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 法と民主主義2012年6月号【469号】(目次と記事)


法と民主主義2012年6月号表紙
特集★「大阪維新」の本質と危険性
特集にあたって………編集委員会
◆「維新」現象とは何か………植松健一
◆「維新八策」の国家像・統治機構構想の批判的検討………小沢隆一
◆大阪都構想の問題点………森裕之
◆維新「公務員制度改革論」批判………城塚健之
◆職員アンケートにみる橋下市政の危険性………増田尚
◆維新の会の労働基本権観………河村学
◆競争・管理・国家主義の教育をねらう大阪府・大阪市教育条例………藤木邦顕
◆資料
特別企画●裁判員制度──3年後の見直しにむけて─日民協・司法制度委員会公開学習会より─
 ■裁判員裁判の深刻な実情と3年後「見直し」………立松彰
 ■冤罪・誤判防止の視点からの裁判員制度の見直し………今村核

 
「大阪維新」の本質と危険性

特集にあたって
●危険な風が吹いている
 この国の西方に不穏なつむじ風が吹いている。この風は火を熾し、煽り、火種を全国にまき散らしはじめた。場合によっては大火となることもありえないではない。私たちは、この風の正体を見極め、その本質と危険性とを明らかにしたい。この風を煽る者の「思想」と「手法」とそれゆえの「危険性」とを正確に把握し、この風に乗ろうとする者の思惑を弾劾して、理性の力でこの風を終熄させる手立てを講じたい。
 つとに指摘されているとおり、露骨な「ポピュリズム」と「新自由主義」、そして野蛮な「バッシング手法」、この異種なるものの奇妙な結合がこの風の中心にある。民衆の喝采を博することがこのつむじ風のエネルギーの源泉である。しかし、けっして民衆の利益を代弁するがゆえの支持ではない。民衆の鬱屈した心情に快哉の火を着け、特定の標的を選び出しては、これを仮想敵としてバッシングすることによって民衆の歪んだ支持を繋ぎ止める手法の特異さで際立っている。
 この風は、競合する他のいかなる風とも明らかに異なる危険性をもっている。その危険な特色は、政治的多数を形成し得た勝者が選挙民から白紙委任を受けたとして、少数派への暴力的弾圧を正当化するところに端的に表れている。
 経済的市場での規制なき自由競争は独占を生む。その段階に至れば市場で敗者の復活は不可能となる。自由競争自体が自由競争の否定に至る契機をもっている。政治的民主主義も同様に、思想における自由市場における勝敗繰り返しのサイクルは必ずしも保障されていない。勝者の独裁に至れば、敗者の復活を不可能とすることによる民主主義政治過程それ自体の否定が完結しかねない。民主主義が想定する誰もが参加しうる政治過程を、白紙委任された勝者の権利の名において閉ざしてしまうのではないか。この風は色濃くそのような危険を滲ませている。
 また、この風は明らかに弱者に冷たく吹いている。経済的な格差を容認し競争を至上のものとする強者の論理に貫かれている。強者の横暴が積極的に肯定され、自立できない者、競争に勝てない者は容赦なく切り捨ててよいとされる。
 私たちは、個人の尊厳を根源的な価値とした立憲主義と日本国憲法を支持する立場にある。この風は、私たちが大切にしてきた人権や民主主義、さらには憲法そのものを破壊しかねない。法律家として警鐘を鳴らさざるを得ないとする所以である。

