法と民主主義2004年6月号【389号】(目次と記事)


法と民主主義6月号表紙
★特集★シリーズ・改憲阻止 イラク拘束事件からみえてきたもの
■特集にあたって……中川重コ
■座談会 イラク拘束事件からみえてきたもの
出席者
郡山総一郎/今井紀明/高遠修一/森住 卓/大平直也
越田清和/梓澤和幸/小坂祥司/伊藤和子/田部知江子
猿田佐世/鈴木敦士/田場暁生/中川重コ(司会)

 
シリーズ・改憲阻止 イラク拘束事件からみえてきたもの

特集にあたって
 四月八日夜、イラクで今井さん、郡山さん、高遠さんが拘束されたというニュースが日本中をかけめぐった。

 拘束グループは日本政府に対し、七二時間以内の自衛隊撤退を要求した。

 この直後から、テレビ・ラジオ、新聞、雑誌そしてインターネットの世界で無数の呼びかけと無数の主張・情報がとびかい、政府、マスコミ、ジャーナリスト、そして市民がさまざまな形で動き衝突した。

 四月一五日に三人が無事解放され、一八日に帰国してもその狂騒は収まることなく、四月三〇日の今井・郡山両氏の記者会見を経てようやく沈静化したかにみえた。しかし、三人の拘束事件とほぼ時を同じくしてさらに二名の日本人が拘束され、さらに橋田さん、小川さんが殺害されるという事件も起こった。

 これらの事件は、まぎれもなく、長きにわたって「専守防衛」の名のもとに正当化されてきた軍隊が海外で占領軍に加わり、教育現場では国旗と国歌が強制され、性教育が弾圧され、戦争をするための法律が国会で成立する中で起きた事件である。小泉首相は六月一八日、主権移譲後イラク多国籍軍に自衛隊を参加させることを閣議決定し、「武力による国際貢献」をあくまで推し進めようとしている。

 本誌五月号では、ドバイに同行した高見澤昭治弁護士、市民の立場から運動をリードした一人である高田健氏らに拘束事件を論じて頂いたが、今回は、この事件の当事者である今井さん、郡山さんご本人、高遠さんご家族、そして事件の渦中で当事者をサポートする立場で活動した支援者や法律家が一同に会して座談会を行った。

 座談会を準備し行ってみて、参加者の作業の中心が、事件や行動について深く分析したり究める作業よりも、それぞれの体験を整理し記録する作業が中心とならざるをえないことに気づかされた。考えてみれば、この事件に関してもっとも多くを語るべき人々が、自由に口を開けるようなになったのがつい最近のことであり、それ自体がこの事件の異常性を物語っている。何故に、今年一月六日の産経新聞一面でその活動が大きく紹介され賞賛された高遠さんの活動が、その同じ新聞から「無謀」・「無責任」・「いわぬこっちゃない」と非難をされることになったのか、何故に被害者であるはずの本人や家族がバッシングされ一部の市民からも敵意をもって迎えられたのか。同時に、はからずもパウエル国務長官やフランスのルモンド紙が指摘したように、いったいいつの間に、わざわざ海外にまで行って絶望的状況にある人々と向き合おうとする若者たちが日本に現れたのか、そしてそれに共感する市民がどれだけ育ってきているのか。一五万人の署名がどうして数日で集まるのか。そして、何にもまして私たち法律家は、これらの新しい市民の活動を憲法の中にどう位置づけどのような法的サポートを提供できるのか。

 まずは当事者たちの声に耳を傾けて頂き、そのうえで、大いに深め、論じあうことからはじめよう。三人が実践する「丸腰の国際貢献」「市民による平和の創造」を発展させるために……。

(特集企画責任者・中川重コ/弁護士)



 
時評●《壊憲》から《改憲》へ 壊される《立憲主義》

新潟大学教授 成嶋 隆

 卒業式などの「君が代」斉唱時に生徒が起立しなかったことを理由として教師の「指導責任」を問い、「厳重注意」に処するという東京都教委の措置は、「日の丸・君が代」の強制が今までとは違った新しい段階に入ったことのみならず、《立憲主義》の精神をかなぐり捨て、絶望的な未来へと突き進もうとしている日本社会の現況を象徴的に浮かび上がらせている。

 子どもと教師の教育的な信頼関係を逆手にとり、子どもの「内心の自由」を圧殺するという卑劣なやり方は、学校現場から憲法一九条(思想・良心の自由の保障)や教育基本法一〇条(教育に対する「不当な支配」の禁止)の規範を放逐するという意味をもつ。教育人権のトータルな否定である。子どもたちの「内心」に対する国家統制の一方では、教育を商品化して市場原理にゆだね、エリート層や裕福な階層の子どもたちにのみ教育機会を提供するという能力主義的・競争主義的な教育「改革」が進行している。この新自由主義の席捲は、教育を受ける権利の平等保障というもう一つの教育人権を踏みにじっている。「日の丸・君が代」強制と能力主義・競争主義の教育は、車の両輪のように、教育に関する憲法・教基法のルールを破壊しているといってよい。

