2005年10月

財布の真実

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 我母恵美さんはいつもこう言っていた。「家計簿はいくらつけても収入が増えるわけじゃない」だから我が家は全部どんぶり勘定である。何かを目的にお金も貯めない。あれば使い、無ければじっと我慢の子である。借金もしない。いつもニコニコ現金決済。「出ていくものは出ていくのよ」と言う恵美さんのいい加減さは3人の娘にしっかり遺伝し、我が娘に至っては目先のお金の出入りしか理解できていない。計画というものが欠落してるわけである。

 家はそれでいいとしても事務所となるとそうも行かない。前の事務所ではこの私が財政担当。良くやれたものである。法律事務所の経営などというものは所詮どんぶりってことである。独立してますますどんぶり勘定癖が高じて会計ソフトの名前も覚えられない。税理士の奥津先生に「ちゃんとわからないとだめです」と叱られていいるのである。事務所の節子さんは「お金の達人」でお金の動きを見ていると面白いんだって。幼稚園から高校まで一緒だったけどどこで違ったのか。家庭教育かな。

10月26日、国の財布の話しなどわかる訳がない。と暗い気持ちで日民協税金シンポジゥムに参加した。司会はあの奥津先生である。「平和の危機と大増税」の話しである。まずは税理士関本秀治先生のお話。日本の財政がどんなことになっちゃっているのか大枠はわかりました。
 
 まずはものすごい借金漬け。個人だったら即破産手続きですね。年収をはるかに超える借金らしい。2005年度末でGDP比率173.5%。国だって住宅ローンのようなものもあるのでしょうから借金の額だけで破綻とは言えないだろうが、予算規模82兆で国債依存度41%、借金887兆8,450億円。単位が大きくて実感無いが、どんぶり勘定の家計に置き換えれば自転車操業だってことはあきらか。どうも借金は踏み倒す気らしい。ふと「恵美さんは国債をもっているわけない」と安心した。一瞬自分だけ助かろうというバカ国民になった。

 挙げ句の果てに貧乏人からもっと税金を吸い上げようとしている。消費税は15%なんてこと言っている。集めたお金は庶民には還元されないらしい。軍事費にどんどんと使われる。年収300万円の生活なんてことも出来なくなる勢いである。森永さんなんとかしてください。

 北野先生も吠えました。「平和と福祉」国家理念はぼろぼろになる。税財政制度は国の鏡なんです。

 財布の真実は持ち主の真実である。困った困ったと思いながら事務所に戻ってひどくお腹が空いたことに気づいた。ますます腹が立って「食えるときに食おう」と思ったのでした。いつかは姥捨ての私たちなんだから。
 

私の紳士録ー大石進氏、田原俊雄氏

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ある日の午後事務所の玄関先にバラの花束を抱えた紳士が登場した。「先生大石さんとおっしゃる方が花束をお持ちになって」と声がうわずる節子さん。突然の来客と会っていた私はうきうきと大石さんにご挨拶にいく。執務スペースの棚の上にグリーンがかったうすいレモンイエローの大振りのバラが。

 若葉町事務所の開設お知らせに
「日本評論社が1962年に京橋から須賀町に引っ越した当時、私は若葉町の美容院の2階の四畳半でアパート生活を送り、手ぬぐいと石鹸をもって銭湯に通ったのでした。場所柄アパートの隣組は水商売のお姉さんばかりで、窓先に干された洗濯物もなまめかしく、少しばかり社会勉強もいたしました。いずれにせよ、人生のもっとも活力にあふれた年代を25年送った場所で、懐かしく思います。新宿通りの反対側の荒木町は、かつて布施事務所があって、母が育ったところでもあります。近日、散歩がてらに、すてきな新事務所の前を素通りさせていただきます」
とご返事を下さった。

 先日中田ご夫婦の結婚を祝う会に大石さんも参加されていた。ずかずかと歩み寄る私。「素通りなんてひどいんじゃないですか」困る大石氏。「三叉神経の具合が悪くて失礼・・・」この脅しが利いてやさしい紳士の大石さんは早速のご登場となったのである。三叉神経の方は神経ブロックでなんとか改善したのだそうです。良かったですね。
 
