ひろば 2017年2・3月

 「放射能汚染公害訴訟」に思うこと─原発事故から6年経て新局面へ


 去る3月17日国と東電を被告とする「放射能汚染公害訴訟」で最初の判決が、前橋地裁で言渡された。翌日の各新聞が一面トップで「原発事故国・東電に過失」(東京他各社)等と報道した。現在、全国20地裁約30件の集団訴訟で最初の判決であっただけに、全国の原告団(18地裁約1万2千人)はもとより、全国の各弁護団・研究者や支援者たちも、「我が事」をかたずを飲んで見守った判決だった。それだけに、国の規制権限不行使を厳しく断罪し、賠償責任を2次的・補完的とする国の立場を排斥し、東電と同じく全部責任を厳しく認定している点は、今後の同種判決の優れた先例となる。
 原告らの権利救済の点で課題を残したが、この判決報道は、朝日・毎日等が社説で取り上げたこともあり、本件訴訟が一気に世論の注目を集めたことの意義は大きい。これらの訴訟は、言うまでもなくわが国の歴史上最大・最悪と指摘される福島原発事故がもたらした「放射能汚染公害事件」で、国策民営として原発政策を推進して来た国と東電の法的責任を問うとともに、被害者の権利救済の司法判断を得て、原賠法の下で原賠審によって定立された損害賠償基準を質的に克服する司法判断基準を獲得することに大きな意義がある。
 この6年、国と東電は、本来であれば、真摯に取り組むべき「原発事故原因」と「放射能汚染公害」を防止し得なかった責任の徹底的究明を放棄し、被害の実相の調査・解明も怠っている。損害賠償については、「原賠法の枠組み」で加害者である国が決定した各種の線引きによって被疑者を幾重にも差別・分断する賠償基準を定立し、その受諾を強制して来た。他方で、被害者たちの要求と主体的参加をいずれも拒否して推進されつつある国主導の復興計画は、放射能汚染公害被害者たちからかけがえのない「ふるさと」を奪い、あるいは「ふるさと」を変質・変容させつつある。この状況下で被害者たちが手にした国と東電の法的責任を断罪する判決は、これまで巨大な権力に対して素手で闘って来た被害者たちが、自らの切実な諸要求を権利闘争として闘う強力な武器を手にしたことを意味するものであり、今後の完全賠償と原状回復を求める諸々の要求実現に向けて新たな局面を切り開いたものと言えよう。
 もちろん、1件の勝利判決だけで被害者の置かれた困難な状況が変わるとは言えない。今後、来る9月22日千葉地裁で予定される判決、さらには3月21日福島地裁で結審する「生業訴訟」の判決をはじめとして今年から来年にかけて連弾で迎える「放射能汚染公害訴訟」の判決で、国・東電の法的責任が不動のものになれば、自らの法的責任否定して進めてきた国の諸政策変更は必至になる。また、今後の司法判断で賠償基準が確立されるならば、必ずや全ての被害者の権利救済に道が開けてくるに違いない。さらには、放射能汚染公害で失ったふるさとを取り戻すという本命の闘いにも、決定的な力を与えることになる。これらのことは、これまでの「公害・薬害訴訟」や「じん肺・アスベスト訴訟」など多くの政策形成訴訟の闘いの経験が示している。
 なお、去る3月8日、「原発と人権ネットワーク」が記者会見し、「国・東電の責任を明らかにし、住民に寄り添った施策」という緊急提言を発表している。この間、日民協をはじめとする同ネットワーク参加団体が各原告団・弁護団や関係者らと協議してまとめた、現在推進されている政策の抜本的転換を求める問題提起である。この緊急提言を含め、6年目を迎えた原発被害の実態と救済について、「法と民主主義」5月号に特集企画が予定されている。大いに期待したい。

(弁護士 小野寺利孝)


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