●この風の正体を見極めよう
 本特集は、大阪維新の会への批判と警鐘の第一弾である。
 まずなによりも、どのように風が吹きはじめ、今どこに向かってどのような風が吹いているのだろうか。時代の閉塞感がもたらした、この事象の経過と意味合いを見極めなければならない。
 また、風は故なくして起こらない。この風は、なぜこのように吹き始めたのか。この風の質はワイマール時代のドイツや、大正デモクラシーのあとに日本で吹き荒れた暴風の初期現象と、どのように類似しあるいは相違しているのだろうか。この風を起こす力と仕組みの構造解析が必要である。その上で、この風を歓迎している住民自身の利益と、風を煽る者の思惑の基本的な齟齬を確認したい。
 さらに、憲法学が積み上げてきた普遍的な価値基準から、この風を煽る者のイデオロギーに対する根底的な批判を避けて通れない。民主主義とは多数派独裁を意味しない。政治過程に、少数者の利益や見解への配慮が必要なことは当然であり、人権とは多数派の横暴から擁護されなければならない。国家も法も、本来強者ではなく弱者すなわち少数者をこそ守るための存在ではなかったか。ここは、憲法学の出番である。
 その上で、具体的なせめぎ合いの各課題において、各論稿を提供したい。重要論点である「大阪都構想」に対する批判。道州制へのステップとしての「大阪都構想」が財界の思惑に乗るもので、住民の利益にならないことを財政学的な分析から明らかにする。
 次いで、本年三月一〇日に発表の「維新八策・原案」について総論的な批判をするとともに、ここに表れた、公務員制度改革・教育改革・社会保障制度改革・憲法改正の各項目について、何がせめぎ合いの焦点となっており、どのように論争が行われているかについて実践的な立場から各論点を整理したい。
 具体的な論点については各論稿をご覧いただくこととして、本誌編集委員会の概括的な見解を述べておきたい。

●今や無視し得ない勢力に
 六月四日付「毎日」の世論調査結果発表は衝撃に値する。
 見出しは、「『維新に投票』28% 次期衆院選比例 民・自を圧倒」というもの。「毎日新聞の全国調査で、橋下徹・大阪市長が率いる『大阪維新の会』が次期衆院選で候補者を立てた場合、比例代表の投票先を聞いたところ、維新が28%を占め、民主党(14%)、自民党(16%)を大きく上回った。地域別に見ると、維新の支持は地元・近畿で41%に達したほか、九州や中国・四国で三割強。維新が政党不信の受け皿として、近畿だけでなく、全国レベルで浸透している現状が浮き彫りになった」という。ちなみに、その他の政党の比率は、公明4%、共産3%、みんな3%、社民1%であった。仮に、この調査が選挙結果として現実のものとなったとしたら…、悪夢以外の何ものでもない。
 憲法理念や民主主義に与する者にとって、今やこの勢力に無関心ではおられない。取り返しのつかなくなる前に、適切な対応が必要であろう。とりわけ、維新の会を生みだし、ここまで成長させた「時代の状況」にメスを入れなければならない。
 本号の特集はそのような問題意識の第一歩である。

●誕生と成長の背景
 「毎日」の記事にもあるとおり、維新の会の民衆の支持の獲得は、「政党不信の受け皿として」のものというのが大方の理解である。
 国民の政党不信は、まずは自・公政権への不信として先行した。聖域なき規制緩和の大合唱の中での新自由主義的構造改革は、格差と貧困の蔓延をもたらした。とりわけ、小泉構造改革の歪みが自・公政権への国民の怨嗟を巻き起こし、これを耐えがたいとした国民の意思が二〇〇九年夏の政権交代をもたらした。ここで、自・公は国民に見限られた。ところが、国民の希望を担って出発したはずの民主党政権はわずか一年足らずで国民の期待を大きく裏切った。普天間問題、税制、社会保障、さらにはTPPそして原発である。自公に愛想をつかした国民は、いままた民主党をも見限らざるを得ない。これが時代の閉塞感の正体である。政権政党に対する国民の不信は、選挙の都度露わとなって、衆参のねじれ現象をもたらした。国会の議論は、低レベルな非難中傷合戦に終始し、「政治の停滞」が現出した。
 国民感情がこのように鬱屈したこの時期に、「決定する民主主義」をスローガンに維新の会が国民意思の受け皿として登場した。「何かをやってくれそう」「テキパキとスピーディにものごとを決めてくれそう」「今までの政党よりずっとマシに見える」という期待感が、ここまでこの勢力を伸長させてきた。
 問題は、維新の会がテキパキと何を決定しようとしているのかである。維新の会の目指すものは、自公と民主の政権に裏切られたとの国民の思いを真に受け止めるものであるのかが吟味されなくてはならない。これまで大阪でやってきたこと、そして維新の会がこれからの政策として何を掲げているのかを把握しなければならない。

