法と民主主義2003年10月号【382号】(目次と記事)


法と民主主義10月号表紙
★特集★シリーズ 無駄な公共事業―水編阻止のための実践的戦略を考える
特集にあたって……板井優
◆川辺川ダム建設をめぐる闘い……板井優
◆「農家が主人公」を明らかにした高裁判決……森徳和
◆川辺川利水訴訟と私―ダムの水はいらん!……梅山究
◆漁業・農業をつぶす農水省 よみがえれ!有明訴訟―諫早湾干拓事業差止……馬奈木昭雄
◆有明漁民、命の叫び―宝の海を返せ!……松藤文豪
◆亡国のダム、徳山ダム開発……籠橋隆明
◆年間六兆円の節約のすすめ―全国の公共事業から談合を排除する……高橋利明
緊急小特集●最高裁に国民の審判を!
◆第19回最高裁裁判官国民審査にむけて―国民審査の今日的意義と私たちの課題……鷲野忠雄
小特集●職場における女性差別との闘いとその到達点―芝信事件判決から考える
◆男性と同様に昇格した地位確認をかちとった「芝信用金庫」事件……坂本福子
◆憲法・労働基本権論の今日的位相……横田力
◆人権(平等権)確立の闘いに大きな前進……新井章
判決・ホットレポート
●圏央道あきる野土地収用事件……吉田健一
●旧日本軍中国毒ガス遺棄賠償事件……山田勝彦

 
シリーズ 無駄な公共事業・水編 阻止のための実践的戦略を考える

特集にあたって
 今、わが国は国だけでも実質的には六九二兆円の負債があるという。
 二〇〇三年度予算の一般会計総額が八一兆七八九一億円であるところ、赤字国債は三〇兆二五〇億円にとなっているから、借金がますます増えていくことは明らかである。負債が増えていく大きな原因として大型公共事業が挙げられている。政府の行う大型公共事業は景気対策であるとして説明されてきたが、ここ最近に至り景気回復効果にも大きな疑問が寄せられている。
 まさに、無駄な公共事業といわれるゆえんである。
 しかも、こうした大型公共事業には地元の住民から見ても必要性があるかどうか疑わしいものも数多く指摘されている。こうした、公共事業を止めさせることは国民の強い声でもあるが、現実には法的に止める手立てがなかなかなく、数十年にわたり続いている大型公共事業も多い。その原因として、政官財の癒着構造があるとされている。
 いずれにせよ、止めるか止めないかは政治や行政の判断に委ねられており、最近に至り財政危機のために公共投資が困難となり公共事業の改革が始まり、連立与党主導で島根県中海・宍道湖の干拓などが中止されたが、なおほとんどの無駄な公共事業は手付かずの状態のままであった。
 こうした中にあって、田中康夫長野県知事が脱ダム宣言を行い浅川・下諏訪ダム事業が中止され、潮谷義子熊本県知事は球磨川水系の県営荒瀬ダムを撤去する廃ダムの方向を明らかにした。これは、少なくとも、県営レベルで事業主体の県がダム神話から離脱できることを明らかにした。
 こうして二〇〇二年一二月までに全国で八四のダムが中止・休止されたが、無駄な公共事業の中止を求める住民運動のハードルは依然として高かった。
 二〇〇三年五月一六日の福岡高裁判決で国営川辺川土地改良事業変更計画(利水・区画整理事業)が取消され、同月一九日に農水大臣が上告を断念したので、利水事業は止まった。まさに、平成の百姓一揆が勝利し大型公共事業の差止めが実現した瞬間であった。
 現在、この利水事業をダム建設の目的としていた多目的ダム法に基づく川辺川ダム建設計画の関係で、共同漁業権の収用裁決申請事件が熊本県収用委員会に継続している。しかし、利水目的が脱落したため、収用裁決申請自体が却下される可能性が大きくなってきている。
 熊本では、利水事業やダム建設問題をめぐり流域住民こそが主人公こそがとする新たな闘いが起こっており、これと結びついて裁判や土地収用委員会で大型公共事業をストップさせる現実的な可能性が生まれている。
 今回の特集は、国民の手の届きにくかった大型公共事業に水関係からさらに道路問題など他の分野にも穴を開けていく方向を検討しようというものである。公共事業の主人公は国ではなく、国民である。この国の税金は政官財が勝手に使えるものでなく、国民のために使われなくてはならない。その実践的な法的戦略を広く交流していくための第一歩として今回の特集は企画されたものである。

