2005年9月

中秋月餅はモダン

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2005年の中秋の名月は9月18日、満月が空に浮かんだ。「中秋の名月、満月に飛行機はお邪魔かな」の見出しで朝日新聞に写真が載った。18日の午後6時10分羽田に着陸体制をとる旅客機が大きな黄色い月をバックに写し込まれている。お見事。

 今日は月齢23.3、月入が14時32分だというから帰りに夜空を見つめても月は見えない。四谷の月はかっこいい。満月は東の空に上がりずんずん上がっていく。四谷見附の交差点から麹町方向、見附の橋の上空イグナチィオ教会左、新宿通りで切り取られた空間に出る。右手に遠くには東京タワーが見える。迎賓館、赤坂御用地の夜の緑が広がる。交差点で立ち止まりちょっとシュールな風景に見とれることがある。

 そして四谷自慢の中秋月餅、これが私のとっておきのお菓子である。台湾では毎年おびただしい数の月餅が中秋の名月に飛び交うという。絶対に負けない美味しさである。たったの160円。包みはセロハン、中秋月餅とわかりやすい文字。下に小さく「泰祥」の文字。中華菓子泰祥製菓の看板娘である。

 皮は何層にもなったパイ皮でなかみは白あん風、食べたら驚く美味しさである。コーヒーにも紅茶にもぴったし。ぱらぱらと散る皮に要注意である。セロハンの上に落とし込みそれを嘗めてしまおう。

 お店は一昔前の工場。新道通りの一本向こうの通り。駅からすぐのところである。お店の奥に、セメントのたたきがつながっている。奧から香ばしい焼きの匂いがする。贈答用には赤い箱が用意されている。店全体が昭和30年代の匂いがするのにお菓子はモダン。地上げにも負けずにビルの谷間に陣取っている。

 25年間でここの月餅をいくつ食べたのだろう。ソーぺーという大判クッキーもある。もちろん中華菓子。

 事務所のスタッフに口上付きで配る。みんな口がおごっている奴らなのだがこれにはひれ伏して、「美味しい」。一人は月餅嫌いでこっそり自宅に持ち帰った。不味かったら私に内緒で始末しようと企てたのである。彼女はセロハンに散った皮を拾ったという。

 馬鹿者め。25年かけた私の食べ物探求の実力を甘く見ましたね。

 中秋でなくとも食べたい。毎日だっていいのである。

ご近所物語ー2ー田門浩弁護士と土橋さん

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田門浩弁護士は聴力障害を持っている。生まれつき耳が聞こえない。中途失聴ではない日本で初めての弁護士である。私の里、都民総合法律事務所で8年間一緒に仕事をしてきた。彼も私も弁護士になってすぐに都民総合に入ったので2人とも純粋培養である。

 いつも一緒の土橋さん。とびきり有能な手話通訳者である。田門さんの早口で専門用語が砕け散るような毎日の会話に、彼女は負けじ劣らず早口の手話で対抗する。証人尋問から打ち合わせ、事務所会議何でもござれである。

 田門さんが優秀なのはいうまでもない。アメリカの大学に留学して米語の手話もできちゃう。土橋さんは大学の法学部の通信教育を受け専門知識も学び、消費生活相談員やアドバィザーの資格まで取っている。ファイナンシャルプランナーの勉強もしている。簿記なんかもわかるらしい。

 私は法律問題でも何でもわからないことはいつもこの二人に聞いて仕事をしてきた。お助け知恵袋である。性格もすぐれているのでバカな私のお尋ね事に嫌な顔せずに付き合ってくれる。

 時々田門さんが耳が聞こえないことを忘れてしゃべりかけたりしてた。彼を見ていると聴力障害というのは人間のひとつの特徴のように思われてくる。人はいろいろ違いがあるってこと。何しろ聞こえないんだから「サラ金に怒鳴られ無くていいよね」

 もとが努力家勉強家の2人なのである。一緒の事件で帰りがけに地下鉄を待っているところでパチリ。3人でやった事件も多くいつも3人リュックをしょって裁判所をうろうろしています。