●これまで何をしてきたか
 維新の会ないし政治家橋下徹の実績とは、数々のバッシングと社会保障の切り捨て、これがすべてと言ってよいだろう。
 公務員バッシング、教員バッシング、労働組合バッシングは、維新の会あるいは橋下の特徴的な手法である。相手の人格や人権に配慮することがない。思想・良心の自由や行政権力の謙抑性に思いを致すところがない。徹底して標的を攻撃することによって、鬱屈した心理にある人々の喝采を得ると同時に、自らの存在を際立たせる。
 思想調査や、労働基本権の侵害、日の丸・君が代強制、そして口元チェック等の野蛮な行為、そして容赦のない福祉・文化の切り捨てが、「断固たるリーダーシップ」「指導力の証し」とすり替えられて、民衆からの歪んだ喝采を得ている状況にある。

●政治路線は「急進的新自由主義」
 本年三月一〇日、大阪維新の会は「日本再生のためのグレートリセット」と題する政策を発表した。マスコミが「維新八策」と呼ぶものである。その形式は「維新政治塾・レジュメ」とされ、およそ体系化された政策とはなっていない。それでも、維新の会が目指す政治の基本方向を見るには十分である。
 旧来の「自民党的利益誘導型政治」が行き詰って、自公政権は「新自由主義路線」に走った。これが国民の不満を醸成するところとなって政権交代が行われた。しかし、新自由主義路線からの転換を求められたはずの民主党政権は、国民の期待を裏切って、今は自・公と同じ新自由主義的路線に舞い戻った。これが先に見たとおりの大局的な政治状況である。政党不信の受け皿とされる維新の会の路線は、新自由主義からの脱却を求めるものであろうか。そうではなく、自・民・公の漸進的な新自由主義路線を凌駕し徹底した、「急進的な新自由主義路線」というべきであろう。積極的に格差を容認し、競争を重んじ、国民に自助努力を強い、福祉を切り捨てて、小さな政府を目指す。弱者の保護、格差の是正や、貧困の克服は語られない。多数を形成する民衆の利益とは所詮は相容れない。財界の目指すものと、まさしく適合的なのだ。

●維新が目指す国家像と改憲への方針
 維新八策は、冒頭に「給付型公約から改革型公約へ」を掲げる。「今の日本、皆さんにリンゴを与えることはできません。リンゴのなる木の土を耕し直します」と言う。福祉国家の理念を否定し、社会保障給付を切り捨てる宣言である。
 その上で、「自立する個人」「自立する地域」「自立する国家」の実現が謳われる。「自立する個人」とは、「国民総努力」の担い手であり、国家に頼らない自助努力を要求される国民像である。
 維新の会の主たる支持層は、格差社会で呻吟している若者といわれる。世論調査でも、若者層の支持率が高い。しかし、維新の会の政策は、明らかにこの層の利益に反する。
 維新の国家観は、日の丸・君が代の強制によく表れている。彼らの教育政策は、競争主義を貫こうとする点で新自由主義的であって、学校間格差・個人間格差を明確にしたうえで学校選択制を徹底することで明確である。しかし、一方、管理を徹底し、首長が、教育委員会を介することなく、一元的に直接の管理を行おうとするところに、個人の自由や個性の尊重の姿勢は見られない。国家主義ないしは権力的管理主義の色彩が濃厚である。
 なお、維新の会は改憲勢力の一翼にある。改憲の方針として明確化しているのは憲法改正要件を定める九六条の改正である。両院による憲法改正案発議の要件を、三分の二から、二分の一に緩和する内容。その実現までは、改憲案を作っても「絵に描いた餅」に過ぎないから、という。
 それ以外ではっきりしているのは、首相公選制と参議院の廃止である。いずれも、「決定できる民主主義」、つまりは強権主義徹底の文脈でのことである。

