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 法と民主主義2011年4月号【457号】(目次と記事)


法と民主主義2011年4月号表紙
特集★日本経済の再生と企業・組合の社会的責任
特集にあたって………編集委員会・小沢隆一
◆企業の社会的責任とは………大島和夫
◆問われる銀行の社会的責任──消費者金融を中心に………鳥畑与一
◆JAL不当解雇撤回問題から見る航空行政のゆがみと放漫経営………早瀬 薫
◆空の安全運航と雇用回復を求めて………長澤利一
◆違法・無法がまかりとおる日本航空再生支援の裏側………近村一也
◆フランチャイズの現状と本部による加盟店収奪及び地域経済………中野和子
◆TPPでどうなる?食料と農業………真嶋良孝
◆建設産業の賃金をめぐる新たな展望………辻村定次
◆消費・流通と生活協同組合の社会的責任………加藤善正

    特別企画●司法制度研究集会・第一回プレシンポジウムより
    司法官僚の支配の実態と司法改革の課題について………新藤宗幸
    市民が求めた司法改革と今後実現すべき緊急の課題………高見澤昭治

    中田直人先生を偲び、著作集『国民のための刑事法学』の出版を記念する会
    中田先生の刑事法研究の真髄………村井敏邦
    中田弁護士の実務活動について………新井 章


 
★日本経済の再生と企業・組合の社会的責任

特集にあたって
 三月一一日に発生した東日本大震災と福島第一原発の事故は、その未曾有の規模の被害とどこまで拡大するかなお定かではない影響からの復興や再生に向けて、新たな課題とそれに取り組むべき社会的責任を、私たちにつきつけている。
 本特集の企画立案や原稿の依頼は、当然のことながら、地震発生前のものであるが、寄せられた原稿は、こもごもに震災にも言及し、「再生」・「社会的責任」という特集のキーワードの重要性を折しも際ただせるものとなった。
 この特集のもともとの趣旨は、次のようなものである。
 〈出口の見えない不況のなかで日本の経済と社会は閉塞感を募らせている。一九九〇年代以降吹き荒れた新自由主義「改革」の嵐に痛めつけられた人々は、いま経済の再生・社会の再構築を熱烈に求めながら、なおその展望を見い出せないままにおかれている。この「展望」を切り拓くという要請に、企業、協同組合、労働組合はどう応えるべきか。その「社会的責任」というキーワードから、問題にせまる〉。
 「社会的責任」という言葉は、巻頭の大島論文が、視角と論点を適切に整理して指摘するように、多義的な意味を持ちうる。「責任」といえば、法律によって明記された、あるいは裁判例によって確定している「法的責任」に慣れ親しんできた私たち法律家にとって、「社会的責任」というコンセプトは、どのような視座をもたらしてくれるであろうか。次のように考えたい。
 第一は、「将来世代に対する責任」という視角である。閉塞する経済と社会、それがかかえる権利侵害的状況の克服は、当事者の権利実現だけでなく、将来世代が希望をもって生きることのできる社会の構築につながる。否むしろ、そこにつなげるものとして構想される必要がある。それほどに現在の経済・社会の閉塞と、その人権侵害的状況は、全般的かつ構造的なものである。個別的な権利の擁護・救済とそれを通じた、あるいはそれを超えた新たな社会構築を展望することを、民主的法律家運動の「社会的責任」として引き受ける視角を持ちたい。
 そのためには、まずもって現在の経済・社会の閉塞状況とその人権侵害性の広がりと深さを適格に把握する必要がある。金融市場・金融機関の問題状況を鋭くえぐり出す鳥畑論文と、JALによる不当解雇を厳しく告発してその撤回を求めて闘っている早瀬・長澤・近村の各論文、コンビニ・フランチャイズシステムの現状を克明に示す中野論文から、それらを読み取っていただきたい。
 第二は、「社会的組織・社会団体の責任」という視角である。将来世代の幸せを願って新たな社会の構築をめざす場合、企業や労働組合、協同組合、事業団体などが、どのように組織され、いかなる活動を展開し、市民や他の団体、公共機関とどのような関係を取り持つか、すなわちどのような社会的役割を発揮するかは決定的に重要である。ただし、こうした問題は、近代的な個人責任主義を基軸とした「法的責任」の視角には収まりにくく、また「自立自助・自己責任」を強調する新自由主義からは等閑視されかねない。法律家としては特別な注視を要する領域といえよう。
 閉塞する今日の経済・社会の状況のなかで、自らが組織する組合員・事業者の権利擁護とともに、市民や地域住民、他団体との共同の利益実現をめざして、国や自治体の政策と切り結ぶ活動を展開している諸団体の取り組みを、TPP問題を扱う真嶋論文、建設産業と建設労働者の状況と公契約条例について論じる辻村論文、生活協同組合の社会的責任を歴史的にかつ熱烈に語る加藤論文から読み取っていただきたい。
 本特集で取りあげたテーマは、いずれも津波が押し流したわけではなく、私たちの眼の前になおある課題ばかりである。
 最後に、予測のつかない社会状況のなかで稿を起こし、短期間でご執筆いただいた寄稿者のみなさんに、とりわけ東日本大震災の被災地、岩手での支援活動の激務の合間をぬって寄稿いただいた加藤善正氏には格別の、謝意を表したい。ありがとうこざいました。

