澤藤統一郎の事務局長日記
http://www.jdla.jp/jim-diary/jimu-d.html
澤藤統一郎の事務局長日記
ja
2005-07-17T11:12:52+09:00
-
「事務局長日記」本日で終了 ご愛読を感謝いたします
http://www.jdla.jp/jim-diary/jimu-d.html
本日、日本民主法律家協会の第44回定時総会。そして、「法と民主主義」400号の祝賀会。並びに、第一回の法民賞・授賞式。にぎやかに、すべてのスケジュールが終わった。総会で強調されたことは、いよいよ改憲阻止運動の正念場であるということ。戦後60年二世代の時が移り、戦争の惨禍の記憶が必ずしも国民に共有されなくなりつつある中で、改憲スケジュールが具体化しつつあることへの危機感。運動の幅を拡げ、多数派としての改憲阻止運動の必要性。憲法は危機にある。そのとおりではあるが、けっして一気呵成に改憲が実現するという状況にはない。目を瞠るべき戦後民主主義の底力、平和憲法を護れという大きな運動が起きつつある。その運動の成果として改憲を阻止することは、日本の民衆が自らの力で自らの憲法を選び取る初めての機会となる。そのような国民運動の一翼としての法律家運動を起こそう。そのような決意が語られた。第一回の法民賞は、渡辺治さん(一橋大学)に贈られた。「卓抜した理論的成果をもって、運動の指針となった」との評価である。「法民」掲載の渡辺さんのテーマは、憲法改正問題、司法改革論、それに石原都政観の三点に及ぶ。いずれも、定番となり古典にすらなりつつある。渡辺さんの受賞講演は、「自分も東大社研の助手であった時代に、法民の編集に携わった。生きた法律に触れたという充実感があって貴重な経験であった」とはじまった。改憲問題は四半世紀取り組んできたテーマとなった。改憲阻止のためには、保守まで含めたもっとも幅の広い明文改憲阻止の一点での統一した運動を作らねばならない。そのためには社会保障問題や医療、経済問題、あるいは教育や「日の丸・君が代」強制など、各論的な問題に取り組まねばならない。それらの個別課題の積み重ねの究極に憲法改正問題がある。また、改憲阻止運動は、改憲草案が提出されたら闘いが始まるという性格のものではない。日常の個別課題への取り組みの過程が決定的に重要なのだ‥。さらに、「弁護士報酬の敗訴者負担を許さない全国連絡会議」と「イラク拘束者解放弁護団」の2団体に、その成果を讃えて特別賞が授与された。いずれも、その努力、その成果に、惜しみない拍手が送られた。本日の総会で、新事務局長が選任された。弁護士の海部幸造さんである。改憲問題の正念場に、エースが登場する。私はベンチに下がることになる。私は、7年間事務局長の任にあった。「無期刑」あるいは「不定期刑」との冗談が出るほどの事態だった。この間得意ではない任務に四苦八苦だったが、大過なく任務を全うした。新事務局長には、2年を限っての任務との執行部合意がある。理事長も、事務局長も、きちんと交代できる組織でなくてはならない。この間、「事務局長日記」を書き続けてきた。800日を超える連続更新であった。2003年の4月22日から今日まで、一日も休載もなくよく書き続けたものだと、われながら思う。当然のことながら、事務局長の任務として書きつづってきたこのコラムは本日をもって終了ということになる。こんな面倒な「日記」に付き合っていただいた読者の皆様に、心からの感謝を申し上げたい。いずれ、新執行部の了解をいただいて、日民協サイトの一隅に装いを新たにしたコラムを書かせていただきたいと思う。「澤藤統一郎の憲法日記」ではどうだろうか。そのとき、また拙文をお読みいただければ、これに過ぎる喜びはない。憲法擁護の運動の昂揚を祈念しつつ擱筆する。
2005-07-17T11:12:47+09:00
-
今年も、再発防止研修に裁判所の枷
http://www.jdla.jp/jim-diary/jimu-d.html