●ポピュリズムとその限界
 ポピュリズムは、民衆の感性に訴えて喝采を獲得しなければならない。しかも、一輪車を操るごとく、それをし続けなくては倒れてしまう。本来的に選挙民に具体的な利益を約束する術をもたない維新の会は、徹底した「既得権益」への攻撃を繰り返すことによって喝采を獲得することをその手法の特徴としている。これだけが格差社会の歪みに閉塞感を募らせている若者層からの支持獲得の手段である。果敢な、そして絶え間ない既得権益への攻撃の展開が、「維新の会」の支持獲得と維持の生命線なのだ。もちろん、彼らはけっして、財界・大企業や特権的富裕層、あるいは米軍・自衛隊・皇室をターゲットにすることはない。もっと手頃で身近にいる、「弱い既得権益層」を探し出して叩く。これまで叩かれた「既得権層」は、公務員、教員、そして労働組合であった。これからは、生活保護受給者や年金生活者、老人層となろう。これが、八策の中で重要な位置を占める「現役世代の活性化」「年金は一旦リセット」の具体的な中身となるだろう。
 本来ポピュリズムは、原理主義的なスローガンに忠実であろうとする。しかし、現実政治に責任をもつ立場ではそのような姿勢を貫くことが困難となる。原発再稼動問題は、はからずもそのような困難を維新の会に突きつけた。票だけを考えれば、原発再稼動反対を貫くことが得策であろう。しかし、財界の力との対決において政治的な妥協を余儀なくされて「敗北」宣言に至り、当然に変節との批判が投げかけられている。「裏切られた」「化けの皮が剥がれた」などの声が聞こえてくる。消費増税問題での発言の複雑さにも同様のことが見えている。その意味では、この風の限界も見えつつあるのかも知れない。
 今号だけでこの特集が必要がなくなることを念じつつも、状況の進展次第ではさらに第二弾、第三弾の特集を継続し、警鐘を鳴らし続けたい。

「法と民主主義」編集委員会


 
時評●法の正義を今に生かしたいとねがう日々

(弁護士)橋本 敦

 深刻な福島原発事故・東北を襲った大震災の被害、その下で言葉に尽くせぬ人々の犠牲と苦難。この時こそ、国民一人一人の生存権を保障するわが憲法は生かされねばならない。そうしてこそ、法の正義は今に生きる。
 ところが今、この国民の苦しみを逆手にとって、「国家緊急事態条項」をつくるため憲法を改正せよと言う。四月に発表された自民党の「日本国憲法改正草案」、みんなの党の「改憲私案」、たちあがれ日本の「自主憲法大綱案」が勢揃いし、いずれも現憲法の民主的平和的大原則を廃棄して、九六条の憲法改正手続も改悪し、まさに憲法を国民を支配する道具におとしめようとするのだ。大阪では「維新の会」の憲法蹂躙のハシズムとのたたかいがいよいよ重大となっている。
 これでは現代を法の正義が失われた時代にしてしまうではないか。
 それに加えて、レッド・パージ裁判でも、法の正義を踏みにじって恥じない国の態度に大きな怒りをおぼえる。
 言うまでもなく、レッド・パージは思想・良心の自由を侵害し、絶対に憲法が許さぬ戦後政治の汚点である。日弁連はレパ被害者の申立をうけて、この重大な人権侵害に対し、名誉回復と被害補償を行うよう、内閣総理大臣に対し重大な勧告を行った(二〇〇八・一〇・二四)。それに対して国はどのように対応したのか、驚くべき事態が明らかになった。
 大阪高裁が弁護団の調査嘱託の申立を認めて被告である国に対し、日弁連会長の内閣総理大臣宛の勧告をどのように処理したのか調査を求めたところ、なんと国の回答は「関係機関に照会を行ったが、相当と思われる照会先は判明しなかった」と言うのである。重大な人権救済の勧告を全く無視してかえりみなかったというこの政府の無責任はなんたることであろうか。
 日弁連は「たとえどれだけの時が経過しても、未だ被害回復がなされていない重大な人権侵害事案が存在し、その被害に苦しむ人々が現存し、救済を求める申立が当連合会になされた以上、人権擁護を使命とする当連合会として、これを放置することはできない」としてこの総理大臣宛の勧告を行ったのである。
 公的団体である日弁連の重大なこの正義の勧告をこのように無視した国の態度は、まさしく憲法と法の正義の理念を踏みにじるものではないか。
 それだけではない。大阪高裁からの国会に対する調査嘱託の結果、衆・参両院からの回答によって全国からのレパ犠牲者による名誉回復と国家賠償に関する請願は、国会開会ごとに衆議院には、平成二年一一月から平成二三年六月までの間、九五回提出され、参議院には、平成一七年三月から平成二三年六月までの間、七〇回も提出されたが、そのすべてが「審査未了」として採択されずに放置されたことが判明した。
 これらの請願書には、レパ犠牲者の計り知れない精神的・物質的・社会的損害が赤裸々に訴えられているのに、この国会の不誠実はなんということであろうか。
 この国会の対応は、現憲法の施行の日に発効した請願法第五条が「請願は官公署においてこれを受理して誠実に処理しなければならない」と定めていることに明白に違反する。
 さらに、政府は講和条約発効に伴い、軍国主義者らの公職追放をすべて解除した上、「公職に関する就職禁止・退職等に関する勅令等の廃止に関する法律」(昭和二七年)によってその経済的損失も補償したのに、レパ犠牲者に対しては、その名誉回復・損害補償などは全く無視してかえりみないという、今回明らかになったこの差別的処置は憲法第一四条の法の下の平等原則に反する。
 ここにも法の正義が踏みにじられている現実があり、心底からの怒りを禁じえない。今も国民の生存権にかかわる重大な多くの裁判がたたかわれているが、あいつぐ不当な判決に心が痛む。
 今日の時点に立って、法の正義をわれわれはどうすれば生かせるのか。明日へのたたかいの決意を熱くして今自らに問うこの頃である。


