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◆特集にあたって
昨年八月の天皇(明仁)生前退位希望発言をきっかけに、象徴天皇制のあり方をめぐる議論が活発化している。しかし、その活発化した議論は未整理のまま昏迷しており、幾つかの「ねじれ」さえあることを指摘せざるを得ない。泥縄的に天皇の生前退位を認める法整備を目前にしたいま、原理的で原則的な象徴天皇についての議論の整理が必要と思われる。
本特集は、今日的な象徴天皇制をめぐる論争の状況を整理し日本国憲法の理念からの原則的な基本視点を提供しようとするものである。
従来オーソドックスな憲法学は、天皇を日本国憲法体系における例外的存在とし、国民主権論や人権論との整合の観点から、象徴天皇の行動範囲を可及的に縮小しようとしてきた。しかし、天皇自身は「象徴としての公的行為」拡大を意識し、そのような「象徴天皇像」を作ろうと意図してきた。そのため、天皇の生前退位希望発言は、明らかに象徴天皇の公的行為についての積極的拡大論とセットになっている。
もっとも、その公的行為拡大論には、世論の一定の支持があることを否定し得ない。これまでの天皇(明仁)の発言が憲法に親和的でリベラルなものと認識され、また被災地慰問や戦没者慰霊などの行為が世論から好感を持たれているという事情による。そのため、いまリベラル派の一部に「公的行為拡大」論を容認する論調が見られ、むしろ守旧派が「公的行為縮小」論を主張するという「ねじれ」た論争が展開されている。しかし、生前退位の可否と、公的行為容認の可否とは厳格に分けて論じられなければならず、あくまで天皇の存在感と行動可能範囲を極小化する議論こそが出発点でなければならない。
なお、旧天皇制の残滓としての象徴天皇の権威拡大は、ナショナリズムと結びつけての利用の危険を常に内包している。現政権はことさらにそのような意図を有しているものと警戒せざるを得ない。その危険性を、閣僚の靖国神社や伊勢神宮参拝、あるいは伊勢サミットなどの問題として直視しなければならない。それにくわえて、「天皇制批判の表現の自由への抑圧、弾圧はなくならない。」という指摘を重いものとして受け止めなければならない。
また、生前退位に伴い、大嘗祭・即位の礼が行われることになろうが、厳格な政教分離を定めたはずの憲法をないがしろにしたこれらの動きを警戒し、問題点を指摘しておかなければならない。さらに、急浮上した森友学園疑惑に関連して、教育勅語論争が天皇制再考のテーマとして関心を集めている。
今号の特集では、以上の観点から、七本の貴重な寄稿を得た。
「日本国憲法における象徴天皇の位置─生前退位問題に関連して」(植村勝慶)は、錯綜した議論の基本視点を提供するものであり、「『天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議』論点整理を憲法学から読み解く」(麻生多聞)は、論争の整理を試みたものである。「『「生前退位』をめぐる断想──象徴天皇制の根っこを見つめながら」(田中伸尚)は、エッセイのかたちで象徴天皇制の問題の根源を抉っている。「生前退位に伴う天皇代替わり儀式の問題点」(中西一裕)は、前回天皇代替わりの際の儀式を政教分離違反と争った訴訟弁護団からの貴重な問題提起である。「戦後天皇制と捏造『教育勅語』─森友学園事件と『愛国者』たちの欺瞞」(早川タダノリ)は、教育勅語論争における右派の論理の分析として有用な視点を提供するもの。そして、「安倍政権の天皇制利用──伊勢と靖国を通じて」(辻子実)は事情通の貴重な論稿。最後の「琉球沖縄から見た天皇・天皇制」(石原昌家)は、天皇と琉球沖縄との関わりを通史としてまとめ、その視点から沖縄と本土の現在の関係を再考する。
この特集が、象徴天皇制を憲法原則の視点から、多面的に見つめ直すきっかけとならんことを願っている。
東電福島第一原発の事故から6年。復興の歩みをみれば、つい最近の事故のように思えるし、震災時に生まれた子どもたちは小学校に入学し、小学校卒業の子どもたちは、社会人や大学受験生となる。中学校卒業者は成人式を迎えた様子を見ると、その年月の長さを実感する。
