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 法と民主主義2015年10月号【502号】(目次と記事)


法と民主主義2015年10月号表紙
特集★「戦後70年」の夏・法律家のたたかい──軌跡と展望
特集にあたって………編集委員会・小沢隆一
◆「終わりの始まり」としての戦争法………小沢隆一
◆戦争法案をめぐる法律家の運動………大江京子
◆戦争法案反対運動の中での憲法研究者の行動・取組の成果と課題………清水雅彦
◆立ち上がる勇気と確信を広げ、共同の輪を生み出した 若手法律家・若者の戦争法反対運動………白神優理子
◆労働法制改悪の現状とたたかい ………水口洋介
◆未来を取り戻す現場、辺野古………影山あさ子
◆農協法等改悪………田代洋一
◆マイナンバー制度の危険性と違憲性………水永誠二
◆教科書採択をめぐるたたかい………穂積匡史
◆通常国会での成立を阻止した刑訴法等改正法案──廃案に追い込み、真の冤罪防止のための改革を………米倉洋子
  • 司法をめぐる動き13・理念喪失、再び──日弁連へもの申す………村井敏邦
  • 司法をめぐる動き13危うい日弁連………岩村智文
  • 司法をめぐる動き132015年7月〜9月の動き………司法制度委員会
  • メディアウオッチ2015●戦争法案と国民の闘い「論理」と「非論理」の闘いを伝え得たか? 広がった集会・デモ・運動の相互作用………丸山重威
  • あなたとランチを〈13〉………ランチメイト・井堀 哲×佐藤むつみ
  • リレートーク〈23〉●40万人に届いた想い………黒澤いつき
  • 資料 ・刑訴法等「改正」を廃案に、盗聴・密告・冤罪!実行委員会声明─2015年10月6日
  • 資料 ・安保関連法の強行採決に抗議する憲法研究者の声明─2015年10月9日
  • 資料 ・戦争法案の強行採決に強く抗議する日本民主法律家協会声明─2015年9月19日
  • 資料 ・戦争法案の可決・成立に強く抗議する法律家6団体声明─2015年9月24日
  • 時評●行政裁判所の爪の垢を飲ませたい………大川隆司
  • ひろば●未完の市民革命の完成を── 歌う明日をめざして………海部幸造

 
「戦後70年」の夏・法律家のたたかい──軌跡と展望

 ◆特集にあたって
 「こんなピリオドの打ち方があるものか」。
 九月一九日未明、戦争法案の参議院本会議での採決時、中谷防相が一人お辞儀をする姿を見ての率直な感慨である。本欄の筆者は、一年前から予定していた海外渡航のため、BBCの国際ニュース映像でこれに接した。一四日に始まる激動の一週間、国会周辺等でのたたかいに参加した皆さんも、あの「だまし討ち」に等しい参院委員会での強行採決に対し、怒り心頭に達したことだろう。本協会の常任理事、今年度の法民賞選考委員長でもある広渡清吾氏らが出席し意見を述べた九月一六日の横浜市での地方公聴会は、ついぞ委員会に報告されなかった。それがなされるべき締め括りの討議も「だまし討ち採決」のあおりで消し飛ばされてしまったからである。とことん「反知性主義」・「非理性的」な国会運営と政府方針であった。
 一夜明けて、人々は、即座に「挫折感はない」、「成立したなら廃止するまで」、「安倍内閣打倒」を口々に語り、団結を確かめ合っている。SEALDsの若者曰く、「みんな切り替え早っ。でも励まされ、即納得した」とのこと。その通りだと思う。共産党は、二〇日、早々と「戦争法廃止の国民連合政府の実現を」と呼びかけ、関心を呼び、歓迎の声もあがっている。
 本誌が五〇〇号の節目を迎えてリニューアル後最初の今号は、この暑い夏の法律家の熱いたたかいを記録し、これからの取り組みの課題を析出するとともに、展望を語ろうという企画である。今年の第一八九国会は、戦争法案の強行を狙って、九五日という史上最長の会期延長によって異例の八・九月をぶち抜くロングランとなった。法律家は、戦争法をはじめとして、今国会を通じて、本当に数多くの課題でたたかった。
 戦争法案反対運動は、安倍政権打倒を射程におさめて全国津々浦々に広がり、戦後史上画期的な運動の峰を築いた。そして、そのほかにも、労働法制改悪、「刑事司法改革」、沖縄米軍基地問題、マイナンバー制の施行、農協法改悪、教科書採択などのさまざまな分野での貴重な取り組みがある。これらを、「法律家かくたたかえり」とのリポートとしてまとめてみた。これらから、法律家が、この夏、さまざまな運動に汗をかきながら取り組み、熱く語りあい、社会的に発信して、運動の輪の拡大に役割を果たした姿を読み取っていただきたい。そして、これからのたたかいの糧としてもらいたい。なお、「戦後70年」問題は、次号で特集する予定である。乞うご期待。
 いま筆者の耳奥には、「若者たち」のあのフレーズがリフレインしている。そう、「若者は、また歩きはじめる」のである(脚本家山内久氏の死を悼みつつ記す)。