 
〈シリーズ〉とっておきの一枚

やはり野におけ蓮華草

弁護士新井 章先生
訪ね人 佐藤むつみ(弁護士)

1962年、国立岡山療養所。朝日訴訟控訴審の出張尋問。ベット上にやせた朝日茂さんが横たわっている。当時49才。

 新井先生は謙虚である。茨城大学で教えていた時代、学術会議で報告をした。その時同僚の教授が「やはり野におけ蓮華草」と言ったという。蓮華草に例えたところはぴったり。まずは牛の飼料になる。田圃に鋤込めば緑肥となる。可憐で美しく、役に立って、つつましい。蜂蜜にもなる。もとは遊女の身請けを戒める下句だったところも面白い。このことを自分史のエピソードにする新井先生もお茶目でしょう。
 先生は一九三一年生まれ、「群馬県高崎市(上州)で小商人の子として生まれた」。旧制高崎中学に一九四三年に入学、動員の日々だった。高崎は空襲にさらされた。一九四五九年七月小型艦載機二三〇機、八月五日夜には一〇〇機のB29、もっとも大きな空襲は八月一四日深夜から一五日早朝にかけてB29の焼夷弾攻撃だった。八月一五日正午の終戦ラジオ放送のとき、高崎の街中では火災にあった建物がくすぶっていた。そんな中、章君は終戦を迎えた。一四才だった。戦争はこりごりだった。
 旧制中学五年の一九四七年五月新憲法が施行された。「日本は軍事国家をやめ、平和、文化国家としてやっていくんだと、新憲法のすばらしさを体で感じとった」。なかなか優秀だった章君は、旧制第一高校に進学、上京する。旧制第一高校は一年後の五月新制の東京大学に。新井君は教養学部から法学部に進学。大学時代は「彷徨と模索」の時だった。ところが一九五〇年アメリカの政策が転換し再軍備が始まる。「おかしい、約束違反じゃないか」。新井君は怒った。折から「郷里に帰って平和を説く帰郷運動」が大学生の間に広がっていた。新井君は高崎で丸木位里さんの原爆展を開く。そこに女子美の学生が手伝にきてくれた。この女性がその後先生の伴侶となる。「長男で、両親を扶養する必要と、良心を曲げずに生きられる途の両立」を目指して弁護士の道へ。
 一九五六年、二五才で先生は弁護士の仕事を始めた。研修所は八期、今年八一才になる。弁護士五六年の大ベテランになった。先生の口癖は「そうです。その通りです」。これがいい感じなのである。先生にこういわれるとほんとにうれしくなる。「いつも穏やかで、怒られることなどないんでしょう」。事務局の人に尋ねると「そうです。昔はそうでもなかったようですが私は今の先生しか知らないので」。
 午前中は自宅で本を読んだり、物を書いたりする。書籍や資料はすべて自宅にある。パソコンは不自由なくこなす。一時頃に昼食を食べそれからゆっくりと事務所に向かう。住まいは杉並区の宮前、井の頭線久我山から歩いて一〇分なのにまだ回りに畑がたくさん残っている。住んで四〇年になる。昔は畑だけで外灯もなく自宅に来た稲本洋之助さんに「ナイロビとそっくり」と言われたところである。「家内がいつも近所の畑の直売所で野菜を買ってきます」。家から事務所まで五〇分、「三時からの男」と言われてるんだって。「弁論は入れないんですか」。「どうしてもと言うときは午後一時に入れます」。あまり遅くならないうちに自宅に帰る。弁護士五〇年を過ぎた二〇〇六年以降は「ロス・タイムです」。先生のポリシーは一度やり始めた事件は必ず最後まで誠実にやり遂げる。途中で抜けない。手がけた多くの憲法訴訟はすべてそうである。その上でのロス・タイムなのである。
