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 法と民主主義2008年2・3月号【426号】(目次と記事)


法と民主主義2008年2・3月号表紙
特集★南京70周年国際シンポジウムの総括──歴史和解の達成を求めて
特集にあたって……南 典男
◆ヨーロッパで開催された国際シンポジウム……笠原十九司
◆国際シンポジウムを終えて……荒井信一
◆東京シンポ・「戦後補償裁判」が未来に果たす役割とは何か……山田勝彦
◆東京シンポ・「東アジアにおける戦争の裁きの再検討」のまとめ……丸川哲史
◆東京シンポ・ヨーロッパは戦争責任をどう論じているか……石田勇治
◆東京シンポ・歴史和解の達成のために……尾山 宏
◆東京シンポ・靖国と南京─140年の帝国支配を超えて東アジアの真実・和解委員会を……徐 勝
  • シリーズ●若手研究者が読み解く○○法S「国際私法」「法の適用に関する通則法」の制定について……中山真里
  • 事件・ホットレポート●園尾所長(宇都宮地裁)の「書記官補助」立会事件……椎名麻沙枝
  • 司法書士からのメッセージ(22)自殺対策 出来ることから……粟野友康
  • とっておきの一枚●教育学者・堀尾輝久先生……佐藤むつみ
  • 追悼●斎藤一好さんを偲ぶ……江藤价泰
  • 追悼●中島通子さんを送ることば……相磯まつ江
  • 連続掲載●9条世界会議をめざして──F平和と連帯─アメリカ電気、ラジオ、機械労働者連合(UE)の展望……ロビン・アレクサンダー
  • 連載・軍隊のない国(25)●ルクセンブルク大公国……前田 朗
  • インフォメーション●沖縄米海兵隊員による強姦事件等・法律家6団体共同声明
  • 寄稿●アメリカ合衆国裁判例 国旗への忠誠の誓い拒否(ラッソー事件)の紹介……山中眞人
  • 日民協文芸〈肆〉●
  • 時評●貧困・格差と法律家の役割……新里宏二
  • KAZE●全司法・全国司法制度集会開かれる……石橋良一

 
★南京70周年国際シンポジウムの総括──歴史和解の達成を求めて

特集にあたって
 南京事件七〇周年国際シンポジウム実行委員会は、南京事件が起きてから七〇年目にあたる昨年二〇〇七年三月から、アメリカ、カナダ、イタリア、フランス、ドイツ、マレーシア、韓国、中国の八カ国で国際シンポジウムを開催した。
 これら国際シンポジウムの成果を踏まえ、総括の場として、「南京事件七〇周年国際シンポジウム─過去と向き合い東アジアの和解と平和を」が、昨年一二月一五、一六日の二日間、明治大学にて、同実行委員会と明治大学軍縮平和研究所の共催で行われた。二日間でのべ七〇〇人が参加し、南京事件を初めとする十五年戦争とアジア・太平洋戦争についての多面的な検討と、東アジアにおける和解と平和構築のあり方を探求する真摯な報告・討論がなされた。
 まず、アメリカ・コーネル大学教授のマークセルデン氏が記念講演をし、世界の和解の実例と日本の市民運動の広がりをあげ、東アジアの和解の可能性に言及した。
 〈パネル1〉では、「戦後補償裁判が未来に果たす役割とは何か」をテーマに、裁判が事実を認定し解決を期待し、日中の市民間の交流が作られてきており、和解の基盤が構築されていること、和解は様々なレベルで考えられるべきものであり、その多様性を理解しなければならないなどの報告がされた。
 〈パネル2〉では、「南京事件 発生の背景と沈黙の構造」をテーマに、一橋大学教授の吉田裕氏が、なぜ日本軍兵士が虐殺・略奪・性犯罪などの加害行為を行ったかその原因を究明するとともに、日本軍兵士が戦後沈黙を続けていることとの関連を分析する報告がされた。
 〈パネル3〉では、「東アジアにおける戦争の裁きの再検討」をテーマに、中華人民共和国成立後に日本軍のBC級戦犯を裁いた「瀋陽裁判」に焦点を当て、中国社会科学院副研究員の程凱氏が、「瀋陽裁判」が加害者の思想・感情の変化と被害者の感情の意識化をもたらし、加害者と被害者の思想・感情の一致を作り出したこと、この貴重な経験を今日に生かすことの重要性を報告された。
 〈パネル4〉では、「ヨーロッパでは戦争責任をどう議論しているか」をテーマに、東京大学特任准教授の川喜田敦子氏が、二〇〇六年にドイツとフランスの間で共通の歴史教科書ができたことを紹介し、歴史について対話する経験が共通の教科書が作られる土台にあったと述べ、フランス・プロバンス大学教授のジャン・ルイ・マルゴラン氏は、市民の交流によって戦争認識の対話が進んでいったヨーロッパの過程を述べ、市民運動の重要性を強調した。
 〈総括ディスカッション〉「東アジアの和解と平和にむけて」では、駿河台大学名誉教授の荒井信一氏、都留文科大学教授の笠原十九司氏、立命館大学教授の徐勝氏が、シンポジウムの討論によって多面的でかつ深い問題提起がなされたこと、右翼的言動に抗していくことの重要性、東アジアの和解と平和構築のチャンスが生まれていることなどを各々報告し、尾山宏弁護士が共同代表として、国境を超えた市民の連携と対話、学者による研究を基礎にして初めて国家間の和解が進められることを強調された。
 シンポジウムは、歴史和解の達成を求めて大きな成功を収めたが、同時に、歴史和解への取組の出発点とすることも確認された。シンポジウム参加者一同の名で、後記の宣言を採択した。今後、シンポジウムを記録化・出版し普及すること、「東アジアの真実・和解委員会」を市民の手で立ち上げることが課題となる。今号の特集は、その第一報であり、第一歩である。
 日本は、今、重大な岐路に立っている。紛争予防のためのあらゆる努力をし戦争をしない国家づくりを目指していくのか、戦争をする国家体制に変質させていくのか。今、歴史和解の達成へ向け努力を傾注することの意味は大きい。

