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 法と民主主義2012年12月号【474号】(目次と記事)


法と民主主義2012年12月号表紙
特集★誰のため、何のための法曹か──法科大学院と法曹養成制度をいま、問い直す〈第43回司法制度研究集会より〉
第43回司法制度研究集会の開会にあたって………渡辺 治
■第1部 基調報告
◆法科大学院と法曹養成制度をいま、問い直す──法科大学院「堅持」でいいのか………戒能通厚
■第2部 問題提起・その@ 現状と問題点を探る
◆法科大学院は豊かな法学研究・教育の場になっているか──憲法の研究者として、法科大学院との関わりを振り返って………浦田一郎
◆研究者養成の危機と法科大学院………吉村良一
◆司法修習の現状と課題………白浜徹朗
◆法律家を目指す若者の意識と現状──法科大学院の学費負担・給費制廃止・就職難の中で………渡部容子
◆弁護士増員と法科大学院は、市民の望む法律家を育てているか………河野真樹
■第3部 問題提起・そのA 改革を展望する
◆法科大学院制度改革案の検討──問題点の整理を踏まえて………森山文昭
■質疑・応答
◆会場からの質疑・応答・発言
◆第43回司法制度研究集会を終えて………米倉洋子

小特集■裁判員制度、刑事司法制度改革を検証する──裁判員法施行3年経過をふまえて
◆研究討論集会の掲載にあたって………立松 彰
■基調報告
◆裁判員制度の評価と今後の刑事司法改革の課題………渕野貴生
■パネルディスカッション・ 裁判員法施行3年経過をふまえた裁判員制度、刑事司法の課題について
◆事実認定と量刑の両面から見える重罰化・厳罰化現象………米倉 勉
◆裁判員裁判における量刑………神原 元

 
誰のため、何のための法曹か──法科大学院と法曹養成制度をいま、問い直す

特集にあたって
■日本民主法律家協会第四三回司法制度研究集会より
■二〇一二年一一月一〇日・日比谷図書文化会館にて


 ◆第四三回司法制度研究集会の開会にあたって
 日民協の司法制度研究集会(司研集会)は、今回四三回目を迎えます。
 第一回は、一九六八年一〇月に開かれました。当時は、最高裁が、憲法を擁護しようとする裁判官たちに対して公然と攻撃をしかけてくるなど、いわゆる「司法反動」が始まった時代であり、それに対して、憲法と民主主義を守ろうとする多くの国民が、そういった攻撃を許さない運動を様々な形で展開しました。その中で、日民協の司研集会は、学者・弁護士・裁判所書記官など法律家と市民が結集して、司法反動阻止の運動を、理論的にも実践的にもリードし、支えるために生まれたのです。
 その第一回から四四年たち、かつての「司法反動」のような、あからさまな攻撃はいま、はっきりとは目に見えません。しかし、それでは司法が本当に、国民、労働者、弱者の権利や基本的人権を保障する機能を十分に果しているだろうかと考えると、とてもそのように評価することはできない状況だと思います。
 二〇〇一年六月に、司法制度改革審議会が最終意見書を発表し、いわゆる司法改革が、当時の小泉政権の下で、まさに国家をあげて行われました。司法改革の評価については、様々な議論がありますが、一〇年を経過して、そろそろ実証的な検証が、可能かつ必要な時期にさしかかっています。
 一九九〇年代に入り、世界経済のグローバル化が進む中で多国籍企業の活動に適合的な社会をつくるための新自由主義改革が進められましたが、司法改革はその不可欠の一環でした。日本社会を、グローバル経済にふさわしい「開かれた」市場社会に変えていくには、国民経済やくらしを保護するための規制を取り払い競争に委ねると同時にそこで生じた紛争を事後的に迅速に解決する法律制度と司法の整備が不可欠となりました。また、新自由主義改革で生まれた格差や貧困、社会の分裂を統合するには、「強い」司法の役割が求められたのです。そして、司法改革に課せられた、こうした要請を担いうる法曹の養成問題が改革の焦点に浮かび上がったのです。その期待に応えるべく構想、創設されたのが、本日の司研集会のテーマである法科大学院制度でした。
 法科大学院は、私が一橋大学にいた頃にできました。私は法学部ではないので当事者ではありませんでしたが、大学にとって大変な試練と言ってよい出来事でした。法科大学院は、大学に、二つの、いずれも大きな問題を投げかけたのです。ひとつは、司法改革で求められている法律実務家を組織的に養成する法科大学院、法学教育をいかにつくるかという「司法問題」です。しかし、同時に、法科大学院問題は、当時進行していた国立大学法人化をはじめとする大学改革の一環としては、大学の研究や教育のあり方、そして大学の自治にかかわる「大学問題」でもあったのです。
 法科大学院は、ご承知のとおり、様々な矛盾が激化して、法学部に進学する受験生が減るという事態にまでなっており、法科大学院を推進してきた側も何とか「改革」をし直さなければならないということで、今年七月、内閣府に「検討会議」を置いて、一年後に新たな政策をまとめると言っています。こうした時期に、法科大学院制度が持つ様々な問題点や課題を、法律実務や法学研究の「現場」にいる法律家と市民が共有する本日の集会は、たいへん時機にかなった企画だと思います。
 本日は、学者、司法修習に関わってこられた弁護士、若手の弁護士さん、そして市民の皆さんが、報告者としても会場参加者としても、多数参加して下さっています。報告者の方々には、今日のために大変熱心にご準備をいただき、また遠方からお越しいただきました。心から感謝申し上げます。
 法科大学院をめぐる多様な問題を、これほど多面的にとりあげて議論する場は、本日の司研集会がおそらく初めてではないかと思います。今日は「結論」を出す集会ではありません。立場の違い、見方の違いは、もちろんあると思いますが、大いに議論し、皆で問題意識を共有して、国民のための法曹、国民のための法学研究を、育て、発展させていくために、一体どのようにすればよいのかを、考えていく出発点になる集会になればと思っています。

