日民協事務局通信KAZE 2013年7月

 「司法崩壊の危機」を憂える


 「司法崩壊の危機──弁護士と法曹養成のゆくえ」と題する著書を鈴木秀幸弁護士ほか五名の著者から贈呈された。同書は法曹養成制度検討会の「中間とりまとめ」に焦点を合わせ、これを全面的に批判し、法科大学院を中核とした法曹養成制度と法曹人口の増加路線は弁護士を変質させ、司法全体を崩壊させる危険性があると警告するものである。今次の「司法改革」は失敗であったとの観点に立っている。
 指摘されている事柄はまことにそのとおりと思わざるを得ない。

 「二割司法」というキャンペーンに良心的な法曹もうまく乗せられてしまった。我が国の司法が弱小で、法の支配が十分に行き渡っていなかった現実から、司法を大きくした方がいいと思った。そのためには弁護士が増え、弁護士の力によつて法曹一元を実現させるのが望ましいと考えた。
 しかし、法科大学院を中核とする法曹養成制度による弁護士の過度の増員は、弁護士の世界にも競争原理を持ち込み、弁護士の仕事を「商売」に堕とし、国民の人権擁護と社会正義の実現に奉仕するという使命を骨抜きにしてしまう危険性がある。これは弁護士に限ってのことではなく、法曹全体にいえることである。弁護士も裁判官も検察官も、仕事を「飯の種」と考え、収入と地位の向上・安定を第一義とするようになっては、社会正義は背後に押しやられてしまう。
 ビジネスマン化した法曹がいくら増えても国民の利益にはならない。弁護士が国民に信頼され、弁護士の力量が大きくなるとも思われない。

 ところで、現在、司法の中核を担う裁判官の状況はどうだろうか。キャリアシステムには手がつけられず、裁判官定員数は二〇〇〇年から二〇一二年の間に六一六名(簡易判事を除く)が増えたにとどまる(二〇一二年の全裁判官定員数は三六八六人で、うち簡裁判事が八〇六人)。裁判所は「少数精鋭主義」を維持したままである。

 司法修習生の数が二〇〇〇人台に増えた六〇期には、成績上位者が裁判官に採用され、弁護士より任官者が上位という意識が生まれたようである。修習生数が五〇〇人時代は、法曹三者に優劣の意識はなく、適材適所ないし好みの問題と受け取られていた。青法協会員の任官者などには、弁護士にならないことにある種の「後ろめたさ」を感じた者さえいた。

 現在の法科大学院を中核とした法曹養成制度による弁護士の増員は、弁護士の職業的地位を格下げし、ひいてはこれが法曹全体に及び、有為の学徒が法曹を志望しなくなってしまう。
 そうなったら、わが国の司法は衰退する。そうならない前に手を打たなければならない。法科大学院終了を司法試験の受験要件から外し、修習期間を二年に戻し、給費制を復活した上、法曹人口を法曹三者においてOJT方式により後継者を養成できる範囲とすることが必要である。

(弁護士 北澤貞男)


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