日民協事務局通信KAZE 2012年12月

 同時選挙の投票を前に思う──「民主主義」とは何か


 東京都知事選挙と衆議院議員選挙の投票日の四日前にこの原稿を書いている。今まで「歴史的」と言われた選挙は何回もあった。しかし、国民にとって今度の選挙ほど「歴史的」な選挙はないだろう。憲法の基本原理である「人権の尊重」、「民主主義」、「平和主義」いずれをとっても重大な事態に陥る危険がある。世論調査で単独過半数をとると予測されている自民党は、国防軍を創設する改憲論を選挙公約に掲げるに至っている。改憲を始め、集団自衛権の行使、社会保障の削減、消費税の引き上げ、TPPへの参画、原発再稼働、オスプレイの配備など、選挙で問われているどの論点をとってもその一つ一つが今後の国民の命運を左右する重大な問題である。私も、東京都都知事選で宇都宮健児候補を応援し、動きながらこの原稿を書いている。賢明な国民の選択を願わずにはいられない。
 重大な選択が問われている選挙に取り組む中で、すべての論点の土台とも言うべき「民主主義」について思うところがある。各政党や都知事候補のスローガンや述べていることをみると、自民党は「決断実行と責任」、日本維新の会は「決定でき、責任を負う民主主義」、猪瀬直樹都知事候補は「決断、突破、解決力」である。ここで強調されているのは「決断」と「責任」であり、こうしたスローガンを掲げている政党や候補者はおしなべて改憲、集団自衛権の行使、福祉の削減、増税、原発再稼働容認という政策をとっている。つまり、こうした政策を「決断」し、国民に「責任」を負わせようというのである。こうしたスローガンに象徴される「民主主義」の考え方そのものが批判されねばならない。
 言うまでもなく、「民主主義」は本来人権を基礎として成り立っているもので、とりわけ少数者の人権の尊重なしには成り立たないものである。多数者支配民主主義に権力の独断による決断が加わると、それはもはや民主主義ではない。国民に犠牲を強いる、権力のための手段と化す。日本維新の会に典型的にみられるその手法は、「@ねたみの組織化による分断の政治(非正規労働者から正規労働者を、民間労働者から公務労働者を、現役の若者から高齢者を、ワーキングプア層から生活保護受給者を、消費者から生産者をというかたちで、前者の立場から後者を攻撃し分断する)、A国民投票型権威主義とでも言うべき手法(選挙で『白紙委任』を取りつけたとして強行する)」(「渡辺治の政治学入門」新日本出版社)である。
 都知事選に立候補した宇都宮健児さんは、脱原発を掲げる市民団体や反貧困ネットワークなど市民団体が統一候補として担いで「人にやさしい都政をつくる会」を結成し、これを未来の党、共産党、社民党、みどりの風、菅直人(民主党は自主投票)などが支持するという選挙戦を行った。こうした市民団体主導の統一候補は初めてのことではないだろうか。ここには、「分断」でなく「連帯」が、「権威」ではなく「人にやさしい」たたかいがある。素人集団故の困難もあるが、今後めざすべきあり方が示されているように思う。弁護士間では「人にやさしい都政をつくる弁護士の会」を結成し、「弁護士一〇〇人ウォーク」や「弁護士一〇〇カ所駅頭宣伝」を行った。
 こうした実践の中で、日民協は市民のみなさんとしっかり手をつないで、人の権利を尊重する民主主義を前に進める努力をしていきたいと思う。

(弁護士・日民協事務局長 南 典男)


戻る

©日本民主法律家協会