 大石さんは今は日評の代表取締役も辞しただの会長職。「毎日会社に出かけて若い人をからかっているんのです」「給料は大卒の初任給にしてもらっています。その程度しか仕事はしませんから」だって。かこいいね。
 
 今年70才、ピンクのボタンダウンのシャツにレモンイエローのバラのニ。コーヒーをご所望の大石さんに無理矢理自慢の紅茶を飲ませた私は焦って茶葉の種類を間違って講釈をたれてしまったのである。恥ずかしい私でした。
 
 「すてきな紳士ですね」節子さんと礼子さん。ちょとは私を見直してくれたかしら

 そして生け贄がもうひと方。ご近所東京中央事務所の田原先生。「とっておきの1枚」のインタビュウの時つい口を滑らして「今度一杯やりましょ」とおっしゃってしまったのである。もちろん大石さんと同じようにあの会にご出席でした。「あの約束は先生」と詰め寄る私。「そうでしたね」

 ご近所で飲みましてあの四谷バーまでお付き合い願った。そして事務所まで。講釈付きの紅茶となったわけである。田原先生は今年79才。ストライブのシャッでダンディである。博識でやさしい。

 「紳士」というのは「品格があって礼儀にあつい人」を言うのだという。15年後、25年後には、食い意地を克服してそういう人になりたいものである。

彼の気持ち

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「スイカの気持ち」8月5日に書いた日記にスイカの送り主からメールが来た。だいたい人の話をいい加減に聞いていると常日頃家人から非難に晒されている私である。ごめんごめん。このメールを読んであの青年がやっぱりすてきなお医者様になっていたとつくづく思いました。本筋は私の書いた通り。
 
 「まず、僕が現在勤めている病院ですが、鹿教湯と書いて”かけゆ“と読みます。18,9年前には僕自身が入院していた病院です。八百年ほど前、傷を負った鹿を猟師が追いかけていったら鹿が温泉にはいって傷をいやしていた、というありがちな伝説のある温泉で、鹿に教えてもらった湯というのでこの名がつきました。現代では温泉の効能を病気療養に活かそうという意味で、このど田舎には不似合いなほどの規模の病院があるのです。
 病気ですが、確かに先生が医科歯科大病院に見舞いに来て下さった時点では「脳にウイルスがはいって、脳の一部に損傷を・・・」というのが疑われていましたが、その後(長野に移ってから)、脳梗塞(脳を養っているたくさんの血管のウチのいくつかが閉塞し、脳の一部が死んでしまう病気)であることがわかりました。普通、若い年齢で発生する脳梗塞というのは明らかな原因があるものなのですが、僕の場合は不明のままでした。
 また、脳の障害による身体の麻痺ということで、脳性麻痺という単語を使われたのだと思いますが、実は脳性麻痺とは児がお腹にいるときから出生直後(4週まで)の間に起きた脳の病変による運動の異常と定義されています(厚生省脳性麻痺研究班、1968←古いですねえ)。脳性麻痺の定義は国により変わりますので、海外のニュースで「かれこれの後遺症で脳性麻痺になった」ということはあると思いますが、日本では脳性麻痺とは呼びません。また、年齢とともに進行する麻痺や一時的な麻痺、単に発達が遅れているだけのものも脳性麻痺には含まれません。つまり、脳性麻痺は出産の時期に起こるもので、胎盤から切り離された後、自ら呼吸を始める間の酸素の欠乏によるもの=運動機能が発達途上にある赤ちゃんに起こったことを指すのです。
 で、いろいろあって、奮闘努力の末に医師になったのはご存じの通りです。卒業当初はリハビリテーション科医を目指したのは事実で、そこから『リハビリテーション科→整形外科』と思われたのかもしれませんが、研修医時代に放射線科(画像診断)のおもしろさを知り、もちろんこの体のことも考慮の上、大きな魅力を感じ、この道に進みました。放射線科というと、末期癌の患者さんに放射線を当てて治療するのを思い浮かべるかもしれませんが、それは放射線治療で、診断と治療とは全く別の分野です。
 あと、富森さんは僕が鹿教湯病院に入院していたときの患者仲間です。僕が東病棟に入院していて、富森さんは西病棟だったのですが、たまたま言語のリハビリの時間が同じだったので知り合ったのです。弁護士さんという以外、何も知らなかったのですが、他の患者さんにはない知性と威厳を漂わせていました。」
 