小沢隆一


 
時評●今回の東日本大震災、そして福島原発の災害にあたって考える

(代表理事)鳥生忠佑

 この度東日本各地で、大地震・大津波の被害を受けた方々、ならびに福島第一原子力発電所の放射能飛散と海水汚染で被害を受けた方々に、心からお見舞い申し上げます。

1、原子力に依存した発電の供給は、人間の生存と両立できるか
 東日本大地震と大津波の災害と異なり、福島第一原発の災害は「人災」である。
原発放射能被害は、人智を尽くしても、人間に与える影響を根本から除去できない。それは、人の細胞をガン化させる作用を持つうえに、被曝により世代を越えて人の遺伝子に影響を与えるおそれがあるからである。原発は、原子爆弾の製造と同じく、人類の生存と両立できないものである。原発は廃止する方向で政策を根本的に転換し、節電をもとに、自然エネルギーによる人間生活を確立していくべきである。

2、商業用原発依存は何をもたらすか
 日本の商業用原発の数は今や五四基まで増加され、今後一四基の増設が予定されている。
 今回の原発災害でも、東電は被災者そして国民に、事実と情報を隠す態度をとりつづけてきた。日本は過去これまでに、今回の地震と津波に比肩する「貞観大地震」(八六九年)をはじめ、多くの地震と津波で、大きな被害を度重ねて受けてきた。これをもとに直近では、衆院内閣委員会の審議の中で、日本共産党吉井英勝議員が今回の災害発生を予測し、「最後のよりどころである冷却用非常電源の全破壊の場合の不備」を質したのに対しても、東電と原子力安全・保安院の代表者らは「指摘される事態は起こらないまでの安全設計を行っている」などと答え、あくまで「安全神話」で押し通している。しかし、すでにこれら「安全神話」は崩壊している。
 一九五二年に発足した日本の九電力会社はいずれも株式会社であり、利潤の獲得と株式配当で成り立つ営利企業である。「営利企業」として出発したものに、一九六〇年以後そのまま原発設置を許可してきたのは大きな誤りである。

3、司法もまた、「安全神話」に取り込まれていないか
 原発に関する最高裁判決は、一九九二年一〇月二九日四国・伊方原発に関する第一小法廷上告棄却判決がある(同日付で、福島第二原発に関する第一小法廷判決も同じ)。それが、これまでの最高裁判決の指導的なものである。
 この判決は、安全性の判断において、原発許可の判断が原子力規制法上、原子力安全委員会の意見を尊重して行うべきものとされていることを理由に、「内閣総理大臣(現行は経済産業大臣)の合理的な判断にゆだねる趣旨と解するのが相当(いわゆる裁量処分か)である」とした。また、総理大臣の判断は許可処分当時の科学技術の水準にしたがい、施設の安全性にかかわるすべての事項でなく、「基本設計」の安全性のみを対象とすればよいとするものであった。
 このような最高裁の判断は、地震と津波、そして原発による繰り返されてきた国内外の大きな被害を学ばず、基本設計における非常用電源の全失問題などを放置し、この結果東電の責任を免罪したに等しいものがある。
 原発施設の許可の重大性は、他の施設の許可処分とは根本的に相違するものであり、判例変更、そして法律規定の改正を求める必要があると考える。

