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◆特集にあたって
二〇一七年一一月二三日、東京・永田町の全国町村会館で、「憲法施行70年・司法はどうあるべきか──戦前、戦後、そしていま」をテーマに司法制度研究集会が開催された。本号はこの集会の特集である。
内田博文氏(九州大学名誉教授・刑事法)の基調講演は、治安維持法を「育てた」旧憲法下の司法の責任が、人事の面でも、法制度の面でも、新憲法施行後も反省・総括がされないまま現在に至っている実情を詳しく論じる。検面調書の証拠能力等は戦時刑事法として初めて導入されたものであること等、これまであまり論じられてこなかった論点もあり興味深い。司法を国民の手に取り戻す手がかりとして、国内人権機関の設置や司法の検証システムを設けることを提案する。
岡田正則氏(早稲田大学教授・行政法)は、戦前、司法省の下部機関として行政権に追随していた裁判所の体質が特に行政訴訟において現在も残っており、裁判所の行政訴訟の能力を高める組織改革や弁護士費用の公費負担制度の充実が必要と訴える。
北澤貞男氏(元裁判官・弁護士)は、激しい攻撃により青法協裁判官部会が消滅させられた歴史を述べ、司法官僚制を克服するためには韓国のように法曹一元制の導入が必要ではないかと提起する。
会場での質疑応答・討論では、アメリカの対日政策が日本の司法政策に強い影響を与えてきたのではないかとの視点が複数の参加者から述べられたことが特に印象的である。
新屋達之氏(福岡大学教授・刑事法・日民協司法制度委員会委員長)は、集会のまとめとして、ドイツでもナチス司法の反省が本格化するには時間がかかったが、ドイツと日本の文岐点は、自然法思想の有無と、日本の近代司法が統治のツールとされてきた歴史にあるとし、これを変えるのは憲法を活かす実践の積み重ねであろうと述べる。
なお、この集会に参加された本田稔氏(立命館大学教授・刑法・ドイツ刑法史)が、ナチ時代を克服するドイツ司法についての特別寄稿を寄せて下さった。
日本国憲法施行70周年の今年、共謀罪の強行採決や首相の九条改憲提案等「戦前回帰」の動きが急である。
本特集の論稿が、日本国憲法下の司法に「戦争への道」への歯止めをかける役割を果たさせるための、国民的議論の素材として活用されれば幸いである。
国連本部で開催された核兵器禁止条約の交渉会議で、日本政府は会議初日に高見沢将林軍縮大使を出席させ、今後会議には参加しない方針を表明した。
これに対して英文のメッセージが書かれた大きな「おりずる」が、日本政府代表の空席に置かれたことは広く知られている。「おりずる」は平和のシンボルであり、また同時にヒバクシャ運動のシンボルでもあるが、その原点は2歳の時に被爆し、12歳で白血病で亡くなった佐々木貞子さんである。貞子さんが亡くなった時父親は「広島、長崎の21万人の死者ではまだ足りないとでもいうように」と、幼い我が子の遅れてきた死を嘆いている。
「おりずる」の右の羽には「# wish you were here」、左の羽には「# nuclearban」と書かれているが、そこには唯一の戦争被爆国でありながら交渉会議をボイコットした日本政府に対する落胆と批判のメッセイージが込められていた(3月29日付けの朝日新聞)。なぜなら日本は、核兵器の攻撃により大きな被害を受けた唯一の国として、その発言や行動が世界的に大きな重みもっているからである。
核兵器禁止条約は7月7日に国連加盟国の約3分の2の賛成で採択されたが、条約が核兵器の使用や核抑止の根幹とされる「使用するとの威嚇」ばかりでなく、開発、実験、生産、製造、取得、保有、貯蔵、移譲などを幅広く禁止していることは良く知られている。
しかし条約が採択されて間もない8月6日、被爆地・広島を訪れた安倍総理大臣は、記者会見の冒頭で「条約には署名もしないし批准もしない」と明言した。これを聞いた被爆者は8月9日長崎で、安倍総理大臣に要望書を手渡す際に、「日本は本来なら核兵器禁止条約や核兵器廃絶運動の中心にいなくてはならない。総理、あなたはどこの国の総理ですか。私たちを見捨てるのですか」(9月10日長崎新聞)と怒りをぶつけている。
この被爆者の思いが日本政府の真意を見事に見抜いていたことは、その後日本が今年の国連総会第1委員会(軍縮・安全保障)に提出した「核廃絶決議」の内容を見ると良くわかる。この決議は日本により24年間にわたって毎年国連に提出れているが、今年は一転して批判にさらされ、共同提案国が108ヶ国から77ヶ国に減少し、賛成国は23ヶ国も減少、棄権した国もこれまでで最大の27ヶ国にのぼっている。それは決議が核兵器禁止条約に一切触れていないばかりでなく、これまでの条約にあった「核兵器のあらゆる使用による人道的結末についての深い懸念」という文言から、「あらゆる」という文言が削られたからである。「あらゆる」という言葉がないということは、「核兵器の非人道的でない使い方もありうる」ことを肯定することになり、オーストリアの代表は「重要な段落が大きく変わったので棄権しなくてはならない」と発言し(10月28日付け朝日新聞)、上田富久長崎市長は「まるで核保有国が出した決議のような印象」と述べ(11月10日付け沖縄タイムス)、さらにノーベル平和章を受賞した(ICAN)の国際運営委員の川崎哲さんは「今年の決議は消極的どころか、完全に核保有国側にシフトしてい」と述べている。さらに広島と長崎の被爆者は「核廃絶は口先だけなのか」と失望と落胆を露わにした。
このように「核兵器国と非核兵器国との橋渡し役を担う」とする日本政府の公式的見解は完全に破綻し、日本政府の態度は、核兵器国と非核兵器国の分断をより一層深め結果となっている。
平岡敬広島市長は1995年11月、国際司法裁判所(ICJ)で「私たちは、核兵器の問題を現在の国際政治の力関係のなかで考えるのではなく、核兵器は人類に未来にとってどのような意味を持つのかという視点から考察すべきである」と発言したが、その言葉は禁止条約の前文の冒頭にある「核兵器のいかなる使用もそれがもたらす壊滅的な人道上の帰結に深く憂慮し、その結果として核兵器が完全に廃絶されることが必要であり、このことがいかなる場合にも核兵器が決してふたたび使用さないことを保証する唯一の方法であり続ける」という文言につながる。ここで述べられている、核兵器の非人道性に基礎を置いた「核兵器は人類と共存し得ない、絶対悪である」という哲学的な考え方を、私は信じたい。
(みやはら てつろう)
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