意気込みが感じられる。やはり、裁判は大切なのだ。裁判所はみんなが駆け込めるところでなくてはならない。

夜は、武富士の闇弁護団会議。武富士の不当・違法をあばいた弁護士に対して、武富士は5500万円の損害賠償請求訴訟を提起した。批判を封殺するための提訴に対して,受けて立つだけでは不満。提訴自体を違法として、武富士に対する損害賠償請求の反訴を提起しようということになる。このような訴訟を受任する弁護士にも、大いに問題がある。


2003年10月31日(金)
国連のバグダッド撤退

国連が、バグダッドからの「完全撤退」を正式決定した。現地要員は残ることになるが、外国人要員は全員引き上げの方針だと報じられている。報道によって異なるものの北部にわずかを残すとされているで、事実上イラク全土からの撤退。アナン事務総長が米政府の反対を押し切っての方針決定である。米英の占領統治の不成功を象徴する事件となった。

これで、国連中心主義とアメリカ追随方針との相克がいっそう際だつ事態となった。国連がイラクから出て行く、そこへ自衛隊を送り込む。そんなかたちで、本当に自衛隊のイラク派兵ができるのか。こんな事態でも敢えて派兵を実行しようというのか。アメリカ国内でも、「戦場の息子を帰せ」という大規模なデモが起こっているというのに。

せっかく作った法律だから、落ち目のアメリカがせっついているから、という理由で派兵方針を貫くとすれば、取り返しのつかない禍根を残すことになる。小泉政権にとっても、得策ではあるまい。
違法な戦争を仕掛けたことがそもそもの間違いなのだ。武力で一国を押さえつけようという時代錯誤の方針がどだい無理なことを悟らなければならない。その武力が無法なものであればなおさらのこと。間違いに間違いを重ねる愚をやめよ。間違いに無批判に荷担する愚もやめよ。


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