(文責・板井 優 弁護士)


 
時評●朝・日会談一周年に際して−前に進めよう−

朝鮮大学校 呉 圭祥

 朝日会談と朝日ピョンヤン宣言の発表から一年が経過した。
 現在、朝日関係は依然として複雑な様相を呈しているが、それでもなお首脳会談とピョンヤン宣言の意味は多大であり重要だと思う。会談の意義は、なによりも朝鮮民主主義人民共和国(以下、朝鮮と略す)創建後初めて両国のトップが会談を行い「双方の基本利益」について合意をみたことにある。また北東アジアと世界の平和と安全を保障する第一歩になる貴重な合意であった。
 しかし現状は、残念を越えて悲惨である。朝日会談、国交正常化の本質はどこへ行ってしまったのであろうか。国交正常化は朝鮮だけに利益をもたらす片務的問題ではない。朝日問題の本質は過去を清算することにある。日本による過去の清算義務は、いかなる事実があったとしても永久に免れない。そして新たな善隣友好関係を築くことである。これは南北朝鮮人民と日本国民の願いでもある。
 少なくない人々が拉致問題の解決が先という。拉致問題に関して朝鮮の最高指導者は会談でその事実を認め謝罪し、責任者を処罰し、再発させないことを明言した。
 拉致被害当事者の長年の苦悶とその瑕が容易に癒されるものではないことは十分理解しながらも、しかしだからと言って拉致問題だけを極大化し、朝日間の本質問題を置き去りにして良いものであろうか。
 朝鮮を「悪魔の巣窟」のように決め付け、本来なら名誉毀損で告訴されるような言論や行動が氾濫している。朝鮮と日本を結ぶ貨客船「万景峰92」号に対する処遇はその一例に過ぎない。祖国の統一と同胞の権利擁護を目指し活動してきた総聯に対する攻撃も絶えない。爆弾事件や突然の財産差押え通告などは「兵糧攻め」の感すらある。
 新潟では朝鮮人に物を売るなと叫ばれ、福岡の病院では朝鮮人患者は診察しないとまで言われる始末である。これを石原東京都知事が言うように「仕掛けられて当然」と看過してよいのか。朝鮮学校と学生に対する暴行、罵倒、脅迫などが後を絶たない。今日の事態は関東大震災時に六四〇〇人の朝鮮人が無残に惨殺された状況を彷彿とさせる。嫌がらせを超えて、敵意すら感じる。視野狭窄に陥っているのではないか。
 このような状況の背景には、(1)朝鮮を「悪の枢軸」、「先制攻撃対象」とするアメリカに追従する日本当局の政策がある(2)朝鮮問題、朝鮮脅威を改憲や軍備強化など日本の反動化、右傾化に最大限利用する(3)バブル崩壊後の将来不安、社会不安などの社会的閉塞感のはけ口にする、などの思惑が作用していると思う。
 今後の展望をどう開くのか。朝鮮と日本との問題はピョンヤン宣言に基づいて国家間で解決すべきである。在日朝鮮人の地位に関する問題も協議の対象になっている。
 現時点でも取り組むべきことが多々あると考える。何よりも、在日朝鮮人というだけで居住、就職、社会保障などの基本的人権が侵害されたり、朝鮮籍が差別の根拠になるようなことはあってはならない。朝鮮文化など、民族的少数者としての在日朝鮮人のアイデンティティーが保存される対策も必要であろう。
 次に、民族教育の権利が保障されるべきである。国際法上保障されている教育の権利についても具体的な問題解決が滞っている。例えば日弁連の勧告(日弁連総第99号、98・2・20)などは受け入れるべきである。国立大学の受験資格問題についての文科省の八月六日「弾力化案」は新たな差別策である。「大学を卒業した者と同等以上の学力があるもの」となっている司法試験一次試験免除要件なども、朝鮮大学校の学生に適用して欲しい。民族教育を受けた在日の三世、四世たちに受験資格を与えて欲しいものである。在日の新しい世代はやがて朝日の新時代を開く担い手になるに違いない。
 在日朝鮮人の生活と運動はこれまで日本の各階層の人々の支援のもとに成立してきたことは言うまでもない。今後もご協力を切に願うものである。