(「法と民主主義」編集委員会・文責 南 典男(弁護士))


 
時評●貧困・格差と法律家の役割

(弁護士)新里 宏二


 h二〇〇六年一二月改正貸金業法が成立した。消費者金融の利用者が一四〇〇万人、五社以上から借入れ平均借入額が二〇〇万円を超す多重債務者が二三〇万人にも達し、生活・経済苦の自殺が年間約七〇〇〇人に達するなど深刻な事態をふまえ、刑罰金利である出資法の上限金利を年二〇%まで引き下げることや年収の三分の一を超える貸付を「過剰貸付契約」として禁止し、行政処分の対象とする等の改正が行われた。
 多重債務者の負債が増大した理由は国民生活センターが二〇〇六年三月とりまとめた「多重債務問題の現状と対応に関する調査研究」によると借入れをはじめた頃の借金の理由は、「年収の減少」二五・六%、「低収入」二〇・〇%となっていて、他方ギャンブルや遊興費で借入金をしているのではないかと誤解されているが、「ギャンブル」一三・〇%、「遊興費」八・五%にとどまり、生活苦での借金という実態が浮かび上がってきている。
 我々多重債務問題を取り組んできた法律事務家としても日本に急激に進んだ格差の拡大、年収二〇〇万円以下が一〇〇〇万人以上といわれるワーキングプア等に代表される貧困の問題がより多重債務問題の原因と考えざるを得ず、法改正運動が格差・貧困を考える大きなきっかけとなった。
 h日本弁護士連合会は、二〇〇六年一一月釧路で開催された人権擁護大会において多重債務問題と生活保護をめぐる問題を総合的に検証する「現代日本の貧困と生存権保障」と題するシンポジウムを開催した。この日本で「餓死者」が頻発していることも明らかにされ、最後のセーフティネットといわれる生活保護の現場で多発する「水際作戦」と呼ばれる事実上の生活保護申請の拒否や「自立支援」と称して一旦生活保護を受給した人を申請の辞退に追い込む等、憲法が保障する生存権保障が危機に瀕している実態が明らかになった。構造改革路線が中間層を大きくそぎ取り、大きな格差、貧困層を多量に生み出していることが明らかにされた。
 さらに我々法律実務家に多くの反省を求めることとなった。我々は真摯に「生活保護」の受給支援をおこなってきたのだろうか。未だに「生活保護」に対する社会の大きな偏見の中、我々自体も目を向けてこなかったのである。同年一〇月六日シンポを受けて採択された「貧困の連鎖を断ち切り、すべての人々の尊厳に値する生存を実現を求める決議」では、法律化が「従前、取り組みが不十分であったことの反省に立ち」、「生活困窮者支援に向け全力を尽くす」ことを宣言している。
 h前述のシンポをふまえ、二〇〇七年六月には生活保護問題対策全国会議(代表弁護士尾藤廣喜)が結成され、多重債務救済運動と生活保護支援運動とを融合した新しい「世直し」の運動体ができ、その結成をきっかけに各地で生活保護支給支援ネットワークが次々に設立されてきた。
 首都圏ネット、近畿ネット、九州ネット、東北ネット、東海ネット、静岡ネット等であり、今後さらに結成がすすみ、現場から生存権保障を支えて行く活動が大きく動き出した。
 h二〇〇七年一一月厚生労働省は生活保護費の見直しを検討を行っていた検討会議(座長樋口美樹慶応大学教授)の報告を受け保護基準の引き上げを決定した。この動きに対しては現場から反対運動が盛り上がり同省は同年一二月二〇日、二〇〇八年度からの対応を見送り一年先送りとした。同省が事実上引き下げの決定を「撤回」したことはきわめて異例のことであり、市民運動の大きな勝利であった。
 h我々は、生活困窮者の支援の強化をするとともにあるべき生活保護制度の提言を行い厚生労働省の「引き下げ」の方向と戦ってゆく必要がある。さらに、ワーキングプアー、働く労働者の権利保障についても「反貧困ネット(代表宇都宮健児)」が結成され、「反貧困全国キャラバン(仮称)」が予定されるなど市民の運動も盛りあがってきている。
 現場の声から社会を変えていこう。