数えてみれば、弁護士生活は35年目である。この間、勝ったり負けたり、一喜一憂を繰り返してきた。常に自分の側に正義があると思い、自分が勝つべきだと思い続けてきた。が、なかなか思う通りにはならない。この国の立法府は到底まともとは言えない。私は常に政治的少数派であり、多数派の横暴に切歯扼腕せざるを得ない。行政府も同じ。歴史の進歩に逆行しているといわざるを得ない。だから、せめては司法がまともであって欲しい。法の理念というものが厳正に実現される場であって欲しい。多数派の思惑に左右されることなく、人権を擁護する裁判のできるところであって欲しい。憲法が、絵に描いた餅としてではなく、現実に機能するシステムであって欲しい。社会の強者やマジョリティは立法府を動かす。行政はマジョリティに奉仕する。司法に期待するのは弱者であり、マイノリティである。たった一人の絶対的少数派のためにこそ司法は存在する。そもそも、司法とはそのような場であり、法曹とはそのような感覚を持つ集団である。‥はずなのだ。そう思って弁護士となり、そう思いつつ35年を過ごしてきた。が、現実はあまりにも厳しい。「行政追随のこんな裁判所なら、そんなものは要らん」と言いたくなることがしばしば。今日もそんな日。人間、多忙で疲れるよりは、仕事がうまく行かないときに疲れる。ああ、疲れがたまる。石原都政下の異常な教育行政。「日の丸・君が代」強制への抵抗者に、さらに嫌がらせを重ねて抵抗運動を潰そうというのが、服務事故再発防止研修命令。不起立・不斉唱・君が代伴奏拒否などを理由に処分を受けた教員を対象として、反省させ、再教育し、再発防止をはかるという。こちらに権力あれば、知事や教育長にこそ、たっぷりと憲法教育を受けさせたいところだが、現実はままならない。30人の都内の教員が申し立てた執行停止申立が事件数として6件、地裁民事11,19,36部の労働専門部に分散して係属し、本日決定が出た。結果は全部却下である。溜息も出ようというもの。こんな、反憲法的な無茶苦茶をやろうとすることが、どうして裁判所によって止められないのか。裁判所は、石原教育行政暴走の消極的共犯者ではないかと言いたくもなる。とは言うものの、現在の裁判所が裁判官の良心のままに思い切った判断のできる状態にないことについての覚悟はある。そのような醒めた目で、主文ではなく、理由をよく見れば、まずまずの判断も見えてくる。たとえば、相手方の主張を否定する次の一節。相手方は、「本件懲戒処分が合憲適法である以上、本件研修を命ずることに違憲違法はない」「そもそも本件研修は、申立人の思想・信条という内心の領域に立ち入るものでもなく、不利益を与えるものでもないから処分性がない」と言う。しかし、都議会における教育長答弁、「専門研修」の状況を考慮すると、「申立人の主張が、現時点において、本案事件の審理を経る必要もないほどに理由がないと断じることはできない。さらに、研修内容に警告を発する次の一節。「確かに、本件研修が,単に職務命令に違反した教職員に対し,その再発防止を目的として指導を行うというにとどまらず,研修の意義,目的,内容等を理解し,職務命令に従う義務があること自体は認めつつ,自己の思想,信条に反することはできないと表明する者に対して,なおも職務命令や研修自体について,その見解を表明させ,自己の非を認めさせようとするなど,その内心の自由に踏み込み,著しい精神的苦痛を与える程度に至るものであるならば,これは,教職員の水準の維持向上のために実施される研修の本質を逸脱するものとして,教職員の権利を不当に侵害するものと判断される余地はある。」昨年の地裁民事19部「須藤決定」は、都教委の暴走に大きな歯止めとなった。彼らは、結局やりたい研修をやれなかった。反対に反対運動の士気が大いに上がった。私の要求レベルからは、却下決定には承服しかねる。しかし、どの決定も、教委側になんのポイントも与えてはいない。却下になったのは、すべて形式的な要件を欠くというに留まる。まだどのような研修が行われるか必ずしも明らかではなく、差し止めしなければ回復できないような損害が切迫しているとまでは言えない、というのだ。ニュアンスとしては、「研修は違憲・違法としても‥、差し止めなければならないほどひどいことが行われることがまだはっきりしていない」というのが、却下の理由。石原教育行政は裁判所によって差し止め命令こそ受けなかったものの、またまた大きな枷をはめられた。教員の内心に立ち入る研修をしてはいけない。執拗に、繰りかえし、不起立の理由を問い質してもいけない。そのような研修は、違憲違法なのだ。心せよ、教育委員諸君。教委の職員諸君。そして、知事よ、教育長よ。