(日本民主法律家協会理事長 渡辺 治)


 
時評●「ロスタイム」ではプレイを中断できない

(弁護士)内田雅敏

 ロスタイムにはドラマがある。一二月二日、ラグビー早明戦、32対26と、早稲田の6点リードで、後半戦も終了間際、早稲田ゴール前での、激しい攻防戦。残るは、わずかなロスタイムのみ。明治がトライ。ゴールキック成功、33(トライ5点、ゴールキック2点)対32で、逆転勝利。
 ラグビーは前後半、各四〇分間、互いに攻防を尽くす。途中、選手の負傷、交代など、試合の中断がある。中断時間の合計をロスタイムとし、本来の四〇分間終了後も試合を続行する。通常、ロスタイムの時間は、三分前後だが、時間を経過しても、プレイが途切れず、続いている場合にはなお、試合が続行される。勝っている側は、取得したボールをライン外にけり出し、試合を切ろうとする。負けている側はプレイを中断すれば、そこで終わりなので、キックという効果的な戦法が使えず、ひたすらパスとランで攻撃を続け、逆転を狙う以外にない。この攻防がラグビーの醍醐味でもある。今回のようにワントライ、ワンゴール(合計7点)で逆転できる6点差でロスタイムを迎えたとき、競技場の興奮は頂点に達する。早稲田も明治の猛攻をよく凌いだが、終了間際、ついに力尽き、明治にトライを許し、逆転敗けを喫した。《ロスタイムではプレイを中断できない》というテーゼ、どこか人生に似ている。
 今年は七二年の日中国交正常化から四〇年、本来ならば、政治、経済、文化のあらゆる分野で祝われ、新たな日中関係の構築に向けての年となるはずであった。それを三月の河村名古屋市長の「南京大虐殺はなかった」発言が、そして四月の石原都知事の都による尖閣列島(中国名釣魚島)購入構想が、ぶち壊した。「ハーメルンの笛吹き男」石原は、日中武力衝突を夢想する「愉快犯」だ。橋下大阪市長の「従軍慰安婦」否定発言も含めて、東京、大阪、名古屋という日本を代表する自治体の首長たちの歴史認識の欠如した、発言が、隣国との友好を妨げ、アジアの緊張をもたらしている(ナショナリズムを煽り、求心力を高めようとする中、韓の首脳にも問題はある。しかし、仕掛けたのは石原らだ)。それが又、「日米同盟」の強化(従属の強化)、沖縄の米軍基地の固定化のための口実とされる。解散、総選挙の中で、自民党は、極右に回帰し、「国防軍」、「改憲」、「領土死守」等々の言葉が声高に語られている。「維新」という、ポピュリスト集団も登場した。経済格差の拡大など閉塞感が強まり、何かスカッとしたいという漠然とした雰囲気が若い世代を中心に広がりつつある。七一年前の一九四一年一二月八日の「日米開戦」の日、知識人を含め多くの日本人が「スカッとした」気持ちに酔いしれた。それが、更なる大きな転落であることに気づいていた人は僅かであった。歴史は薄められて再来する。私たちは、今また同じ過ちを繰り返すのか。戦後六七年、私たちは一体何をして来たのか。憲法前文に「政府の行為によって、再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、……この憲法を確定する」とあるように、憲法は悲惨さの中から生まれた。平和憲法の背後にはアジアで二〇〇〇万人、日本で三一〇万人の死者達がいる。それは安倍晋三自民党総裁らが声高に語る「尊い犠牲」では断じてない。理不尽な非業の死だ。非業の死を強いられた死者達の無念さに対しては、ひたすらにその死を悼むことであり、決して死者を称えてはならない。憲法の理念をよく体得し、その内容を実践しながら深めてゆくことこそが、死者への鎮魂となる。
 敗戦の年に生まれ、戦後民主主義下で育った私たちの世代も、ぼつぼつ「ロスタイム」。脱原発、脱石原都政、偏狭なナショナリズムでなく、平和をアジアに発信する「宇都宮けんじ」を擁して闘った東京都知事選挙、残念ながら敗れた。しかし、多くの多様な市民が参加し、闘いの継続を誓った。ロスタイムではプレイを中断することはできない。その昔《連帯を求めて孤立を恐れず、力及ばずして斃れることを辞さないが、力尽くさずして挫けることを拒否する》と啖呵を切ったことも忘れてはいけない。こんなギスギスした社会を孫たちに引き継がせるわけにはゆかないのだ。



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