 「弱い者の味方」の弁護士として取り組んだ訴訟は、砂川事件、朝日訴訟、日教組勤評闘争事件、長沼事件、堀木訴訟、家永訴訟、日教組4・11刑事弾圧事件、公団住宅民間払い下げ無効事件、一連の社会保障裁判、横浜事件再審請求等々。もちろん一般民事事件もやっている。
 先生の原点朝日訴訟の一審東京地裁判決は一九六〇年一〇月一九日。新井先生は二九才、弁護士四年目の駆け出しだった。相代理人は渡辺良夫先生、当時三四才弁護士三年目である。訴状を書いた相磯まつ江先生は出産のために代理人活動から離れていた。訴え提起は一九五七年である。実は新井先生も渡辺先生も「勝てる可能性を信じたことがなかった。行政訴訟の九割は原告が負かされてきた。私たち弁護団は未熟で裁判の戦略が描けなかった」そして勝訴判決を得て判決の政治的影響の大きさに驚いて「夜眠れないほど怖かった」。こんな時代もあったのである。
 「三〇代、四〇代の頃の手帳は真っ黒でした」。二〇代は家に帰れない日々だったのでは。困難な事件ばかり、お金にもならない。「上州人らしくない粘り強さ」といわれるが、「粘り強さと言ったら渡辺良夫さんにかないません」。「新井はあまりに手を広げて今に破綻する」とも言われ続けた。「途中で投げ出したくならないのですか」と聞くと、「ぼくの事件は一審は勝つのです。そこから負け続けるのですが」。ぜんぜんめげていない。クールで理論派だが、その奥に誠実なやさしさがある。
 何事もとことん研究したい癖のある新井先生は自分の弁護士活動史もその対象にする。六〇才還暦の年から六年いた茨城大学では「社会科学方法論」を担当した。水戸に単身赴任して念願だった深く学び教える日々だった。先生は五五年を超える弁護士活動を「『平和的な文化国家の建設』という戦後日本の国家目標の達成度とかかわらせて、客観的・科学的に評価し、総括しなければならない」と思っている。それを次の世代に伝えるのが義務でもある。たたかい得たものも、失ったものも「『存在するものは合理的』というヘーゲルの言葉があるじゃないですか」。
 インタビューはもちろん午後三時から。事務所の受付カウンターで田原俊雄先生に会う。かくしゃくとお元気である。インタビューが終わるころには事務所に続々と弁護士が帰ってくる。東京中央法律事務所には、老いも若きも一四名の弁護士が集い、机を並べて仕事をしている。ブースになっている各スペースはどこも三面資料だらけ。「一番すごいのが」村山裕弁護士の机。三面はもちろん、引き出し前も椅子の脇もうずたかく資料と書類が積み重なっている。引き出しは開けられない。奥には井澤光朗先生が。斉藤豊先生も江守民夫先生もいる。加納力先生も。菅沼友子先生が書面を作っている。外堀側の窓は九階からのすばらしい景色が見えるのに縦型ブラインドで視界不良である。新井先生のお隣は金井清吉先生。渕上隆先生が「今日は何ですか」。ごめんなさい若い先生方の名前と顔はもう全然わかりません。同期の加藤文也さんは見当らない。全員同じスペース、八〇代から二〇代まで「一室に三世代同居」の東京中央事務所。幸せな共同体である。

新井 章(あらい あきら)
1931年群馬県出身。東京大学卒。1956年弁護士登録。元茨城大学教授。
砂川事件・朝日訴訟・堀木訴訟・全逓中郵事件・横浜事件・家永教科書裁判など数々の憲法裁判に携わる。著書に『体験的憲法裁判史』(岩波書店)、「憲法第九条と安保・自衛隊」(日本評論社) 「労働基本権保障と制約の法理」(日本評論社)など。


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