2005-07-16T13:08:18+09:00
-
アスベスト禍は職業病・公害・消費者被害
http://www.jdla.jp/jim-diary/jimu-d.html
アスベストの被害が話題となっている。一般に、じん肺は、最古で最大の職業病とされる。粉じん環境下の労働者の肺胞が、慢性に不可逆的線維増殖性変化を来たし重篤な呼吸困難に陥る。治療方法はなく、職場を離脱してからも、症状が進行するところが恐ろしい。じん肺の原因となる粉じんには種々のものがある。したがって、炭坑・銅鉱、金鉱、トンネル、土木建築工事現場等々至るところでじん肺が発生する。じん肺が癌の引き金となりうることも知られている。しかし、いずれも職業病としてとらえられる。じん肺法は、職業病対策法である。アスベストは、じん肺の一種として、アスベスト肺の原因となる。また、「中皮腫」という癌の原因ともなる。じん肺の一種として職業病ではあるが、それに留まらない。アスベストはその素材自体に有害性がある。アスベストが職場環境に留まっている限りは職業病であるが、職場環境外に飛散すれば地域環境を汚染する公害となる。そして、アスベストが製品となって流通すれば、消費者被害となる。消費者被害は、PL事故・製造物責任問題として表れる。現在の経済構造が必然とする構図である。このことから、何を汲み取るべきであろうか。職業病と公害と消費者被害とは、極めて密接な関連性をもっており、その対策については共通の課題が少なくない。労働運動と、地域の公害反対運動と、そして消費者運動が連携する基盤がここにある。その連携によって被害を防止しうる。その連携の中心となるのは、労働組合であり労働運動である。生産現場で、危険にもっとも近い立場にあること、そして危険物に関する知識をもっている。会社の危険隠しや安全サボに加担するのではなく、まずは労働者自身の健康のために、毅然とした態度の取れる組合でなくてはならない。地域や消費者の組織性は希薄である。しかし、関係者の規模は限りなく大きくなる。労働運動は、地域や消費者の運動と連携することによって、大きな力を獲得することができる。地域や消費者は、労働者と連携することによって、貴重な情報を得ることができる。両々相俟って世論を動かすこと、自治体や行政に素早い対応をさせることが可能となる。利潤の極大化という資本の論理だからは、労働者の健康も、地域や消費者の安全も帰結されない。資本の論理の外で、健康や安全を擁護する力を生み出さなければならない。アスベスト被害に象徴される職業病、公害、消費者被害を、労働組合・地域・消費者の連帯でなくしたいと思う。
2005-07-14T21:08:14+09:00
-
服務事故再発防止研修命令に執行停止申立
http://www.jdla.jp/jim-diary/jimu-d.html
昨年に引き続き今年も、都教委は「日の丸・君が代」強制に抵抗した教員を懲戒処分としただけでなく、被処分者全員を対象に服務事故再発防止命令を発している。戒告処分を受けたものには「集合研修」だけ。減給処分以上の者には「専門研修」が加わる。服務事故再発防止研修とは、セクハラや交通事故などの「非行」あった者に対して、反省を促し、事故の再発を予防しようという制度。しかし、君が代不起立で処分を受けた教員のほとんどが、処分を不当として法的な手続きで争っている。この人たちに、何をどう反省しようというのか。歴史観、教育観、政治信条から君が代強制には従えないという人に対しては、転向を迫るに等しい。信仰上の理由から、君が代に敬意を表することはできないという人には改宗を迫るものではないか。本案訴訟を提起するとともに、執行停止を申し立てた。