 
〈シリーズ〉とっておきの一枚

セミの歌ってどんな歌

教育学者:堀尾輝久先生 
訪ね人 佐藤むつみ(弁護士)

1953年秋。丸山ゼミの三浦旅行。

 堀尾輝久先生は私の歌友である。二〇〇六年九月、あの「九月九条第九コンサート」でご一緒した。その前の日民協の総会の懇親会。澤藤先生が懸命に「第九コンサート」の宣伝をしていた。総会で講演いただいた堀尾先生に私がマイクを向けるとやおら「Freude,schner Gtterfunken,」と壇上で突然歌い出した。この人何者、なんで歌っちゃうの。それが縁で堀尾先生は第九コンサートに参加、もちろん次の年も第九に参加。週に一回一緒に練習する仲になった。参加している弁護士の上条先生、明石先生は東京大学の同期。五〇年を経て今一緒に歌っている。
 先生の住まいはつつじヶ丘。練習が終わると京王線で一緒に帰ることになる。帰りに仙川のスポーツクラブでスイミングをするのが先生の日課である。忙しいので時々はお休みになる。外国に行ったり、他の合唱団で歌ったり。七〇代の人とはとても思えない。その間に本も書かれている。どうもシャンソンもお好きでフランス語が一番得意らしい。ドイツ語は私と違って意味をわかって歌ってらっしゃる。ドイツリードもやるらしい。英語はもちろん。ほら教養が違うのよね。帰りの道すがら先生と雑談していろんなこと聞いてしまう。ご家族も先生も自由で魅力的な生き方を貫いている。
 いつもダンデーな先生はインタビューの日もトレンチコートと帽子で、資料の本をひと山、ママチャリのかごにいれてつつじが丘駅に現れた。「昔は郵便配達の中古自転車に乗ってて。頑丈で子どもを保育園に送るのに最適」スプレーで堀尾家好みに塗り替えていたらしい。先生のおつれあい堀尾真紀子氏は美術家で大学で造形文化論を教えている。画家フリーダ・カーロの評伝や多くのエッセイを書き、NHKの日曜美術館の司会をなさっていたりもする。長男は東大でインド哲学を学び、その後ギリシャ・ラテンの西洋古典を学び大学院へ。西洋古典学の研究者である。バイオリンもやる。長女はチェロをやって早稲田で演劇もやってタンゴ歌手もやって今は夫と共に総合パフォーマンスのイベントを作り出演もしている。
 音楽や表現そして学問、両親の血ですね。「子育て大成功じゃないですか」と聞くと「妻は、もっと手をかければよかったと反省もしてます」だって。
 堀尾先生は一九三三年生まれ、七五才。九州の小倉で生まれ育った。父親は軍隊の獣医だった。「人間の命よりも馬の方が大事」な時代。小倉には軍の施設がたくさんあった。原爆の目標ともされた軍都だった。兄弟は男の子が五人。輝久君は末っ子。一九三七年輝久君が四才の時父親は軍馬とともに招集されて中国に行った。二年後父親は結核に罹患して戦病死する。長男は陸大、次男は陸士。二人とも職業軍人。ともに戦地に行っていた。父親の死の三年後、九才の輝久君はお母さんに連れられて初めて上京、靖国神社で合祀の式典に招かれた。「私は靖国の子、『誉れの家』の子なわけです」。三男は「体がちょっと弱くてそれで軍人はあきらめ東大に行った。そして、学徒でやはり軍隊にいく」。その次、四男がNHKの名アナウンサー杉山邦博氏。名字が違うのは五人も男がいるので母方の姓を継いだからである。当時はラジオの時代。相撲放送のまねが得意だった。小学校時代から相撲のアナウンサー志望。はなから幼年学校なんか行く気がなかった兄に、けんかも強くて体も大きかった弟の軍国少年輝久君は「お前、なんで軍人にならないか」と迫った。