ひろば 2018年2・3月

 大国間の核兵器応酬の悪夢


 トランプ米国大統領は、1時間のうちに3回、「米国は核兵器を保有しているのに、なぜ使用できないのか」と外交専門家に質問したという(毎日新聞1月30日付夕刊)。理解力が欠落しているか、使用することに躊躇がないかどちらかであろう。いずれにしても物騒な話である。その彼は「力による平和を維持する」ために、「最強の軍隊を堅持する」としている(「国家安全保障戦略」)。そして、核弾頭の運搬手段(大陸間弾道弾、戦略原子力潜水艦、戦略爆撃機)を強化し、小型核兵器と核巡航ミサイルを導入し、非核攻撃に対しても核兵器で対抗しようとしている(「核態勢見直し」・NPR)。この核態勢の見直しは「ロシアや中国に加えて、北朝鮮やイランの核保有の野心や、核を使ったテロは継続的な脅威だ」としており、ロシアや中国は引き続き「戦略上の競争相手」(「国家防衛戦略」)なのである。
 他方、ロシアのプーチン大統領は、複数のミサイルが米国を攻撃する動画をバックに、「探知されにくい低空域の巡航ミサイル(新型ミサイル)は、ほぼ無制限の射程距離に核弾頭を運ぶ。あらゆるミサイル防衛システムに対して『無敵』だ」と演説している(一般教書演説)。
 世界の核兵器15000発の内、5000発はロシアが4700発は米国が保有しているとされる。その核超大国双方が、核兵器の近代化を競っているのである。「核兵器のない世界」への逆行であるだけではなく、新たな「相互確証破壊」(MAD)への道が再開されたかのようである。
 北朝鮮の核やミサイルも問題であるが、その核弾頭の数(15ないし20)や運搬手段などを見れば、米ロなどとは比較にならないことは明らかである。「核兵器のない世界」を展望するとき、北朝鮮の核だけに目を奪われていては、その本質を見失うことになるのである。核兵器の近代化を図る米国やそれを「高く評価する」日本が、北朝鮮に対して核兵器を放棄しろと迫るのは、没論理的な強者の圧力でしかない。
北朝鮮は、ビン・ラーディンやサダム・フセインが、米国によって亡き者にされたのは、核兵器がなかったからだと考えている。元々、北朝鮮はNPTに加盟していたのだから、核兵器を保有しないという意思を国際的に示していたのである。その意思を転換したのは、米国に睨まれれば、体制転覆をされてしまうという恐怖からである。米国のアフガンやイラクに対する軍事行動からの帰結である。そして、その恐怖心は、米韓合同演習によって、塗り固められてきたのである。私は、北朝鮮に肩入れするつもりはないけれど、米国の軍事行動は非難されるべきだと考えている。米軍の圧倒的戦力のもとで、多くの民衆が殺戮される光景を見たくないし、米国は国際法の到達点を無視していると考えるからである。米国の「力による平和」という欺瞞を看過することはできない。
ところで、北朝鮮との対立を煽る安倍首相だけではなく、南北朝鮮の融和を快く思わない連中がいる。全核兵器の廃絶を語るのではなく、「北の独裁者」の核だけを問題視するという発想である。彼らは「民衆の困窮」とか「世襲」などを理由として「北の独裁者」を非難するけれど、武力衝突の危険性には目を向けないのである。戦争や経済制裁で最も困窮に陥るのは社会的弱者である。日本国の象徴も世襲である。彼らにはそんなことも、「北の独裁者」の存在が「安倍一極支配」の一助になっていることも念頭にないのである。北朝鮮を責めるだけで、日米政府の行動に異議を述べないことは、不公正である。
北朝鮮の核兵器使用は、自らの崩壊との引き換えである。トランプやプーチンの核兵器使用は、人類社会の崩壊との引き換えである。私は、「北の独裁者」に目を奪われて、本当の危険を見失うようなことはしたくない。「武力による平和」の実現が、核軍拡競争を誘引し、人類社会を滅亡へと導くことを阻止しなければならない。

(弁護士 大久保賢一)


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