予定された研修の日程は7月21日である。ここまでは昨年と同様。昨年と異なることがいくつかある。まず、新行政訴訟法が今年の4月1日から施行となった。執行停止の要件が緩和されている。執行停止の要件緩和は、行政訴訟制度の活用の増大を趣旨とするもの。まさしく、本件のごとき事案のために法改正が行われたと解される。昨年の執行停止は、「思想良心の自由に抵触する、内心に踏み込んだ研修が行われれば違憲違法の可能性を払拭し得ないが、まだどのような研修が行われるか、具体的には明らかではない」として却下された。この理由に裁判官の良心を感じるものではあるが、「現実に思想良心を踏みにじられるまで争えない」ということでは、執行停止制度の趣旨に悖るものと言わざるを得ない。今年は、去年と違って、昨年の研修の実態を主張できる。昨年、現実にこんな不当な研修が行われた。今年も繰り返される。これを前提に差し止めを、と申し立てている。さらに、昨年に比較して減給や停職の被処分者が大幅に増えた。不当性の高い専門研修命令の対象者が増えているということだ。訴訟は、民事11部、19部、36部の労働専門部3か部に係属し、執行停止もこの3か部に申立となった。昨日から本日にかけて、申立人代理人の裁判官面会が行われた。昨年は、研修強行抗議の行動と執行停止申立が、「日の丸・君が代」強制反対運動全体の雰囲気を大きく昂揚させる実績を作った。本年も、ぜひそうしたい。今週中には、よい決定があるだろうと心待ちしている。
2005-07-13T22:56:42+09:00
-
日民協ホームページ自賛
http://www.jdla.jp/jim-diary/jimu-d.html
日民協のホームページが元気だ。けっして自画自賛ではないと思う。本日、「法と民主主義」の7月号が発刊となった。毎月の苦労を重ねて400号である。明日には、会員・読者の手に届く。その内容をお知らせする日民協のホームページを見て驚く。「F1レーサー佐藤琢磨が弁護士の父和利と憲法を語り合う!」という写真入りの大見出し。私が驚いているのだから、理事長以下会員諸氏にも衝撃だろう。もっとも、「佐藤琢磨 whoo?」「F1レーサーとはなんぞや」というお歴々も多かろう。佐藤むつみ編集長なればこその元気印である。コラム・『中国「残留日本人孤児」の人間回復の闘いに支えを』は、全国の訴訟の進行状況と運動を伝える貴重なコンテンツ。とりわけ、7月6日(水)の大阪地裁不当判決前後の事情がよく分かる。7日の超党派議員が出席した国会内集会。9日(土)、10日(日)の都内と関東各県14か所で行われた判決説明会の様子など。「敗訴判決に動揺することなく、悔しさをばねに、新たな闘いに向けて団結することを再確認した」と報告されている。「清水雅彦の映画評」は、ほぼ週に1本のペース。若手研究者らしい切り口と、清水さんの辛口の個性が醸し出す雰囲気がユニークで面白い。きっと、ファンが出てくる。何かを語ることは、常に自分を語ることでもあるのだ。それにしても、あんなに忙しそうな清水さんが、こんなに映画を観ているとは知らなかった。しかも、興業的にはマイナーなものが多い。清水さんは、「忙しいと、『映画くらい見ないとやってられない』という気持ちでせっせと映画館通いをしている」という。それに較べて、私はほとんど映画館とは無縁である。「最近」観た映画を挙げろといわれれば、「樹の海」「ディープブルー」「ダンシングウイズウルブズ」「船上のピアニスト」そして「ミッション」。10年間でこれくらいではないか。その前となると「ホワイトナイツ」まで遡る。極めて上質の反共映画だった。それから「結婚しない女」。もう古典の世界。自分じゃ見に行かない分、清水さんの映画評をよく読ませていただこう。「伊藤和子のNYだより」も今回は力作。読ませる。この人、臆するところのないことが長所。どこにでも、堂々と出ていって、だんだんとメジャーになりつつある。もっともっと、企画の持ち込みをお願いしたい。このホームページを法律家運動全体の広場にしよう。
2005-07-12T20:38:53+09:00