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 法と民主主義2011年10月号【462号】(目次と記事)


法と民主主義2011年10月号表紙
特集★強まる監視・管理の実態
特集にあたって………編集委員会・清水雅彦
◆監視と管理の動向と批判の視点………清水雅彦
◆住基ネット差し止め訴訟を振り返って………渡辺千古
◆国立市における住基ネット問題その後………関口 博
◆コンピュータ監視法について………山下幸夫
◆「社会保障・税共通番号」制度の問題点………吉澤宏治
◆「見守り」意識の暴走──IT刑務所と通学路………平田剛士


 
★強まる監視・管理の実態

特集にあたって
 二〇〇八年の政権交代により、自民党政権ではできなかったいくつかの政策が民主党政権によって実現した。鳩山政権は結局は不十分な形で終わるが、農業や教育問題で一定の成果を上げ、菅政権は「脱原発」を志向する。しかし、元々民主党は自民党から別れた勢力が合流した政党であり、財界の意向で保守二大政党を目指して結成された政党であるため、自民党政権と変わらない政策も多い。菅政権の誕生後は、防衛・外交・財政政策の点で官僚主導の政策が目立つ。さらに、これに拍車をかけるのが野田政権である。

 その野田政権の下で、これまで民主党が検討してきた社会保障・税共通番号制度が具体的に提案されようとしている。当初、民主党には住基ネットに反対をしていた議員が多かったにもかかわらず、住基ネット以上に国民の監視の強化など問題のある制度を導入しようとしているのである。また、民主党は当初は自民党サイドから出てきた共謀罪に反対していたのに、「コンピューター監視法」を制定してしまった。そして、民主党政権の下で、市民に対する監視の強化を進める治安政策が転換したわけではない。政府も警察も市民に対する監視と管理の強化を進める一方、政府は裁判の場では沖縄密約文書の存在を否定し、防衛・外交に関する国の秘密情報の漏洩を防止するための「秘密保全法」の制定を検討している。国民の知る権利の保障には後ろ向きである一方、国民のプライヴァシーの侵害には前向きなのである。
 
 さらに、検討しなければならない問題は、「監視・管理=悪」と単純には言えない監視と管理の強化である。最近は市民の側が「安全」のために警察による監視の強化を望んだり、「便利」「お得」「快適」さを求めて携帯電話やポイントカード・IC乗車カードなどで自らの個人情報を企業に垂れ流し、情報が管理されている。

 これまで本誌における監視と管理にかかわる問題では、政府と警察の治安政策を批判的に検討する特集を組んできた。そこで本号では、さらにこの間の監視と管理の強化に向けた政策・法案や社会全体で進む問題について検討を行いたい。

 特集の構成としては、まず総論として、拙稿によりどのような監視と管理が進んでいるのか、これらにはどのような問題があり、どのような視点から批判すべきなのか、社会学における議論の成果を参考にしながら論じる。

 次に、各論である。まず、住基ネットに関しては、渡辺千古氏(住基ネット差止訴訟全国弁護団事務局長)から二〇一一年に終結した住基ネット訴訟についての総括をおこなっていただき、関口博氏(前国立市長)から上原公子元国立市長の住基ネット切断を引き継いだことについて当事者の立場から報告していただく。また、山下幸夫氏(弁護士)からは、あっと言う間に制定されてしまった「コンピューター監視法」の問題点について論じてもらう。そして、現在、マスコミがさほど問題視しない中、導入が検討されているのが社会保障・税共通番号制度である。この問題については、吉澤宏治氏(日弁連情報問題対策委員会事務局長)から問題点を指摘していただく。他に、法律家として見過ごすことができないのは、最新の監視技術を活用したPFI刑務所である。この問題については、昨今のIT技術問題と併せて、平田剛士氏(フリーランス記者)に報告していただく。