 田門さんのリュックは異様に重く、筋力増強のために負荷をかけているにちがいない。それを揶揄すると「うふふ」と笑う。

  青いカーネーションライ、ラックブルー、プリンセスブルー、ベルベットブルー。バイオで出来た幻想的な花である。作っているのはサントリー。商品名はムーンダストだって。

コーヒーの秘密

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 日民協に行くと美味しいコーヒーが饗される。ランセルのカップに注がれたコーヒーはいつも美味しい。林敦子コーヒー店の秘密は奥深い。豆はオフィス用品を席巻しているアスクル。例の翌日配達のカタログ販売である。どこのオフィスでも手にはいる。申し込めばいいだけ。それを普通のコーヒーメーカーで抽出する。林さんや織田さんが特に愛情を注ぐわけではない。

 水、水なのよ。日本ではあまり見かけなかったガラスの大瓶に入っていて下の単純なセンをぎゅっと開けるとごぼっと水が出てくる無骨なあれである。水道水を飲料水にできない国に行くとオフィスの廊下にあったりする。ガラスの中の水が透けてきれい。

 日民協にあるのはその現代版。冷たい水とお湯が出てくるすぐれもの。モンゴル大使館で見かけたよとの情報。注水口は単純なセンで工夫がない。ちゃっちい作りなので私が壊してしまったくらいである。上の容器は残念ながらガラスでは無い。透明な樹脂である。注ぐとごぼっと音がするところはそのまま。

 この水がすこぶる美味い。執行部会議の最中に美味しいせんべいをかじりながら水場に失礼して、空らになったコーヒーカップに何倍もいただいた。ひんしゅくを買っても平気。

東京の水道水はここ数年とても美味しくなった。新宿の水も飲めなくない。でも違うの。事務所でもこれが欲しくているのだが大きさが。「また先生なんですか」と面倒を持ち込む私に非難の目が向けられるにちがいない。つい先日は25年付き合った置き薬屋さんを勝手に手配してしまったばかりである。欲しいな欲しいな。日民協いいな。

 コーヒーばかりでなく饗されるお菓子もなかなかなのは林店主のセンスである。

 執行部に新しい顔、加藤司法書士と全司法の石橋さん。そして海部事務局長。新しい風とコーヒーの香りが会議室に流れる。皆様もおいで下さいませ。

招き猫

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 もう何年前からになるか忘れたが小さな招き猫が2匹机の前に居る。2センチ3センチの小さな猫でしろと黒、後ろに磁石が着いているので金属にくっつく。ご覧のとおりドラえもん風で何を招いているのかわからない。

 人を招く姿なんだって。「顧客・財宝を招くというので、縁起物として商家などで飾る」広辞苑に書いてある。財宝はいらないけど顧客は招いて欲しいものである。とぼけた顔をしているので顧客ではなく「お友達」ってところである。

 我が母「恵美さん」は神社でお賽銭を上げて祈願するとき「商売繁盛」といつも唱える。自分は年金生活者の82才、同居の娘(私の妹)は教師なので、いくら願っても商売は繁盛しない。私の弁護士稼業のことを願っているんだという。「むつみお客さんはいるのか」とうるさいので「おばあちゃんと同じで人気あるから」と答えておく。誉めて煙に巻くのである。

 今日はうれしい来客。「60才になったら先生のところに必ずお礼に来ようと心に決めていました。」遠く離れた町から電車に乗って東京に出てきてくれた。付き添いの妹さんと2人で。23年前に整理した債務整理事件の依頼者の奥さんである。サラ金事件の走りで自己破産などなく、全部任意整理をしていた。何年もかかって分割で支払った。依頼者は東京の下町で法人タクシーの運転手をしていた。