法と民主主義編集委員会 小沢隆一


 
時評●行政裁判所の爪の垢を飲ませたい

(弁護士)大川隆司

 東京都および群馬・栃木・茨城・埼玉・千葉各県の住民が2004年11月に一斉提訴した八ッ場(やんば)ダム住民訴訟は、6地裁および東京高裁でいずれも住民が敗訴し、各上告も本年9月退けられた。行政の暴走をチェックする役割を司法が全く自覚していない、ということをあらためて痛感した。
八ッ場ダムの目的は、利水と治水にある。しかし人口減と節水機器の普及により今世紀は既に「水余り」の時代でありダムによる水源確保は無用となった。またダムの「治水効果」が100%発揮されたとしても、それは利根川中流における水面の高さに10数センチの影響が出る程度のものでしかない。
 しかも事業費は公称の4600億円では収まらずほぼ倍になる見通しだ。事業主体は国なのに、1都5県がこの総事業費の半分近くを負担することになる。住民訴訟はこの各都県負担金の支出差止めを求めるものだった。
国の直轄事業の費用を地方に負担させるについては法的根拠が必要である。たとえば河川法63条は、ダム下流の都県が当該ダムの設置によって「著しく利益を受ける場合に、その受益の限度において」治水負担金が課されると規定する。八ッ場ダムがはたして下流都県に「著しい利益」を及ぼすのか、ということは訴訟の争点である。原告住民としては法の定める負担要件の存否を、裁判所が客観的に審理判断することを求めた。しかし、この点につき地裁・高裁すべての判決が、多少のニュアンスの違いはあるものの、「国土交通大臣による負担金納付通知が無効と評価しうる場合以外には各都県がこれに逆らうことは許されない」との判断基準を立て、被告側の立証責任を免除してしまった。最高裁もこれらの判断を事実上追認したことになる。
国と地方の関係を上命下服の関係と把えて疑わない、このような考え方は旧憲法下の行政裁判所でさえ採らなかった。三木義一教授の『受益者負担金制度の法的研究』(信山社、1995年)によって、筆者はそのことを知った。
 同書は、旧都市計画法に基づく受益者負担金制度の解釈・運用が行政裁判所で争われた15件の事例を紹介している。事案はいずれも知事又は市長が執行する道路工事に関し、受益者負担金を賦課された沿道住民が賦課処分の取消しを求めて提訴したものである。
 受益者たることの指定は内務大臣の処分によって行われるので、被告首長側は、「内務大臣の指定に事実誤認があるかどうかを原告住民が争うことは許されない。なぜならば被告首長は上級機関たる内務大臣に逆らうことができないからである」という主張を展開した。
 これに対して行政裁判所(昭和4年7月18日判決)は
「受益者かどうかまた負担金が受益限度内かどうかを住民が主張立証することができるのは当然である」との理由で被告の主張を斥けた。
 つまり行政裁判所は、受益の有無および程度を裁判所が内務大臣の処分に拘束されることなく客観的に審理すべきだ、というスタンスを明示したのだった。
八ッ場ダム住民訴訟においても被告側は、「都県が著しく利益を受けるか否かは国土交通大臣に判断権限があり、都県の側にはない」と主張した。これは昭和4年行裁判決の事件における被告主張と全く同じ理屈だ。
 1都5県にまたがる15箇の裁判体はいずれもこの主張に追随したことになる。これらの裁判官たちに、行政裁判所のツメのアカでも飲ませてやりたい。
国直轄事業の費用の一部を「著しく利益を受ける」都道府県に負担させるという制度は、河川だけでなく道路、港湾、海岸など、すべてのインフラ整備に共通し、「ぼったくりバーの請求書」のような納付通知が地方自治体に対して、ひっきりなしに送りつけられている。「八ッ場の10年」のたたかいでは動かなかったカベが、いつかは動くという希望は捨てず、くたびれた身体にムチを当てようと思っている。



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