震災時、東北被災三県と括られたが、比較的、被害の少ないと思われた福島県のその後の復興の足取りは、鉄の下駄を履いたように重い。宮城の犠牲者1万772人、岩手の5796人に比すると、福島の1810人(警察庁2016年12月9日)は少ないが、被害の甚大さと復興の困難性は比例せず、時間の経過とともに、両者の間に格差が拡大している。
避難指示区域の約8万人の避難、そして避難指示区域以外の避難(「自主」避難)を含めると、避難者のピークは16万人を超えた。6年経って、8万人なったが、この広域的・長期的な避難は、津波等被災に原発被災が加重した複合災害によってもたらされた。
津波等による直接死は1604人に対して、避難等の負担加重による「災害関連死」は2129人(福島県発表。2017年2月20日現在)。震災関連自殺も、時間の経過の中でも減少せず、高止まり、宮城・岩手に比較しても厳しい。
5年間の「集中復興期間」が過ぎ、「復興・創生期間」が開始し、避難指示区域以外の避難者(「自主避難者」)の住宅供給措置(支援)が、2017年3月に打ち切られようとしている。生業を支える営業損害賠償も、打ち切られ、それを基に凌いできた中小零細企業では、解雇問題も生じている。
不十分にせよ、損害賠償(精神的損害賠償金・就労不能損害賠償金)や住宅支援は、避難指示区域からの避難と結びつけられていたが、その打切りと連動する「避難指示区域」の解除が、この3月に集中的に行われようとしている。すでに、「避難指示区域」解除は、広野町、田村市都路地区東部、川内村、楢葉町、葛尾村、南相馬市で行われ、対象人員は2万6000人に及んでいるが、さらに飯舘村・浪江町・富岡町の帰還困難区域以外の地域、及び川俣町山木屋地区の2万4000人について解除されようとしている。
補償打切りを伴う一方的指示解除は、避難住民にとっては、事実上、帰還の強制であり、故郷を一方的に奪われた避難住民にとっては、今度は避難先での生活や住居を再度、奪われることになる。避難可能となって1年半が過ぎた楢葉町では、帰還した住民は10.5%、半年が過ぎた葛尾村でも8%しか帰還していない。避難者の多くは、帰還を望みながら、6年経った現時点でも躊躇している。その不安は、放射線の高さの健康不安、買い物や病院、学校など生活必需の環境の未整備である。これを整備することなしの帰還強制は、基本的人権の再度の侵害である。
帰還か移住かという二者択一的選択に固執せず、第三の道も考慮されるべきである。単線型帰還ではなく、複線型帰還ともいえる。そのためには、二重の住民票など、現実の避難先での生活の確立と、時間をかけても故郷に戻るという選択肢を保障すべきである。小さな子ども2人を連れて、県外避難した夫婦が、子どもが成人したら帰還して、祖父母が続けている農業を継続したいという前向きで、現実的な対応に感銘した。こうした柔軟な対応が、「故郷を残したい」という悲願実現にも合致していると考える。
住民の合意形成が不可欠だが、行政提案の従来型「同意」の枠を超えて、住民が「主体的」に合意形成を主導する必要がある。街の専門家の力を借りて106回継続しつつある「ふくしま復興支援フォーラム」や、住民代表と行政を含む「車座会議」等の試みを実体化していく必要がある。
また、被災者同士の連携、避難先住民と避難者の連携、自治体間の連携など、被災者を孤立させない全国民的な支援が不可欠であろう。復興すすめる主体として、被災地を包み込む自治体の連合、例えば責任を果たすべき県を含む「広域連合」などによる復興計画の確立は、放射能被害で虫食いにされた故郷の復興の当面の解決策になろう。
特に、最近、表面化している「避難者いじめ」は、単なる子ども同士の「いじめ」ではなく、被災者への「差別」である。非自発的な帰還による解決ではなく、原発被災の本質を子供を含む全国民が理解して、再び、こうした悲劇を繰り返さない行動と政策反映に向かわなければならない。
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