仕方なく邦博君は幼年学校に行く。一九四五年四月小倉中学に入学した輝久君は当然のこととして幼年学校入学を希望する。優秀で体力もあった輝久君は学内の試験を受け合格通知を待つばかりだった。八月一五日輝久君は近所の庭に集まって玉音放送を聞く。その時輝久君は「幼年学校入学はどうなるんだろう」と思ったという。五人の兄弟は全員無事だったが、堀尾家の戦後は大変だった。輝久君は小倉中学に通いながらアルバイトで生計を助けていた。小倉高校に進学、一九五一年東京大学文一に入学する。倍率の高い寮にはいるために馬術部に入部する。父の縁だった。堀尾先生はその後も乗馬を続け教授時代は馬術部の部長もつとめることになる。
 家庭教師のアルバイトをしながら教養から政治学科に進んだ。当時入るのが難しかった人気ゼミ丸山真男ゼミ、堀尾先生は三年で一人だけ入ゼミを認められる。これが研究者堀尾輝久への最初の一歩となる。そこで学問の楽しさを知り、大学院に進学することになる。「大学時代はややニヒルな青年期だった」大学院進学は教育思想を学びたいという気持ちと同時に自分自身のモラトリアムでもあった。
 障害を持つ青年宅に住み込みの家庭教師もした。博士課程の一年は結核でサナトリウムにいた。モラトリアムを脱して堀尾先生は広く深く学び続ける。東大の教養学部と教育学部で「教育学」と「教育思想」を担当、三一年間教え学ぶ。広い知識に裏付けられた深い思索。「現代教育の思想と構造」をはじめ、著作も多い。裁判や教育の実践活動にも広くかかわり常に自らの認識を検証再構築しながら考え続ける。学問をとおして社会的責任をどう果たしていくかと言う思いも強く、私たちの大切な知恵袋である。
 東大定年後は中央大学文学部で九年間を過ごした。その間先生は教育学だけでなく「国際・比較教育論や教育法学などたくさんの授業を持つことになった」。文学部だけでなく法学部からの依頼もあった。大学院の講義もある。実地研究もある。大忙しの九年間そして「非常に充実した九年間だった」。二〇〇四年三月、二度目の最終講義のテーマは「地球時代の教育課題―平和・人権・共生の文化を」である。二〇〇四年に刊行した「地球時代の教養と学力」はその考えを具体的に説いている。面白い。考えさせられる。先生はいつも知的に自由でみずみずしい。
 二〇〇六年の春。先生はシカゴの下町の小学校二年生のクラスを訪ねる。「家庭崩壊の子どもたちも多く、ケンカやトラブルがたえない」このクラスで先生は「ピース・ブック」という絵本に出会う。授業の最後に感想をもとめられた先生はその絵本の音楽ページを開いて「私が小学校低学年のころおぼえた日本の童謡を歌いました」。セミの歌である。
 小倉市徳力小学校三年の輝久君は若い女性の音楽教師の指導でこの歌を小倉放送局で歌った。六五年の時を経て、小倉とシカゴの空間を超えてセミの歌は普遍性を持って伝わっていく。
 地球時代はつながっている。

・堀尾輝久(ほりお てるひさ)
1933年福岡県生れ。東京大学人文科学研究科修了。現在、東京大学名誉教授、民主教育研究所代表。
著書「現代教育の思想と構造」(岩波書店、1971年)、「教育を拓く―教育改革の二つの系譜」(青木書店、2005年)、「教育に強制はなじまない」(大月書店、2006年)、「子育て・教育の基本を考える」「ピースブック」(ともに童心社、2007年)など多数。


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