 以上のような構成の本特集から、人権問題には大変敏感な本誌読者に昨今の監視と管理の実態を再確認していただいた上で、共に問題点を考えていただければと思う。

「法と民主主義」編集委員会 清水雅彦


 
時評●今こそ平和で心豊かな社会とするために

(弁護士)高見澤昭治

 創立五〇周年を記念して作られた先月号を御覧になった会員・読者の皆さんから、驚きの声が寄せられている。新旧の多彩なメンバーによる往復書簡が面白いという感想と、特にDVDに収録された一号から四六〇号までの内容を見て、本誌がその時代時代に合わせて、いかに充実した内容の企画に取り組んでいたかが分かり、改めて日民協と法民の存在意義が理解できたという評価をいただくなど、企画に関与したものとして、喜びに耐えない。
 五〇周年を祝う集いと、翌日に開催された「司法は国民のために役割を果たしているか」をテーマにした司法制度研究集会にも、各地から多数の参加を得て、現代史の中で日民協が果たした役割を確認する一方、司法の深刻な現状が浮き彫りにされた。その内容は次号に掲載されるので、期待していただきたい。
 ところで、現在最も気懸かりなのは福島原発事故の影響で、それをどう乗り越え、これからの日本をどうするかが厳しく問われている。その根底には、敗戦後の日本で取り組まれた改革が不徹底であったことを考えざるを得ない。原爆で悲惨な被害を受けながら、原発がアメリカの核戦略に組み込まれていることも知らず、「核の平和利用」の宣伝に惑わされ、経済発展のためにひたすら邁進してきた。そのツケが今、日本に重くのしかかっていると言っていいであろう。
 戦後の日本が目指すべきは憲法の理念、とりわけ九条に則った非武装・中立であったにもかかわらず、太平洋戦争で最大の被害を蒙った沖縄を犠牲にして、敗戦から六〇年がたった今もアメリカ軍に国土を提供し続け、多額の「おもいやり予算」を支出し、一機一五〇億円もする最新鋭の戦闘機を購入するなど、毎年、五兆円近くの軍事費を費やしている。しかも最近になって中国機やロシア機に対する航空自衛隊の緊急発進(スクランブル)が急激に増加したことや野田首相が米大統領に対して武器三原則を緩和することを表明すると報じられているが、極めて憂慮すべき事態と言わざるを得ない。
 戦後の改革で不徹底だったのは、司法も同じである。官僚裁判官制度が温存され、最高裁事務総局に牛耳られた裁判官たちは、原発でも米軍機の飛行差止でも、住民の切実な願いを退けてきた。また、権力側の意向のままに思想信条の自由を奪い、刑事裁判では検察側を擁護する基本姿勢が、多数の冤罪事件を生み出している。
 今すべきことは、福島原発事故による被害を一刻も早く、最大限賠償させるとともに、これを契機に、単なる地域の復旧・復興ではなく、安心して暮らせる本当の平和と真の豊かな社会を築くために、日本を根本から作り変える必要があると考える。そのためには、憲法の原点に立ち返り、例えば災害現場で住民に評価されている自衛隊を「国際災害緊急援助隊」に改変し、災害が発生したときは、重機や必要な物資を携えて地球上どこでも、いち早く駆けつける。そうした活動を続ければ、日本は世界中から感謝され、頼りにされて、武力で攻撃することなど考える国はなくなるであろう。
 また、私たちの生活を本当に豊かにするためには、資本主義的な大量生産・大量消費・大量廃棄の社会構造を改め、エネルギー政策も根本から見直す必要がある。そうしないかぎり、国力や生産力を最優先に考える産業界や政治家・マスコミが巻き返しつつある、原発依存の動きを止めることも難しいと考える。
 司法においては、官僚司法制度を抜本的に改め、市民の権利が最大限に保障される真の司法改革を実現する。そうした改革を進めることが、これからの日民協に求められている最大の課題であると言ってよいであろう。


 
〈シリーズ〉とっておきの一枚

三多摩に吹く風

弁護士榎本信行先生
訪ね人 佐藤むつみ(弁護士)