 定年まで勤め今は嘱託で別の会社に時々来ているという。実家の遠い町で彼女は3人の子どもを育てて義父と義妹を看とったという。本人は東京で羽を伸ばし、妻には甘えっぱなし。病気までする。借金の支払いも全部彼女がやったという。子どもを抱え、当てにならない亭主を抱え、分割金の支払のために自分の実家からお金を借りたという。「何度も別れようと思いました。家出もするんですがなんだか可愛そうになって」3人の子どもは母に似てまじめでしっかりしている。「もうここまで来ましたから」元気に笑う。

 「先生が一番大変だった思います。いつでも先生に助けられたと思っていました」そんなこと無いって。あなたが偉かったのよ。「先生のところに始めてきたとき3組の夫婦が相談者でした。みんな夫がだめで。先生は私たちに夫を殴っていいからといったんです」「私はたたけませんでした」楽しそうに言う。昔から私はそんなこと言っていたんだ。

 私のところに顔を出せない張本人。「来るように言っておいて」といっても彼は来れない。

 私の25年はそんなたくさんの人達に支えられて来た。

四谷ご近所物語ー1ー 〈和田聖仁弁護士〉

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 事務所のある四谷には弁護士事務所も多く、縁もゆかりもある住人がたくさんいる。同業者だけでなく時代を遡ると様々な方々がここにいた。事務所から徒歩5分以内に限っても顔見知りの弁護士は軽く100名を超える。新宿通りから小路を入った住宅地にもぽつりぽつりと同業者が潜んでいるのである。

 表通りの都民総合に25年いたので同業者事情にはちょっと詳しい。都民総合の入っている小さなビルだけでも鳥取県や島根県の全弁護士数を超える数の同業者がひしめいていた。春になるとご近所の事務所と合同でお花見の宴を張ったこともある。場所はもちろん四谷見附の外堀沿いの土手、桜の名所である。 

四谷見附の交差点、丸の内線の乗り口へむかう横断歩道の上は弁護士と出会うポイントである。弁護士密度がやたら高いわけである。

 今日はそこを和田弁護士と渡った。午前10時30分、東京地裁の弁論で一緒だったのである。あの有名な「釧路の歩く憲法」今瞭美弁護士に対する業務妨害、名誉毀損事件。相手は武富士軍団である。弁護団の強者が参集した。和田先生はクレ・サラ・商工ローンヤミ金など消費者事件のエースである。宇都宮健児弁護士二世とも言われている。「ボクなんかだまされてこんな事件をやるようになった」とうれしそうにぼやきながら大きなカバンを持って歩いている。

 ついこないだまで私が毎日出入りしていたスーパー丸栄、そこの4階に事務所を構えている。都民総合のあったビルから3軒目、ご近所そのものであった。

 そこから小路を入ったところにある我が事務所にこれから表敬訪問するという。裏道を通って事務所近くに来ると和田さんの居るビルが見える。急に「近くですね」と一言。

 きっと和田さんはいつも一生懸命歩いていて、四谷見附の大きな交差点の歩道にある植え込みになぜか朝顔が植えられていることや事務所の道すがら生け垣や庭からこぼれるような花々が咲いているのも知らないと思う。

 15年も後輩の和田さん、私も木々や花々に目がいくようになったのはここ5年。しみじみと年ですね。  

紅茶は踊る

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 マリアージュ・フレールは「フランス流紅茶芸術」らしい。新宿のビックカメラは小田急ハルクを席巻しているが、地下までは行っていない。地下の食フロアーにこの店の売り場があった。紅茶の大きな缶が壁にずらっと並びいかにもと思わせる老舗の雰囲気である。ビックカメラで買ったコーヒーミルをかかえてカウンターの中にいる青年に尋ねた。

 「紅茶のことはよくわからないんですが、何種類か飲んでみたいので100グラムずつ選んでください」素直な私。やおら壁からカンを降ろし蓋を開けてくれる。匂いを確かめる。茶葉を観察する。ふーん美味そう。そして選ばれた3種。アールグレイ・フレンチ・ブルー、アッサム・メレン、ダージリン・マーガレッツ・ホープ。つまりはアールグレイとアッサムとダージリンというわけである。カンの表示を見ても、意味も読み方もわからない。フランス語なんだもん。感じよい青年の説明も「豚に真珠」である。