4、原発災害の終息はまだ先、今後長期にわたる慎重な監視が必要である
 三月一一日以後も余震の続くなかで、国民の心は平静でなく、哀悼と危険な放射能のおそれで満たされている。
 今後も放射能の監視を継続していくことが大切である。


 
〈シリーズ〉とっておきの一枚

わらじは何足でも

弁護士山本 博先生
訪ね人 佐藤むつみ(弁護士)

1985年にボルドーで受賞した時の祝賀パーティ。日本人としてはサントリーの佐治社長に次ぐ2人目。ブルゴーニュの方は1982年に授賞。

 山本先生は一九三一年生まれ、今年八〇才になった。ムッシュ山本と言えばワイン。訳書や著作も多くワイン業界の御意見番である。日本輸入ワイン協会会長、世界ソムリエコンクールの日本代表審査委員。ワインに関する造詣が深く、これが半端じゃない。近著は日本評論社から「世界のワイン法」(二〇〇九年一二月刊)。何しろ「岩波新書」の「ワインの常識」がいかに非常識なのかを完膚無きまでに緻密に批判しているくらいである。ワインについてのうんちくを先生の前でたれてはいけない。
 インタビューの第一声は「僕は労働弁護士だからね」。労働事件だけでなく幅広い弁護士活動をしている。劇団四季の顧問もやっていると言うし、テレビの業界の相談も受けている。全方位である。
 「弁護士山本博」は元気に現役続行中である。週に三日は早朝から昼間まで自宅の書斎で本を読んだり翻訳をしたりものを書いたりする。それ以外の平日は事務所に出てきてバリバリと本業の仕事をする。ワインの講演は平日は受けない。仕事と趣味の世界は別。「この年令で普通に仕事をしているのはそうはいないだろう」。
 インタビューの最中もハイライトを離さない。チェーンスモーカーである。途中でタバコがなくなりあたらしい箱を持ってきた。「先生ちょっと吸い過ぎじゃないですか」と言うと「ふん。この年になって何をいまさら」。向かうところ敵無し。事務所の勝木江津子弁護士によると「いろんな人の屍を乗り越えて生きてきてるの」長生き間違いなしなんだって。
 先生は、ミナト横浜、伊勢佐木町で生まれた浜っ子である。実家は横浜でも老舗の自転車屋。博君は戦後始めて「横浜サイクリングクラブ」を作って「箱根の山から一度も足を着かないで自転車で登った第一号のレコードホルダー」。一方で小さいときから乱読インテリ少年だった博君はあの時代に「こんなことをしていたら日本は戦争に負ける」と思っていた。動員で行っていた工場でついこれを言ってしまい大騒ぎになった。「家は商人だから国とか役人とか肌に合わない」。反骨在野精神は子どものころからである。
 横浜大空襲を生き延びて終戦となった。博君は一四才旧制中学三年だった。この年新制高校になりここで二年。卒業後は昼は神奈川県の英語の通訳養成学校に通い、夜は早稲田大学の夜間に。演劇にも興味があった博君は学生演劇活動もやっていた。横浜には、魅力的な米兵も多く、通訳の仕事につくつもりだったが、朝鮮戦争が起きる。アメリカ兵だけのために祈る牧師に抗議したためアメリカ人から白い目でみられ、通訳の仕事の魅力もなくなってしまう。博君は、二部から昼の第一法学部に転部する。大学では授業には出ないでひたすら図書館で古典文学を読んでいた。小説家になろうかと思っていた。食えるわけもなく、新聞記者をめざすが受けた朝日と共同に落ち、その年にできた大学院の授業料免除二人の枠にすべり込む。野村平爾の労働法コースに行く。野村先生から「君はマックス・ウエーバーを研究したら」と言われその道に。ドイツ語で苦労したという。資本家嫌いなので会社員にもなりたくないし、研究者も似合わない。本気で本を作る仕事も考えたが、司法試験を受けて弁護士になる道を選んだ。