 とっておきの1枚のインタビューで偶然富森先生と彼の出会いを知りました。人との出会いは不思議なものです。誤解は水に流して開所祝いに美味しいものをと奥さんとあれこれ考えてくれているんだって。うふふ、ケガの功名かしら。

 近所の定食やで見つけた招き猫。私の猫より大きくて両手まであげている。目は幸せで細くなっている。御利益ありそう。今年はサンマが大量でサンマを食べまくっています。赤い花は「朝鮮あさがお」と言うのだそうです。小さな赤い花が咲いています。

直ちゃんの伴侶

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 「直ちゃん。良かったね」と言われているのはあの中田直人先生である。今年2月にご結婚。同期の小田先生の音頭で東京で「中田ご夫婦のご結婚を祝う会」が遅ればせながら開かれた。場所は松本楼。親しい人が集まって中高年の同級会のような雰囲気であった。中田先生は74才。7年前に「あなたもうおいとまよ。眠くなった。お休みなさい」と言って逝ってしまった愛妻美枝子さんも「あなたよかったわね」と喜んでいるにちがいない。

 伴侶孝子さんは結婚後、茨城県知事選で大健闘して40万4323票を獲得したすてきな女性である。茨城県新婦人の事務局長。もともとは看護士の職業人である。中田先生よりすらりと背の高い知的で落ち着いた方で浮ついたところのないクールビューティー。2人でいると結婚30年を祝う会に友人達が集まった雰囲気である。

 中田先生が候補で頑張った時の2倍以上の票を取っている伴侶の実力に中田先生は驚いたと思う。中田先生はしばらく前までご自分が癌であることを「何ともないな」と公言していた。ところが今年になって転移が発見されこれを知った孝子さんが結婚を買って出たのだという。もと看護士なんだから安心である。知事戦にも落選したんだから中田先生良かったじゃない。ほんとに神は良き伴侶を配されたと思う。

 来期の日民協理事長である。ご病気のこともあり場内からは「反対」の声も上がっていた。でもご心配無く。孝子さんにそっと聞いちゃったもんね。「本人はやる気ですから」ほんとに賢夫人である。男性諸君わかっているんだか。日民協女のネットワークの威力を。

 さて会にはチェロの水谷川優子さんとそのパートナーのバイオリンの二重奏がお祝いとして演奏された。「バッハは止めてね。ボクのわかる曲ね」とうるさい小田先生。みんなでしみじみ聞きました。日比谷野音から大音響でラップの音楽がじゃまをする。負けるな生弦。良質の音楽が演奏家の感性とともに心に響きました。

 昔何年もバイオリンをやって無惨な結果に終わった私としてはすばらしい弦を聞くたびに尊敬しちゃう。この人達は神から選ばれたんだ。いいな、いいな。人を感動させることが出来るなんて。

 仕方がないのであまりに多種用意された食事が今後どうなるのか心配になって、司会をしながら松本楼自慢のカレーを3杯も食べてしまった。中高年なんだから食べ物はいらないの。いくら戦争中の飢えを経験してももう60年経っているんだから。みんな病気持ちなのよ。あーもったいない。

今日もおしゃれな林さん。中田先生からいただいた花かごを日民協に運ぶためにタクシーを拾っているところである。拾えなくて地下鉄で帰りました。後ろに東京タワーが見えます。領収書作りから花の運搬まで裏方は頑張っているのです。林さんありがとう。ぱちぱちと拍手。

ラーメン偏執記

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 ひとつのものを食べ出すと偏執的になる。何度も何日も食べ続けたりする。しばらく間が空いてまたそればかりに目がいく。何年かして私の定番になる。お店もそうである。足繁く通ってぱったと行かなくなったりして、やっと私の店になる。

 ラーメンは昔「しなそば」といっていた。大ご馳走で「しなそばを食べに行く」というのは大変な出来事だった。だいたい外食などしたこともなく、鮨も父の宴会のおもたせ折しか食べたことがなかった。寝ていると姉妹全員起こされてぼーっとしたまま、ちゃぶ台に並んで座り、折ひとつをありがたくいただくのである。私は当時からいかが大好物で、これを狙っていた。からからに乾いたすし飯にもめげずに美味いよりひたすらありがたいの世界だった。