 いま《立憲主義》は、日本社会のあらゆる場面で破壊されている。人権保障の面では、ビラ配布という正当な言論活動が「住居侵入」とされて七五日間の勾留という刑事弾圧を受け、《お上》の意向に少しでも逆らった行動をとれば、「反日的分子」と呼ばれて《官民一体》の激しいバッシングを受ける。信教の自由の保障を支える政教分離原則に関して、福岡地裁が小泉首相の靖国神社への参拝を(傍論で)違憲と断ずる判決を下した(四月七日)が、これに対して自民党の亀井静香元政調会長は「司法に携わる人たちの人間改革が必要」と、司法府そのものを攻撃した。

 一方、制度の根幹部分に対する信頼が崩壊する中、「百年安心」なる虚言を弄することで成立した年金「改革」法は、国民に今以上の負担を強いるものであり、生存権に対する重大な挑戦となる。

 年金法案などの強行採決は、議会制民主主義という《立憲主義》の重要なルールをも蹂躙した。同法を含め、閉幕した通常国会では一三五本というすさまじい数の法案が成立した(四〇年ぶりの大量立法!)が、内容の精査を経て成立したものは一体何本あるのか?

 そして何よりも、憲法の平和主義をめぐるこの間の動きが、今日における《立憲主義》の破壊を象徴する。有事関連七法の強行成立、国会審議にもかけない自衛隊の「多国籍軍」への参加など、憲法九条の蹂躙はもはや臨界点に達している。

 以上のように、人権・民主主義・平和主義という日本国憲法の三つの基本原理のすべてにわたって、根底からの侵食が進んでいる。ここに現出しているのは、憲法により国家権力を拘束するという《立憲主義》そのものの破壊=《壊憲》という事態である。この《壊憲》の動きは、規範の実体を破壊した後に、成文規範そのものを改変するという動き=《改憲》へと必然的に連動する。自民党は「結党五〇年」に向けて、九条を最大のターゲットとする改憲案の策定を加速させ、民主・公明も改憲への道をひた走っている。

 一方、改憲の《前哨戦》と目される教基法の改正問題でも、自民・公明両党で作る検討会が、同法に「国を愛する心」を盛り込むことなどを内容とする全面的な改正案をまとめている(六月一六日発表の「与党中間報告」)。

一連の動きを放置するならば、私たちは、息詰まるような未来社会を見ることになろう。これを阻止し、《立憲主義》を再確立することが急務となっている。「九条の会」の結成、「日の丸・君が代」問題での被処分教員らの抵抗、あるいは都教委元職員約百人の抗議表明など、《光明》は、まだ、ある。


 
〈シリーズ〉とっておきの一枚《番外編》

そうだ早く撮らなければ 君の代わりに

フォトジャーナリスト:森住 卓さん
訪ね人 佐藤むつみ(弁護士)

2003年6月バグダッド近郊、核施設ツワイサ核の汚染の取材中にイラクの子どもたちと記念撮影。 六月二日〜八日まで東京都港区東京写真文化館で開催された森住卓・会田法行写真展「Dear Boys」─ バグダッド路上の子たち─の最終日に会場で森住さんにインタビューをお願いした。会場にはたくさんの人が駆けつけ大盛況、狭い会場は人人人でいっぱいである。森住さんの前髪がなぜかおかっぱ状態でめがねの近くまでかかっている。その奥できょろりとした目が遠くを見たり近くを見たりしている。カメラが無いからただの人状態である。

 フォトジャーナリスト森住卓さんは東京にいるときは腑抜けたような状態にあるのだという。「ほら、戦場から帰ってきた兵士が普通の生活に適用できなくなるでしょう」もの静かな語り口で無駄なことを言わない。文章も写真も伝えたいことをストレートに表現したい。誰にでもわかる、共感できる一枚を撮りたい。歴史の一場面を切り取り伝えたい。森住さんはそれに取りつかれてどんな危険なところでも行く。行かずにいられないのである。