 
小田先生古稀・出版を祝う集い●「仲良くしてね」小田風性善説
佐藤むつみ(弁護士)

 小田先生の古稀と著作集刊行を祝う集い〇三・九・二七はさながら小田家のホームパーティーのようだった。主役の小田先生はかなり前から落ちつがず、出席者の確認と席次の思案にくれていた。
 小田ファミリーゆかりの松本楼の三階はぎゅうぎゅう詰め。何しろ平均年齢が高いので皆さんテーブルに座っていただかなくてはならない。最高年令はご存じ森川金寿先生、法曹関係者最若手が息子の森川文人君。森川一家の快挙である。食べ物は量より質。「各テーブルでの会話が一番のご馳走になるようにしてね」「食事の時にスピーチなんて無粋なことはやめてね」ハイハイわかりましたと言ったものの個性的で一家言ある出席者の面々がこんなに集まっちゃってどんな風になるかと心配でした。
 まずは水谷川優子さんのチェロの演奏。チェロもすてきだがしゃべりも上品で深い。「小田のおじさま」も「音楽の娘」のステージにちょっと照れながら満足そうに聞き入っている。亡き奥様の大好きなアベマリアに私は司会者の立場も忘れ胸が詰まってしまった。思えば小田先生にチェロはぴったりで、「音楽の娘」との出会いも天の配するところなのである。
 古稀の祝いを区切りに刊行された「大和・寺山の冬丘にて」上下を読んでいただければ法曹界の戦後デモクラシーの系譜がきらめく人材との関わりのなかで浮かび出てくる。小田先生の口癖は「この方は…さん。…ですばらしい方なの。仲良くしてね」。こんな風な出会いをした人は小田先生のまわりに多い。何よりも小田先生が人を語るときのうれしそうな口振りは聞いているほうも心洗われる。「魅力的な人でしょう」これも小田先生の口癖である。小田先生にこう言われてみたいと誰でも思う。
 チェロの演奏もひととおりのスピーチも終わり、さあ、お話の時間。小田先生は主賓なのに各テーブルをまわりながら「よくいらしてくださったわね。」とホスト役を始める。各テーブルは久しぶりの同窓会のように和やかで良質の会話が弾む。小田先生の席は末席。本当は前にするんだった。祝う会はどこかにいってしまっていた。それでも小田先生は楽しそうに気を遣う。「ほどほどになさってください」といっても「私の生き甲斐だから」といって聞かない。そうなんだ。と納得。
 権力や権威が心底嫌いなリベラリストの小田先生。個人の自由と独立にどこまでもこだわり、人間の尊厳を犯すものを許さない。そして人間を善なるものとしてどこまでも信じる。この小田風の生き方は古稀を迎えて一層強まったように思う。「もういつ死んでもいいの。本もまとめたし」小田先生は昨年心臓の大きな手術をして九死に一生を得た。愛する奥様を送って一人になったこともその思いを強くしているのだろうか。そんなことは許されないんです。
 小田先生は本の最後に「この人しか絶対に書けないといったきわだった個性的な作品に出会うことは、私の若いときからの歓びのひとつであり、私の文学修業の目標でもある。もし許されるならばいつの日か反戦平和にからむ同時代の作品を集めて編集し、刊行してみたいとの想いは、私の見果てぬ夢の一つである。」と記す。小田文庫の刊行、小田農園の維持、喜寿、米寿と小田風サロンも復活してもらわなければならない。そして同世代だけでなく次世代の我々とも「仲良くしてね」。植物と同じように人間も育てていただきたいのである。
 「ありがとう」一人一人をいつまでもいつまでもお送りする小田先生でした。


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