日民協事務局通信KAZE 2010年11月

 介護現場に風を求めて


◆私は、夫の在宅介護をしている。
 夫七六才、「企業戦士」が、定年寸前に脳内出血で倒れ、半身不随/失語症の一級障害者になった。発病の原因は、過労、ストレス、引揚孤児の時の栄養失調など、社会的にもあるだろうが、結局は本人の不摂生、健康管理が悪いと片づけられ、妻である私も、反省や後悔に苦しんだ。
 発病後は全身的に身体機能を損うためか、再々度の脳内出血や心臓疾患、誤エン性肺炎などの症状が加わる。医師には、いつ何が起きてもおかしくないと宣告され、食事、排泄、移動の世話に加えて、介護者には、能力も無いのに看護師の役割も求められる。
 働く能力を失った高齢障害者には医療は実に冷たい。三カ月目の退院強制、救急車内での入院先探しは常だ。
 日進月歩の先端医療の恩恵を受けられるのは、どんな人だろう。とび抜けたカネ、コネ、ウンの持主だけだと、障害者グループの話題となり、みんな腹を立てながら、諦めかけている。
 介護の現場で辛いのは、身体の疲労だけでなく、症状が悪化したらどうしようとの心労や、制度のすき間を探して、どうにか、自分だけでも良い医療と介護を受けられないかと探しまわる苦労だ。チャンスや、コネを上手につかまえられなかった自分の落ち度を反省しまくり、「自己責任」と「競争原理」の中でもがいている。
 病者、障害者、被介護者、介護者の生きる権利を具体的に求めながら、今、私には何が出来るのか判らない。
◆介護の合間に、次の書籍との出会いがあった。一冊目は、多田富雄、柳澤桂子(遺伝学者)往復書簡「いのちへの対話──露の身ながら」(集英社、二〇〇四年刊)。多田氏は世界的な免疫学者。脳梗塞に倒れ、右半身まひ、声を失い、唾液を飲み込めない「地獄」の中から、免疫学の知見に基づく哲学的思索による、反戦、人権のメッセージを送りつづけている(二〇一〇年四月逝去)。小泉改革による診療報酬改定、リハビリ打ち切りに対して「障害者に死ねということだ」と反対運動の先頭に立った。水も飲めない自分の苦しさを昇華させて自らの新作能「原爆忌」「長崎の聖母」の上演を指導し、核廃絶を訴えた。
 リハビリ制限廃止運動は四八万人の署名を集めたがまだ廃止にはならない。多田氏は「私はまだ言葉に希望を託している。もっと広く、芸術の力と言ってもいいでしょう」と言うが、その力が何か、良く判らない。本誌先月号「とっておきの一枚 暉峻淑子先生」のインタビュー記事に答がありそうだ。
◆もう一冊は、伊藤博義「社会福祉労働をめぐる現状と課題」(佐藤進先生追悼『社会保障法・福祉と労働法の新展開』信山社、二〇一〇年刊)。著者は、福祉労働の現場(養護施設での勤務と社会福祉労働者の産別組合の結成)から福祉労働法の研究、教育、更に福祉の現場(社会福祉法人なのはな会理事長)への経験から、一貫して「福祉労働者としての権利を守ることが利用者の権利を守ること」とのテーマを掲げ、現状の理論的分析と解決の方策を述べる。介護現場の実情と問題点は、私の日々の苦労と一致する。なのはな会の実践は障害者自立支援法施行による経営の危機を、職員参加による給与改定(ベースアップ他)で乗り切り、更に職員集団の制度的問題への意欲と運動を高め、産別労働組合への道を期待する。遠いが、確実な解決策か?
◆私も、自分の中の「自己責任論」から解放されて「介護の社会化」への道を探そう。事務局次長として執行部のメンバーなのに、長期「介護休暇中」ですみません。 (弁護士 上野登子)

(弁護士 上野登子)


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