 猛勉強して院生二年で合格しめでたく九期となる。中田直人、渡辺正雄が同期である。迷うことなく労弁の道を選択する。一九三二年、編集の仕事にも興味があったので旬法法律事務所に入所。「労働旬報」の編集も手伝いながら多くの労働事件に関わることとなった。労弁の仕事は山本先生にぴったり、職業選択は大成功。当時は労働事件が多発し、全逓、国労、日教組、全金、ハイタク、戦いの前線で弁護士は大活躍だった。山本先生も意気揚々と事件に取り組んでいた。一九四六年、旬報社のビルが建て直しになり、大所帯の事務所は二つに分かれることになる。山本先生は東京協立法律事務所を作り、そこから四〇年、山本先生は労働弁護士を続けた。砂川事件、全逓中郵事件、公務員の政治活動、など関わった事件は多い。違憲判決も数件取っている。総評弁護団などの活動も長い。「僕は労働弁護士ですから」。
 さて、ワインとの出会いは。山本先生のお姉さんは新橋駅前の小川軒に嫁いでいた。このお店は鎌倉文士のたまり場になっていて、お客は有名な文化人が多かった。博君は経理が出来たので大学に通いながら小川軒の経理を担当していた。食に対する興味はあったが、ワインがそう美味しいとは思えなかった。弁護士になって一〇年目、山本先生はふと一息つきたくなった。「このままで良いのか」。思い切って一ヶ月の休みを取ることにした。その時に偶然ワイン業界のフランスワイン視察旅行に誘われ、フランスに。これが出会いである。もともとヨーロッパを理解するには「キリスト教」、「ワイン」、「建築」だと思っていた山本先生の好奇心は全開となる。ワインに関連するあらゆる本を読むようになる。年に一度はフランスに行き、ワインが作られている現場を踏む。「弁護士の原則だね。僕は現場を踏まないと書けないし理解もできないんだ」だから小説は書けないと言う。「フランス語はいつ学ばれたんですか」「フランス人はワインについてあまり語らないの。ワイン文化はイギリス人が。文献は英語ですから。僕はフランス語はできません」そういうもんなんだ。しかしである。フランスの歴史もワイン作りの現場も分かるかしら。ワイン用語の理解だってあるし。先生の知識はすごいんだから。フランス語ができないって嘘なんだきっと。
 先生の好奇心はワインだけではない。ウイスキーも日本酒も詳しい。「イギリスのモルトウイスキーの造醸所は一〇〇のうち五〇カ所はまわった」。日本酒の蔵も沢山まわっている。日本のワイン作りにも関与している。酒は風土と人によって作られる文化である。憂さを晴らすために唯飲むだけではモッタイナイのだそうだ。先生は山登り男で、北アルプスはほとんど踏破している。カメラもやるし、陶芸もやる。音楽はモーツアルトが好きらしい。もっとも歌うのは駄目。尽きせぬ興味のままに趣味が広がる。「すべてアマチアなんです」「人間は好奇心。弁護士だけやっていてもつまんないじゃない」なお、知る人ぞ知るミステリーの翻訳家でもある。
 「後一〇年、先生はどんなことなさりたいんですか」と聞くと「このまま普通にやっていくだけです」。つまらんことを聞くやつだと一蹴されてしまった。

山本 博(やまもと ひろし)
1931年横浜生れ。早稲田大学大学院法学研究科修了。1957年弁護士登録(9期)。労働弁護団名誉会長。
著書「日本のワイン」「世界のワイン法」他多数。フランス食文化の特性に貢献したとして「ザ・フレンチ・フード・スピリット・アワード」人文科学賞受賞(08年)。シャンパンの同業団体の委嘱で、日本の不正表示阻止の法律事務にも携わる。


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