しなそばは町のそば屋さんでいただく。醤油味で鶏ガラスープ。めんは細め、くるくるとふざけたような「なると巻き」とメンマ、海苔にネギ。ネギはうすい輪切りにしてあってちょっとがさがさした。めんも具も食べてつゆもありがたく全部飲む。しなそばの容器は決まった模様でそこには中国風の鳳凰みたいな鳥がいて、縁には「なると」の四角い渦巻き模様がぐるりと描かれていた。色は赤。

 しばらくすると呼び名は中華そばになった。部活の帰りに中華そばを一杯頼んでごはんをつける。それを2人で食べた。スープをおかずにごはんを食べるのである。そして心の友インスタントラーメンはこの系列とは別の次元で君臨していた。

 そして今夢中なのが博多天神新宿二丁目店。日民協から三分、新宿通に面してある屋台風の店である。豚骨スープにキクラゲ。ネギは博多ネギ、メンマ、海苔と味付けたまご半分がのっている。店の入り口に大きな圧力がま。スープは豚骨の臭みも無くクリーミーで私にはすこぶる美味しい。めんは極細めん。スープにからんで美味い。

 机の上には紅ショウガを始め薬味と調味料がずらり。全部を少しずつが美味しいとある。これで500円。まずは何も入れずにスープの幸せに浸る。

 次に替え玉。無料。「替え玉」というとあっという間に皿に盛られて登場する。これをスープに入れてさー好き放題にアレンジしまくる。大変身するラーメンをどんどんと食べる。スープを飲みきり体中が滋養で満たされる気がする。

 昼のシフトのホール料金係のお姉さんは白長靴姿で「ラーメン」と引きずるように言う。「ありがとうございました」も「たー」が異様に長い。バスの車掌さんが持つようなカバンにお金をバラで入れている。

 事務所が近かったら毎日でも食べたい。今でもすぐに食べに行きたい。落ち着いた関係になるまでしばらくかかりそうである。 

お里が知れる

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 「石垣島ラー油」は香ばしく美味い。辛さも程良くこれを加えた薬味で豆腐を食べると至福の喜びとなる。薬味はキュウリ・ネギ・ザーサイのみじん切に大葉も入れて、豆腐が隠れるくらいに大量に用意し、豆腐を薬味だらけとしなければならない。ザーサイは桃屋の瓶詰め、塩味が足りないので醤油を入れる。そしてこの「石垣島ラー油」のお出ましである。豆腐は沖縄産が充実感があって良いが、近所のスーパーの木綿大安売りでも平気である。食べ始めると白いごはんが欲しくなる。この薬味でごはんを食べると喜びがますが、デブの反省に陥ることになる。
 どうして石垣島のラー油なんだろう。ラー油の調合はどこだって出来るのに。原材料が石垣産なのだろうか。謎が深まる。沖縄には有名な「島唐辛子」がある。泡盛に唐辛子が入っているからお里ははっきりしている。
 お里はっきりの丸子紅茶「紅富貴」。四谷二丁目の日本茶カフェショップ「グリーンバード」で見つけました。静岡市丸子産。飲むと濃厚な味がする。それまでマリアージュフレールの紅茶を飲んでいたからか日本の味と匂いがする。事務所の節ちゃんは醤油の味がするといっている。滋味が豊で色も濃い。「紅富貴」いいんじゃない。日本茶と並んで売られている。まあ元を正せば紅茶も日本茶も同じ茶葉なんだし。土と空気と水は丸子のもの、そして加工は丸子。紅茶の紅色から立ち上る香りに風土が見えるのかも知れない。
 到来物の新高梨。川向こうの東京、多摩川河岸東京都稲城市産である。「東京特産」と銘打ってある。東京生まれの梨の王様。片手にあまるほど大玉で、しゃきっとして甘い。歯触りのざくざく感がその大きさとあいまって美味しい。毎年依頼者の方が忘れずに送ってくださる。もう何年もいただいている。うれしい秋である。「もぎたてが美味しいんだから、みんな持ち帰ってすぐに食べなさいね」「冷やすのよ」相変わらずうるさい私の梨奉行ぶり。
 何でこんなに食い意地が張ってしまったのか。お里かな。