 最初はアールグレイ・フレンチ・ブルーで行く。茶葉の中に青い花びらが入っている。きれいで幻想的。ブルーエという花らしい。ベルガモットの香りはこ惑的。カップ1杯、ポットに1杯。ポットの中で茶葉がまわるまで待つ。登場するミントンテーカップ。いいですね。

 作業台のカウンターにみんなで集まっていただく。大人の紅茶はみんなをひととき幸せにする。「砂糖は入れたらだめね」と言うやつがいる。

 突然アルマイトの紅茶ポットを思い出した。直火、サイホン方式で、蓋のところにガラスのキャップが着いている。水を入れ、サイホン部分に紅茶を入れる。そのままストーブにかける。お湯がポットの中の官を上がってガラスのキャップにのぼる。ごぼっと音がして紅茶にふりかかる。そしてまた下から暖められて上がってくる。ごぼっごぼっと上がってくるお湯が紅茶になってくる。コップに注いで砂糖を入れる。沸騰状態で熱々。子どもの頃私にとって紅茶はこ洒落たかたちの直火ポットで入れるものであった。

 アッサムとかダージリンとか知ったのはずーっと後。紅茶は日東とかリプトンとかメーカー名で区別されていた。オレンジペコと言う高級な紅茶があると思っていた。

 1個のテーバックから何杯も紅茶を取った学生時代から今日まで長い日々紅茶と付き合って来た。

お茶するとき

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 大学生になって東京に出てくるまで私はコーヒーというものはどんな風にして抽出されるものか知らなかった。インスタントコーヒーしか知らなかったのである。それもネスカフェの焦げっぽいやつである。インスタントラーメンをあがめ、インスタントジュースにはまり、添加物に鍛えまくられた我が舌である。コーヒーを入れるなんて洒落た空気はまわり見渡してもどこにもなかった。

 まずは「サテン」に入ってコーヒーを飲んだとき砂糖を入れてミルクを入れてスプーンでぐりぐりかき回した。飲んだときコーヒー牛乳の方がずっと美味いのにと思った。フルーツ牛乳もあったな。

 しばらくしてブラックという飲み方がかっこいいと思い、とにかく砂糖を忌み嫌ってみせた。太らないしね。ブラックで飲むコーヒーははっきりと自分を示し香りや味のバランスがわかる。少し成長したわけである。豆を挽いてもらってドリップで入れるようになった。紙のフィルターに盛り上がる豆の様子と匂い立つ馥郁たる香りでひとときの幸せを感じるようになった。

 友人から挽肉挽きのようなスポングのミルを贈られて25年間、我が家のミルはいまだに健在で豆を挽きつづけている。粗忽者の私が挽いた豆をとる皿をミルの下にあったゴミ箱に落っことし無くしてから紙で手作りした皿が代用品として使われている。何とこの皿、実は蓋にもなる優れもの。これを手に入れようとしたが、スポング社のミルは輸入されなくなった。代用品にも愛着が湧き、購入にあまりこだわらなくなった。

 ごりごりとうるさく豆を挽いてコーヒーを何回入れただろうか。マンデリンに凝ったり、焙煎にこだわったり25年間コーヒーを飲み続けた。今は程々の関係である。古女房と言うところか。

今日新宿のビックカメラからついに電動ミルを買ってきた。事務所ではとても手動で豆を挽くわけにはいかない。ハワイアンコナを挽いて初飲みとなった。豆の挽きの調整も簡単。しゅんしゅんとなるお湯をフィルターにそそぐ時までにすっかりコーヒーの香りが立ち上りうきうきである。のどごしの良いすっきりしたコーヒーになった。

 300円のポットと20000円のミル、3000円のやかん。もちろんカップはミントンである。それぞれの役割をちゃんと果たす。

 明日はマリアージュフレールの紅茶3点。150年の歴史を乞うご期待。ワインと同じようにそれぞれの紅茶にたっぷりと言葉のシャワーがかぶせられている。フランス風。お値段も結構です。飲ませていただきましょう。