 三二歳でフリーになって二〇年。基地、環境問題等をテーマに取材を続けてきた。三宅島米軍基地問題『ドキュメント三宅島』、世界の核実験場の被爆者取材のなかで旧ソ連セミパラチンスクに通いつめ『旧ソ連セミパラチンスク核実験場の村─被爆者のさけび』自費出版、九八年からは湾岸戦争で米英軍がイラクで使った劣化ウラン弾の被害取材で外国人ジャーナリストとして初めてイラク。クウェート国境の非武装地帯に入る。メディアに写真を提供しつづけてきた。『イラク─湾岸戦争の子どもたち』では「悪の枢軸」の子どもたちの叫びが痛いほど伝わる。「この写真を、世界中の心ある人たちに見てほしい、と私は願う。とりわけブッシュ大統領に見てほしいと思う。この写真を見た上で、それでもなおかつ爆撃を強行するとしたら…私は言うべき言葉を知らない」森住さんの取材はいつも長期化し繰り返し繰り返し取材がなされることが多い。撮られた人たちは年を重ねていく。なくなる人も多い。

 二〇〇三年六月一〇日発行されたシャーロット・アルデブロンのスピーチを本にした「私たちはいま、イラクにいます」の写真は森住さん。彼女のすばらしい文章と写真がピッタリとはまり、森住さんの写真が無ければこの本は成り立たなかったと思う。撮られている子供の表情と風景がその場所のにおいや空気といっしょに伝わってくる。写真は全部白黒、カラーよりメッセージがはっきりと伝わる。こちらの感性に強く訴えるのである。その本の表紙に私は目を奪われた。年かさのお姉ちゃんが一歳ぐらいの子どもを毛むくじゃらの子犬といっしょに抱いている。小さな子どものむちっとした手と遠くを見ている眼、頭にほわほわと生えている産毛。うちの娘にそっくり。一瞬娘を抱いていた時の体の重さと暖かな体温を思い出してしまった。ほっぺたはきっとちょっと硬めでがさがさしているに違いない。固太りのこの子はまぎれもなく私の娘だ。娘はイラクに生まれてくることもあった。私はこの子のいる国を攻撃することはできない。森住さんの写真の力はこれである。

 劣化ウラン弾の取材は続き、コソボの民族紛争でNATO軍が使用した事実に及んでいる。ところが二〇〇三年三月二〇日にアメリカ軍のイラク攻撃が始まり森住さんの願いは届かなかった。自衛隊も派遣された。森住さんはイラクに危険を承知の上で行き続けるた。そして二〇〇四年四月七日バグダッドのホテルで高遠菜穂子さんを待つことになる。三人は来ない。「私の時間切れで、高遠さんを待つのをあきらめ、帰国することにした。四月八日午前七時ホテルをチェックアウトし、バグダッドからアンマンまで何か高遠さんの手がかりがないかと思いながら、砂漠のハイウェーをヨルダン国境に向かった」「アンマン方面からバグダッドに向かう黄色いイラクタクシーが近づいてくると高遠さんの姿はないか一台一台確認したが何も手がかりはなかった」友人からの衛星携帯電話で拘束の事実を知る。「ちょうど昼過ぎていた。国境から引き返すか迷ったが、戻っても何が出来るか分からなかった」「後ろ髪を引かれる思いで、アンマンに戻った」

森住さんは三人の安否を気遣うと共に拘束事件が国家の謀略に利用されると直感した。フォトジーナリストとして国によって虐げつづけられた人々をそれらの人々が暮らすところでその目線で見つづけたことで森住さんは揺るぎ無い国家観を持った。案の定三人は解放後にさまざまないわれ無き非難を受けることになる。

 「私たちはいまイラクにいます」が、二〇〇四年五月第五一回産経児童出版文化賞を受賞した。しかし、森住さんは辞退の手紙を送る。「『私たちはいまイラクにいます』に登場するイラクの子どもたちは、悲惨な戦争のなかでも、それを乗り越えてたくましく生きていました。彼等は無法なアメリカの侵略戦争を身をもって告発していました。空爆された跡に立つ少女や劣化ウラン弾の影響と思われる白血病の少年がじっと見つめる瞳はこの戦争を止められなかった大人たちの責任を静かに追及しているようでした。この戦争を産経新聞社はどのように伝えたのでしょうか。日本政府のこの戦争に加担する姿勢を一度でも批判したのでしょうか。この賞を受けてしまったなら、イラクの子どもたちに二度と顔向出来なくなってしまいます」

 森住さんが撮った子どもは長く生きられないことも多い。撮ることに現場で躊躇しないのが森住さんが自分に課しているルールである。「あなたに写真を撮っていただいたことで、ここの実情が世界に知らされました。彼女はそれだけで生きていた価値があったのです」

森住卓(もりずみたかし)
一九五一年 神奈川県生まれ。一九八八年 共著「ドキュメント三宅島」(大月書店)で日本ジャーナリスト会議奨励賞を受賞。一九九九年「セミパラチンスク─草原の民・核汚染の50年」(高文研)で週刊現代「ドキュメント写真大賞」、第5回平和協同ジャーナリスト基金奨励賞をそれぞれ受賞。
ホームページ http://www.morizumi-pj.com


©日本民主法律家協会