1969年夏。馬追山山頂付近から石狩平野を望む。長沼事件の舞台である。この山に航空自衛隊のナイキ地対空ミサイル基地が建設されることになった。

 東京二三区の奥に三多摩と呼ばれる地域が広がる。東京都三〇市町村四〇〇万人が住む。武蔵野台地と多摩丘陵、多摩川、高尾山もある。律令時代は武蔵国多摩郡、今では大規模な住宅団地、工業団地や大学も都心から移転し、新しい町が広がる。立川市はその中で一番古い「市」である。中央線で都心と繋がる。二〇〇九年、東京地裁の立川支部も八王子から移転した。最寄り駅はモノレール高松駅。榎本先生はその立川高松町で生まれ育ち、今も実家に住み続ける。大学時代も修習生時代も立川。両親も三多摩出身、生粋の三多摩育ちである。
 一九三五年生まれの榎本先生は一〇才の時空襲にあう。当時、立川には飛行場や軍需施設が密集していた。横田基地の前身多摩飛行場は立川飛行場の付属飛行場だった。一九四五年四月。両親と妹、信行君は用意していた防空壕に駆け込んだ。壕底にしゃがみ込みB29が飛び去るのをまった。「立っていた父の足が震えていてね」。その時、投下された爆弾は焼夷弾ではなかった。家は吹き飛んだが火災は発生しなかった。近所の家では一家五人が直撃され死亡。吹き飛ぶ破片と爆風は防空壕で避けることができ、一家は生き残った。瑞穂町の親戚に疎開、武蔵村山に移って終戦をむかえる。立川の家に帰れたのは信行君が中学に入学するころだった。信行君には年の離れた姉がおり、軍人に嫁いでいたが無事。父は年令がいっていたので徴兵されることもなく全員で終戦をむかえた。
 終戦後立川の軍事施設はすべて米軍に占領、接収された。「カーキ色の軍服を着た陸軍の将兵たちで賑わっていた立川は、GIが闊歩する町に変貌した」(軍隊と住民一九九三年日評、榎本先生の著作)。一九五〇年信行君が新制中学に入学した年朝鮮戦争が始まる。「立川基地はアメリカのアジア政策に対する最大の拠点になりました。戦闘兵員、戦争資材はすべて立川を起点にして前線に送りこまれました。朝鮮で負傷した傷病兵は、いったん立川に集められ、ここから各地の施設に分散されています。またこわれた兵器などもほとんどが立川で修理されました」「軍用機の離発着は、日夜激しかった」。信行君もその騒音の中で暮らし、一九五〇年、立川高校に進学する。
 大学は、文学部に進学したかったのだが父は猛反対。信行君は早稲田大学法学部に進学する。入学すると直ぐに野村平爾先生の主催する「労働法研究会」に入会、野村門下生になった。
 砂川事件は一九五五年に政府が立川基地拡張通知を出したところからはじまった。砂川町は立川市の北、「砂川の農家は、五日市街道の南北両側に沿って屋敷を連ね、それぞれの屋敷の南北に細長く短冊状に農地を所有または小作していた。村落の南にある基地が北方に拡張されると、拡張計画にかかった農地は短冊をそっくりとられるような形で屋敷と農地を接収されるわけであり、まさに生活がかかった闘いとなった」。長い闘いを経て計画が中止されたのは一九六八年一二月である。六九年一〇月には飛行活動も中止された。大学生だった信行君は当然地元の砂川闘争に参加することとなる。
 学部を終えた信行君は大学院に進学。大石進、牛山積は同期で、浦田賢治は学部からの親友である。院生時代はみんなで六〇年安保のデモに行っていた。司法試験をめざして六二年に合格一七期、六五年に東京弁護士会に登録する。
 尾崎事務所に入所。二年後に東京中央事務所へ。長沼事件、百里訴訟など、榎本先生は、自らの原点基地問題を取り組むことになる。北海道に行くのは飛行機の時代になってはいたが旅費はすべて持ち出し。でも「実に楽しかった」。一九七三年九月福島違憲判決。七六年八月札幌高裁訴え却下判決。八二年九月最高裁上告棄却。榎本先生は「法律的な筋道として自衛隊・自衛隊法違憲の主張を掲げるのは当然である。しかしその陰で、その訴訟の当事者たちがこの争点の重みに疲労困憊し、さらに訴訟進行中に基地被害はひどくなるは、基地の工事は進捗するはでは、訴訟という本来当事者の利益を擁護・実現する事を目的とする手続きは半分無意味ということになる」。先生の目線はそこに住む人々から離れない。
 一九七六年四月、横田基地裁判が始まる。「横田公害訴訟は、原則として文字どおり『公害訴訟』として進める方針であった。軍事基地をめぐる裁判であったが、平和・軍事問題の『泥沼』になるべく入らずに、ささやかな要求を勝ち取りたいというのが、訴訟団・弁護団の願いであった。したがって、『被害に始まって被害に終わる』という公害裁判の大原則にしたがって訴訟を進めていた。しかし、被告・国側は逆にむしろ軍事・国防・安保条約(国際的約束)の議論に引きずり込もうとした」。「大阪伊丹の爆音も東京横田の爆音も 音にかわりがあるじゃなし 受ける被害はみな同じ」お座敷小唄の替え歌である。訴訟団は思想信条を問わず、爆音に悩むすべての住民が参加できる。この闘いが榎本先生のライフワークとなる。争点の「軍事公共性」については「憲法九条についてさまざまな立場の訴訟団員をかかえて、最大公約数的法理論として構築された」。榎本先生はこれに心血を注いだ。
 横田基地公害訴訟原告七〇〇名、一九七六年から一九九四年まで。新横田基地公害訴訟原告六〇〇〇名、一九七六年から二〇〇九年まで。三〇年を超える壮大な闘いだった。新訴訟ではアメリカも被告とし、国内の基地訴訟との連帯はもちろん、アメリカ政府議会関係者へのアピール、同じ公害に悩む韓国の住民、弁護団とも交流するようになった。
 榎本先生は町弁としてたくさんの事件をかかえ、南新宿法律事務所、TOKYO大樹法律事務所で多くの弁護士を育てている。
 榎本先生には息子が四人。みんな穏やかで兄弟ケンカなどもしないという。榎本先生似である。修習生時代に結婚した妻キミ子に家庭のことは全部おまかせ。両親を看取り四人の息子を育てた。長男榎本弘行さんは研究者になった。早大工学部建築学科卒、その後中央大学の大学院で環境法を学び、今は三多摩地域の府中、東京農工大学大学院で憲法と環境法を教える。穏やかな好青年である。定年退職した久保田譲先生の研究室を引き継いだという。縁はどこかで繋がる。今も実家から大学に通っている。下の息子さん達も海外赴任をしている一人以外は実家から仕事に行ってる。榎本先生は「困ったもんだ」と困ってない風にいう。
 榎本先生は七六才。横田基地問題を考える会の代表である。基地も騒音もなくなるまで草の根から闘うつもりである。

榎本信行(えのもと のゆぶき)
東京都立川市で生れ。早稲田大学大学院法学研究科修了。
1965年弁護士登録(17期)。松川事件国家賠償訴訟、家永教科書訴訟、砂川・基地反対事件、長沼・百里自衛隊違憲訴訟、横田基地公害訴訟等を手がける。全国公害弁護団連絡会議代表理事、平和に生きる権利の確立をめざす懇談会代表。


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